沖縄戦終結の日に一考

■6月23日は先の大戦における沖縄戦終結日

昭和20年4月1日、沖縄の海を埋め尽くした米英豪の連合軍は兵18万2千、空母戦艦等106隻。
これに対し、わが国の守備隊は、第32軍(陸軍・牛島満中将)と根拠地隊(海軍・太田実少将)をあわせて約7万7千、それに加えて県民の義勇隊 およそ2万5千。倍近い戦力差の中、わが守備隊と沖縄県民は、手を携え心をひとつにして決死の戦いに臨んだのだった。

以前、那覇の陸自第15旅団基地を訪ねたときに当時の戦闘について詳しい説明を聞かせて頂いた。私は初めて沖縄戦の凄まじい実際を知り、いい知れぬ感動と運命の悲哀に涙がとまらなかった。沖縄戦は日本人の忘れてはならない大切な記憶、民族の物語だと強く思った。

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シュンクシタカラ湖(阿寒) ※写真は本文とは関係ありません

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春の海岸慕情(小樽市張碓)

気分転換に海が見たくなった僕は、双眼鏡とカメラと望遠レンズを持って車を飛ばした。
国道5号線を小樽方面に向かう。銭函を過ぎて峠の上り坂にかかると海が右側に広がる。
風の強い日だった。海は大きくうねり真白な波頭の砕ける様子が遠くから見下ろせた。

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目指す張碓(はりうす)はささやかな集落だ。
国道から細路へ入る。海に向かって突き当たりまで行くと小さな駐車場がある。
傍に建つ石碑には、小樽市の鳥「アオバト」の詩と説明が刻まれている。

アオバトは緑と黄色のとても美しい鳩。オー、アオーと啼くのでアオバトなのだ。
彼らは森に住み、海水のミネラルを求めて岩礁へ群来することで知られている。
だがこの海岸でアオバトの姿を見るにはまだ時期が早い。7月以降だろう。
北国の青空と夏雲の季節はまだまだ先である。

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海岸の主役・カモメは種類が多い。殆どは冬にシベリアやアラスカから渡ってくる。
わが国で通年見られるのはオオセグロカモメ、あるいはウミネコだ。
張碓(はりうす)海岸の弁天島という岩礁では、彼らが毎年コロニーを作り子育てをする。

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桜と碑文と日本のこころ雑感 〜 温根湯・層雲峡

五月連休の晴れた一日、久しぶりに道東へ遠出した。
今を限りと咲ききそう北の桜たち、そのはかない風情を愛でる旅。
日帰りで行ける範囲で札幌から六時間の温根湯(北見)を目的地にした。
彼の地ではツツジが見頃で白樺の新緑や山桜の薄色との溶合う風情はじつに優美だった。
温根湯の新名所「山の水族館」で無邪気に泳ぐ渓流魚たちに心癒されるひとときを過ごす。

旅の途中、上川町の層雲峡に立ち寄って、銀河・流星の双瀑を眺めてきた。
駐車場の傍らには、幅3m高さ2mほどの石碑が建っている。
昭和天皇、香淳皇后両陛下の行幸啓(ぎょうこうけい)記念碑である。

昭和天皇 御製
そびえたつ大雪山の谷かげに 雪はのこれり 秋たつらしも

この石碑の裏の由来にはこうある。

「天皇、皇后両陛下には、昭和四十三年 開道百年記念祝典にご臨席の上、
道北地方ご巡幸に際して、九月三、四、五日の三日間にわたって、層雲峡にご滞在になった。
この間 層雲峡温泉から高原温泉にかけてご探勝あそばされ、このお歌をお詠みになった。

両陛下のこの地への行幸啓を永く記念するため、上川町が、層雲峡観光協会、層雲峡町内会の
協賛を得てこの碑を建立する
昭和四十四年七月二十五日
上川町長 野田晴男
雪嶺敬書 」

北海道でも天皇陛下やご皇族の御足跡を目にする機会は決して少なくない。
稚内公園の氷雪の門は有名だ。傍に真岡郵便局の九人の乙女の悲劇を悼まれた御製御歌がある。
道内各地に行幸啓の碑文があるし、野幌森林公園にも明治天皇の駐蹕の碑がある。
これらの碑文を読めば、当時の人々のご皇室に対する自然で素直な温かい敬慕が伝わってくる。

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思えば私たちの世代はご皇室や日本神話を肯定的にきちんと教わる機会もなく育った。
日本人の暮しに「アメリカ」が残酷に染みこんだ。ABCの洪水が日本の高度な言語文化を壊した。
抗えない欧米化の激流のなかで、居心地の悪さと不自然さに身もだえ、あるいは絶望しながら、
生きていくための価値が見えない不安におののき、私は沈思黙考する青年時代を過ごしたのだ。

社会人となった私は、やがて祖先の歴史とわが国の神話への強い愛惜に駆られるようになる。
そしてごく自然に、御皇室と国民が互いに慈しみ敬慕しあう「君民一体」の歴史、二千年の
長きにわたり祖先が営々と築いてきた、美しい国柄と優しい大和心の本質に邂逅するのである。
「ああそうだ。日本人は、日本は、本当はこうなんだ!…」
深く納得して目が開かれた感激、初めて人生の心軸となるものに出会った思いがした。

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双瀑の傍らのこの記念碑文を読みながら、私は当時の上川町の人々の真心に思いを致した。
戦後ずっと見失われている「君民一体」の伝統が、懐かしい戦前昭和の香りがそこにあった。
この記念碑はいつか日本人が日本人に還るその日の為に、静かに立ち続けている。
(終)

桜咲く神宮で

思いもかけぬ暖かさは、今年の桜前線を駆け足にさせた。
先週の函館・松前に続き、札幌も27日に円山公園の桜の満開を聞いた。
あるいはGW中に道東や道北でも咲いてしまいそうな勢いである。
白樺の若葉が萌えてきた野山の雪の減り具合を見ても、今年の春の早さを感じる。

北海道神宮は札幌市の円山山麓に鎮座する。我が家からもほど近いので、
境内の桜を愛でながら小さな動物や野鳥たちを撮影するのが私の恒例である。

参道の桜

参道の桜

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朝一番の清浄な境内の空気を吸って参拝を済ませる。8時前はまだ人も少ない。
参道の桜の樹々は、薄紅色の雲を重ねたような枝を優美に差し掛けている。
通勤前に参拝するスーツ姿の若者や、敬虔な面持ちでゆっくり歩を運ぶ初老の男性、犬を散歩させる女性たちがちらほらと行き過ぎる。
不安げな曇り空がいつしか晴れて、春の光が柔らかく神域の杜を包みはじめた。

エゾリスが走り回る。秋に埋めておいたクルミを忙しく掘り出している。
そんなに大きなのをくわえて、あごが外れないのかと心配になるほどだ。
ちりちりと軽やかなさえずりが聞こえてきた。
シジュウカラやハシブトカラが、桜や梅の花の間を飛び回っている。
美しいヒノキやスギの林の中では、枝のカラスがのんびり啼いている。
人界の雑事を忘れる至福のひとときである。

木鼠の耳ふさの毛の揺れるごと  やはらかな風吹くここちして

あった、あった

あった、あった ♩〜

 

春のおとづれ

四年に一度の統一地方選挙、前半戦が終わろうとしている。
今回、私は知り合いの札幌市議会議員の選挙戦を手伝った。
例年この時期は残雪の森で繁殖期を迎える小動物や野鳥たちをさがすのだが、
年末の衆院選で私を応援してくれた市議に頼まれたため今年はスーツネクタイで過ごした。
そして今日が投票日だ。約ひと月の間いろいろあって私は最後は彼と袂を分つことになった。
今、札幌と日本のために真に有意義な結果が出ることを願いながら静かに夜を待っている。

あの衆院選出馬は私にとって思いもかけない出来事だったと今さらに感慨深い。
縁のある「次世代の党」からどうしても出てくれと頼まれた。当選など到底考えられぬ状況だった。
ただ北海道に「次世代の党」の名を知らしめる意義を信じて、結果は考えずに全力を尽くした。
あのとき知り合った人たちとの新しい縁も今後どうなっていくのかは正直わからない。
自分の信じる道を素直に進むのみだ。他者への敬意を忘れず、思い上がることなく謙虚に。

札幌の町並みの向こうに見える藻岩山や手稲山の雪はどんどん薄くなってきた。
長い冬を過ごしてきた樹々の冬芽はもうすぐほころんで瑞々しい若葉が生まれるだろう。
春一番乗りのフキノトウたちが雪の絨毯の隙間から頭を出している。
暖かい風が吹き柔らかな日差しが降り注ぐ北の街に、いつものように心浮き立つ春がやってくる。
桜前線はいまどのあたりかな?なんてようやく気にする余裕が出て来た。

樹液をナメナメする春のエゾリス

樹液をナメナメする春のエゾリス

「海洋立国・日本」を守れ 〜 建国記念の日に

■「建国記念の日 奉祝道民の集い」

2月11日は「建国記念の日」であり、私は今年も恒例の奉祝式典に出席してきた。
昨年と同じく今年も参加者がいっそう増えたなと感じられた。
メディアで広く宣伝しているわけでもないのに 自然に増えて行くということは、参加者による口コミや啓蒙活動に加えて、人々の中に自発的覚醒と行動が起きている証拠だろう。
昨今の日本全体を包みはじめている「健全な国家意識の復活」がここにも形になって見えて喜ばしい。

神武天皇の御東征(神宮徴古館蔵)

神武天皇の御東征(神宮徴古館蔵)

背筋を伸ばし直立して国歌を斉唱、気持ちが引き締まり清々しい。
来賓祝辞、祝電の披露。恒例の有馬氏の朗々とした祝吟が披露される。
普段聞く機会もない詩吟を拝聴できるのは、この式典での私の楽しみのひとつである。

明治天皇御製  「柱」

橿原(かしはら)の とほつみおやの 宮柱(みやばしら)
たてそめしより國はうごかず

建国記念日 半田晃陽

畝傍山上瑞雲深し  (うねびさんじょう ずいうんふかし)
古柏森々自づから襟を正す  (こはく しんしん おのづから えりをただす)
建国悠々たり 天祖の蹟  (けんこく ゆうゆうたり てんその あと)
紀元の奉祝 兆民の心  (きげんの ほうしゅく ちょうみんの こころ)

凛とした吟唱を拝聴して「自づから襟を正す」という気持ちになる。

■ 認識の転換「資源のある國・日本」

今年の講演の題目は『海に守られた日本から、海を守る日本へ』。
海洋政策が専門の東海大教授・山田吉彦氏の貴重なお話を聞かせて頂いた。
尖閣問題、小笠原の珊瑚密猟など、覇権を狙う中国の挑戦にわが国の領海が脅かされている現在、私たち日本人はこれまでの海に対する認識を大転換するべきときだ、というお話なのである。

奉祝式典の様子(山田教授講演中)

奉祝式典の様子(山田教授講演中)

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年頭のご挨拶と成人の日に寄せて

遅ればせながらようやくブログの更新となりました。
皆様、本年もよろしくお願い申し上げます。
皇紀2675年、平成27年、西暦では2015年の一月でございます。
日本はどこへ向かうのか、いや向かわせなければならないのか。
私たちは日本国の大人であり祖先と次世代に対する責任があります。
わが国の内外の厳しい状況を、各人それぞれの場で少しでも広く関心をもって謙虚に考え行動していかねばなりません。
自覚を持って国を守る、それが今年の誓いであります。

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今年の成人の日は12日でした。
私は有志と一緒に、新成人に祝福の意を込めて日の丸の小旗を手渡す活動に参加しました。
式典に向かう若者達は皆あどけなくて、まだ幼い印象を受けました。
さて自分達の20歳の頃はどう見えていたのだろうかと考えながら、個人の自由を謳歌する一方で「公」への責任意識を欠いたままで大人になってしまうという、日本の若者の現実を思わずにはいられませんでした。

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慶賀 八十一歳をお迎えあそばした 陛下

買い物に行けば店はクリスマス色。レジの女性はサンタ帽をかぶりBGMはジングルベル。
ラジオもテレビも話題は明日24日のことばかり(キリスト教徒でもないだろうに)。

クリスマスに大騒ぎしてはしゃぐ奇妙な習慣も、儲けたい商売システムとして割り切れば我慢できる。イベント依存症の現代日本に於いてハロウィンだろうがXマスだろうがみんな同じ「商戦」に過ぎず、西洋の習慣を安っぽく真似ることの無意味さに誰も疑問も持っていない。

***      ***

では本日23日はどうなのかといえば、軽薄な商売Xマスとは全然意味が違う。
そもそも天皇陛下のお誕生日こそ我ら日本人にとっての「クリスマス」のはずではないか。

にもかかわらず自分の国の一番大切な日を放ったらかしにして(休みだけは享受しておいて)遥か遠い西洋のキリスト祭に日本中が浮かれているなど、まったく沙汰の限りだ。

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2014衆院選を終えて 〜 逆境に奮い立つ勇気

■ 絶望的な戦い しかし「次世代の党」は死なず

「終わったなあ…」とひと息つきました。昨夜は開票速報をテレビで見ながら何度も眠りに落ちかけました。疲労感と脱力感が身を包んでいます。
終わってみれば一炊の夢。出馬を決心した11月23日が昨日のことのように思い出されます。
私自身も準備ゼロのいわば飛び入り参加で、また「次世代の党」の名前も国民にほとんど知られていない絶望的な状況で突入した選挙戦でした。

選挙結果は自民党の圧勝。民主党が微増(しかし海江田党首が落選)、共産党が倍増する奇妙な現象が起き、そしてわが次世代の党は19から2議席へと大激減の惨敗となりました。

この結果は仕方ないと思います。あまりにも急な解散総選挙で準備は全くできておらず、我々のような新しい政党にとってはどうしようもない条件でした。二年後の衆院選を睨んで国民への周知を図ってゆく計画が完全に崩れ、次世代の党は壊滅寸前まで追い込まれてしまいました。

次世代の党は国会で鋭い質問を連発して日本復活への実績を挙げてきました。これを恐れたアメリカが安倍政権に圧力をかけたかもしれません。つまり「次世代潰し」の狙いです。

我々「次世代の党」はこの消えゆく日本を救うために生れた希望の光です。私たちが諦めたらそこで日本は終わってしまう、絶対に諦めてはならないと改めて強く思います。
私の胸中には、69年前戦争に敗れて壊滅状態に陥ったわが国の歴史がオーバーラップするのです。あの破壊された国土の中で、祖国再建を諦めなかった私たちの先輩達の気持ちを思い勇気を奮い起こします。

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稜線から下りてくる秋(2)〜 10月の山々

11月も早くも中旬。札幌ではこの冬はじめて本格的な雪が降った。
窓の外は銀世界になったが、ついこの間の明るい秋の日を思い出しながら
10月の紅葉の旅を簡単にまとめてみようと思う。

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■「トナシベツ渓谷」の紅葉と渓流のアメマス

10月初めに夕張岳の東麓のトナシベツ渓谷を訪ねた。
高山植物で名高い夕張岳は、西側の大夕張コースが登山者に人気がある。
だが私はまだ登ったことのない東側の静かな金山コースに惹かれている。
今回はその登山口の偵察も兼ねて車を林道の奥へ走らせた。

静かな山の秋だ。沢がさらさら流れ、ひと風ごとに枯れ葉がゆらりと舞い落ちる。
登山口の駐車場には私しかいない。きらめく川辺にもみじの赤が燃えている。
三脚を立て、構図をとり露出を決め、あれこれつぶやきながら盛りの秋色を堪能した。

一時間ほどで車にもどり釣り竿を出す。胴長を履いて素人漁師に変身だ。
胸を躍らせて、本流に支流が合して泡立つ深い渕を狙って竿を振り込む。
小さい重りをつけたエサが、ポイントの深みにすっと沈むや、ぴゅっと引き込まれた。
コンマ何秒かの呼吸で手元を合わせる。ぐんと手応えが返る。「ニジマスかな?」
いや深みにグイグイ引き込むこの動きはアメマスのようだ、それも結構な大きさだぞ。
竿を立てて向こうが疲れるのを待ち、ゆっくり岸辺に寄せる。ウム、アメマス君だ。
30cm弱というところか、いい型だ。

この二年ほどで私もだいぶ釣りの基本を覚えて、坊主で帰ることはなくなった。
だが逃げようともがく魚を見て可哀想に思い、そこで止めてしまうこともある。
そんな奴でも、渓流釣り自体はとても気持ちよくて楽しいのでどうにもならない。
仲間には笑われそうだが、私は生まれつき甘ちゃん性質なのだろう。
この日もアメマスを三尾だけ釣って大事に持ち帰って美味しく頂いた。
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