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新年のご挨拶 平成29年=皇紀2677年=西暦2017年

初日の出

あけましておめでとうございます。
みなさまにはよいお正月を迎えられたこととお慶び申し上げます。
しかし突然の自然災害や年の瀬の大火事で、思いもよらず苦しい状況の中で
新年を迎えられた方々のことを思うと、人の世の無常、定めというものの非情を感じて
まさに他人事ではなく身が引き締まります。

***  ***

昨年は個人的にも大きな転機の年となりました。
21年住んだ札幌を離れて、静岡県の富士山麓に参りました。

仕事の面では昨夏北海道を襲った4つの台風で撮影活動の場所を大きく失ったこと、
私的事情では親類縁者が高齢になる中、故郷への思いが強まっていたこと。
日本の将来について危機感が高まるなかで、自身の新しい出会いを欲していたこと。
それらを総合的に考え、今が転機と決断したうえの転居でした。
まずは早くこちらの生活に慣れて、活動を再開したいと思います。

新年の曙光に輝く

***  ***

「今年は激動の一年になるぞ」と、新年を迎えるたびに思っておりますが、
まさに世界の混乱は増す一方です。先行き不透明で前途多難の緊張感が満ちています。
かたやわが国のテレビ報道ときたら時代遅れでマト外れで、いったい何を見ているのかと。

情報が溢れている時代、その意味を自分の言葉で組み直して真偽を判断する力が必要ですが
手っ取り早く「検索」して得た他人の言葉を便利に使い回すことに慣れた頭には大変なこと。
情報を理解し判断する力の差は、そのまま現実認識の差となって、国論は常に分裂しています。

またテレビや新聞も本当に大事なことは報道しません。尖閣諸島の危険な実情も報道しません。
芸能人の麻薬とか、どうでもよい些事に我々の関心を向けさせようとします。
難しい世界情勢など一般国民は理解できないし、視聴率も取れないと考えているからでしょうか。

いつぞやある市議選候補者が、選挙を手伝っている私に雑談的に話してくれました。
「テレビ局の人間はみんな一般国民を馬鹿だと思っていて、程度に合わせた番組を作っていますよ」と。
彼自身がその業界出身だったのは笑えないオチですが、本当のことだろうと思いました。

***   ***

自分の命は長くても70〜80年です。でも日本の国と日本の民はずっとずっと続いて欲しい。
同じように願ってきた無数の祖先がいたからこそ、いまも日本は続いています。

現代の我々はその大切な祖先との約束がどんどん壊されていく只中を生きている。
伝統的な麗しい習慣は現代的に作り変えられ、言葉もじつに貧しく粗雑になりました。
長い歴史をもつ日本が今、根底から壊されて永遠に失われる危機に瀕していることを実感します。
それも国民がすっかり油断してノホホンと気付かない中で、静かに確実に進んでいる。
その首謀者は誰なのか。なぜ日本人はそれに気づかないのか。

“金を稼げば人生の勝利者、稼げなければ人生の敗北者”と言わんばかりの拝金主義社会です。
この流れを意図的に生み出して、世界を金漬けにして支配しようとしている勢力があります。
国際金融資本つまり国際銀行家たちです。彼らは金融を武器に各国の政治経済を冒し、その自主性を奪います。国民を「金持ち」と「貧乏」に分断して団結力を弱め、バラバラの個人を金で支配するのです。

金で国を買い叩かれ、国民を分断され、伝統文化を滅ぼされる苦しみを我々戦後の日本人はずっと味わってきました。誰と戦っているのか知らないまま、負け続けてきたのです。
本当の敵は、じつはアメリカや中国といった国家単位の政府ではなく、彼らを裏から金で操っている者たちなのだということを、この二年ほどで私は腑に落とすことができました。

我々の骨髄を腐らせ自壊させるのは結局は金と物への欲望であり、それを戦略的に流行らせているのは国際金融資本家たち、つまりグローバリスト推進派です。
私たちが金に対する卑しい心構えを恥じ、反省しないかぎり、彼らの侵略から日本を守ることはできないと思います。戦争は武力だけではないことを知らねばなりません。

真の国際的視野とは、自国のかけがえのなさを悟った人だけが持てるものだと思います。
国を失ったらどうなるか、その怖さや痛みを感じられる人は、他国民の痛みも分かるのです。
それが本当の国際人というもので、決して国際的なビジネスに長けた人のことではない。
私はそう思っております。

みんなで、2677年目を迎えた愛しい日本の国を守るために、自分の頭で考えていきましょう。
今年もよろしくお願いいたします。

(終)

富士の国から(耶蘇祭りの夜想)

秋頃にお知らせしました通り、このたび長年住み慣れた北海道を離れて
故郷静岡県の町に越してきました。
荷物整理もやっと一息つきまして、当ブログも再開と相成りました。
どうぞ引き続きよろしくお願い申し上げます。

***  ***

窓からは毎日富士山が大きく見えます。12月というのに日中の気温は12〜16℃もあって、
外出も薄いコートで済むのは新鮮な感覚です。温暖な土地に来たことが実感されます。
気候の変化に体がついていきません。朝晩はくしゃみばかりして、昼間は眠くてぼうっとして。
少しずつ慣れるものでしょうが、風邪は寒いからひくとは限らないなと感じます。
高校時代以来の静岡県民となり、人とのつながり作りからの再スタートですが
焦らずにやるべきことをやっていこうと思います。

***  ***

年が明けたら早速近隣の山を歩いてみたいのですが、私は静岡の山をほとんど知りません。
とりあえず昔買ったヤマケイのアルペンガイド南アルプス編を読みなおしています。
動物や野鳥たちのご機嫌伺い&足慣らしのため、まずは冬の低山で訓練ですね。
カメラを担いでいくのはもう少し先になりそうです。

【耶蘇(ヤソ)教祭りの大騒ぎにもの申す】

世の中はクリスマス一色でも、我が家では23日の天皇誕生日のお祝いが最も大切な日。
強風に負けず国旗も出した。青空に翻る(ほとんど飛ばされそうな)日の丸の美しさ。

私はX’mas「クリスマス」を日本語で「ヤソ(耶蘇)祭り」と呼んでいる。
キリスト教の聖夜祭なのだからそれが正しいといっても、残念ながら世間では通じない。

欧米人の習慣をむやみに導入したところで、しょせんうわべだけの借り物だ。
毎年12月に日本中で演じられるX’masの行事は巨大な消費と流通、それ以上でも以下でもない。
物事の意義や由来を無視して表面的な享楽だけをいいとこ取りする姿勢はいかがなものだろう。

たいていの人は「X’masは楽しいからいいじゃん」というだろう。また「GDP増に資する重要な経済行為だ」という人もあるかもしれない。だが行事の由来や意味が完全に没却されたら、そこには薄っぺらの、むなしい空っぽの疲れしか残らない。
メリークリスマス!と叫ぶ日本人は、いったい何をMerryと思い、何を祝っているのだろうか。

こうも思う。他国の宗教儀式を意味も考えずに真似することは、無責任で軽薄な仕業ではないか。
つまり真摯なキリスト教信者に対して侮辱行為ではないだろうか。ましてや商売の都合だけで。
何でも楽しければいいという軽い態度や、本来の深い意義を顧みない粗雑な感覚に、私は同意できない。

私の怒りとは無関係に、この馬鹿らしい風習もきっと100年後にはなくなっている気がする。時代も世界も変わる。西欧キリスト教文明の世界支配はせいぜいこの500年で、それももう終わろうとしている。
それまで待てないのは残念だが、耶蘇に迎合しない意思はしっかりと示しておきたい。

【平和ボケの悲劇&世間知らず日本、どこへゆく】

振り込め詐欺被害が報道されるたびに、またかという驚きと、なぜだという不審を禁じえない。
騙される人の中にある悪意への油断。虚実を判断する力の欠如。心の不安定さ。
そんな状態につけ込んで金を要求する巧言に動揺してしまい、痛い目に会うのだろう。
こんな油断と隙がお年寄りには多いのは、逆にいえば日本の幸せな国柄の証でもあるから皮肉だ。
なぜ、お年寄りが心に相当な武装を要するような、寒い世の中になったのか。

「国境や民族を超えて、誰もが地球規模で活躍するべき時代だ」とテレビで無邪気に話す「有識者」たちは国際化が生みだしている実生活での軋轢や弊害を「改革には痛みがつきものだ」と片付けて顧みない。こうした盲目的な国際化信仰がエリート層の見識の狭さと相まって、社会に実害を及ぼすこと実に大きなものがある。
年端もいかぬ全国の小学生がその大きな犠牲者だ。文科省は異議異論をすべて封じて、子供たちを早期英語教育の実験台に供した。

これは必ず大問題になる。すでに日本の家庭は崩壊寸前だ。
子供の機嫌をとる親には威厳も力もなく、自由の荒野に放り出された子は不安と恐怖からゲームや仮想空間に居場所を求めるしかない。社会全体が不安と臆病と自己不信のかたまりのような分厚い暗雲に包まれている感じだ。

このうえ家庭内に英語が入ってきたら親子はお手上げだ。何年かして全国で深刻な事態が顕われるだろうが、国際化信仰の文科省はシラをきるだろう。日本語と日本民族が地球上から消えていく、その第一幕を演出した罪を決して認めないだろう。
この恐ろしさに比べれば、ゆとり教育による学力低下などは全然他愛ないものだ。

また先般、全国の大学に対して「理系学生の育成を重視して、文系学部は削減せよ」という文科省通達もあった。この狂気の沙汰に、怒り嘆いているのは勿論私だけではないだろう。
科学技術の意義が人の生活向上に奉仕することなら、人間の死生観を深く考える哲学や宗教の素養こそが大前提である。土台をおざなりにして果実だけ効率よく得られると考える文科省官僚の頭は、ものの道理を弁えない幼児レベルの粗雑さだと思われてならない。

最高学府を出た人々が見せる無知と暴走が、我が国での「優秀さ」というものの無意味と危険性、有害性を証明している。
嗚呼!このような連中が国を導く立場に座っている。敗戦で正邪を180度ひっくり返されたままの戦後日本が悲しくてむなしい気持ちになる。
そういう思いが無気力を生み「今だけ金だけ自分だけ」の世を生み、振り込め詐欺の天国にもなるのだろうか。

***  ***

今日は12月25日、耶蘇祭りの日だ。我が家では「ケーキを食べる日」である。
デパートや大通りではモミの樹を飾り立てるのに懸命だ。毎年繰り返されるこの行事のむなしさは、戦後日本人の漂流と惚け面の本質をみごとに象徴している気がする。

敗戦で古来の国柄と心軸を投げ捨てた結果、目先の欲望と金の誘惑しか見えなくなった戦後日本の悲劇を静かに思う。
己の醜さをごまかさずに恥じることから始めなければならない。それがあの戦争の真の総括となり、これから進むべき正しい方向が初めて見えてくる。それは敗戦から続く自暴自棄と絶望の連鎖からの脱出、二千年のわが国史への素直な愛情と誇りの回復である。
敗戦を言い訳にして現状を看過する腐れ魂を一刀両断する、それが我々の再生へのただ一つの道であろう。

***  ***

札幌から静岡へ引っ越しても、私自身の視点、関心事はもちろん変わりません。
今後も我が美しき国土とそこに生きる命を見つめ、先人の国史と伝統の精華に思いを寄せつつ現代を生きる市井の一人としての憂国の思いを綴ってまいります。
どうぞ末長くご愛顧くださいますようお願い申し上げます。

わが歩みを刻んだ北海道と祖国への思い

いつしか二十年の歳月が流れていた。
不惑の歳を大きく超えたが精神の躍動は失わずにいたいものだ。
北国では初雪の知らせを聞く季節。私の人生もまた岐路を迎えている。

私はこの冬、故あって長年住んだ北海道を離れることにした。

秋色・十勝岳

秋色・十勝岳

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思い出とは白い霧の向こう側にある断片的な光景のことか。
歳月を経たことは寂しさでもあるが、同時に安らぎでもある。
喜怒哀楽、かつて心を燃やしたすべてが、今は優しい淡さに包まれて見える。

今度は故郷にほど近い、わが国随一の霊山の麓にある古い町へ移り住む。
そこで魂を磨き、これまでの積み重ねを統合して新しい挑戦をしたい。
人生はダイナミズムだ。機を逃さずに一気に跳ぶそのときが来た。

***

私は北海道の広大な自然に、本当に大切なことを教わった。

野生動物との日常的な遭遇は、いつしか人の心に謙虚な信仰の心を育む。
私は自然科学の本質的な矛盾と、人間の尺度で叫ぶ自然保護の虚しさを痛感した。

山で過ごした野生的な夜は、いつも私を小賢しい人間から一個の素朴な生き物に還した。
鋭敏になった心で、人の感覚や理屈を超えた世界の実在を直感するのだった。

日本文明の古代的自然信仰が、実は最も現代的かつ高次元の思想であることに気づき、
体と心で掴み取ったこの感覚が、古い神道に通じていることを、大きな感動とともに悟った。

大切なことはすべて昔にあったのだ。私たちは昔を忘れてはならない。

夜明けの知床峠

夜明けの知床峠

***

欧州と日本という対照的な少年時代の生活環境が、私に自然な祖国愛を芽生えさせたが
そのことで私は公の重要な問題に関し、つねに少数派として孤立する宿命を背負った。
戦後の巨大な偽りの構造に安住する人々を寂しく眺めるしかできない無力な己を思う。

「思ふこと 言はでぞ ただに止みぬべき われと同じき人しあらねば」(在原業平朝臣)

何も言うまい、自分と同じ人などいないのだから、と唇を噛み世情を静観する毎日。
それでも思いを上手に伝える力が欲しいと願い続ける。

ひとり早い秋

ひとり早い秋

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ホームページを刷新しました

昨日18日「森かげの写真館2676」を公開いたしました。
このブログ画面一番上に、リンクがあります。

構成は極力簡潔を心がけましたが、何分素人プログラマー作ですから、
不具合なくご覧頂けるだろうかと内心不安もございます。

※ 「Not Found」などエラーが出た場合は、古いデータが邪魔をしている
場合があります。お手数ですがお使いのブラウザの「キャッシュ」を削除してから
再度読み込んでみてください。

内容は全体にわたりリニューアルいたしましたが、2674版の風味も濃く残しております。
また、新しいギャラリー「大雪山 〜太古の風の記憶」と、ライブラリを設置しました。
荒削りですがいろいろ力を入れましたので、ぜひご高覧くださいませ。

***   ***   ***

プロフィールの頁に沢庵禅師の言葉を掲げております。
この言葉は私の自戒の句、或は座右の銘、或はまた人生の背骨ともしております。

利根りこんの人は妙旨すくなし 鈍根どんこんに妙旨あり」

この意は次の通りです。

「人には生まれつき利発な者と魯鈍な者がある。利根はすなわち前者、鈍根はすなわち後者であって、利根の人は何ごとにつけても了解が早く、のみこみが早い。書物を読んでも人の話を聞いても、ただちにその意味を解してしまう。これに反して鈍根の人はのみこみが遅く、なかなか了解に至らない。
このゆえに利根の人は鈍根の人に万事まさっているかというと、必ずしもそうではない。利根の人は了解が早いだけに、ものごとを深く考えて尋思するということがないから、往々にして誤解したり上滑りしたりしがちで、書物を読んでも話を聞いても、その奥にひそむ真意義をさとることが少ないという欠点をもっている。ところが鈍根の人はものごとを容易に解しない代わりに深く考えるから、ものごとの真意義を悟ることも深いわけである。」
(堀場正夫 著 『日日の格言』新学社文庫 昭44年)

また兼好法師の徒然草にも、名工と呼ばれる仏師(仏像を彫る匠)は鋭い刀よりもやや鈍い刀を用いるものだと述べています。鈍い刀で、ひとつひとつを丁寧に、心を込めて彫るから素晴らしい仏様が現れる。切れ味鋭い刀では仕事は速いけれども、ややもすれば雑になりがちでありましょう。

実に味わい深い人生の道理だと思います。
己の利根を頼んで努力を怠れば、鈍根を知り努力する者に結局は及ばない。

「うさぎと亀の駈けくらべ」の寓話が教えることでもありますね。
人生の中で、誰しもが時にはうさぎであり、時には亀でありましょう。
どんなときも己を偽ることなく素直に見つめ、真実と道理に叶うように努めて、
正直に自然に生きる。そんな一生を全うしたいものです。

不肖私も古人の智慧と万古不易の真実を求めて、
わが国の深い自然と歴史に感謝の想いを捧げ、向上研鑽に勤める所存です。
今後とも皆様の変わらぬご指導ご鞭撻を、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

(了)

年頭のご挨拶

皆様、明けましておめでとうございます。
平成二十八年、皇紀二千六百七十六年、キリスト暦でいうところの2016年となりました。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

謹賀新年2016-01

よい年になりますように!

**【内憂外患、避く能わざれば】

わが国の内憂外患は年々深刻さを加え来ております。にも関わらず、どこ吹く風といったように新聞やテレビメディアは世界の実態を伝えないので、わが国民に切迫した危機感が湧いて来ないという現実は相変わらずです。
しかし国全体のことを真剣に考える具体的な機会は、確実に増えてきている実感があります。

昨年はいわゆる戦後70年目でした。節目としては不自然な”70″年目におけるメディア各社の熱の入れ方には、日本を封じ込めておきたい外国勢力による「日本人の再洗脳」の意図を感じます。
戦後70年と銘打って放映された特番はやはり「愚かな日本軍国主義への批判」の焼き直しばかりだったわけです。
メディアが未だにそうしたGHQ製のお経を唱えている間に、国民は歴史の真実を知り始めている。その流れを米国はちゃんと知っており、それならば今度は日本を再軍備させて手先に使うべく、憲法改正の動きを後押し始めているようです。我々にとって憲法改正は絶対必要ですが、米国に利用される危険を避けるしたたかさが求められます。また膨張する中国の脅威に対し、わが国は核武装を含めた本気の議論が出来る国にならなければ危ういと思います。

昨年大騒ぎの末に成立した「平和安全法制」ですが、その中味は自衛隊が機能するために必要な最低レベルにも達しておらず、有事の際に国民を守れるとはいえない。今後の更なる法改正が必要な一里塚でしかない代物です。
しかしマジメな議論をする気もなく無責任な安倍叩きショーしか出来ない野党と低劣なメディアという日本の現状では、千里の道を這って妥協しながら進むしかなく、不穏な世界情勢を横目に実にもどかしい思いであります。

昨年は外国による日本攻撃も実に激しいものがあり、怒りと哀しみと溜め息を要する出来事が多くありました。
まず中国共産党の裏工作で「南京大虐殺」なる虚構がまんまとユネスコ世界記憶遺産に登録されてしまいました。
そして長崎県の通称「軍艦島」の文化遺産登録の試みは、強引に介入してきた韓国の工作で「朝鮮人強制労働」なる虚構をねじ込まれてしまいました。これは、政治利用されるユネスコの体質を甘く見た、明らかにわが国の外務省の大失態、油断と敗北です。

同様に「従軍慰安婦」なる悪質明白な虚構に対しわが外務省は一貫して「既に謝罪済み」と繰り返してきました。
事実関係の調査すらサボってきたツケはついに年末28日、岸田外相がわざわざ訪韓し「わが国の責任を痛感」し「10億円を贈る」汚辱外交に結実したのです。彼らはいったい何の責任を痛感したというのでしょうか。この売国行為を行なった外務官僚の心理に巣食う闇は、黙って見過ごせない大問題です。この報に接して暗澹たる思いで年の瀬を過ごされた国民は多かろうと思います。先祖に無実の罪(それも破廉恥なる性奴隷強制などという)をなすり付けて、わが外務省は何を得ようとしたのでしょうか。祖先を大切にする日本人にとってこの類いの行為は、たとえどんな理由をつけようと、絶対に許せないものです。ここに私は戦後70年の誤てる教育、日本人の心を内部から壊す作業の大成果を見せつけられた思いであります。

戦後日本政治はかようにわが国の先人の名誉を踏みつけて、外交の道具にする場当たり対応を続けてきたのであります。それもこれも旧敵国(国連、国際社会なるもの)に平身低頭してお詫びする態度を「善」と思い込む倒錯を今日まで重ねてきたということです。人として誠に許し難い、唾棄すべき恥ずかしい態度ではないでしょうか。このような卑屈な考え方で、これからの日本人はいったい世界の中で活躍などできるものでしょうか。今こそ国民一人一人が、この目に余る屈辱を怒りをもって見据え、声をあげ、心を寄せあって戦後の倒錯した心理を克服して行かねばならないと思います。

**【近況と今後について】

私自身は、もう一昨年になりますがほぼ一年前、衆議院選挙において「次世代の党」の看板を掲げて出馬、残念ながら落選致しました。己の力量も顧みず義勇奉公の熱意で身を投じた戦いを振り返ると胸が熱くなります。
支援を頂いた皆様の国を思う篤い心を感じて、絶望の中にも希望の光を見た気持ちがいたしました。
それを踏まえ春先にいろいろ考える機会もあり、政治の道は少なくとも今はわが天命ではないと悟りました。
そこで初心に還るべく、昨年はひたすら自然の中で野生動物や山岳の撮影に集中して参りました。

雌阿寒岳とタンチョウ

雌阿寒岳とタンチョウ

私の撮影活動はいつも「大自然に抱かれて生きる人間のあり方」をテーマにしてきました。そのために世界の真実の姿を知りたい、人間の本質と文明の本質について知りたい、という思いに突き動かされてきたのです。
そして私たち自身の存在が「日本」の民族文明そのものの体現であるという自覚に至り、日本の独自性を守ることが私たちの人生を幸せで豊かなものにすることだと目が開かれました。
世界の民族それぞれが、そうやって己の歴史文化を守り育み、次の世代へ繋いでいる。その営みの意義の壮大さに私は深く心を打たれます。

残念ながらわが国は今、多くの人々が個人的な好き嫌いや刹那的な損得勘定を主たる行動基準にしているように思います。日々起きる社会事件の異常さや、各界の責任ある指導者たちの萎縮と混迷ぶりを見るにつけ、大きな公的価値観の欠如を強く感じます。私たちの拠って立つべき日本の来歴への関心を失い、目の前の生活の利便性にのみ囚われている視野狭窄に原因があるのではないでしょうか。本来個人を支えるべきは大きな全体(祖先から繋がる長い時空)への所属意識であり、それは何気ない日常の中で見るもの触れるもの全てに宿っている長い時間と、先人の願いに思いを馳せるうちに自然に湧いてくる感謝。本質を見る広い視野はそこで磨かれてゆくと思います。

自然写真家は商業雑誌やテレビ画面に「絵」を有償提供する仕事人のことではなく、独自の活動を通じて得た独自の視点や観念を社会に発信し、ある「気付き」を人々の心に問うことが本当の使命だと思います。
私の私淑する野生動物写真家のK先生は、「金を稼ぐからプロ、ではないんだ」と言っておられました。私もその精神を常々自分なりに考え噛み締めてきました。食うための「撮り屋」にはなりたくないと思います。

また撮影で感じた大自然の息吹を己の感性と言葉で伝えるとき、その言葉は美しい国語でありたいと思います。
私たちの本来の自然観(=人生観)を心に呼び覚まし繊細な感覚を取り戻してゆくためには、外国語は妨げにしかなりますまい。古典を学び美しい和語を受け継ごう、先人の努力に自然な尊崇を持とうとする姿勢こそが、私たちに軸を与え、空疎なよどみを吹き払い、将来を永きにわたり明るくできる道と強く感じています。
目先の損得だけで現今の国際主義やグローバリズムの甘言に身を任せ、子供からの英語化を慫慂することは、日本の国柄を破壊して滅ぼすことであり、未来永劫取り返しのつかない愚行です。先祖にも子孫にも顔向けできません。

こうした価値観を持ち、私は今後も変わることなく、これまでの貴重な経験を糧としてさらに深く発展させていきたいと考えております。

当ブログも、ホームページも、今年を期にリニューアルしたいと考え、ただ今作業中です。
新年に間に合わず残念ですが、近いうちに完成させますので是非お越しください。

最後になりましたが、皆様の今年一年のますますのご健康とご活躍をお祈り申し上げます。

安田 聡

ホームページの改訂作業終了

090804-D-006

2008年の開設から既に6年。今年は気持ちも新たにしようということで、
標題のとおり、かなり大きな改訂を行ないました。
約3週間かけた作業でしたが、とりあえず一段落。ホッとしています。
構想に当り考えたのは「この6年間の歩み」を反映させようということ。
しかし振り返るとあまりに大きな出来事が多く、今更ながら時勢の変化を
しみじみと噛みしめています。世の中も私自身も、随分変わりました。

今回の改訂テーマは「二千年の歴史の国・日本」です。
私自身が微力を尽して勉強してきたことを反映させ、表現する場としての
役割を意識して構成しています。
神の世界(=自然)を見つめる「写真館」、人の世界(=社会)を考察する
「文学館」「情報館」を設置し並列構成にしてみました。
欲張りなようですが、無理せず運営して参ります。 続きを読む

タダほど怖いものはなし(慨嘆)

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小生の住む札幌市では今年から「子宮頸がん予防ワクチン」の接種が無料化された。
これまでは自費負担で5万円かかる高価なもので、ありがたいと喜んでいる親御さんも多いかもしれない。

だが、しばしお耳をお貸しいただきたい。
このワクチンに関する情報は、かなり偏っていることにお気づきだろうか。
本来肝心の「安全面」に関しての説明がほとんど報道されておらず、
「無料」ということだけが強調されているように思われないか。

(ウチには女の子はいないけれど)気になったのでちょっと調べてみた。
するとやはりこのワクチンはかなり問題のある代物であることがわかった。
心ある人たちが今懸命にこの危険性を声を上げて訴えている実態に出会ったのである。

**
専門的な詳細は別途ご覧頂くとして、心配な点をかいつまんで説明しよう。
まず大きな問題は、ワクチンに含まれるアジュバンドという成分だ。
これは実はペット(犬や猫など)の去勢・避妊薬としても使われており、
専門家はこのワクチン接種によって女性が妊娠能力を失う危険性すら指摘している。

またこのワクチンはカナダでは既に使用禁止になっているという。
副作用による死亡例もあるらしい。

普通に考えて、これだけでも接種を控えるべき理由としては十分であり、
なぜ札幌市や厚生労働省は安全性の議論を敢て無視して接種を奨励するのか不可解だ。
国民の健康や安全を軽視する無責任な態度だと言わざるをえない。


先日、札幌の保健所の方がラジオの番組で言っていた。
HPVはそもそも女性のほとんどにいて、90%は自然に消滅していく。
残り10%の人のうち運悪く子宮頸がんが発現するのは1割ほどに留まるらしい。

その後研究が進み、現在ではHPVウイルスは子宮頸がんの主な原因とは
いえなくなっているとのことだ。ワクチンもHPVに対し6割程度の効果しか
期待できないという。

さらに、HPV(ヒトパピローマウイルス)には種類がたくさんあって、
この輸入ワクチンが効果を上げるとされるウィルスの型は欧米人には多いが日本人には少ないタイプだという。

つまり大和撫子には役に立たない薬を、税金を使って大量に輸入している・・・
喜ぶのは薬を売る外国製薬会社のみだ。

**
わが国では子宮頸がんにより年間3000人以上が死亡している。
この数字は痛ましいし、何とかしなくてはいけない。
だがこのワクチンをあたかも救世主として仰ぐほど無意味なことはあるまい。

以上述べたように危険が多いだけで効果はほとんどない代物なのだから。

子宮頸がん自体は、検診で早期発見をすれば治療できるものだという。
ワクチンは副作用のあるもので、ゆえに「劇薬」に分類指定されている。
安全性を考えて、むしろ定期検診を周知し充実させる方策を考えるべきであろう。

手軽な劇薬をみんなで接種する方向を奨励するのは、やはりおかしい。

げに恐ろしきは無知なる善意
宝珠の無垢な乙女らを危きにさらして
「われ善を為せり」と悦に入るこそ浅はかなれ
市政の軽薄、偽善の姿ここに見たり

このワクチンを全国で無料にするべく運動している人たちがいる。
単なる無知によるものなのか、それとも恐るべき悪意があるのか・・・

いずれにしても賢明なる我々国民はこのワクチン接種は避けるべきであろう。
まさに「タダほど怖いものはない」のである。

(写真:芦別岳と空知川冬景色)

※上で紹介した詳細は以下で見られます、ぜひご覧いただき共に考えて下されば幸いです。
(URL全体を指定して右クリックからブラウザを開いてください)

○ ワクチンによる危険について知らせる動画とブログ↓
チャンネル桜「(薬害の恐れ)子宮頸癌予防ワクチンの危険性」H22/7/29

「サーバリクス子宮頸がんワクチンによる民族浄化」弁護士 南田喜久治氏

ブログ THINKER 「子宮頸がんワクチンの危険性」
http://www.thinker-japan.com/hpv_vaccine.html

ブログ「老婦人の日記」(子宮頸がんワクチンを打つのは待って下さい!)
http://blogs.yahoo.co.jp/sannsyou91/25334920.html

○こちらはワクチン接種を奨励する記事↓
徳島県医師会
http://www.topcs.or.jp/special/122545452297/2010/05/2010_127336861757.html

リポンムーブメント(女子大生によるワクチン接種奨励運動)
http://ribbon-m.com/

○ 参考
新型インフルエンザに関する記事
「待って!そのワクチン本当に安全なの?』

外国の製薬会社と利権絡みで、またぞろ汚い世界が動いているようです。
日本人は危機感が薄いので世界中からカモにされているのでしょう。
薬害エイズの教訓です。厚生労働省もあてにはならない。自分の体を守るのは自分。

北の国からのご挨拶

090903-D2-002

静岡生まれの私が札幌に住み始めて、もう14年が過ぎました。
正直、思ったよりずっと長くなっています。

若干の計算違いと多数の勘違いのせいなのですが
一番の計算違いは、こちらで登山に目覚めてしまったこと、かな。
結局その流れで今の自分がおり、紆余曲折はありましても
「我 事において後悔せず」で頑張っています。

****    ****    ****

私は写真家を名乗っておりますが
実はメカとしてのカメラにはそれほど興味もないのです むしろ疎い。
昔からコンテストや賞にも興味がなく 有名な先生のお名前にもあまり詳しくない。
そういうところがまるで素人っぽいと自分でも思います。

私の関心事は、自分と世の人の心、人の生きる本当の意味についてです。
それは深くてつかみどころのない、考えるほどに見失う、形なき雲のようなもの
そして、山や森にはその答えのかけらが、真実の扉がある
私はそれを感じていきたいと思っています

万年未熟の精神を抱えて自己と他者への不信の日々をなんとなく生きる
そんな典型的な現代人の弱さと臆病を自分の中にも見ているのですが

野生のものたちはそんな私を静かに叱咤し、導いてくれる気がします
彼らと森で出会ったときの素直な喜びは、疑いようのない真実との出会いだと感じます

そしてそれは、どん底にいても、いつでも再スタートをきることができるという
そんな根源的なエネルギーを与えてくれます。

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「私たちが自然を言葉で表す時、それはすでに自然ではなくなって
人としての心を通して、ひとつの物語を紡いでいる」
私はそう考えています。

きっと私の文章や写真はそのような思いを映していくことでしょう。
科学的な考察やデータよりも、人間の直観と感受性を大切にしたいのです。

そんな思いを秘めた北の国の野生たちとの交感を、少しでも言葉に表せないかと思い
ささやかにブログを始めてみることにしました。

この世界では入門したての白帯ですが、どうぞよろしくお願いいたします。