桜と碑文と日本のこころ雑感 〜 温根湯・層雲峡

五月連休の晴れた一日、久しぶりに道東へ遠出した。
今を限りと咲ききそう北の桜たち、そのはかない風情を愛でる旅。
日帰りで行ける範囲で札幌から六時間の温根湯(北見)を目的地にした。
彼の地ではツツジが見頃で白樺の新緑や山桜の薄色との溶合う風情はじつに優美だった。
温根湯の新名所「山の水族館」で無邪気に泳ぐ渓流魚たちに心癒されるひとときを過ごす。

旅の途中、上川町の層雲峡に立ち寄って、銀河・流星の双瀑を眺めてきた。
駐車場の傍らには、幅3m高さ2mほどの石碑が建っている。
昭和天皇、香淳皇后両陛下の行幸啓(ぎょうこうけい)記念碑である。

昭和天皇 御製
そびえたつ大雪山の谷かげに 雪はのこれり 秋たつらしも

この石碑の裏の由来にはこうある。

「天皇、皇后両陛下には、昭和四十三年 開道百年記念祝典にご臨席の上、
道北地方ご巡幸に際して、九月三、四、五日の三日間にわたって、層雲峡にご滞在になった。
この間 層雲峡温泉から高原温泉にかけてご探勝あそばされ、このお歌をお詠みになった。

両陛下のこの地への行幸啓を永く記念するため、上川町が、層雲峡観光協会、層雲峡町内会の
協賛を得てこの碑を建立する
昭和四十四年七月二十五日
上川町長 野田晴男
雪嶺敬書 」

北海道でも天皇陛下やご皇族の御足跡を目にする機会は決して少なくない。
稚内公園の氷雪の門は有名だ。傍に真岡郵便局の九人の乙女の悲劇を悼まれた御製御歌がある。
道内各地に行幸啓の碑文があるし、野幌森林公園にも明治天皇の駐蹕の碑がある。
これらの碑文を読めば、当時の人々のご皇室に対する自然で素直な温かい敬慕が伝わってくる。

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思えば私たちの世代はご皇室や日本神話を肯定的にきちんと教わる機会もなく育った。
日本人の暮しに「アメリカ」が残酷に染みこんだ。ABCの洪水が日本の高度な言語文化を壊した。
抗えない欧米化の激流のなかで、居心地の悪さと不自然さに身もだえ、あるいは絶望しながら、
生きていくための価値が見えない不安におののき、私は沈思黙考する青年時代を過ごしたのだ。

社会人となった私は、やがて祖先の歴史とわが国の神話への強い愛惜に駆られるようになる。
そしてごく自然に、御皇室と国民が互いに慈しみ敬慕しあう「君民一体」の歴史、二千年の
長きにわたり祖先が営々と築いてきた、美しい国柄と優しい大和心の本質に邂逅するのである。
「ああそうだ。日本人は、日本は、本当はこうなんだ!…」
深く納得して目が開かれた感激、初めて人生の心軸となるものに出会った思いがした。

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双瀑の傍らのこの記念碑文を読みながら、私は当時の上川町の人々の真心に思いを致した。
戦後ずっと見失われている「君民一体」の伝統が、懐かしい戦前昭和の香りがそこにあった。
この記念碑はいつか日本人が日本人に還るその日の為に、静かに立ち続けている。
(終)

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