トリプル台風

■ 8月の猛女たち

8月の北海道に3つの台風が上陸するのは未曾有のことらしい。

  • 17日→ 台風7号 CHANTHU(チャンスー)
  • 21日→ 台風11号 KOMPASU (コンパス)
  • 23日→ 台風9号 MINDULLE (ミンドゥル)

昔、台風には女性の名がつけられると聞いたことがある。
チャンスーさん、ミンドゥルさんなら東亜の女性の香りがする。
ではコンパスさんは何だろう、欧州系だろうか?そもそも女性の名前なのだろうか?
(「女性差別だ!」と命名ルールを変えるような無粋は・・あり得べきことだ)
3猛女らは北海道を堪能し、爪痕を残してオホーツク海へ去って行った。

■ 嗚呼 あの山も、この川も…

既に7月末の記録的大雨により「層雲峡本流林道」が決壊し「沼ノ原への登山口方面は通行不能」とのお触れが出ていた。大雪山の奥座敷「沼の原〜トムラウシ山」での撮影計画は落胆のうちに雲散霧消した。
しかしその時はまだ、さらなる悲惨な事態を予想だにしていなかったのである。

8月初旬の二週間は何事もなく、ただいつもより暑い日がだらだらと続くばかり。
暑さで登山の意欲が弱り、折から盛り上がるリオ五輪に席をゆずって寝不足の日々が続く。
五輪と高校野球が終わり、さあ山へ入るぞ!と思ったら、トリプル台風に見舞われたのだ。

夏山シーズンにこれだけ台風にやられた記憶はなく、大雪山の林道状況を確認したところ…
軒並み「路面洗掘」「土砂崩壊」「路面決壊」の文字のオンパレード。当然通行止めだ。
これまでの経験から考えて復旧は当分の間見込めない。私の計画は白紙に戻ってしまった。

【今回、東大雪方面で登山口まで入ることができなくなった主な山】

  • ニペソツ山(16の沢林道)
  • 石狩岳、音更山、ユニ石狩岳(音更川本流林道)
  • ウペペサンケ山(糠平川林道)
  • 十勝岳 新得コース(シイトカチ林道、レイサクベツ林道)
  • トムラウシ山(ユウトムラウシ林道)

このほか、夕張岳の金山コース、日高の幌尻岳へのチロロ林道、パンケヌーシ林道も不通。
川に沿った林道はみな、路盤が洗われて土砂が流出してしまっているのだろう。
今年の秋の撮影計画もかなり変更、というよりも諦めを余儀なくされることとなりそうだ。

こうした林道は一度崩壊すると復旧まで相当期間がかかる。
特に使用頻度、重要度が低い場合は、復旧予算の優先順位も低いだろうと想像される。

■ 自然に逆らわず 己を変える

当然だが自然の撮影とはこういうものなのである。諦めと切り替えが肝心なのである。
お金で思い通りになるものではなく(そもそもお金もないが)ありのままに受け入れるしかない。
わが国は自然災害王国で、こうした事態への対処法は物心両面において世界一の伝統をもつ。
今回の台風で亡くなられた方もいる中で、元気に無事で活動できるだけでもありがたいことだ。

また稿を改めて書こうと思うが、私は北海道の生活を切り上げて内地の故郷に戻るつもりである。
またいつか北海道に戻って来たい気持ちはあるが、その実現は今のところ未定である。
だからこれが北海道生活における最後の夏〜秋の撮影チャンスなのである。
それだけに、この夏の台風被害は痛いものがある。

しかし考え方を変えてみよう。
最後だと思うと、心残りのないようにと考えるあまり、欲張って無理な計画を立てがちである。
その結果身も心も疲れて、結局ろくな撮影ができずに終わるという苦い結果になりかねない。

それならば「よし、今回被害のなかったコースからの大雪山撮影に集中しよう」と迷いが消えて、却って充実した撮影ができる条件になったのだと考えたい。

■ 原点は「高原温泉から登る緑岳」だった

私の北海道における登山撮影は、大雪山に始まり大雪山に終わる。
その中でも特別思い出が深いのは、大雪高原温泉から登る「緑岳〜白雲岳」と「高根が原」周辺だ。

今回の台風で、その高原温泉へ向かう林道でも崩落はあったようだが、早めの復旧が見込まれる。
なぜなら林道の終点には日本有数の秘湯「大雪高原温泉」の宿が営業しているということがある。
そして9月下旬、色鮮やかな錦秋が燃える頃、高原沼めぐりには毎年多くの人々が訪れるから、地元としては何としても林道の早期復旧を図りたいところであろう。

さて、この高原温泉エリアは大雪山の中でも熊が多く住んでいることで知られている。
思えば、私が野生動物の写真を撮るようになったきっかけは、知床で出会ったヒグマであった。
世界遺産になって俗化する一方の知床に落胆し、人の手が入らない本当の雄大な自然に溶け込んだ熊の姿が見たい。
その思いは、ごく自然に私をこの大雪の最奥域へと導いてきた。
そして初めて2,000mの稜線に遊ぶ熊を見たのが、この高原温泉から登った緑岳からであった。
今年の熊探しはぜひともこの秋、この緑岳で!と思っている。自分のけじめとして。

■ 4つ目の台風接近中・・・

だが8月の台風はまだ終わっていない。
台風10号 (ライオンロック)全然女性の名前と違うが…やはり命名ルールは変わったのだろうか?
ただ今関東沖を通過中、明日30日には東北へ上陸する見込みらしい。北海道も暴風圏に入るようだ。

太平洋の海水温度は依然高く、気象庁はこれからも台風が発生してやってくることを予言している。
くわばら、くわばらである。神様どうか私を大雪山にやってくだされ・・・と祈るばかりである。

夏の花と雪を求めて大雪山へ

■ 浄水器

7月から8月にかけて何度か大雪山へ出かけました。
今年の夏は本当に暑く、登山は汗だくで水がすぐ欲しくなります。

去年から携帯用の浄水器をもって行くようにしています。
いくら浄水器でも、淀んだ沼水や泥の沢水には使いたくないと思ってしまいます。
ある程度きれいな水がとれる場所は雪渓などに限られてしまい、メインの水としては当てにはできません。
やはり必要な水を持参したうえで、予備の給水手段として活用するべきだと改めて思っています。
テン場での炊事水の補充にはありがたいですね。

■ 遅い雪解けと花たち

「今年は雪解けが遅いよ」と誰に訊いても同じ答えが返ってくる夏です。
この7月に銀泉台から赤岳、白雲岳へのルートを二度通りました。
最初は雪だらけ、二度目もまだ雪渓がかなり大きく残って雪面の反射がきつかったです。
どうも雪が遅くまで残ると花には良くないのでしょうか、ひとつひとつの花が萎れ気味で、他にも群落の規模が小さかったり、去年あったところに全然なかったりと、全体としては少々残念な印象です。

それでも可憐な花たちが風に揺れている様に心が癒されることは変わりません。
自然の営みの大きさは、人の小さな不満なんかどこかへ吹き飛ばしてくれます。

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熱い夏の始まりに

気づけば七月中旬。いつもながら季節の移ろいの速さに驚かされます。
山は濃い緑に覆われ、小鳥たちや蝉の声で満ちています。
札幌は晴れた日は25℃を上回り暑い夏がやってきました。
この3ヶ月ほどの間におきたこと、考えたことなどを思いつくままに書いてみます。

初夏の森で

初夏の森で

■ 神社検定

先日「神社検定」1級の受験を終えました。会場は北海道神宮。試験前に祈願をして臨みました。
出来はまずまずの感触で、来月の合格発表を楽しみにしています。

この検定は神社の名前を覚える試験ではありません。日本人の宗教・神道について学ぶのです。
戦後の学校教育では決して触れることのない、わが国の神話や古典、和歌と伝統、神道の歴史と仏教や儒教との関係、国体観念の思想史等について、多くの重要かつ基礎的な学びを得ることができました。
これを土台にして更なる勉強を続け、真の日本人としての己を深めていこうと思います。

利尻富士の夕景

利尻富士の夕景

■日本の国柄は死んでいない

ここ数年、大水や地震、噴火などの自然災害が痛ましい犠牲を多く出しています。
天災に際して、多くの人々が私欲を捨てて他者のために行動する姿に心を揺さぶられます。
これが日本の国柄であり民族の心というものなのだと教えられるのです。
誰もが自分中心で損得勘定で生きているような現代でも、実は日本の心は生きているのだと。
太古の祖先から伝わる自然な国民性が連綿と続いている。それは何と貴重で幸せなことでしょう。

ものごとの基本的な価値観を皆が共有していることが安心と信頼のある生活の根本だと思います。
世界の人々が驚きと感動で語る日本人の価値観と良識は、長い長い豊穣な歴史の賜物なのです。

ショウジョウバカマ

ショウジョウバカマ

■ 戦後70年は永い歴史でみればほんの一瞬の病

70年前の大東亜戦争敗北で日本はいま一時的に、全てがおかしくなっています。
強者のご機嫌をとるイイ子を演じて「平和的だ」と勘違いしたり、弱い者にすり寄って自己を美化しようとする偽善があらゆる場面で臭気を放っています。
巨大メディアは「差別を許さない」と言って彼らの好まない批判を封じ込めます。
この言葉狩りこそが、人々の思考を抑圧し萎縮させて、社会を歪めている本質なのです。

テレビや新聞報道は、戦前日本に対する徹底した負の印象をお茶の間に流すことで、長い時をかけて人々を洗脳してきました。国家や公について公平で均衡のある思考をさせないようにしてきたのです。
いま安保法制を戦争法と呼んだり平和憲法を守れと叫ぶ人々の現実離れした主張はその成果です。

戦後70年への後世の評価は「敗戦と占領が言論の萎縮と平和妄想を強いた現実逃避の時代」となるのでしょうか。

松山湿原(道北/美深町)

松山湿原(道北/美深町)

■ 変わりゆく世界構造、グローバリストとの激しい戦い

時の流れは絶えることなく、すでに世界は「第二次世界大戦クラス」の変動の渦中にあります。

2008年リーマン危機以来衰えの目立つアメリカは、大統領選挙を期に国内の大変化が起きています。国富の99%を握ってきた金融資本家たちに対する、ふつうの米国民の怒りが爆発したのがいわゆるトランプ旋風です。
「アメリカをアメリカ人の手に取り戻せ!」という彼らの叫びは、ウォール街が画策する戦争商売に利用されてきた米国民の内心の怒りが背景にあるので、今回トランプ氏が敗北しても、その動きは収まることはないでしょう。軍事産業で世界を動かす巨大な利権体制が崩壊する第一歩かもしれません。

ヨーロッパに目を転じれば、欧州連合(EU)も衰退の兆しが顕著です。
EU統合とは金融資本家たちの企てたECに始まる欧州支配戦略の最終進化の形態です。
そしてユーロ通貨とは、彼らが欧州の市場を一手に支配するための道具なのです。
「欧州の平和的統合」という美しい理念の裏に隠されているのは、各国の主権を制限して将来は民族国家を解体し、彼ら金融資本家が個々の人民を支配し搾取するという青写真です。

そのための手段が、EU域内における人の移動の自由化、つまり移民の推進でした。
果してドイツは安価な移民労働力を利用した輸出で巨利を得てEU盟主の座につきましたが、
その引換えに国内治安は悪化し、今やゲルマン民族の国家ドイツは消滅の危機に瀕しています。

グローバリズムとは、国民国家を解体し、個人を金銭で支配搾取する「金融奴隷体制」です。
イギリスはその危険に気づいた国民がEU離脱の決断を示しました。英国人の気概に拍手です!

金融資本家たちの壮大な戦略は、中東シリアにIS(イスラム国)の紛争を作り出しました。
そこで生まれる大量の難民をEU域内に流入させ、EU加盟国を混乱させて弱体化させるのです。
「地中海で溺れかけた難民の子供」の嘘写真に同情した世論がドイツ首相に「難民の無制限受入」を約束させました。なんとも恐ろしい情報工作ではないでしょうか。

いま欧州各国は存亡をかけてグローバリストの戦略に抵抗しています。右派政党が勢力を伸ばし移民拒否の動きを強めています。欧州がテロ頻発地域になっているのはこの混乱のためなのです。
しかし日本のメディアは、この恐るべき事態と構造について一切報じません。
ただひたすら「危険なナショナリズム」をなじり、既存の金融システム擁護を叫ぶだけなのです。

カイツブリ悠々

カイツブリ悠々

■ カゴの中の鳥・日本

世界の大混乱の中で、わが国のメディアや学識者はいったい何を見ているのでしょう。
あいかわらず「株安・円高・企業への影響は」といった目先の経済予測のみに終始しています。
彼らには実際、文明や歴史に根ざした深い情勢の理解も事態への危機感も感じられません。
アメリカや欧州で民族運動が起きていることの本質に、彼らは関心すら持たないように見えます。

有為な若者たちが知性の欠如したテレビをほとんど見ていないのは、当然でしょう。
今回の選挙権年齢の18歳への引き下げは適時の策と思います。
我々には、平和ボケの妄想に囚われた空論に費やす時間はもうないのですから。

凛とした眼差し

凛とした眼差し

■ 静かな参議院選挙と憲法改正

今月11日に投開票された参議院選挙ですが、予想通りの与党の順当勝ちでした。
自公を中心に改憲派が議席の三分の二を超えました。憲法改正発議の環境が整ったわけです。
しかし今回、安倍首相は憲法改正を争点にはしませんでした。

私もそれでよいと思います。先の安保法制議論において、大手メディアの悪質な誘導報道に踊らされた国民の多かったこと!”SEALDs”の若者たちだけでなく一般国民まで「徴兵制は嫌」などと言い、内閣支持率が少し下がりました。まったく信じがたいことです。
要は自分の頭で考えずテレビに騙されているわけですが、こんな状態で憲法改正など到底無理。
メディアの誘導でろくでもない憲法にされたら、それこそ国家100年の過ち、滅亡への道です。

慎重に改正条項「96条」の改正を目指していくのが現実的手続きなのだろうと思います。
そして同時並行で、今の憲法が不当にGHQに押付けられた事情を今こそ国民に周知するべきです。
とくに現憲法が本来無効である道理を、丁寧に堂々と議論する過程が最も大切だと思います。
それらが戦後ひた隠しにされてきた理由を知ることで、日本国民の覚醒が進むはずです。
本当の自主憲法制定は、そのあとでなければ意味がないと思います。

女神の滝(道北/美深町)

女神の滝(道北/美深町)

■ 「日本のこころを大切にする党」

残念なことに、今回の選挙では私の応援する「日本のこころを大切にする党」は全滅でした。
知名度も低いうえ、メディアは勝手に右翼政党と決めつけて無視していますから、国民の大半がテレビ漬けという状況では「日本のこころ」の躍進は望めないのが現実です。
思想や政策はとても具体的・現実的で、大変真面目に取り組んでいるのに、国民の側に受け入れる素地が育っていないのです。偉そうな言い方で恐縮ですが、そう言わざるをえないのが日本の深刻な現状であり、目を反らすことのできない事実なのです。

キビタキのさえずり

キビタキのさえずり

■ 舛添都知事の辞職と報道のタイミング

日本人の美意識に真っ向から刃向かった舛添要一氏が、都知事の辞職に追い込まれました。
一昨年2月の選挙で就任してから2年半弱というわけですが、その間の実績は思い出せません。
週刊誌は彼のセコさを存分に暴きたてて、日本中の反発と侮蔑を煽り立てました。
舛添氏の辞職それ自体は快事ですが、この時期に突然あの騒動が出来した理由のほうが気になります。参院選目前での安倍政権への揺さぶりだったのでしょうか。

週刊誌やマスコミがスキャンダルを騒ぎ立てるとき、そこには必ず裏事情があります。
甘利大臣が辞任に追い込まれた金銭授受の件もそうです。TPP交渉での奮闘を賞賛された彼を失脚させることで、日本の閣僚や国会議員を牽制したい米国の圧力が背後にあったのでしょう。
(清原の逮捕もなぜあのタイミングだったのでしょう。かなり前から分かっていたはずなのに)
とにかく日本のマスコミが外国に忠実だということは知っておくべき事実だと思います。

森の風に揺れて

森の風に揺れて

■ 終わりに

伊勢志摩サミットでの安倍首相の功績、オバマ米大統領の広島訪問も大きな意義のある出来事でした。北朝鮮のミサイルが失敗とはいえ能力向上を示している脅威も無視できないことです。
中国のAIIB難航、日露関係の進展が世界に貢献する意味、いろいろありすぎる今年です。
とても勉強が追いつかないので、せめて要点を外さないように時勢を見ていこうと思います。
枝葉末節に目を奪われて、日本売国メディアの誘導で大局を見失ってはならないと自戒しています。

静かな湖畔の朝

静かな湖畔の朝

春の風景/渡る雁に寄せて

ここ北海道でも、ようやく鳥たちの夏冬交替の季節となりました。
冬の海のカモメたち、湖のオオハクチョウ、小さなツグミやベニヒワたちは繁殖のために北へ旅立ちました。
入れ替わりに南からは ノゴマ、アオジ、ノビタキなどが賑やかなさえずりと共にやってきました。
年中変わらずにいるカラスやトビ、シジュウカラやヒヨドリたちも元気に飛び回っています。

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私の「戦友」と春の別れ

■ 「10年間ご苦労様、ありがとう」

この3月末、愛車の赤いCR-Vを買い替えました。私が最後のオーナーになりました。
06年に釧路で買って以来、10年間私の足、そして宿として活躍してくれました。
生涯の走行距離は18万6,000キロ。広い北海道を共に走ってきた愛しき友です。
感謝と愛惜を込めてきれいに掃除。あまりマメに洗わなかった無精を詫びつつ
たくさんの懐かしい思い出と年月を振り返れば、胸に熱いものが込み上げます。

最後の朝は花を手向けて記念撮影。そして新しい車の待つ中古車ディーラーへ。
それは季節の移ろいゆく最中、冬の名残の雪が降りしきる日でした。

秋の日のCR-V(夕張岳山麓にて)

秋の日のCR-V(夕張岳山麓にて)

***    ***   ***

次の車はやはりホンダの中古。そして前CR-Vの次モデルで銀色がなかなかキレイです。
ウチにやって来てすぐ、さっそく車内生活のためのリフォーム開始です。

後部シートを外して床や棚を作り、レザーを張ります。カーテンも付けます。
前の車から引き継いだものはサイズが違うため殆どゼロから作り直しです。
機材を積む方法や衣類、食糧など、頭をフル回転してイメージを作り図面化。
あとはホームセンターに通って資材調達と組み立て、木工細工。こういう仕事は好きです。

あと数日で第一次完成予定。季節はこちらに関係なくどんどん進みます。
貴重な春の動物や野鳥たちとの出会いをフイにしないよう頑張らなくてはなりません。

渡り鳥たちの朝(ウトナイ湖にて)

夜明け、10万羽のマガンたちが飛び立つ(ウトナイ湖にて)

流氷を求めて(羅臼〜網走)

【道東への長旅】

二月末から三月初めにかけて、道東の撮影に出ておりました。阿寒湖、摩周湖、鶴居村、知床羅臼、尾岱沼、根室、網走、斜里と巡り、走行距離じつに1,900kmに及んだ長旅でした。
今回は、そのうち流氷に関わる部分について簡単に記そうと思います。

【嵐に見舞われて停滞(羅臼)】

知床半島の北側に位置する斜里やウトロの港は、冬の北西風に吹き寄せられる流氷に海が閉ざされます。
しかし南側の羅臼町では岬を回り込んできた流氷は港を埋めることもなく、漁船に乗って沖合の流氷原を観察できます。氷の上に憩うアザラシやオオワシオジロワシなどを間近で見ることもできるわけです。
10年ぶりにこの船に乗ろうと羅臼にやってきた私ですが、初日からものすごい吹雪に見舞われました。本州では春一番と報道された低気圧です。暴風の中を何とか羅臼に着いたものの、道の駅Pで停滞。

丸二日も続いた嵐が去ると、陽光の降り注ぐ根室海峡は青々としてさざ波がたち、流氷は水平線のどこにも見えません。穏やかな凪の向こうに国後島がぼうっと浮んでおります。流氷がないので船はあきらめ、港を飛ぶワシを撮影して羅臼を辞しました。流氷は年によって状況も様々ですが、羅臼は南側のために更に少なかったのでしょう。

【羅臼港で会った英国の長身のカメラマンの話】

「英国にはオジロワシはいないんだ。いやスコットランドにはいるが、ほんの少しだけだ」
「昨日の吹雪の中のドライブは実に…その、デンジャラスだったよ、なにしろ雪道を走るのも初めてだったしね」
「羅臼には初めて来たが、誰も英語を話さないので難渋した。なにしろ僕も日本語を全然話せないからね」

彼は英国の南西部、Dorset州に住んでいるとのこと。海の近くで暖かく、雪は全然降らないそうです。
「ここにはなんと鷲が沢山いるんだ、実にファンタスティックだよ」

話をしながら、そのタフさと無謀さ?に驚かされ、またひどく感心させられました。
(これがかつて七つの海を制覇した英国人の冒険心というものかな)
同時に(それにしても少しは日本語を勉強してくればいいのに)…だがそれも如何にも英国人らしいなあと苦笑。

【網走で流氷を見る】

羅臼を辞して一旦根室、釧路へ南下し、再び北上してオホーツクの網走市へ。あの嵐のおかげでしょうか、沖合4kmに立派な流氷原が広がっています。天気もよいので名物の砕氷船オーロラ号に乗ってきました。大きな船で氷を割りながら進むので、近くにアザラシやワシがいても逃げてしまい見えませんが、遠くの氷の上に休む猛禽の姿を認めることができました。
流氷についての科学的な解説はよく聞きます。シベリアのアムール川の河口で生まれた氷塊が成長しながら南下して、真冬の北海道に到達する。氷から溶け出す栄養分をプランクトンが食べ、それを小魚が食べ、それを鳥やアザラシが食べていく食物連鎖の図です。いわゆる「流氷の育む豊かな生命の輪」というものです。

科学的な説明はさておき、流氷が夕陽に照らされ桃色に輝く様や、西の空に日が沈んでいく刻々と移り変わる色合いの妙は、実に人の心をうつものがあります。
「古代人はこの不思議な氷をどんな思いで見ていたのだろう?」
毎年冬になると遥か彼方からやってきて海を覆い尽くし、春とともに遠く去ってゆく不思議な氷達を —
どこからかやって来て、海獣の獲物の恵みを与えて、またいずこかへ去ってゆく無数の巨大な氷。
そうした素朴な自然への畏敬心に私は惹かれてなりません。
科学や数字の話ではなく、人の生きた目と心がつかみ取る本物の自然観のようなもの。
そうした見方と感覚を、流氷という現象が私にそっと教えてくれている気がするのです。

雪のない2月 (新川河口)

札幌の北、石狩湾に注ぐ新川の河口付近に鳥たちの撮影に訪れました。
とても雪が少なく、2月とは思えない光景に改めて驚かされました。
「これではまるで春だな…」
川面にはホシハジロの家族やカンムリカイツブリがのんびり浮び、草っ原にはきつねが歩いていました。

カンムリカイツブリ

のんびりゆらゆら浮ぶ カンムリカイツブリ

案外平気なキタキツネ

案外平気で近づいてきた キタキツネ

これからまだ雪は来るでしょうが、どっさり降ってびしっと冷えていつもの冬に戻るとは到底思えません。温かいのはよいのですが、何だか調子が狂いますね。

この週末から道東へ出掛けます。知床にも足を向けますが、やはり心配になります。
羅臼の流氷はかなり遅くなっているそうですし、果して十分に見られるかどうか?

ホームページを刷新しました

昨日18日「森かげの写真館2676」を公開いたしました。
このブログ画面一番上に、リンクがあります。

構成は極力簡潔を心がけましたが、何分素人プログラマー作ですから、
不具合なくご覧頂けるだろうかと内心不安もございます。

※ 「Not Found」などエラーが出た場合は、古いデータが邪魔をしている
場合があります。お手数ですがお使いのブラウザの「キャッシュ」を削除してから
再度読み込んでみてください。

内容は全体にわたりリニューアルいたしましたが、2674版の風味も濃く残しております。
また、新しいギャラリー「大雪山 〜太古の風の記憶」と、ライブラリを設置しました。
荒削りですがいろいろ力を入れましたので、ぜひご高覧くださいませ。

***   ***   ***

プロフィールの頁に沢庵禅師の言葉を掲げております。
この言葉は私の自戒の句、或は座右の銘、或はまた人生の背骨ともしております。

利根りこんの人は妙旨すくなし 鈍根どんこんに妙旨あり」

この意は次の通りです。

「人には生まれつき利発な者と魯鈍な者がある。利根はすなわち前者、鈍根はすなわち後者であって、利根の人は何ごとにつけても了解が早く、のみこみが早い。書物を読んでも人の話を聞いても、ただちにその意味を解してしまう。これに反して鈍根の人はのみこみが遅く、なかなか了解に至らない。
このゆえに利根の人は鈍根の人に万事まさっているかというと、必ずしもそうではない。利根の人は了解が早いだけに、ものごとを深く考えて尋思するということがないから、往々にして誤解したり上滑りしたりしがちで、書物を読んでも話を聞いても、その奥にひそむ真意義をさとることが少ないという欠点をもっている。ところが鈍根の人はものごとを容易に解しない代わりに深く考えるから、ものごとの真意義を悟ることも深いわけである。」
(堀場正夫 著 『日日の格言』新学社文庫 昭44年)

また兼好法師の徒然草にも、名工と呼ばれる仏師(仏像を彫る匠)は鋭い刀よりもやや鈍い刀を用いるものだと述べています。鈍い刀で、ひとつひとつを丁寧に、心を込めて彫るから素晴らしい仏様が現れる。切れ味鋭い刀では仕事は速いけれども、ややもすれば雑になりがちでありましょう。

実に味わい深い人生の道理だと思います。
己の利根を頼んで努力を怠れば、鈍根を知り努力する者に結局は及ばない。

「うさぎと亀の駈けくらべ」の寓話が教えることでもありますね。
人生の中で、誰しもが時にはうさぎであり、時には亀でありましょう。
どんなときも己を偽ることなく素直に見つめ、真実と道理に叶うように努めて、
正直に自然に生きる。そんな一生を全うしたいものです。

不肖私も古人の智慧と万古不易の真実を求めて、
わが国の深い自然と歴史に感謝の想いを捧げ、向上研鑽に勤める所存です。
今後とも皆様の変わらぬご指導ご鞭撻を、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

(了)

年頭のご挨拶

皆様、明けましておめでとうございます。
平成二十八年、皇紀二千六百七十六年、キリスト暦でいうところの2016年となりました。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

謹賀新年2016-01

よい年になりますように!

**【内憂外患、避く能わざれば】

わが国の内憂外患は年々深刻さを加え来ております。にも関わらず、どこ吹く風といったように新聞やテレビメディアは世界の実態を伝えないので、わが国民に切迫した危機感が湧いて来ないという現実は相変わらずです。
しかし国全体のことを真剣に考える具体的な機会は、確実に増えてきている実感があります。

昨年はいわゆる戦後70年目でした。節目としては不自然な”70″年目におけるメディア各社の熱の入れ方には、日本を封じ込めておきたい外国勢力による「日本人の再洗脳」の意図を感じます。
戦後70年と銘打って放映された特番はやはり「愚かな日本軍国主義への批判」の焼き直しばかりだったわけです。
メディアが未だにそうしたGHQ製のお経を唱えている間に、国民は歴史の真実を知り始めている。その流れを米国はちゃんと知っており、それならば今度は日本を再軍備させて手先に使うべく、憲法改正の動きを後押し始めているようです。我々にとって憲法改正は絶対必要ですが、米国に利用される危険を避けるしたたかさが求められます。また膨張する中国の脅威に対し、わが国は核武装を含めた本気の議論が出来る国にならなければ危ういと思います。

昨年大騒ぎの末に成立した「平和安全法制」ですが、その中味は自衛隊が機能するために必要な最低レベルにも達しておらず、有事の際に国民を守れるとはいえない。今後の更なる法改正が必要な一里塚でしかない代物です。
しかしマジメな議論をする気もなく無責任な安倍叩きショーしか出来ない野党と低劣なメディアという日本の現状では、千里の道を這って妥協しながら進むしかなく、不穏な世界情勢を横目に実にもどかしい思いであります。

昨年は外国による日本攻撃も実に激しいものがあり、怒りと哀しみと溜め息を要する出来事が多くありました。
まず中国共産党の裏工作で「南京大虐殺」なる虚構がまんまとユネスコ世界記憶遺産に登録されてしまいました。
そして長崎県の通称「軍艦島」の文化遺産登録の試みは、強引に介入してきた韓国の工作で「朝鮮人強制労働」なる虚構をねじ込まれてしまいました。これは、政治利用されるユネスコの体質を甘く見た、明らかにわが国の外務省の大失態、油断と敗北です。

同様に「従軍慰安婦」なる悪質明白な虚構に対しわが外務省は一貫して「既に謝罪済み」と繰り返してきました。
事実関係の調査すらサボってきたツケはついに年末28日、岸田外相がわざわざ訪韓し「わが国の責任を痛感」し「10億円を贈る」汚辱外交に結実したのです。彼らはいったい何の責任を痛感したというのでしょうか。この売国行為を行なった外務官僚の心理に巣食う闇は、黙って見過ごせない大問題です。この報に接して暗澹たる思いで年の瀬を過ごされた国民は多かろうと思います。先祖に無実の罪(それも破廉恥なる性奴隷強制などという)をなすり付けて、わが外務省は何を得ようとしたのでしょうか。祖先を大切にする日本人にとってこの類いの行為は、たとえどんな理由をつけようと、絶対に許せないものです。ここに私は戦後70年の誤てる教育、日本人の心を内部から壊す作業の大成果を見せつけられた思いであります。

戦後日本政治はかようにわが国の先人の名誉を踏みつけて、外交の道具にする場当たり対応を続けてきたのであります。それもこれも旧敵国(国連、国際社会なるもの)に平身低頭してお詫びする態度を「善」と思い込む倒錯を今日まで重ねてきたということです。人として誠に許し難い、唾棄すべき恥ずかしい態度ではないでしょうか。このような卑屈な考え方で、これからの日本人はいったい世界の中で活躍などできるものでしょうか。今こそ国民一人一人が、この目に余る屈辱を怒りをもって見据え、声をあげ、心を寄せあって戦後の倒錯した心理を克服して行かねばならないと思います。

**【近況と今後について】

私自身は、もう一昨年になりますがほぼ一年前、衆議院選挙において「次世代の党」の看板を掲げて出馬、残念ながら落選致しました。己の力量も顧みず義勇奉公の熱意で身を投じた戦いを振り返ると胸が熱くなります。
支援を頂いた皆様の国を思う篤い心を感じて、絶望の中にも希望の光を見た気持ちがいたしました。
それを踏まえ春先にいろいろ考える機会もあり、政治の道は少なくとも今はわが天命ではないと悟りました。
そこで初心に還るべく、昨年はひたすら自然の中で野生動物や山岳の撮影に集中して参りました。

雌阿寒岳とタンチョウ

雌阿寒岳とタンチョウ

私の撮影活動はいつも「大自然に抱かれて生きる人間のあり方」をテーマにしてきました。そのために世界の真実の姿を知りたい、人間の本質と文明の本質について知りたい、という思いに突き動かされてきたのです。
そして私たち自身の存在が「日本」の民族文明そのものの体現であるという自覚に至り、日本の独自性を守ることが私たちの人生を幸せで豊かなものにすることだと目が開かれました。
世界の民族それぞれが、そうやって己の歴史文化を守り育み、次の世代へ繋いでいる。その営みの意義の壮大さに私は深く心を打たれます。

残念ながらわが国は今、多くの人々が個人的な好き嫌いや刹那的な損得勘定を主たる行動基準にしているように思います。日々起きる社会事件の異常さや、各界の責任ある指導者たちの萎縮と混迷ぶりを見るにつけ、大きな公的価値観の欠如を強く感じます。私たちの拠って立つべき日本の来歴への関心を失い、目の前の生活の利便性にのみ囚われている視野狭窄に原因があるのではないでしょうか。本来個人を支えるべきは大きな全体(祖先から繋がる長い時空)への所属意識であり、それは何気ない日常の中で見るもの触れるもの全てに宿っている長い時間と、先人の願いに思いを馳せるうちに自然に湧いてくる感謝。本質を見る広い視野はそこで磨かれてゆくと思います。

自然写真家は商業雑誌やテレビ画面に「絵」を有償提供する仕事人のことではなく、独自の活動を通じて得た独自の視点や観念を社会に発信し、ある「気付き」を人々の心に問うことが本当の使命だと思います。
私の私淑する野生動物写真家のK先生は、「金を稼ぐからプロ、ではないんだ」と言っておられました。私もその精神を常々自分なりに考え噛み締めてきました。食うための「撮り屋」にはなりたくないと思います。

また撮影で感じた大自然の息吹を己の感性と言葉で伝えるとき、その言葉は美しい国語でありたいと思います。
私たちの本来の自然観(=人生観)を心に呼び覚まし繊細な感覚を取り戻してゆくためには、外国語は妨げにしかなりますまい。古典を学び美しい和語を受け継ごう、先人の努力に自然な尊崇を持とうとする姿勢こそが、私たちに軸を与え、空疎なよどみを吹き払い、将来を永きにわたり明るくできる道と強く感じています。
目先の損得だけで現今の国際主義やグローバリズムの甘言に身を任せ、子供からの英語化を慫慂することは、日本の国柄を破壊して滅ぼすことであり、未来永劫取り返しのつかない愚行です。先祖にも子孫にも顔向けできません。

こうした価値観を持ち、私は今後も変わることなく、これまでの貴重な経験を糧としてさらに深く発展させていきたいと考えております。

当ブログも、ホームページも、今年を期にリニューアルしたいと考え、ただ今作業中です。
新年に間に合わず残念ですが、近いうちに完成させますので是非お越しください。

最後になりましたが、皆様の今年一年のますますのご健康とご活躍をお祈り申し上げます。

安田 聡

「戦後70年」私の総括と希望

■蒸し暑い北国の夏

お盆時期の北海道は毎年のように集中豪雨に見舞われる。今日も旭川で道路が川のようになっている様が報道されていた。
温かい南風が吹き込むとき上空に寒気が入ると竜巻や雷雨が起りやすい。いわゆる「大気が不安定な状態」だ。つい先日も札幌を含む石狩地方に竜巻注意報が出た。事なきを得て安堵したが、兎に角自然の威力はすさまじい。
山を裂き、海を褪(あ)せさせる力をこともなげに発揮する。

■メディア「夏の陣」の自爆ぶり

自然の猛威まではいかないがメディア報道の暴慢は目に余る。新聞の見出しはもちろん、昼間のラジオの局アナの台詞のひとつひとつ、毎時のNHKニュースは「反安倍、反原発、反安保法制」の色で染められている。
そして執拗な戦争関連の偏向した番組の連発。デモ隊が茶の間に土足で踏み込んでいるような不愉快さである。

安全保障法案の衆院可決川内(せんだい)原発の再稼動など、日本に必要なことが粛々と行なわれている。その動きに対して、国民を不安がらせるようなメディアの脅迫的報道が繰り返されている。
安倍はヒトラーだ独裁者だ、戦争法案が通れば徴兵制復活だ、原発は原爆と同じだなどと叫ぶ荒唐無稽なヒステリー集団のデモ光景をテレビは嬉々として映し出す。法案の意味も知らず空気に踊らされている哀れな姿である。
しかし彼らが熱狂的に騒げば騒ぐほど、その「イタさ」は鮮明になり国民の軽蔑を強めていくだけであろう。
70年の間、わが国を好き放題に弄んできたリベラル左翼思想の暴風も、ついに断末魔の様相を呈しているのか。

美瑛の夜明け

美瑛の夜明け

■「戦後70年」とはなんだったのか? <私の総括>

「昔の日本は愚かで野蛮な国でした。馬鹿な軍部が思い上がって侵略して世界に迷惑をかけました。でも戦争に負けたおかげで平和憲法ができて、恐ろしい軍隊がなくなって日本は平和な素晴らしい国になりました。」

「昔のことは外国に許して頂けるまで謝らなくてはなりませぬ。立派で偉い欧米や国連の言うことをよく聞いて、褒めて頂けるように振る舞うことが日本の生きるただ一つの道なのです」

これが戦後日本の基本姿勢であった。この萎びた負け犬根性とウソの歴史を日教組の教員やNHK・朝日新聞などのメディアが国民の脳に刷り込んできた。その成果が今の日本のていたらくである。
戦時慰安婦や南京陥落の実際について正しい史実を主張せず、悪意に満ちた虚偽の宣伝を野放しにしている。米国の軍事基地が国内にあっても平気顔で、しかも自らの軍備を持たないことを「誇りだ」などと詭弁を弄して、米国の植民地状態に甘んじている。北朝鮮拉致被害者を取り戻すこともできない。
自分たちが軍事力を持つと他国を侵略すると怯える異常な自己不信はいったい何なのか。

私にとってこの戦後70年とは、このように日本人を萎びた民族に作り替える自壊作業をひたすら繰り返してきた空しく哀しい歳月であると言わざるをえない。特に無垢な子供たちがうけた深刻な精神の傷は計り知れない。
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