いま振り返れば

令和4年もすでに10月となりました。
前回「北海道への旅」から一年ぶりの更新となりました。
気まぐれに誰かが覗いてくれるかもしれないと、またのんびり書き始めますね。

実はこの一年、何度も、ブログの下書きを試みたのですが書けませんでした。

日本の転落速度は余りにも早く、次々に起きる惨事を言葉にする暇すらないのです。
この夏は安倍晋三首相の暗殺、「ワクチン」4回目、しかも次の接種がもう始まります。
あの遺伝子注射を国民の八割が打ってしまった今では、正直 何を語っても虚しいのです。
もう遅いんだな・・と巨大な無力感に包まれて、書けなくなってしまうのです。

無駄と分かっていても真実を伝えずにはいられなかった情熱はどこへ行ったのかな。自分も年をとったのかな・・そんなことを思うたびに
否!未熟者のくせに昔を懐かしむなど10年早い!と自分を叱りつけるのです。

◆生い立ちを振り返って

思えば自分は幼いころから、ものごとの正邪・美醜に人一倍敏感な少年でした。
中学生の頃お茶の間に流れるお笑い番組に眉をひそめ、怒り、軽蔑していました。
「いい年した大人が、下品でみっともない真似を・・ああ情けない」と。
テレビメディアを軸に、日本全体が何か毒水に浸かっているように思えました。

大学時代、どこか退廃的な雰囲気についに馴染めず、人間不信の孤独な青年期を送りました。就職先を遠い北海道に決めたのは、とにかく東京を離れたい一心だった気がします。

会社勤めの日々は新鮮で楽しく、大切な友人にも出会えました。
しかし同時に、大きな違和感から目を逸らして忙しく過ごす毎日に不安を感じていました。
人生の軸になる思想を欠いたまま、長い年月を生きてゆく不安に耐えかねて、私はいつしか己の生き方そのものを根っこから変えたいと思うようになりました。

転機は東京への転勤でした。そこで登山を始めたことが決定的に大きかったのです。
残雪の美しい北アルプスで過ごした三日間は、生涯忘れ得ない体験でした。
世界の本当の姿、そして自分の持つ可能性の広さを、初めて発見した気がしました。
本当に生きるとはこういうことなのだ。今までの人生に区切りをつけて生き直すのだ!
心がそう叫び、すんなり納得して、一気に目が開かれた思いがしたのです。

◆心の声に従って生きること

己の心の声に従って、会社を辞めて自然写真の道に入りました。
俺はこれをやりたいんだ、これをやって死ぬなら本望だと思えました。
ずっとそういうものを求めていたのですね。
北海道の山や森に、動物たちの美しい眼差しを求めて駆け回る日々を過ごしました。

自然の中で過ごす時間が圧倒的に増えると、人間社会への見方は逆に深まりました。
堕落を嫌悪するだけではだめだ、なぜ日本はこうなってしまったのか、この国を正す道はないのかという気持ちが強くなり、政治や歴史をコツコツ学び直すようになりました。
そして戦後体制という巨大な偽りの構造を理解し、そこで日本人の精神が大きく不自然に捻じ曲げられていることが腑に落ちたのです。
祖国を破壊から守りたい、そのために自分のするべきことは何だろうか?と心が叫びました。

政治状況はどんどん悪化し、2009年ついに日本に左翼政権(民主党政権)が出現しました。
時を同じくして東日本大震災が起きました。屈辱的な中国漁船衝突事件も起きました。

内憂外患、戦後体制の矛盾が一気に噴き出た状況は、まさに天罰というべき惨状でした。
平沼赳夫氏と石原慎太郎都知事らは「たちあがれ日本」を結党、日本死守を表明しました。人材育成塾が開かれ、わたしも北海道から悲壮な決意で参加したのです。
その縁で 2014年には自分が選挙カーに乗って札幌の街角で演説することにもなりました。

◆伯父の死と魂のこと、お導き

その後、いろいろあって生まれ故郷の静岡に戻りました。今から5年前です。
年老いた一人暮らしの伯父の話し相手になり、介護などの面倒をみたかったのです。
札幌を一度離れてみたいという気持ちもありました。

その伯父も、この夏逝きました。
3回のmRNA注射の後遺症だと思います。発癌からたった3ヶ月でした。
「感染症対策」のために会えないまま、駆けつけた入院先ですでに冷たくなった伯父のベッドのそばで、私は静かに泣きました。
そのとき不思議なことに携帯電話のアラームが三度だけ鳴ったのです。短い陽気な音で・・
優しかった伯父が「ありがとう、大丈夫だよ」と言ってくれた気がしました。

魂はある、死後の世界もあると故 渡部昇一先生は言い遺されました。私もそう信じます。

心の声に従って生きる、それはエゴではなく、何かのお導きで必要なことをしているのです。
人は自分の考えで行動しているつもりでも、見えない何かが決断や選択をさせていると思う。
その素直な心の声が聞こえなくなっている人が多いのは残念なことです。
自分の半生を振り返ると、そう強く感じます。

私はお金はありませんが、するべきことをして生きてきたと、胸を張って言えます。
人生を本当に生きるというのはそういうことではないのかなと、思うのです。

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