年頭のご挨拶と成人の日に寄せて

遅ればせながらようやくブログの更新となりました。
皆様、本年もよろしくお願い申し上げます。
皇紀2675年、平成27年、西暦では2015年の一月でございます。
日本はどこへ向かうのか、いや向かわせなければならないのか。
私たちは日本国の大人であり祖先と次世代に対する責任があります。
わが国の内外の厳しい状況を、各人それぞれの場で少しでも広く関心をもって謙虚に考え行動していかねばなりません。
自覚を持って国を守る、それが今年の誓いであります。

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今年の成人の日は12日でした。
私は有志と一緒に、新成人に祝福の意を込めて日の丸の小旗を手渡す活動に参加しました。
式典に向かう若者達は皆あどけなくて、まだ幼い印象を受けました。
さて自分達の20歳の頃はどう見えていたのだろうかと考えながら、個人の自由を謳歌する一方で「公」への責任意識を欠いたままで大人になってしまうという、日本の若者の現実を思わずにはいられませんでした。

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自身の歩みを振り返っても、社会全体の構造や世界の真実に対する認識をしっかりと掴み始めたのは30歳近くになってからでした。
それまでの教育や知識はいったいなんだったのだろう?という恐ろしい疑問と、迷いと空虚のうちに過ぎた青春時代の残像を思う度、慚愧の念に堪えません。
敗戦で価値観を見失った戦後日本社会、私たちはその申し子なのだと思います。
わが国の子供たちは「自由」の美名の下に実は道標なき宇宙へ放り出されてきたのではないのか、そんな思いが私の胸に痛みと共にいつもあるのです。

だからこそ今の若者達には、出来るだけ早いうちに世の真実に目を開いてもらいたい。
世界の歴史が示しているこの世の厳しさに、知性と勇気をもって向き合って欲しいのです。
他国の善意を安易に信じて安全と繁栄をタダだと勘違いさせる平和主義や、公なき個人偏重の風潮や、自然の節理に逆らって諍いを誘発するような男女平等思想など、世の秩序を混乱させている誤りに、少しでも多くの若者が気がついて欲しい。

また、事ある毎に国境は要らないと唆してくるグローバリズムの欺瞞を本能的に感じ取れる、そのくらいの感受性を持っていてほしいと思います。

現実の国際社会は表面にあらわれる「友好」や「善意」などで動いてはいません。
多くの人が平和の象徴と思っている国連は、実際は各国の利権拡大のための激しい謀略戦の舞台なのです。
吞気に身近な平和を楽しむだけの近視眼で過ごしたこの70年の間に、日本はどうにもならないほど相当に外国に浸食されている。今私たちが覚醒して、自分の国を守っていかなければ、日本は知らないうちに静かに消えてしまうでしょう。そういう状況なのです。
若い人たちには、己を含めた社会全体のために力を尽くす気骨と気概ある日本人の末裔として、誇りを持って生きて欲しいと願っています。

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(追記)
1月15日が成人の日でなくなってから何年が経つのだろうかと、ふと思った。調べると平成11年(西暦1999年)が最後で、翌年からハッピーマンデー制度によって一月第2月曜日になったのだった。
当時私は JR社員で、この制度の導入を促すための署名用紙が労働組合の回覧板で回ってきたのを覚えている。私は署名を断固拒否したが、職場の仲間から奇異な目で見られたものだ。
私は、怠惰癖と享楽志向を更に押し進めるようなこの制度の方向性に大変不快なものを感じた。遊ぶことだけが生きる目標になっているような、だらしなくも幼稚な日本の大人を見るのが堪え難かった。
その後、20年超の長い不況時代にある今の私たちには、休日が増えても遊んでいる暇も金もない。ハッピーマンデー制度はバブルの後遺症時代の置き土産、残滓なのだろうか。

(終)

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