雑感」カテゴリーアーカイブ

いま振り返れば

令和4年もすでに10月となりました。
前回「北海道への旅」から一年ぶりの更新となりました。
気まぐれに誰かが覗いてくれるかもしれないと、またのんびり書き始めますね。

実はこの一年、何度も、ブログの下書きを試みたのですが書けませんでした。

日本の転落速度は余りにも早く、次々に起きる惨事を言葉にする暇すらないのです。
この夏は安倍晋三首相の暗殺、「ワクチン」4回目、しかも次の接種がもう始まります。
あの遺伝子注射を国民の八割が打ってしまった今では、正直 何を語っても虚しいのです。
もう遅いんだな・・と巨大な無力感に包まれて、書けなくなってしまうのです。

無駄と分かっていても真実を伝えずにはいられなかった情熱はどこへ行ったのかな。自分も年をとったのかな・・そんなことを思うたびに
否!未熟者のくせに昔を懐かしむなど10年早い!と自分を叱りつけるのです。

◆生い立ちを振り返って

思えば自分は幼いころから、ものごとの正邪・美醜に人一倍敏感な少年でした。
中学生の頃お茶の間に流れるお笑い番組に眉をひそめ、怒り、軽蔑していました。
「いい年した大人が、下品でみっともない真似を・・ああ情けない」と。
テレビメディアを軸に、日本全体が何か毒水に浸かっているように思えました。

大学時代、どこか退廃的な雰囲気についに馴染めず、人間不信の孤独な青年期を送りました。就職先を遠い北海道に決めたのは、とにかく東京を離れたい一心だった気がします。

会社勤めの日々は新鮮で楽しく、大切な友人にも出会えました。
しかし同時に、大きな違和感から目を逸らして忙しく過ごす毎日に不安を感じていました。
人生の軸になる思想を欠いたまま、長い年月を生きてゆく不安に耐えかねて、私はいつしか己の生き方そのものを根っこから変えたいと思うようになりました。

転機は東京への転勤でした。そこで登山を始めたことが決定的に大きかったのです。
残雪の美しい北アルプスで過ごした三日間は、生涯忘れ得ない体験でした。
世界の本当の姿、そして自分の持つ可能性の広さを、初めて発見した気がしました。
本当に生きるとはこういうことなのだ。今までの人生に区切りをつけて生き直すのだ!
心がそう叫び、すんなり納得して、一気に目が開かれた思いがしたのです。

◆心の声に従って生きること

己の心の声に従って、会社を辞めて自然写真の道に入りました。
俺はこれをやりたいんだ、これをやって死ぬなら本望だと思えました。
ずっとそういうものを求めていたのですね。
北海道の山や森に、動物たちの美しい眼差しを求めて駆け回る日々を過ごしました。

自然の中で過ごす時間が圧倒的に増えると、人間社会への見方は逆に深まりました。
堕落を嫌悪するだけではだめだ、なぜ日本はこうなってしまったのか、この国を正す道はないのかという気持ちが強くなり、政治や歴史をコツコツ学び直すようになりました。
そして戦後体制という巨大な偽りの構造を理解し、そこで日本人の精神が大きく不自然に捻じ曲げられていることが腑に落ちたのです。
祖国を破壊から守りたい、そのために自分のするべきことは何だろうか?と心が叫びました。

政治状況はどんどん悪化し、2009年ついに日本に左翼政権(民主党政権)が出現しました。
時を同じくして東日本大震災が起きました。屈辱的な中国漁船衝突事件も起きました。

内憂外患、戦後体制の矛盾が一気に噴き出た状況は、まさに天罰というべき惨状でした。
平沼赳夫氏と石原慎太郎都知事らは「たちあがれ日本」を結党、日本死守を表明しました。人材育成塾が開かれ、わたしも北海道から悲壮な決意で参加したのです。
その縁で 2014年には自分が選挙カーに乗って札幌の街角で演説することにもなりました。

◆伯父の死と魂のこと、お導き

その後、いろいろあって生まれ故郷の静岡に戻りました。今から5年前です。
年老いた一人暮らしの伯父の話し相手になり、介護などの面倒をみたかったのです。
札幌を一度離れてみたいという気持ちもありました。

その伯父も、この夏逝きました。
3回のmRNA注射の後遺症だと思います。発癌からたった3ヶ月でした。
「感染症対策」のために会えないまま、駆けつけた入院先ですでに冷たくなった伯父のベッドのそばで、私は静かに泣きました。
そのとき不思議なことに携帯電話のアラームが三度だけ鳴ったのです。短い陽気な音で・・
優しかった伯父が「ありがとう、大丈夫だよ」と言ってくれた気がしました。

魂はある、死後の世界もあると故 渡部昇一先生は言い遺されました。私もそう信じます。

心の声に従って生きる、それはエゴではなく、何かのお導きで必要なことをしているのです。
人は自分の考えで行動しているつもりでも、見えない何かが決断や選択をさせていると思う。
その素直な心の声が聞こえなくなっている人が多いのは残念なことです。
自分の半生を振り返ると、そう強く感じます。

私はお金はありませんが、するべきことをして生きてきたと、胸を張って言えます。
人生を本当に生きるというのはそういうことではないのかなと、思うのです。

夏の北海道〜温故知新の旅の総括

秋晴れの日だ。窓の外には富士の白い峰が見えている。
「はや霜月、11月か・・」コーヒーを啜りながらため息をつく。
季節のうつろいに、心の熟成がいつも追いつかず、時間ばかり過ぎてしまうが
今日こそは、7月の北海道の旅の思い出を記してみようと思う。
そう、あれはとても良い旅だったのだ。

🔹四年半ぶりの北海道は・・

もともと北海道行きは昨年の計画だったが、世間の「コロナ自粛」に遠慮して断念していた。
今年も「緊急事態宣言」で旅立ちが危ぶまれたが、6月末で解除となり実行にこぎつけた。

6月末に車で新潟からフェリーを利用して小樽に上陸。夜は札幌時代の友人と旧交を温めた。
緊急宣言解除で解禁されたビールと海鮮の美味かったこと!

美瑛・富良野へ。夏雲湧く青空と強い日差し。でも風は涼しい夏の北海道だ。
案外、懐かしさは感じない。かつて暮らしていた頃の日常感覚のままだった。
思い出に昇華するには、たった4年半では早過ぎるのかもしれない。
人のこころは、ゆっくりと熟していくものなのだ。

🔹道東地方:写真家 久保敬親先生の思い出

帯広から足寄、そして阿寒の森林地帯を抜けて、道東の広大な平野へ飛び出した。
久しぶりの摩周湖ブルーにも懐かしさはなく、いつもの撮影で来たような感じである。
20年暮した北海道の記憶は褪せることなく、私の魂に刻まれている。それが嬉しかった。

夏の摩周湖

この旅の重要な目的のひとつは、故・久保敬親先生の回顧展「野生の瞬きⅡ」だった。
ところが例の緊急事態宣言で回顧展は中止になったのだと、奥様の電話で知らされ驚く。
奥様のご厚意で中標津町のご自宅に伺い、亡き先生の思い出を語り合うことができた。

久保敬親先生との思い出は多くはないけれど、ひとつひとつが宝物だ。
理想の写真家としての目標であり、疑問や悩みの対象でもあり、まさに心の師であった。
先生や仲間たちと、知床で動物の撮影に励んだ日々や、ご自宅で二人で酒を酌み交わした宵が忘れられない。言葉にならない大切なことを教わった。

訃報に接して呆然としたあの日、心の中の久保先生の大きさに改めて気づいた。

「金を稼ぐからプロ、じゃない。こだわりを持つのがプロだ」
そんな久保先生の笑顔と言葉は、今も自分を支えてくれている。

🔹網走・北見:まだ見ぬ親戚に思いを馳せて

私も両親も静岡出身だが、父方の祖父は島根県の出で、明治期の屯田兵募集に応じて北海道に渡った。
今も北海道に親戚がいることは知っていたが、まだ会ったことがない。
近年その人々のことが気になり、思い切って手紙を書いたところ、先方から丁寧なお電話を頂いた。この夏に会えないかと尋ねたが、難しいですね・・とやんわり断られてしまった。

便りも途絶えて過ぎ去った数十年の、歳月の重さを感じざるを得なかった。
しかし同時に、消えることのない血縁の重みと大切さも改めて感じたのである。

今回の旅では、その親戚の住む網走市と北見市を通ったのだが、寄ることはできなかった。
だがいつか必ずお会いできる。そしてお互いの溝を埋めていくことができると信じている。

🔹礼文・利尻・サロベツの撮影

北海道の北端・稚内市、その沖に浮かぶ利尻島と礼文島は、若き日の自分の憧れだった。
初めて訪れた1997年以来、いつも徒歩で島に渡って 撮影していたが、今回初めて車を持ち込んだのである。おかげで機動力を活かして充実した撮影が出来たと喜んでいる。これも以前から丹念に自分の足で歩き、 島の地理をよく見ていたお蔭だ。何事も事前の積み重ねが大切だと改めて実感した。



10年ぶりにサロベツ湿原にも寄った。利尻・礼文でもそうだったが、全体的に花が少ないと感じた。お馴染みのエゾカンゾウや、エゾスカシユリが全然見えない。7月初旬といえば本来なら花は真っ盛りの時期なのだが・・・
わずかな時期の違いによるのか、それとも地球的な気候の変化によるのかもしれない。
だがそれは、決して人為的なCO2排出といった政治的なウソ話のことではない。
あくまでも過去に当たり前のようにあった大自然の摂理による気候変動のことである。

🔹秩父別町:屯田兵の曽祖父たちとの邂逅

先述の通り、曽祖父の代に屯田兵に応募した我が祖先たちは、雨竜郡秩父別町に入植した。今回の旅の最後に秩父別の郷土館を訪ねて、当時の屯田兵家族の生活を偲ぶことができた。



戸主配置図の上に曽祖父(の弟)の名前を見つけたとき、観念の中のボンヤリした存在だった曽祖父たちが初めて身近なものに感じられた。
それは本来自分の根幹にあるべきもので、長い間欠けていたそれを取り戻せたように思えて
何かとても幸せな気持ちになったのである。

🔹こころのふるさと・北海道

この夏の北海道訪問で、自分の中でひとつの区切りをつけられた気がしている。
それは「また札幌に戻って住む」ことへの、心の拘りが解消したことだ。
いつでも心の中にあり色褪せない、わが祖先と血縁者のいる北海道を確かめたから。

「ふるさとは遠くにありて思うもの・・」という室生犀星の詩「小景異情」を思い出した。
いま北海道は、わたしの本当の故郷になったのであろうか。

15年ぶり涸沢カール訪問記(後編)

◆雑感その1 山の挨拶ルール

前穂高を望む(横尾)

橋を渡る登山者たちの声で目が覚めたら六時半だった。
今日は戻るだけなのでゆっくりでよいが、体はすぐに動いた。
少ない酒が変な夢を見せたのか、寝返りを打ち続けたせいで体の節々が痛い。
外を覗くと他のテントはほとんど撤収していた。
空は曇っていて暑くもない。歩きにはちょうどよいだろう。

荷造りをしてテントを撤収し、八時過ぎに横尾を出発した。
徳沢へ向かって歩く。前から来る人の群れ、群れ、また群れ・・・
「こんにちはー」「こんにちはー」と挨拶を交わす。

初めのうちはにこやかで丁寧な声が出る。ああ、みんな元気ですね、お気をつけてと思う。
だがそれがひっきりなしに続くうちにウンザリして、遂には下を向いて黙って過ぎる。
そのとき感じる軽い罪悪感が、鬱陶しい。
この挨拶のルール、誰が広めたのだろうかと恨めしく思ったりする。

◆雑感2 お手手つないで

横尾から徳沢へ向かう森の道

徳沢園でひとやすみ。お汁粉を作って飲む。これが元気が出る。
薄曇りで、風が気持ちよい。
出発する。明神まで1時間かからないだろう。
日の差し込む気持のよい林の中をどんどん歩く。前をゆくカップル登山者。
見るとしっかり手をつないでいる。
若い二人だな、微笑ましいではないか。



しばらく同じ歩調で、彼らの後ろを歩くことになった。見るとはなしに見る。
この二人、片時も手を離さない。ぴったり肩を寄せ合っている。・・・少し呆れてくる。
エイ顔を見てやれ、と追い越して振り返ると、歩きながら微笑み見つめ合い二人だけの世界。
毒気を抜かれ、お幸せにね・・と念じて、もう振り返らずに早足に遠ざかった。

昨今、山でお手手つないで歩く男女が多いが、いい歳して幼稚園児みたいで不自然である。

◆雑感3 山ガール

明神岳を望む(明神にて)

「すみませーん、お先に失礼します・・」
後ろから声をかけ、元気よくスタスタと追い越していった女性ハイカー。
小柄だが足が速い人だった。小気味好いリズムで遠ざかって行く。

明神に着いて休んでいると、さっきの彼女が近くのベンチに座っていた。
彼女はさっと飲み物をのみほし靴を履き直すと、凛々しく立ち上がりザックを背負った。
隣に座っている女性に軽く会釈をして、颯爽と上高地へ歩き出した。

一連の動作がじつに自然で、滑らかで優美で、僕はその人の去りゆく姿に見とれてしまった。
気持ちのよいものを見たと素直に思った。

ありがとう
山ガール

あんな人がいるのだから、山ガールも馬鹿にしたものじゃないな・・
僕は少しばかり頑迷だったと反省し考えを改めた。

◆雑感その4 上高地を去る / 沢渡(さわんど)温泉

人にとって芸術とは何かと考えさせられる

混み合う上高地ターミナルから、臨時増発のバスに乗りこんで沢渡の駐車場へ向かった。
「木漏れ日の湯」を楽しみにして、最寄りの駐車場に車をおいて来ていた。
上高地に通っていたころ、必ずここで汗を流し山行を締めくくったものである。

車に戻って温泉道具を持ち出すと、道路を渡ってログハウス風の建物に歩み寄る。
しかし入り口に鍵がかかっていた。
誰もいないし、どこからも入れない。今日は休みなんだろうか?

バス停の切符売り場のお姉さんに尋ねると、経営者の身内にご不幸があり営業していないとか。
そうか・・やっぱり十五年も経っていたんだよな。心に静かな冷たい風が吹き抜けた。
建物はそのまま残っている。その光景が余計に寂しかった。

少し下流の「梓湖の湯」で汗を流して、今回の山行の終了宣言とした。

15年ぶりの涸沢カール訪問記(前編)

15年前東京で、僕は毎週のように信州の山々に通った。
それまでの人生のすべてがここに集約しているかのように感じて
すっかり大自然の虜になってしまったのだった。

やがて北海道に戻り、自然写真家として再出発した僕は、人間と自然と
世界の真実を知ろうという志を立て、社会の片隅で孤独な努力を続けてきた。

故郷の静岡に戻って一年経ったこの秋、懐かしい北アルプスを訪ねた。

◆ 上高地の静かな変貌

秋の河童橋と奥穂高

かつて心を奪われた「涸沢カールの紅葉」を見たかった。弱っている心の力を蘇らせるために、原点に戻ろうと思ったのだ。

台風一過の初秋、僕は上高地の河童橋の上に立った。梓川の美しい流れと岳沢を抱いた奥穂高岳の勇姿は、あの頃と何も変わらない。
だが外国人が増えた。現地観光社の職員にも中国人スタッフがいて驚いた。

 

この中国人の増え方はどうだ。僕は総毛立つような不安を禁じ得ない。
差別はよくない、などというキレイゴトはもはや何の意味もない。
このまま外国人の増加を放置すれば、取り返しがつかないことになるだろう。

◆ 魂の禊(ミソギ)か 団塊世代の登山者たち

多くの人が楽しそうに話しながら、河童橋を渡って山へ向かっていく。
彼らは素敵な登山服に身を包み、きれいなザックを背負っている。
「私はもう百名山登ったよ、今は二百名山目指してるんだ」
「今日は穂高で、明日は立山へ行くのよ」

還暦を過ぎた人々が高価な登山グッズを身につけて、大挙して山へ入って行く。
いつの間にか見慣れた光景だが、このとき僕はあることに気がついた。
彼らは自分では意識せずに、山の神に魂を清めてもらおうとしているのかもしれないと。

「人生は楽しむためにある。公のことは他の誰かが考えればいい。
自分と周辺の人間が損をしないようにすればよいのだ。
そしてまず金だ!金さえあれば安心だ。金がない負け犬になったらお終いだ。
数字と科学的合理性、目に見えるものだけが信じられる。
目に見えぬものは全て幻で嘘だ。宗教は時代遅れの迷信、詐欺師の商売にすぎない」

団塊世代(私の父母世代)に共通してある価値観とは、概ねこういうものではないか。
金と物質を偏重し、精神をないがしろにする考え方が蔓延して、冷たく虚しく野暮な世になった。
人々の共通の価値が消え、孤独な「個人」を好き勝手に生きる子の世代は、精神的虚弱に病んでいる。
上高地に限らずあらゆる観光地が、物質主義で退廃した日本人の心のように見えて哀しい。

団塊世代は世塵に汚れた心の禊(みそぎ)を求めているように見える。
彼らの中には祖先から受け継いだ清らかな魂があり、それが山へと駆り立てる。
僕は、そうであってほしいと願っている。

◆ 初日、横尾のテント場まで


今日の予定は、梓川に沿って横尾まで、およそ12kmの歩きだ。
テント泊装備に加え撮影機材が重いので、膝を痛めないようテーピングする。
快調な歩きで、→明神→徳沢と順調に過ぎて、予定より早く横尾山荘に着いた。

紅葉の最盛期でもありテント場は混み合っていた。
僕は梓川に掛かる吊り橋の下に幕営した。他のテントからは離れて静かな場所だ。
ときおり橋を渡る人たちの話し声が気になるくらいだった。

横尾の夕景

単独のテント泊ではやることは単純だ。まず寝床を準備して荷物を整理する。
鍋に一合半の米を浸し、ベニヤ板の上でお湯を沸かしてテルモスに詰めた。

炊飯するうちにゆっくりと夕暮れが迫り、炊き上がる頃にはすっかり暗くなった。
横尾山荘の灯が赤々と夜の帳に浮かび、テントの中も冷気が満ちてくる。

幕営の様子

食事を片付けて寝袋に入ると、僕は今日のこと、そして明日のことを考えた。
案外よく歩けたな。重い荷物に肩が痛むが、朝には回復するだろうと思った。
四時の時点で天候判断だ。テントはここに張っておいて、涸沢まで往復しよう・・
梓川の瀬音が、耳に心地よかった。

◆二日目、十五年ぶり涸沢カールへ

長い夢をみた。高校時代の部活の友達や、片思いをした子が現れたりして。
山の空気はなぜ、心を昔に返すのだろう。

出発する登山者たちの声で起こされた。テントの入り口から首を出して見ると、
夜明けの霧の向こうに、朝日を浴びた前穂高の峰が青空に頭を突き出していた。
天候OK、よし行くぞ。

六時半に出発。やはり外国人が多い。それは紅葉シーズンだからなのか。
岩小屋の跡を過ぎて、左の沢向こうに朝日を浴びて巨大な屏風岩が輝いている。

本谷橋の手前で、北穂高が美しい場所に来た。ここで今回初めての撮影を行う。
Horseman985、叔父から譲られた中判カメラの歴史的逸品である。
何でも簡便・単純化するデジタル時代、この6×9判の持つ描写力とアオリ機能は貴重だ。

ある日のHorseman985(摩周湖にて)

狭く傾いた山道に三脚を構える。水平を出すのに苦労する。
15年前と変わらぬ北穂の姿に見惚れる。
後から途切れなく来る登山者に道を譲りつつ、数枚撮り終えるのに15分かかった。
本谷橋を通過して本格的な登りが始まる。15年前の記憶が蘇る。こんなだったかな、ああそうだ、こうだったなと独りごちつつ進んで行く。

 

支流の涸沢へ回り込むと谷には陽光が溢れていた。
山肌を埋めつくした錦秋模様が鮮やかに輝いている。

テントを置いてきて正解だ。ザックは軽く、肩の痛みは少ない。快適な登りである。
おかげで意外なほど早く、懐かしい涸沢小屋に到着できた。
テラスで憩う人々。雄大なカール、そのV字谷の正面に浮かぶ常念岳の秀麗な姿。
スリムな新しい登山服姿の若者や、昔ながらのニッカ姿のベテランもいる。
僕は15年前に池袋の店で買った山シャツと、札幌の釣具屋で買ったズボン。昔からオシャレ登山とは縁がない。

涸沢ラーメン(¥1,000)を頼み、持参の弁当箱を開く。ふりかけご飯だ。
これから撮影だからビールは飲まない。白湯が美味しかった。

涸沢ラーメン

「去年だったかな、テレビで言ってたよ、テント1,000張だってさ」
大岩の上で撮影しているときに声をかけてきた、初老の登山者が言った。
昔はグループでテントひとつで済んだが、今は単独行や少人数が増えた。
テントもその分増えたんだという。団体行動を嫌い、気の合う仲間だけで山に来る人が多い。
1,000張か・・それにしてもすごい数だ。

 

カール下部より北穂高を望む

涸沢カールの紅葉は色づきは今ひとつだったが、ここまで来られたことに僕は満足だった。
6×9で2ロール撮り、日が傾き始めた15時に横尾へ下山を開始した。
真っ暗になる前に降りたい。ヘッドランプ下山は好きではなかった。





完全に暗くなる前の17時過ぎに横尾に戻った。
テントに荷を解き、炊飯の準備にかかる。
重く濡れたシャツを枝に張ったロープに干すが、まず乾かないだろうな。

横尾山荘でチューハイを買った。今夜はロースハムとチーズで乾杯!
しかし残念、チーズは車に忘れてきたようだ。ピーナッツで我慢する。
今夜はご飯がずいぶん美味しく炊けた。
小魚のふりかけと、生卵に醤油を溶いてご飯にかける。おかずはハムのみだが満腹となった。

◆ 歳月が変えた視点

15年ぶりの涸沢カール訪問は、思いの外淡々と行われた。
経験を積んだことで、いつしか初心の感動を忘れてしまったのかもしれない。
「百名山」登山者たちの会話や外国人の多さに、やや白けていたのもある。
ただ自分の体力的な自信にはなったので、それでよしとしたい。

明日は上高地まで12kmの歩きが残っている。まずは体を休めよう。

(了)

 

 

<甲子園後記> 秋田・金足農「日輪のたぐひなき愛」の校歌を讃す

秋田県立の金足(かなあし)農業高校が、夏の甲子園に旋風を巻き起こした。
この夏、何度も流れたその校歌は、農業国日本にふさわしい自然観を存分にうたいあげている。

「可美(うま)しき郷 わが金足」
(素晴らしいふるさと われらの生まれ故郷、金足よ)

「霜しろく 土こそ凍れ 見よ 草の芽に日のめぐみ」
(厳冬の冬、大地は霜に凍りつくが 春には 恵みの陽光が草の芽に命を吹き込む)

「農はこれ たぐひなき愛 日輪のたぐひなき愛」
(農とはつまり太陽の恵み この世に二つとない無限の宇宙自然の 愛の営みだ)

「おお げにやこの愛 いざやいざ 共に承(う)けて」
(ああまったく有難い、この大自然の愛を、みなで感謝とともに承けていこう)

「やがて来む 文化の黎明(あさけ) この道にわれら拓かむ ・・われら、拓かむ」
(必ず来るだろう、真の文化の黎明が だから我らは一心にこの農の心道を拓いてゆこう)

歌い出しの「うましき郷」という語を聞けば、有名な万葉集(巻一・二番)の舒明天皇の御製が連想される。

大和には群山あれど       (大和にはたくさん山があるが)
とりよろふ天の香具山      (中でも天の香具山がいい)
登りたち 国見をすれば     (山に登って国中を見渡せば)
国原は 煙立ち立つ       (人々の家々からは炊飯の煙が立って)
海原は 鷗立ち立つ       (海にはカモメたちがのどかに群れ飛んでいる)
可怜(うま)し国ぞ
蜻蛉洲(あきつしま) 大和の国は (いい国だなあ、大和の国は・・・)

同じく故郷を賛える素直な心が、古今を通じて変わらない共感を私たちの心に与えてくれる。

そして霜白く凍る厳しい冬が過ぎて、生命が一斉に輝く春の到来を、じつに美しく明るく歌う。
生命の源は「日輪のたぐひなき愛」と。これこそ日本人本来の自然観、太陽信仰の核心であろう。

天照大神から託された斎庭(ゆにわ)の稲穂を元に稲作で国を栄えさせた我らの祖先たち。
わが郷土と学業の師への恩愛のみならず、我が国の悠久の歴史へまで心を広げてゆく歌詞だ。

日本の国の成り立ちを織り込み、いまも変わらない自然への感謝のこころを受け継ごうとする。
こんな素晴らしい校歌を、私はほかに知らない。

最近、アニメソングのようなキラキラした軽薄な歌詞の校歌が甲子園に流れることがある。
その高校の生徒には悪いが、あの類のものを校歌にしてしまう大人たちが情けなく恥ずかしい。
ものごとの価値や区別がわからぬ、幼稚で無粋な日本人がここまで増えたかと悲しくなる。

***

最後の句「やがて来む 文化の黎明(あさけ)」とはなんのことだろう。
私には作詞の近藤忠義氏の思いが透けてみえる。

「今の日本人は物質とお金ばかり追いかけて、本当に大切なことを忘れている。
だがいつか、それが反省されるときがくる。そして本当の文化が花咲く世の中がくる。
だから我々は風潮に迷わされずに、物事の本質を求め、大自然の愛に感謝する農業の道を進もう」

そんな思いが込められた歌い終わりの部分のように思えてならない。

そしてこの校歌の素晴らしさは、何といっても楽曲のよさでもあろう。
作曲の岡野貞一氏は、戦前の東京音楽学校(現東京芸大)で教授をされた方である。
「春の小川」「朧月夜」「故郷(ふるさと)」など誰もが知る唱歌を作曲したほか、
日露戦争を歌った「水師営の会見」も岡野氏の手になる曲である。

金足農の校歌の旋律には、地に足のついた雄々しい時代の日本人の精神が宿っている。
それが美しい文語の韻律と美事に結びつき、長く我々の心に残る名曲を産み出したのだろう。

この素晴らしい校歌を歌える生徒たちは幸せ者だと、つくづく思う。

(前編 おわり)

W杯後記 _ ロシアとソ連は別ものである

🔹サッカーの祭典に見たロシア民族の誇り

わたしは有名選手たちの活躍よりも、開催国ロシアの戦いに注目していた。
国を代表するチームは、その国情を多かれ少なかれ、反映するものだ。
「ロシアW杯2018」は現今の国際政治の流れに照らして、運命的であった。

ソビエト政権という異形の支配者による暗黒時代から解放されてから27年。
ついに「ロシア民族によるロシア」が世界の檜舞台に立つ日がきた。
スタジアムを埋め尽くした大観衆の後押しで、好成績もついてきた。
下馬評で最弱と評されたロシアチームは、気力溢れる見事な戦いでベスト8に輝いた。

試合前の国歌吹奏でロシア選手や監督たちが見せる、深い眼差しと表情はじつに印象的だった。
共産政権下の75年に及ぶ苦難の歳月に失われた、二千万同胞の無念の魂への哀悼なのだろうか。
或いは、国を奪われて味わった塗炭の苦しみを乗り越えた、民族の歴史への誇りかもしれない。

 

🔹ソ連とロシア_悲劇のユダヤ革命

「ソ連時代を通じて●回目の、ロシアとしては初めての・・」とTVのアナウンサーが話す。
ロシアはソ連とは別の国家だということは、ほとんど理解されていないのだろうと思う。

だがこの事実を理解しなければ、世界の真実に迫ることはできない。

ロシアは1917年のボルシェビキ革命によって、一度は滅ぼされた。
その革命を起こしたのは、ロシア人ではなかった。
ユダヤ人革命家(レーニン、トロツキー、ジノビエフ、カメネフら)だった。
私たちが教科書で学んだ「貧しいロシア人労働者たちの蜂起」はウソである。

ロシア革命とは、少数派のユダヤ人がロシアを乗っ取った事件なのである。
そして欧米のユダヤ財閥が、彼らに巨額の援助をしていた。
(ロスチャイルド、ヤコブ・シフ、JPモルガン他)

当時の書籍はその間の事情をつまびらかにしているので、一例をあげる。
(残念ながら日本の二冊は戦後GHQの没収で絶版。私は古書店で入手した)

  1. 『The Jews』ヒレア・ベロック原著(1922年)/日本語訳『ユダヤ人』 2016年 祥伝社 (渡部昇一監修)
  2. 『世界的に激化するユダヤ問題と日本』宇都宮希洋 著 1939年 内外書房(宇都宮氏は陸軍所属)
  3. 『ユダヤ民族の対日攻勢』武藤貞一 著 1938年 内外書房(武藤氏は元毎日新聞社主筆)

革命政府によりロマノフ王家一族は虐殺され、ロシア国民は恐怖社会に突き落とされた。
秘密警察KGBが日常的に目を光らせる、暗黒の年月が始まったのである。

政権を批判した者は「反革命思想の持ち主」として逮捕投獄された。
「労働者」でない者、あるいは「ブルジョア」の烙印を押された者も同じ運命だった。
そうして普通の人々が次々と強制労働と獄死、あるいはその場で銃殺されたのである。
その数は二千万以上で、ナチスを遥かに凌ぐ蛮行にも関わらず、なぜか世に語られない。

***

戦後の「シベリア抑留」の記憶は、私たち日本人に「反ソ連」の感情を刻み込んだ。
それがそのまま「反ロシア」になっている観があるが、それは正されるべきであろう。
なぜなら、上述の通りロシア人たちこそソビエト政権の最大の犠牲者だったからである。
歴史の事実が示すものを、私たちは偏見を捨てて学び直すべきではないだろうか。

今後、世界で重きをなすロシアを、過去の間違った認識に囚われて誤解しつづけるならば、
望ましい日露関係を築く妨げとなるばかりか、世界の情勢変化にも立ち遅れることになろう。

🔹2017年、トランプ大統領が米国に誕生

米国民が覚醒してトランプ大統領が誕生した。この意味はとてつもなく大きい。
一言でいえば世界は「秩序の破壊」から「正常化」へ踏み出したのである。
隠されてきた世界史の真実が、これから次々と明るみに出てくるだろう。

この一年間で、欧州にナショナリズム復権の波が堰をきって溢れ出してきた。
民族意識の高まりを反映して、仏、伊、墺国などに右派政党が台頭してきた。
これぞユダヤ財閥による「共産主義思想によるグローバル化(世界統一)」の策謀に対し
欧州の国民が立ち上がった「民族レジスタンス」の大波と呼ばずして何と呼ぶか。

イギリス国民は、これ以上EUに留まれば伝統の英国は滅びると悟り、離脱を決した。

対照的に、独のメルケルは「多様性と寛容」を訴えて中東から大量移民を受け入れてきた。
だが移民が人口の30%を超えて、ドイツ社会崩壊の危機に目覚めた国民は、彼女を見放した。
メルケルは迷走して中国共産党と結ぶ愚を演じ、ドイツの将来をさらに危うくしている。

トランプは米国内のユダヤ勢力のうち「イスラエル民族派」と結んで世界戦略を立てている。
そしてウォール街のグローバリズム派ユダヤ勢力と、水面下で激しく戦っている。

“国境をなくして世界を統一する”という、ロスチャイルド、ロックフェラーやキッシンジャー、ブレジンスキーらが広げてきた大風呂敷は、いまやボロボロに破れて穴だらけなのだ。

欧米や日本のフェイクメディアの必死の洗脳も、追いつかない速さで世界は変わりつつある。
国民はもう新聞もテレビも、信用しない。フェイクニュースを見抜こうと目を光らせている。
グローバリズム(国家を破壊して世界を市場で統一する)の陰謀は、破綻したのだ。

この情勢に、愛国者プーチンの率いるロシア民族が輝きを増してきたのは自然なことだろう。
わが日本も、安倍首相を後押しして日本ファーストで国民がまとまっていかねばならない。

🔹ロシアは、ソ連ではない

「シベリア抑留」はソ連政権がやったことであり、ロシア人の仕業とはいえない。
だが日本のメディアは、パブロフの犬のように「ロシアは悪、プーチンは極悪人」という。

だが私たちは別の視点をもったほうがよい。
ロシア国民の圧倒的なプーチン支持という現実を、素直に、かつ公平に見てみよう。
決して「独裁者による非民主的な圧政」などではないことが、すぐに腑に落ちるはずだ。
こうして私たちは、またひとつメディアの洗脳を脱して、世界を見る目が開かれるだろう。
(終)

「個」の虚構との訣別を

「孤独な群集」

あれは高校一年の夏だったか。美術の授業でポスターを作る課題が出された。
幾つか決められたテーマの中から、私はなぜか「孤独な群集」を選んだ。
十六歳の少年に社会的な問題意識があったのではない。
ただ思索的で意味の深いテーマ性に何となく惹かれたのである。

赤いダルマを縦横にずらりと並べ、その中に一つだけ横に転んだダルマを描いた。
先生は褒めてくださったが、転んだダルマは現代社会に溶け込めない今の私の姿と重なる。
少年の私は、無意識のうちに早くも人生の闇路を予感していたのかもしれない。

昭和六十年の日本社会はすでに「孤独な群集」の腐臭を漂わせていたのだろう。
公民教科書には現代社会の病として「三無主義」という言葉が登場していた。
「無気力・無感動・無関心」が人々の心を蝕んでいるという問題は、すでに教科書にも載っていたのである。

あれから三十年経った。日本人の「三無主義」は悪化の一途を辿っているようだ。

メディアはスキャンダルや茶番ばかりで、人々は公への真面目な関心を維持できない。
そして蓄財や享楽・生活の利便といった、狭い視点しか持てなくなっている。

不安と猜疑心が先に立ち、すぐに細かい損得勘定をするミミッチい習性がついてしまったり、
退屈なため息ばかりで、のびやかな活力やこころの柔軟さは忘れ去られているようだ。

「人付き合いも面倒だし、気ままにスマホとAIと犬を相手に暮らせれば、他はどうでもいい・・」
そんな投げやりで萎んだ了見が、静かに人々の心に染みて来ているような気がする。

道北の大河・天塩川

「個の確立」という妄想

いまだに「国家は庶民の敵だ」「国家は個人を抑圧する」という感覚がしぶとく蔓延している。
国や公の要請に従わない「個」の確立が人類の普遍的な価値だという人が、まだいる。
マスメディア、学者や文化人、一部の教育関係者たちにその傾向が強い。
およそ現実とかけ離れた、机上の妄想が数十年間も続いている。

さて、何物にも縛られぬ自由な個人__そんな人間は古今東西、実在しない。
現実の人間は必ず何らかの共同体に居場所をもち、その規範に縛られている。
またそのおかげで、安定した自己をもって健全に生きていられる。
これが世の常識であろう。
それなのに、共同体や国家に忠誠心をもつ「個人」が語られることはない。

かように偏った「個我」にとらわれて、我らは所属不明の孤独で不安定な群集に陥っている。
この状態は人間として不自然で、一刻も早く克服されなければならない。
だが_漫然と生きていても、虚しい毎日の反復から脱することはできない。

だから、私たちはもう一度、己の命について静かに謙虚に考え直すべきだと思う。

我々の肉体は、両親から生まれた。
しかし、私たちの心臓を動かして生かしている力は、両親が作り出したわけではない。
いったいどこからきたのだろう?

「吾が心を 吾が心と思はず」

江戸時代の垂加神道家・若林強斎はこう言っている。

「神道の大事は、吾が心を吾が心と思わず、天神アマツカミの賜物ぢゃと思うが、ココが、大事ぞ、
そう思いなすではない、真実にそれ。
こう云うことを寝ても覚めても大事にするよりない。
是程の宝物頂戴して居りながら井戸茶碗程にも思わぬは、うろたえぞ。」

私たちの心、命は、自分のものであって、しかし自分のものではない・・
一見難しいが、考えてみれば誰も「心や生命」を創り出すことはできない。
天神の賜物とは、宇宙の摂理に頂いた命を、遠い遠い祖先からずっと繋いできたこと。
合理主義的な解説など不要な、信仰の真髄に触れる感覚がそこにはある。

肉体は滅ぶもの。だが魂は残って後世の人々の心に新たな関わりを生じ、ずっと続いてゆく。
そうした自然な信仰が、我ら日本人の生命観の根源をなしているのだと思う。

人の生は深くて永い。私の個我も、悠遠な大いなる生命の流れのごく一部に過ぎない。

「わが心が天神アマツカミの賜物であるとの確念は、わが生命が
一身の生死を超えて天地の永遠に参ずるということに外ならない」
(『神道大系』垂加神道 下 解題)__ 元金沢工業大学教授 近藤啓吾先生

エゾシカ姉妹

親の勝手な「個」の観念が子供を追い詰めていく

近代思想における「個人」は他者とは隔絶し、つねに自己の安全と利益を優先する。
それはすべての人間が有する「自然権」といい、弱肉強食が自然状態なのだとする。
そこに「契約」を定めることで、初めて人間の社会が成り立つのだそうである。
トマス・ホッブスが提唱した社会契約論は、そんなものだった。

だが我ら日本の先祖は、そんな弱肉強食の自然状態とは無縁であったろう。
縄文時代に大きな戦争がなかったことが、遺跡の発掘研究から明らかになってきている。
共同作業の稲作で栄えてきたわが国の由来、世界に珍しいほど温和な国民性からみてもわかる。

ところが、戦後日本の教育は、欧米の思想に心酔して、欧米人の視点でわが国の独自性や国柄を酷評し、軽視あるいは無視してきた。
そして日本民族は残虐で好戦的だとか、皇室への崇敬心を狂信的カルト宗教のように言い募る輩が大学教授になったりしている。
まるで「日本人が信じてきた歴史など、すべて誤りで、学ぶ価値もない」と言わんばかりである。

だから、戦後の子供たちは日本の神話を知らない。また天皇のことも全然知らない。
日本人でありながら、日本のことを全然知らないまま育っている。
こんなバカな教育をしている国は世界にない。

いま日本の子供が教え込まれるのは「自由」や「人権」「平等」などのいわゆる普遍的価値というものだ。
(これらは日本においては、あらゆるワガママを正当化するための呪文でしかない)
人として当たり前の義務や規則を、面倒で意味のない、避けるべきものとして片隅に追いやっている。
例えば日本国憲法には権利ばかり多く書かれて、義務はたった三つしか書かれていない。(納税・教育・労働。なぜか国防の義務はない)

甘やかされ思い上がり、人生の先達を尊敬することもなく、ただ体だけ大きくなる若者たちだが
遅かれ早かれ、彼らは現実社会との差に直面して、己の力量不足と無知に絶望して苦しむ。
こんなはずじゃ……と呟くが、今更教えを乞うべき先達もなく、自分を責めて卑しめるばかりで、うつ病になる。

昨今の「友達のような親」などは、とうてい人生の真剣な悩みに答えられるはずがない。
それに今の大人たちは自分の遊びや旅行に忙しい。墓参りはしないし、町内行事は無視する。
この自分勝手で幼稚な親の姿こそが、子供らを悲しく情けない思いにさせ、己を蔑ませる元凶なのだ。
成長するにつれて深まってゆく絶望感に、若くして人生を諦めている若者はさぞ多いだろう。

出口のない苦しみに疲れ、すべてに嫌気がさしたとき、ついに若い人生は破綻する。
自暴自棄の凶行、絶望からの自死、現実逃避の精神症が生じるのは、この時なのだ。

冷酷・狂気の犯罪者としてニュースに現れる若者の姿は、あまりに哀れである。
昔からいわれる「親の顔が見たい」の言葉は、今こそ声を大にして叫ばれるべきだ。
無垢な子供の魂が健全に導かれるか否かは、いつの世も親の自覚と努力に負っている。

一見スマートだが、底知れぬ虚無を心に抱えている日本の若者たちの危うい姿。
これがあの「三無主義」のたどり着いた最終段階なのだろうか。

先祖を裏切り、子孫を見捨てる現代日本人たち

かつて、2,700年練磨されてきた貴重な日本人の知恵と人生観があった。
それをたった一度「戦争に負けた」だけで全否定したことの愚かさは、言葉に尽くせない。
しかも、欧米崇拝の負け犬根性に駆られて、身丈に合わない制度を無理やり導入してきた。
こんな不自然にねじくれた社会で、次世代がまともに育つはずがない。
日々起こる理不尽で狂気じみた事件は、起こるべくして起きている悲劇なのだ。

残念だが、われわれ戦後日本人は、多かれ少なかれ卑怯な臆病者になってしまっている。
目先の利害しか見ずに、すべての祖先を忘却し裏切り、すべての子孫を見捨てている。
それを問題視しないメディアに流され、事態の恐ろしい本質に全く気がつかない群集。
彼らの鈍感さは、同じ日本人として本当に信じられないし、情けないの一言である。

全体(公)の中にある個(私)・・精神の均衡

国家を内側から破壊するにはどうするか?
信仰を禁じ、ウソの歴史を教えて国民の団結を壊す。
個人主義を吹き込んで公の意識を薄れさせ、バラバラにする。
欲望を煽る広告宣伝で風紀を堕落させ、国家と国民を借金漬けにする。
(住宅や車のローンも借金漬けの一例である。けっして他人事ではないのだ)
そして政治を金で縛って法律を変えさせ、伝統を絶やして国民意識を希薄化していく。

これがユダヤ式「3S政策」であり、我が国も戦前から相当やられてきている。
(3Sとはセックス、スクリーン(映画)、スポーツのことである)

スポーツは、大規模なビジネスにすることで、巨大利権の世界にシームレスにつながっている。
オリンピックはその代表だ。「柔道」はその道具に選ばれたために魂を汚され堕落した。
神事から娯楽に堕し、外人の稼ぎ場と化した相撲は、わが伝統破壊のもっとも顕著な例である。
先般、女も平等に土俵に上げろと騒いだ連中がいたが、可哀想に、完全に洗脳されている。

「個」という幻想にとらわれて、頭だけで考えた法制度を作ってきたために
我々日本人はいまやすっかり常識と現実がわからなくなっている。
つまり、鈍麻して幼稚化してしまっている。
「日本人は何を考えているのかわからない」と外国人に言われるはそのせいだ。
英語ができないとか、国際化が不十分だからではない。現実認識が幼いからである。
この現状は、戦前から日本破壊を企んできた共産主義者たちの狙い通りだろう。

「ゆく川の流れは絶えずして しかも元の水にあらず」
この世に永遠不滅のものがないこともまた真実である。
不自然は矯められる(正される)宿命にある。

世代交代にしたがって、世界潮流もまた変わってきた。
個人主義やリベラル「進歩派」が大きな顔をする時代は終わった。

先日、国民民主党の前原氏が「リベラル右派」を誇らかに自称したが、時代錯誤も甚だしい。
彼もまた国家覆滅を図る左翼革命家の一味だったのか__いやいや…そんなタマではないか。

これからの世界は、リアリティのある誠実さ、光と影の両方を語る勇気、真実を見抜く眼力、が求められていく。
くだらない言葉狩りに狂奔して「セクハラ・差別」糾弾商売をしてきた偽善者たちは、もう居場所がなくなる。
具眼の士には、リベラル思想など顧みる価値もないのだ。
2017年米国にトランプ大統領が誕生したのを機に、世界は健全化にむかって舵を切ったといえよう。
何年かかろうが、不自然は矯められるものなのだ。

私たちは均衡ある精神を保ち、ばら撒かれたキレイゴトのウソを見抜いて洗浄していこう。
長く待たれた時代がやってきた。米国の変身によって、その条件が急速に整ってきている。
我々自身が、これまでの惰性を改めて、偽善を撃ち壊す気概を持つことが求められている。(終)

畏れを忘れた人間の姿(怒りと哀しみ)

九月の声を聞き、暑さもそろそろ一段落する頃でしょうか。
連日30度を超える久しぶりの本州の夏にすっかり参って、仕事部屋にエアコンをつけました。
冬は暖房費がかからず喜んでいたものの、夏の電気代でしっかり帳尻が合いそうですが・・・
最近のエアコンは節電機能も優れているらしく、ありがたいことです。

🔷 気になるニュース

先日かわいそうな記事を見ました。長野県の信濃町で起きた出来事です。
山に仕掛けたイノシシ用の罠に子熊がかかって鳴いていた。それを見ていたら後ろから母グマが来てかまれた。道路に逃げて役場に連絡し猟友会が出動した・・・
以下、8月16日15時53分、朝日新聞デジタルの記事からの抜粋です。

信濃町産業観光課農林畜産係によると、猟友会や町職員が現場に駆けつけた時、子グマは助けを求めて鳴き声を上げ続け、親とみられるクマは、逃げ去らずに興奮状態にあった。猟友会が子グマを殺処分すると、親とみられるクマは姿を消したという。

同係は「クマを落ち着かせるため、子グマの鳴き声を止めなければならず、殺処分せざるを得ない状況だった。近くに人家もあり、子グマが成獣になった時、再びこの場所に現れ、人を襲うなどする危険性も高いと判断し、猟友会などと話し合って殺処分を決めた」と説明している。

皆様はどう思われるでしょうか。
私は正直に申しまして、何か大切なことが抜けていると感じます。いろいろな点で間違いを犯しているように思います。

熊は力が強いだけでなく、とても細やかな心をもつ賢い動物です。
とくに親子は強い愛情で結ばれ、子を守る母熊の勇気と力は昔からよく知られ、いくつもの物語や伝説になってきました。
この時も、罠に落ちたわが子のために「命がけで」人間に噛みついた母熊の行動には、率直に心をうたれるものがあります。
まして痛みと恐怖に鳴き叫ぶ子熊を前に、罠を外してやることのできない母熊の悲しい気持ちを思うだけで、目頭が熱くなるではありませんか。
それが人としての自然な感情でありましょう。だがこのとき、役場と猟友会の方の考えはどうであったのか。

「母熊を落ち着かせるために子熊を殺さねばならない」「子熊が育ったら人間に復讐するだろうから今殺しておこう」・・・

このweb記事には、たくさんの一般の方がコメントを寄せておられ、その多くがこの処置に疑問を呈するものでした。しかし中には猟友会の処置はやむなしとする声もあり、現場をしらない外野は黙っていろと叱るような意見もありました。

世の中はキレイゴトで済まないとはいえ、それでも方向性が間違っていると言わざるを得ません。徹頭徹尾「人間の都合」だけで行われた子熊の殺処分を、処置は正当だったと言うだけですませてよいものでしょうか。ここに看取されるのは「人間>動物」の思考が固定化した姿、傲慢でしかも判断力も感情も衰えた現代人の危うい姿に思えます。

イノシシの罠に熊がかかる可能性はその道の人なら予見すべきこと、また子熊の近くに母熊がいることは常識です。昔の猟師ならこんなミスはしないでしょう。

親子のヒグマ(知床)

子熊を殺さず、母熊を麻酔銃で眠らせる考えはなかったのかとも思います。
猟友会が麻酔銃を撃つ資格がないのならば、初めから有資格者と麻酔銃を手配すればよかった。すぐに準備できなくても、到着を一日くらい待っても問題はない。母熊は子熊のそばを離れはしないでしょう。

「子熊が育ったら人間に復讐する、いま殺そう」には呆れました。小説やドラマの見過ぎではないか。日頃から「人間の怖さを教える」と言って散弾銃をぶっぱなしている知床財団の方々はどう思うでしょうね。臆病なツキノワグマがわざわざ人間に「復讐」なんてありえません。その場所に近づこうともしないでしょう。

結局「いろいろ面倒だから殺した」ということではないのかと思われてなりません。目の前の熊に威圧されて銃に頼る気持ちが高まり「殺処分」に走ったのではないのか。これではニホンツキノワグマの絶滅は遠くない。人間の胆力の弱さが問題なんです。

ちなみにシー・シェパードなどを引き合いに出して動物愛護の感情を揶揄するコメントも見られましたが、御門違いも甚だしい。これは狂信ではない誰でもわかるはずの心の痛みです。現場を知らない云々は全然関係ありません。むしろ生命に対する真剣さをからかう捩れた姿勢、困ったら簡単に道具(銃)でケリをつけようとする安易な姿勢が問題なのではないでしょうか。

やはり日本人には古来の自然信仰が必要だと思うのです。誰も見ていなくても神様に誓って自然の掟を守る、不注意の事故は自分の責任である。その心をもう一度鍛えるしかないのでは。

昨今流行りの「自然保護」や「自然との共生」なんてのは全くダメです。口だけのゴマカシで、その時の世の都合でどうにでも変わり、CO2問題のようにすぐ利権化する。

人間が自然に対して抱く感情は、そもそも保護とか管理などという技術的な次元のものでは到底ありません。己の存在そのものと向き合うことであり、それはもう哲学、信仰という言葉でしか表せません。そういう真剣な内観と自制が今の日本人には欠けていることが見えた、悲しい出来事でした。

子熊を目の前で殺されて、とぼとぼと森に帰って行った母熊の心を思うと胸が締め付けられます。あのやり方は絶対に間違っていると思います。
現場を知らないくせに黙っていろと言う人たちは、本音はどうなんでしょうね。聞いてみたいし、聞くのが怖い気もします。
(了)

トリプル台風

■ 8月の猛女たち

8月の北海道に3つの台風が上陸するのは未曾有のことらしい。

  • 17日→ 台風7号 CHANTHU(チャンスー)
  • 21日→ 台風11号 KOMPASU (コンパス)
  • 23日→ 台風9号 MINDULLE (ミンドゥル)

昔、台風には女性の名がつけられると聞いたことがある。
チャンスーさん、ミンドゥルさんなら東亜の女性の香りがする。
ではコンパスさんは何だろう、欧州系だろうか?そもそも女性の名前なのだろうか?
(「女性差別だ!」と命名ルールを変えるような無粋は・・あり得べきことだ)
3猛女らは北海道を堪能し、爪痕を残してオホーツク海へ去って行った。

■ 嗚呼 あの山も、この川も…

既に7月末の記録的大雨により「層雲峡本流林道」が決壊し「沼ノ原への登山口方面は通行不能」とのお触れが出ていた。大雪山の奥座敷「沼の原〜トムラウシ山」での撮影計画は落胆のうちに雲散霧消した。
しかしその時はまだ、さらなる悲惨な事態を予想だにしていなかったのである。

8月初旬の二週間は何事もなく、ただいつもより暑い日がだらだらと続くばかり。
暑さで登山の意欲が弱り、折から盛り上がるリオ五輪に席をゆずって寝不足の日々が続く。
五輪と高校野球が終わり、さあ山へ入るぞ!と思ったら、トリプル台風に見舞われたのだ。

夏山シーズンにこれだけ台風にやられた記憶はなく、大雪山の林道状況を確認したところ…
軒並み「路面洗掘」「土砂崩壊」「路面決壊」の文字のオンパレード。当然通行止めだ。
これまでの経験から考えて復旧は当分の間見込めない。私の計画は白紙に戻ってしまった。

【今回、東大雪方面で登山口まで入ることができなくなった主な山】

  • ニペソツ山(16の沢林道)
  • 石狩岳、音更山、ユニ石狩岳(音更川本流林道)
  • ウペペサンケ山(糠平川林道)
  • 十勝岳 新得コース(シイトカチ林道、レイサクベツ林道)
  • トムラウシ山(ユウトムラウシ林道)

このほか、夕張岳の金山コース、日高の幌尻岳へのチロロ林道、パンケヌーシ林道も不通。
川に沿った林道はみな、路盤が洗われて土砂が流出してしまっているのだろう。
今年の秋の撮影計画もかなり変更、というよりも諦めを余儀なくされることとなりそうだ。

こうした林道は一度崩壊すると復旧まで相当期間がかかる。
特に使用頻度、重要度が低い場合は、復旧予算の優先順位も低いだろうと想像される。

■ 自然に逆らわず 己を変える

当然だが自然の撮影とはこういうものなのである。諦めと切り替えが肝心なのである。
お金で思い通りになるものではなく(そもそもお金もないが)ありのままに受け入れるしかない。
わが国は自然災害王国で、こうした事態への対処法は物心両面において世界一の伝統をもつ。
今回の台風で亡くなられた方もいる中で、元気に無事で活動できるだけでもありがたいことだ。

また稿を改めて書こうと思うが、私は北海道の生活を切り上げて内地の故郷に戻るつもりである。
またいつか北海道に戻って来たい気持ちはあるが、その実現は今のところ未定である。
だからこれが北海道生活における最後の夏〜秋の撮影チャンスなのである。
それだけに、この夏の台風被害は痛いものがある。

しかし考え方を変えてみよう。
最後だと思うと、心残りのないようにと考えるあまり、欲張って無理な計画を立てがちである。
その結果身も心も疲れて、結局ろくな撮影ができずに終わるという苦い結果になりかねない。

それならば「よし、今回被害のなかったコースからの大雪山撮影に集中しよう」と迷いが消えて、却って充実した撮影ができる条件になったのだと考えたい。

■ 原点は「高原温泉から登る緑岳」だった

私の北海道における登山撮影は、大雪山に始まり大雪山に終わる。
その中でも特別思い出が深いのは、大雪高原温泉から登る「緑岳〜白雲岳」と「高根が原」周辺だ。

今回の台風で、その高原温泉へ向かう林道でも崩落はあったようだが、早めの復旧が見込まれる。
なぜなら林道の終点には日本有数の秘湯「大雪高原温泉」の宿が営業しているということがある。
そして9月下旬、色鮮やかな錦秋が燃える頃、高原沼めぐりには毎年多くの人々が訪れるから、地元としては何としても林道の早期復旧を図りたいところであろう。

さて、この高原温泉エリアは大雪山の中でも熊が多く住んでいることで知られている。
思えば、私が野生動物の写真を撮るようになったきっかけは、知床で出会ったヒグマであった。
世界遺産になって俗化する一方の知床に落胆し、人の手が入らない本当の雄大な自然に溶け込んだ熊の姿が見たい。
その思いは、ごく自然に私をこの大雪の最奥域へと導いてきた。
そして初めて2,000mの稜線に遊ぶ熊を見たのが、この高原温泉から登った緑岳からであった。
今年の熊探しはぜひともこの秋、この緑岳で!と思っている。自分のけじめとして。

■ 4つ目の台風接近中・・・

だが8月の台風はまだ終わっていない。
台風10号 (ライオンロック)全然女性の名前と違うが…やはり命名ルールは変わったのだろうか?
ただ今関東沖を通過中、明日30日には東北へ上陸する見込みらしい。北海道も暴風圏に入るようだ。

太平洋の海水温度は依然高く、気象庁はこれからも台風が発生してやってくることを予言している。
くわばら、くわばらである。神様どうか私を大雪山にやってくだされ・・・と祈るばかりである。

熱い夏の始まりに

気づけば七月中旬。いつもながら季節の移ろいの速さに驚かされます。
山は濃い緑に覆われ、小鳥たちや蝉の声で満ちています。
札幌は晴れた日は25℃を上回り暑い夏がやってきました。
この3ヶ月ほどの間におきたこと、考えたことなどを思いつくままに書いてみます。

初夏の森で

初夏の森で

■ 神社検定

先日「神社検定」1級の受験を終えました。会場は北海道神宮。試験前に祈願をして臨みました。
出来はまずまずの感触で、来月の合格発表を楽しみにしています。

この検定は神社の名前を覚える試験ではありません。日本人の宗教・神道について学ぶのです。
戦後の学校教育では決して触れることのない、わが国の神話や古典、和歌と伝統、神道の歴史と仏教や儒教との関係、国体観念の思想史等について、多くの重要かつ基礎的な学びを得ることができました。
これを土台にして更なる勉強を続け、真の日本人としての己を深めていこうと思います。

利尻富士の夕景

利尻富士の夕景

■日本の国柄は死んでいない

ここ数年、大水や地震、噴火などの自然災害が痛ましい犠牲を多く出しています。
天災に際して、多くの人々が私欲を捨てて他者のために行動する姿に心を揺さぶられます。
これが日本の国柄であり民族の心というものなのだと教えられるのです。
誰もが自分中心で損得勘定で生きているような現代でも、実は日本の心は生きているのだと。
太古の祖先から伝わる自然な国民性が連綿と続いている。それは何と貴重で幸せなことでしょう。

ものごとの基本的な価値観を皆が共有していることが安心と信頼のある生活の根本だと思います。
世界の人々が驚きと感動で語る日本人の価値観と良識は、長い長い豊穣な歴史の賜物なのです。

ショウジョウバカマ

ショウジョウバカマ

■ 戦後70年は永い歴史でみればほんの一瞬の病

70年前の大東亜戦争敗北で日本はいま一時的に、全てがおかしくなっています。
強者のご機嫌をとるイイ子を演じて「平和的だ」と勘違いしたり、弱い者にすり寄って自己を美化しようとする偽善があらゆる場面で臭気を放っています。
巨大メディアは「差別を許さない」と言って彼らの好まない批判を封じ込めます。
この言葉狩りこそが、人々の思考を抑圧し萎縮させて、社会を歪めている本質なのです。

テレビや新聞報道は、戦前日本に対する徹底した負の印象をお茶の間に流すことで、長い時をかけて人々を洗脳してきました。国家や公について公平で均衡のある思考をさせないようにしてきたのです。
いま安保法制を戦争法と呼んだり平和憲法を守れと叫ぶ人々の現実離れした主張はその成果です。

戦後70年への後世の評価は「敗戦と占領が言論の萎縮と平和妄想を強いた現実逃避の時代」となるのでしょうか。

松山湿原(道北/美深町)

松山湿原(道北/美深町)

■ 変わりゆく世界構造、グローバリストとの激しい戦い

時の流れは絶えることなく、すでに世界は「第二次世界大戦クラス」の変動の渦中にあります。

2008年リーマン危機以来衰えの目立つアメリカは、大統領選挙を期に国内の大変化が起きています。国富の99%を握ってきた金融資本家たちに対する、ふつうの米国民の怒りが爆発したのがいわゆるトランプ旋風です。
「アメリカをアメリカ人の手に取り戻せ!」という彼らの叫びは、ウォール街が画策する戦争商売に利用されてきた米国民の内心の怒りが背景にあるので、今回トランプ氏が敗北しても、その動きは収まることはないでしょう。軍事産業で世界を動かす巨大な利権体制が崩壊する第一歩かもしれません。

ヨーロッパに目を転じれば、欧州連合(EU)も衰退の兆しが顕著です。
EU統合とは金融資本家たちの企てたECに始まる欧州支配戦略の最終進化の形態です。
そしてユーロ通貨とは、彼らが欧州の市場を一手に支配するための道具なのです。
「欧州の平和的統合」という美しい理念の裏に隠されているのは、各国の主権を制限して将来は民族国家を解体し、彼ら金融資本家が個々の人民を支配し搾取するという青写真です。

そのための手段が、EU域内における人の移動の自由化、つまり移民の推進でした。
果してドイツは安価な移民労働力を利用した輸出で巨利を得てEU盟主の座につきましたが、
その引換えに国内治安は悪化し、今やゲルマン民族の国家ドイツは消滅の危機に瀕しています。

グローバリズムとは、国民国家を解体し、個人を金銭で支配搾取する「金融奴隷体制」です。
イギリスはその危険に気づいた国民がEU離脱の決断を示しました。英国人の気概に拍手です!

金融資本家たちの壮大な戦略は、中東シリアにIS(イスラム国)の紛争を作り出しました。
そこで生まれる大量の難民をEU域内に流入させ、EU加盟国を混乱させて弱体化させるのです。
「地中海で溺れかけた難民の子供」の嘘写真に同情した世論がドイツ首相に「難民の無制限受入」を約束させました。なんとも恐ろしい情報工作ではないでしょうか。

いま欧州各国は存亡をかけてグローバリストの戦略に抵抗しています。右派政党が勢力を伸ばし移民拒否の動きを強めています。欧州がテロ頻発地域になっているのはこの混乱のためなのです。
しかし日本のメディアは、この恐るべき事態と構造について一切報じません。
ただひたすら「危険なナショナリズム」をなじり、既存の金融システム擁護を叫ぶだけなのです。

カイツブリ悠々

カイツブリ悠々

■ カゴの中の鳥・日本

世界の大混乱の中で、わが国のメディアや学識者はいったい何を見ているのでしょう。
あいかわらず「株安・円高・企業への影響は」といった目先の経済予測のみに終始しています。
彼らには実際、文明や歴史に根ざした深い情勢の理解も事態への危機感も感じられません。
アメリカや欧州で民族運動が起きていることの本質に、彼らは関心すら持たないように見えます。

有為な若者たちが知性の欠如したテレビをほとんど見ていないのは、当然でしょう。
今回の選挙権年齢の18歳への引き下げは適時の策と思います。
我々には、平和ボケの妄想に囚われた空論に費やす時間はもうないのですから。

凛とした眼差し

凛とした眼差し

■ 静かな参議院選挙と憲法改正

今月11日に投開票された参議院選挙ですが、予想通りの与党の順当勝ちでした。
自公を中心に改憲派が議席の三分の二を超えました。憲法改正発議の環境が整ったわけです。
しかし今回、安倍首相は憲法改正を争点にはしませんでした。

私もそれでよいと思います。先の安保法制議論において、大手メディアの悪質な誘導報道に踊らされた国民の多かったこと!”SEALDs”の若者たちだけでなく一般国民まで「徴兵制は嫌」などと言い、内閣支持率が少し下がりました。まったく信じがたいことです。
要は自分の頭で考えずテレビに騙されているわけですが、こんな状態で憲法改正など到底無理。
メディアの誘導でろくでもない憲法にされたら、それこそ国家100年の過ち、滅亡への道です。

慎重に改正条項「96条」の改正を目指していくのが現実的手続きなのだろうと思います。
そして同時並行で、今の憲法が不当にGHQに押付けられた事情を今こそ国民に周知するべきです。
とくに現憲法が本来無効である道理を、丁寧に堂々と議論する過程が最も大切だと思います。
それらが戦後ひた隠しにされてきた理由を知ることで、日本国民の覚醒が進むはずです。
本当の自主憲法制定は、そのあとでなければ意味がないと思います。

女神の滝(道北/美深町)

女神の滝(道北/美深町)

■ 「日本のこころを大切にする党」

残念なことに、今回の選挙では私の応援する「日本のこころを大切にする党」は全滅でした。
知名度も低いうえ、メディアは勝手に右翼政党と決めつけて無視していますから、国民の大半がテレビ漬けという状況では「日本のこころ」の躍進は望めないのが現実です。
思想や政策はとても具体的・現実的で、大変真面目に取り組んでいるのに、国民の側に受け入れる素地が育っていないのです。偉そうな言い方で恐縮ですが、そう言わざるをえないのが日本の深刻な現状であり、目を反らすことのできない事実なのです。

キビタキのさえずり

キビタキのさえずり

■ 舛添都知事の辞職と報道のタイミング

日本人の美意識に真っ向から刃向かった舛添要一氏が、都知事の辞職に追い込まれました。
一昨年2月の選挙で就任してから2年半弱というわけですが、その間の実績は思い出せません。
週刊誌は彼のセコさを存分に暴きたてて、日本中の反発と侮蔑を煽り立てました。
舛添氏の辞職それ自体は快事ですが、この時期に突然あの騒動が出来した理由のほうが気になります。参院選目前での安倍政権への揺さぶりだったのでしょうか。

週刊誌やマスコミがスキャンダルを騒ぎ立てるとき、そこには必ず裏事情があります。
甘利大臣が辞任に追い込まれた金銭授受の件もそうです。TPP交渉での奮闘を賞賛された彼を失脚させることで、日本の閣僚や国会議員を牽制したい米国の圧力が背後にあったのでしょう。
(清原の逮捕もなぜあのタイミングだったのでしょう。かなり前から分かっていたはずなのに)
とにかく日本のマスコミが外国に忠実だということは知っておくべき事実だと思います。

森の風に揺れて

森の風に揺れて

■ 終わりに

伊勢志摩サミットでの安倍首相の功績、オバマ米大統領の広島訪問も大きな意義のある出来事でした。北朝鮮のミサイルが失敗とはいえ能力向上を示している脅威も無視できないことです。
中国のAIIB難航、日露関係の進展が世界に貢献する意味、いろいろありすぎる今年です。
とても勉強が追いつかないので、せめて要点を外さないように時勢を見ていこうと思います。
枝葉末節に目を奪われて、日本売国メディアの誘導で大局を見失ってはならないと自戒しています。

静かな湖畔の朝

静かな湖畔の朝