沖縄戦終結の日に一考

■6月23日は先の大戦における沖縄戦終結日

昭和20年4月1日、沖縄の海を埋め尽くした米英豪の連合軍は兵18万2千、空母戦艦等106隻。
これに対し、わが国の守備隊は、第32軍(陸軍・牛島満中将)と根拠地隊(海軍・太田実少将)をあわせて約7万7千、それに加えて県民の義勇隊 およそ2万5千。倍近い戦力差の中、わが守備隊と沖縄県民は、手を携え心をひとつにして決死の戦いに臨んだのだった。

以前、那覇の陸自第15旅団基地を訪ねたときに当時の戦闘について詳しい説明を聞かせて頂いた。私は初めて沖縄戦の凄まじい実際を知り、いい知れぬ感動と運命の悲哀に涙がとまらなかった。沖縄戦は日本人の忘れてはならない大切な記憶、民族の物語だと強く思った。

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シュンクシタカラ湖(阿寒) ※写真は本文とは関係ありません

■国防生命線の沖縄を守るために散った特攻隊

4月6日海軍は戦艦「大和」と駆逐艦8隻を沖縄へ水上特攻として出撃させた(「菊水一号作戦」)。
「大和」を砲台として沖縄本島に固定し、米艦船の猛烈な艦砲射撃を食い止めて、牛島中将の第32軍を側面支援する作戦だった。しかし作戦途上で、敵機動部隊の猛攻撃を受けた「大和」は無念、東シナ海の藻屑と消えた。

5月24日陸軍は「義号作戦」を決行。九七式重爆撃機12機に奥山大尉以下120名が分乗して、沖縄北飛行場と中飛行場に敵中着陸を敢行し、25日には飛行場を制圧して奮闘したが、27日ついに玉砕。

台湾の第一航空艦隊・第八飛行師団から 355機の特攻機が「大和」の作戦に参加した。
また九州の鹿屋・知覧両基地から沖縄を守らんと飛び立った特攻機は 1,903機
祖国を守り家族や同胞の未来を守ろうと、これほど多くの若い命が米軍艦船に突撃したのである。

■沖縄守備隊と県民義勇隊の奮戦と玉砕

4月21日、伊江島で守備隊と竹槍武装した一般婦人らが突撃玉砕を遂げた。この戦いで少年義勇兵、女子救護班、婦人協力隊などを含む住民約1,500名と守備隊約2,700名が戦死している。

5月4日、牛島中将率いる第32軍は米軍に総攻撃をかけた。しかし敵の砲撃と最新戦力の前に部隊を分断されて、次第に本島の南部に追いつめられていった。
8日、ドイツの無条件降伏で欧州の大戦が終わる。沖縄戦も最後の局面に向かって激しさを増していく。

■6月、壮絶な抵抗ついに力尽きる

13日、小祿地区で海軍の太田少将の部隊が突撃・玉砕を遂げた。

「身はたとえ 沖縄の辺に朽つるとも 守り遂ぐべし大和島根を」
「沖縄県民斯ク戦ヘリ、県民ニ対シ後生特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」

辞世の歌、祖国と沖縄県民への愛情を託した大本営への電文を残して太田少将は参謀たちと自決。

女学生看護婦の「ひめゆり部隊」と男子学生の義勇組織「鉄血勤皇隊」は壮絶な抵抗戦の末にいずれも全滅する悲劇となった。島内の残存守備隊も司令官及び将官たちの自決、戦死が相次いでいく。6月22日、天皇陛下は首相以下戦争指導幹部に対して「戦争終結を模索せよ」と異例の訓示を下された。

23日、第32軍の牛島司令官が切腹自決を遂げる。沖縄での組織的な戦闘はこの日をもって終結した。牛島中将の辞世の歌からは、祖国の未来を案じる思いが切々と伝わり胸が締め付けられる。

「秋をまたで 枯れゆく島の青草は 皇国の春に 蘇へらなむ」
「矢弾つき 天地染めて散るとても 魂かへりつつ 皇国まもらむ」

■83日間にわたる戦いで示されたものとは

日本の軍人、軍属、沖縄県民の戦死傷者は18万6千5百名。沖縄戦を戦った全ての先人に、心からの敬慕と哀悼、感謝の真情を捧げたい。あのとき守備隊の兵士、本土の特攻隊、沖縄県民が一丸となって米軍(連合国軍)と戦って下さったからこそ、今こうして日本の国は存続し繁栄しているのだと私は信じる。
なぜなら戦争には敗れたが、沖縄戦でわが民族が示した精神の高潔と団結力は燦然と輝いているからだ。その立派な日本民族の自覚があればこそ、私たちは世界の舞台でも胸を張って生きていけるのだと思う。

 

■「妄想」に囚われ続ける病的なメディア

だが沖縄の住民と軍人が深い絆で結ばれていたことを、わが国のメディアはまったく報じない。
否それどころか「日本の兵隊は住民を虐げて苦しめた」などと真逆の大嘘を平然と放送している。

23日北海道のHTBテレビの「イチオシ」という番組の沖縄戦特集では「日本兵が住民に銃を突きつけて、泣く幼い子供を壕から追い出して親に殺させた」という極めて怪しげな”証言”を延々と流していた。
日本兵を悪鬼のごとく描いて正義を気取り、反論や疑問をいっさい排除して触れさせない不公平。
真偽の検証もせず「戦争は狂気だから」という感情的なコメントだけで済ませてしまう無責任。
「大和」の悲劇的な戦いと最後を「無謀な出撃」と切り捨てる冷酷非情……何もかもが毒々しい。
HTBの番組制作者は果してわれらと同じ日本人なのか?
歴史への無知、常識感覚の欠如、歪んだマゾヒズムに満ちた違和感たっぷりの番組だった。

私にはあの規律正しく真面目な日本兵が沖縄県民をいじめる姿など、想像すらできない。太田少将や牛島中将の残した言葉から伝わる心情、現地住民の話、当時の日本国民の心理を想像すれば分かることだ。
だが「報道人」たちはそうした常識的判断とはかけ離れた独自の妄想に耽りつづけ、すっかり盲目になっている。
”極悪な日本軍”の宣伝を強制したGHQ司令部の検閲方針(プレスコード)に忠実に従うことしかできずにいる。

現実が見えなくなった変態メディアの健全化は、我々受け手側の課題であろう。70年の間背を向けてきた過去の真実に向き合い、常識的な判断をもって、凝り固まった嘘の山を一つずつ壊していくしかない。
祖先の歴史に寄りそって、同じ目線で流す共感の涙」を取り戻そう。(了)

沖縄戦終結の日に一考」への2件のフィードバック

  1. やっさん 投稿作成者

    「万物は流転する」「諸行無常」という言葉はわが国のメディアには通じないのでしょうか。敗戦でGHQに売国を強制されて以来、その歪んだ体質は70年変わっていないようです。でも最近インターネットの普及のお陰で「テレビや新聞はウソをつく」ことを実感する人が多くなったのは希望の光ですね。

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  2. お茶と蜜柑

    ”変態メディア”は、人間の体で言うと、ちょうど癌細胞と同じですね。こちらは外科手術できない以上、国民の側が賢くなるしかないのでしょうか。

    返信

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