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武漢ウイルスのこと

世の中はまさに新型コロナウイルス一色です。
今年のお正月の時点で、いったい誰がこのような事態を予想できたでしょうか。
もし12月の段階で武漢で感染者が発生したぞ、と警鐘を鳴らしたとしても
誰も気に留めなかったのではないか、それだけ急な出来事だったとは思います。

今般9日からようやく中国全土からの入国制限をかけましたが、遅すぎました。
亡くなられた方やお身内の無念を思うと胸が痛みます。
そしてこの武漢ウイルス流行は人災だから、なおさらです。

🔶人災である理由 その⑴ 中国共産党が開発していた生物兵器だったこと

このウイルスは人工的に作られたということが科学者たちに指摘されています。
武漢のP4研究所で遺伝子を操作された「SARS+エイズ」の特性をもつ殺人ウイルスです。
感染力、毒性ともに強く、免疫力を下げたり自己変化したり、つかみどころのない難物です。
なぜ研究所から漏れたのか、意図的なのか事故なのか、すべて謎ですが・・

(参考リンク)生物兵器と言われても信じられない方も多いと思います、ぜひご覧ください。

  1. 欧州のウイルス専門家、新型コロナウイルスに「消すことのできない人工的痕跡」(大紀元   2020年02月13日 15時28分)
    https://www.epochtimes.jp/p/2020/02/51700.html
  2. 2020/2/14(金) 藤井厳喜×坂東忠信×居島一平【虎ノ門ニュース】抜粋
    https://www.youtube.com/watch?v=tDCqRJSIAMM

  3. 中国・武漢で発生した「新型コロナウイルス」について解説します。(藤井厳喜の「ワールド・フォーキャスト」※1月26日撮影)
    https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=ZOB5I_ADF9I&feature=emb_logo

軍事機密なので詳細なデータを出さない中国共産党政府(P4研究所を爆破し証拠を隠滅!)
その中国に経済を依存するエチオピア出身のWHO事務局長が、非常事態宣言を遅らせたこと
WHOの非常事態宣言を待っていて対応が遅れた日本政府の危機管理能力のなさが露呈・・

軍事と政治経済の事情が絡み合って事態を悪化させてしまった、まさに人災です。

 

🔶 人災である理由 その⑵ 防疫の失敗は 財界の中国依存体質が原因である

「まず何よりも、発生源の中国からの入国者をシャットアウトしろ!

しかし日本政府はこんな当たり前のことが出来ませんでした。

1月には92万人、2月の春節では35万人の中国人観光客が来日したそうです。
感染可能性のある彼らが無防備な日本各地を訪れることを許していた・・
その一方で、自国民にはマスクして、外出は控えて、学校は休み、集会イベントは延期して。
順序がおかしい。まったくおかしい。これはいったい何でしょうか?

一番の元凶は、わが国の経済界が中国ビジネスに過度に依存して来たことでしょう。
とにかく中国を刺激するな!という彼らの声を安倍首相は無視できなかったのです。
自民党内の中国ビジネスに利権をもつ議員(二階幹事長ら)の声もあったことでしょう。

安倍首相は判断を誤ったのではなく、正しいことを断行できなかったのだと思います。
じつに残念です・・結果として入国拒否の時期を逸した責任は大きいです。
ここからは、完璧を期して頑張って頂かなくてはなりません。

現在、中国に進出している日本企業の社員や家族は、現地に約12万人いるそうです。
そのうち武漢にも数万人。この方達をどう助ければいいのでしょうか?

「中国からの入国拒否は彼らを見捨てることになる、この決断をしたくない日本政府は先延ばしを続けてきたのではないでしょうか?」(馬渕睦夫大使 談/[桜無門関]R2/2/27)

この残酷な局面、安倍首相や官僚の苦悩・逡巡を責められるでしょうか?私は否です。
誰が首相でも同じであり、安倍内閣だから失敗したのではありません。

結局、元凶は目先の利益追求にかまけて危険を無視してきた経済界の甘さだと思います。
反日暴動で店舗や工場が襲われたり、日本企業の社員が拉致監禁されたり・・
過去、何度か中国でそうした痛い目に遭って来たのに、彼らは何も学ばなかったのですね。
トヨタなど日本の大企業がいまだに中国に進出し続けている愚行はその証拠です。

経営者たちの「まあ、何も起きないだろう」という無責任さ、認識の甘さが今日の「12万人の人質」を作り、中国への忖度を政府に強要したのだと言わざるを得ません。
ウイルスの防疫失敗の本質は、日本の経営者たちの拝金主義にあると私は思っています。

🔶「平和憲法」守って国滅ぶ・・悪夢のような馬鹿げた事態に

殺人ウイルスの国内侵入は国民の命にかかわる「国防の危機」です。
多くの国では軍で生物兵器対策をしているので、今回のウイルスへの対応は早かったのです。しかし長い間 こうした危機を真剣に考えてこなかった日本だけは哀れな姿をさらしました。

軍隊を持たず自国の安全を「諸国民の信義と公正に信頼」する我らの「平和憲法」には
緊急の事態において私権を制限できる「非常事態条項」がありません。
つまり戦争や天災や疫病流行などの国家的有事においては、平常時の法的秩序を一時停止し、政府に権限を集中して迅速に対応するべきですが、現憲法にはその用意がないのです。

加えてわれわれ国民の公への責任感欠如、己の生活のことだけ考えるような習慣も問題です
国民が己の事情を優先して意思統一できなければ、政治家や官僚は決断も行動もできません。

危機を危機と認識しない、被害が出るまで動かない、どう動いていいか分からない・・
「一国の政治レベルは、その国民のレベルに比例する」といいます。
まさにその通りだと痛感しています。

🔶  国際的な信用を落とした日本に襲いかかるものたち

残念ながら、いま日本は一部の外国からすでに「感染国」とみなされています。
日本人の入国禁止あるいは日本への渡航禁止の措置が世界中で取られるようになれば
五輪開催など到底不可能ですし、経済活動のさらなる失速は避けられません。
せめて「消費税の一時停止あるいは廃止」など思い切ったテコ入れが必要だと思います。

中国は今回の責任をなんと日本に転嫁しようとしています。
「世界に拡大させたのは日本の稚拙な対応だ」と言い出しているのです。盗人猛々しい。

また横浜でのクルーズ船対応への批判を利用して、英米の船保険会社による莫大な賠償金訴訟が準備されていると聞きました。(上掲/馬渕大使談)なんとも狡猾極まりない発想です。

かように国際社会は常に自国を守るために、そして金儲けのために機敏に動いているのです。
いつの間にか日本だけが悪者にされて金をむしり取られることになりかねません。

第一段階の「防疫」は失敗でしたが、第二段階の「事後処理」では失敗は許されません。
日本国家の浮沈はいまや「霞ヶ関官僚の愛国心と勇気」にかかっていると言えましょう。
国を守る戦いです。絶対に負けられない。国民も心を合わせて彼らを後押しするときです。

この期に及んで、品薄のマスクを買い占めて転売する醜いみみっちい輩が時々います。
こういう奴らはとっつかまえて尻を百叩き、頭を丸坊主にしてやるくらいの気合が欲しい。
現在まだ感染被害が拡大している中で楽観的なことは言えませんが・・
この危機が
「金狂い」だった日本人たちを正気に引き戻すきっかけ
になれば、不幸中の幸いかもしれません。

トランプ大統領こそ日本の国益

戦後の日本のシステムを根底から見直すチャンスが来るのだろうか。

何十年もの間アメリカの理不尽な圧力と脅しに我ら国民の生活はどれほど不自然に歪められてきたことか。憲法の押し付けに始まり数々の法律を変えられ、企業の経営方法も労働観も変えられ、為替も強引に操作され、国語破壊、英語の押し付け、あらゆる文化基準を変えられ、今またTPPという勝手極まりない貿易条約を押し付けられそうになっている。

いや我が国だけではなく世界中の国民が「グローバリズム」というアメリカの原理の押し付けに苦しんできた。そんな中で祖国を金で売る連中だけが利益を享受する構造、素朴で誠実な一般国民はひたすら搾取される不幸な構造が世界中に蔓延してきた。

グローバリズムの侵略に対抗する戦いはイスラムや欧州だけの話ではない。日本が苦しんでいる経済の長期凋落や社会規範の溶解、絶望的閉塞感は、いま世界で起きている現実の戦いと常に密接に関連している現象だと考える。
国民生活より己の利益を優先して憚らない対米追従のTPP推進派の経団連や政治家たち。
彼らを見ているとグローバリストとは罪悪感なき売国奴だと改めて思う。

グローバリズム否定派のトランプ氏が大統領になるかもしれない。
世界の潮流はその方向にあるし、何よりアメリカ国民がそれを望んでいる。
グローバリズムは反省され、見直されようとしているのが世界の現実だ。

だが周回遅れの日本の要人たちの頭には理解も反省もない。
米国を相手にいかにこれまで通りに金儲けを続けるかが関心事であり続ける。
敗戦後の日本はそういう人間だけが出世するように作られている。

国益という言葉を未だにNHKが使わないのは、GHQの命令を忠実に守っているからだ。
70年前から日本は三流国家に落ちてゆくようにプログラムされていたわけである。
トランプ旋風の意義を全く報道できないメディアの低質さがその大成果だ。

ヒラリーは既存のユダヤ金融グローバリスト勢力に守られている。
トランプはそれを打ち破りたい米国の一般国民に支持されている。
「グローバリストの代表」VS「米一般国民の代表」
アメリカという国が今後続いていくかどうか、歴史的正念場であろう。
米国が正常化の道に踏み出すときが、わが日本も占領の首輪を外すときだ。

年頭のご挨拶

皆様、明けましておめでとうございます。
平成二十八年、皇紀二千六百七十六年、キリスト暦でいうところの2016年となりました。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

謹賀新年2016-01

よい年になりますように!

**【内憂外患、避く能わざれば】

わが国の内憂外患は年々深刻さを加え来ております。にも関わらず、どこ吹く風といったように新聞やテレビメディアは世界の実態を伝えないので、わが国民に切迫した危機感が湧いて来ないという現実は相変わらずです。
しかし国全体のことを真剣に考える具体的な機会は、確実に増えてきている実感があります。

昨年はいわゆる戦後70年目でした。節目としては不自然な”70″年目におけるメディア各社の熱の入れ方には、日本を封じ込めておきたい外国勢力による「日本人の再洗脳」の意図を感じます。
戦後70年と銘打って放映された特番はやはり「愚かな日本軍国主義への批判」の焼き直しばかりだったわけです。
メディアが未だにそうしたGHQ製のお経を唱えている間に、国民は歴史の真実を知り始めている。その流れを米国はちゃんと知っており、それならば今度は日本を再軍備させて手先に使うべく、憲法改正の動きを後押し始めているようです。我々にとって憲法改正は絶対必要ですが、米国に利用される危険を避けるしたたかさが求められます。また膨張する中国の脅威に対し、わが国は核武装を含めた本気の議論が出来る国にならなければ危ういと思います。

昨年大騒ぎの末に成立した「平和安全法制」ですが、その中味は自衛隊が機能するために必要な最低レベルにも達しておらず、有事の際に国民を守れるとはいえない。今後の更なる法改正が必要な一里塚でしかない代物です。
しかしマジメな議論をする気もなく無責任な安倍叩きショーしか出来ない野党と低劣なメディアという日本の現状では、千里の道を這って妥協しながら進むしかなく、不穏な世界情勢を横目に実にもどかしい思いであります。

昨年は外国による日本攻撃も実に激しいものがあり、怒りと哀しみと溜め息を要する出来事が多くありました。
まず中国共産党の裏工作で「南京大虐殺」なる虚構がまんまとユネスコ世界記憶遺産に登録されてしまいました。
そして長崎県の通称「軍艦島」の文化遺産登録の試みは、強引に介入してきた韓国の工作で「朝鮮人強制労働」なる虚構をねじ込まれてしまいました。これは、政治利用されるユネスコの体質を甘く見た、明らかにわが国の外務省の大失態、油断と敗北です。

同様に「従軍慰安婦」なる悪質明白な虚構に対しわが外務省は一貫して「既に謝罪済み」と繰り返してきました。
事実関係の調査すらサボってきたツケはついに年末28日、岸田外相がわざわざ訪韓し「わが国の責任を痛感」し「10億円を贈る」汚辱外交に結実したのです。彼らはいったい何の責任を痛感したというのでしょうか。この売国行為を行なった外務官僚の心理に巣食う闇は、黙って見過ごせない大問題です。この報に接して暗澹たる思いで年の瀬を過ごされた国民は多かろうと思います。先祖に無実の罪(それも破廉恥なる性奴隷強制などという)をなすり付けて、わが外務省は何を得ようとしたのでしょうか。祖先を大切にする日本人にとってこの類いの行為は、たとえどんな理由をつけようと、絶対に許せないものです。ここに私は戦後70年の誤てる教育、日本人の心を内部から壊す作業の大成果を見せつけられた思いであります。

戦後日本政治はかようにわが国の先人の名誉を踏みつけて、外交の道具にする場当たり対応を続けてきたのであります。それもこれも旧敵国(国連、国際社会なるもの)に平身低頭してお詫びする態度を「善」と思い込む倒錯を今日まで重ねてきたということです。人として誠に許し難い、唾棄すべき恥ずかしい態度ではないでしょうか。このような卑屈な考え方で、これからの日本人はいったい世界の中で活躍などできるものでしょうか。今こそ国民一人一人が、この目に余る屈辱を怒りをもって見据え、声をあげ、心を寄せあって戦後の倒錯した心理を克服して行かねばならないと思います。

**【近況と今後について】

私自身は、もう一昨年になりますがほぼ一年前、衆議院選挙において「次世代の党」の看板を掲げて出馬、残念ながら落選致しました。己の力量も顧みず義勇奉公の熱意で身を投じた戦いを振り返ると胸が熱くなります。
支援を頂いた皆様の国を思う篤い心を感じて、絶望の中にも希望の光を見た気持ちがいたしました。
それを踏まえ春先にいろいろ考える機会もあり、政治の道は少なくとも今はわが天命ではないと悟りました。
そこで初心に還るべく、昨年はひたすら自然の中で野生動物や山岳の撮影に集中して参りました。

雌阿寒岳とタンチョウ

雌阿寒岳とタンチョウ

私の撮影活動はいつも「大自然に抱かれて生きる人間のあり方」をテーマにしてきました。そのために世界の真実の姿を知りたい、人間の本質と文明の本質について知りたい、という思いに突き動かされてきたのです。
そして私たち自身の存在が「日本」の民族文明そのものの体現であるという自覚に至り、日本の独自性を守ることが私たちの人生を幸せで豊かなものにすることだと目が開かれました。
世界の民族それぞれが、そうやって己の歴史文化を守り育み、次の世代へ繋いでいる。その営みの意義の壮大さに私は深く心を打たれます。

残念ながらわが国は今、多くの人々が個人的な好き嫌いや刹那的な損得勘定を主たる行動基準にしているように思います。日々起きる社会事件の異常さや、各界の責任ある指導者たちの萎縮と混迷ぶりを見るにつけ、大きな公的価値観の欠如を強く感じます。私たちの拠って立つべき日本の来歴への関心を失い、目の前の生活の利便性にのみ囚われている視野狭窄に原因があるのではないでしょうか。本来個人を支えるべきは大きな全体(祖先から繋がる長い時空)への所属意識であり、それは何気ない日常の中で見るもの触れるもの全てに宿っている長い時間と、先人の願いに思いを馳せるうちに自然に湧いてくる感謝。本質を見る広い視野はそこで磨かれてゆくと思います。

自然写真家は商業雑誌やテレビ画面に「絵」を有償提供する仕事人のことではなく、独自の活動を通じて得た独自の視点や観念を社会に発信し、ある「気付き」を人々の心に問うことが本当の使命だと思います。
私の私淑する野生動物写真家のK先生は、「金を稼ぐからプロ、ではないんだ」と言っておられました。私もその精神を常々自分なりに考え噛み締めてきました。食うための「撮り屋」にはなりたくないと思います。

また撮影で感じた大自然の息吹を己の感性と言葉で伝えるとき、その言葉は美しい国語でありたいと思います。
私たちの本来の自然観(=人生観)を心に呼び覚まし繊細な感覚を取り戻してゆくためには、外国語は妨げにしかなりますまい。古典を学び美しい和語を受け継ごう、先人の努力に自然な尊崇を持とうとする姿勢こそが、私たちに軸を与え、空疎なよどみを吹き払い、将来を永きにわたり明るくできる道と強く感じています。
目先の損得だけで現今の国際主義やグローバリズムの甘言に身を任せ、子供からの英語化を慫慂することは、日本の国柄を破壊して滅ぼすことであり、未来永劫取り返しのつかない愚行です。先祖にも子孫にも顔向けできません。

こうした価値観を持ち、私は今後も変わることなく、これまでの貴重な経験を糧としてさらに深く発展させていきたいと考えております。

当ブログも、ホームページも、今年を期にリニューアルしたいと考え、ただ今作業中です。
新年に間に合わず残念ですが、近いうちに完成させますので是非お越しください。

最後になりましたが、皆様の今年一年のますますのご健康とご活躍をお祈り申し上げます。

安田 聡

「戦後70年」私の総括と希望

■蒸し暑い北国の夏

お盆時期の北海道は毎年のように集中豪雨に見舞われる。今日も旭川で道路が川のようになっている様が報道されていた。
温かい南風が吹き込むとき上空に寒気が入ると竜巻や雷雨が起りやすい。いわゆる「大気が不安定な状態」だ。つい先日も札幌を含む石狩地方に竜巻注意報が出た。事なきを得て安堵したが、兎に角自然の威力はすさまじい。
山を裂き、海を褪(あ)せさせる力をこともなげに発揮する。

■メディア「夏の陣」の自爆ぶり

自然の猛威まではいかないがメディア報道の暴慢は目に余る。新聞の見出しはもちろん、昼間のラジオの局アナの台詞のひとつひとつ、毎時のNHKニュースは「反安倍、反原発、反安保法制」の色で染められている。
そして執拗な戦争関連の偏向した番組の連発。デモ隊が茶の間に土足で踏み込んでいるような不愉快さである。

安全保障法案の衆院可決川内(せんだい)原発の再稼動など、日本に必要なことが粛々と行なわれている。その動きに対して、国民を不安がらせるようなメディアの脅迫的報道が繰り返されている。
安倍はヒトラーだ独裁者だ、戦争法案が通れば徴兵制復活だ、原発は原爆と同じだなどと叫ぶ荒唐無稽なヒステリー集団のデモ光景をテレビは嬉々として映し出す。法案の意味も知らず空気に踊らされている哀れな姿である。
しかし彼らが熱狂的に騒げば騒ぐほど、その「イタさ」は鮮明になり国民の軽蔑を強めていくだけであろう。
70年の間、わが国を好き放題に弄んできたリベラル左翼思想の暴風も、ついに断末魔の様相を呈しているのか。

美瑛の夜明け

美瑛の夜明け

■「戦後70年」とはなんだったのか? <私の総括>

「昔の日本は愚かで野蛮な国でした。馬鹿な軍部が思い上がって侵略して世界に迷惑をかけました。でも戦争に負けたおかげで平和憲法ができて、恐ろしい軍隊がなくなって日本は平和な素晴らしい国になりました。」

「昔のことは外国に許して頂けるまで謝らなくてはなりませぬ。立派で偉い欧米や国連の言うことをよく聞いて、褒めて頂けるように振る舞うことが日本の生きるただ一つの道なのです」

これが戦後日本の基本姿勢であった。この萎びた負け犬根性とウソの歴史を日教組の教員やNHK・朝日新聞などのメディアが国民の脳に刷り込んできた。その成果が今の日本のていたらくである。
戦時慰安婦や南京陥落の実際について正しい史実を主張せず、悪意に満ちた虚偽の宣伝を野放しにしている。米国の軍事基地が国内にあっても平気顔で、しかも自らの軍備を持たないことを「誇りだ」などと詭弁を弄して、米国の植民地状態に甘んじている。北朝鮮拉致被害者を取り戻すこともできない。
自分たちが軍事力を持つと他国を侵略すると怯える異常な自己不信はいったい何なのか。

私にとってこの戦後70年とは、このように日本人を萎びた民族に作り替える自壊作業をひたすら繰り返してきた空しく哀しい歳月であると言わざるをえない。特に無垢な子供たちがうけた深刻な精神の傷は計り知れない。
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安倍改造内閣に思う 〜 日本と世界の現実について

■ 留任した閣僚ポストが示す安倍政権の強い願い

第二次安倍内閣が発足して2年弱、初めての内閣改造が行なわれた。2年後の任期満了まで貫く強い意志を改めて示した改造であることは重要な閣僚を留任させていることで明らかだ。

特に麻生財相、岸田外相、下村文科相の三人と、菅官房長官の留任は意義が大きい。
国力(財政)を充実し、欧米に偏屈しない広域外交で安全保障を強化し、日本人としての健全な精神生活を取り戻す。そして全体としての「日本を取り戻す」そんな願いを体現していると思う。

■ 安倍政権に抱く焦燥感 〜 「本心はどこにあるの?」

もちろん安倍政権の政策の中にはかなり問題があると思うことも確かだ。
首相が最重要と公言する経済政策においては、明らかに景気回復の妨げとなる8%増税を強行、さらに来年は10%にしたいと言う。法人税の軽減は大企業の利益に資するが、その実益は外国人株主に回るだけで、一番必要な日本の中小企業には回って来ないだろう。

また女性の社会進出が足りないなどと社民党みたいなことを言うのも首を傾げざるをえない。
配偶者控除の廃止、女性管理職の義務化などの政策を打ち出しているが、いったい何をしたいのか。もちろん有能な女性を登用することが望ましいことに異論はないが、だからといって女性一般を対象にした税制変更や企業への義務化などは行き過ぎであり有害であろう。
それに男性ではもう社会はよくならないと勝手に決めつけているようにも聞こえるではないか。

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TPP楽観論に横たわる無責任と臆病風

101007-D1-208

何の結論も出さずにいた野田首相が ようやく何か意思表明すると思ったら「TPPに参加する」だそうな。
実現すればわが国はまた一歩大きく損なわれることになろう。


TPPはこれまでの経済協定の概念とは質を異にする。
自由化の対象業種は24もあり社会の隅々まで外国の参入を招くだろう。
それは取り返しのつかない大きな社会構造の変化を意味する。
新たな変質を迫られる我々はさらなる苦しみに投げ込まれるわけだ。
国はやみくもに開けばよいというものではない。

【食料自給力は国防力だ】

TPPの基本は関税の完全即時撤廃だ。
日本の農業が安い外国農産物流入により大打撃を受けることは誰もが認めている。
そのうえでメディア報道は日本の農業のためにもいいことだという。
競争することで「鍛えられて」農業が強くなるというのである。

理屈の筋は分かる。だがはっきり言って無責任の極みだと私は思う。
どこの世界に自国の食料生産を外国と競わせて強化しようなどと思う国があるか。

農業を経済効率論で捉えてしまう人にはよく考えて欲しいと思う。
国の生命線は、外国貿易に依存しないところで確保するのが当たり前だ。
農業VS工業という報道の仕方は間違っているし、国防上も大変危険である。

【人の流入は取り返しがつかない】

TPPの特徴は(農業を含む)24もの対象業界があることだ。
冒頭に述べたように、年金や医療・医薬、保険、各種サービス、建設といったインフラ、
公共基礎的分野まで外国企業との競争に曝される。外国人労働者も大量に入ってくる。

その一方で、日本から外国に進出して利益になるような要素はあるかといえば
他の参加国は日本よりも著しく経済規模も小さく、ほとんどメリットはない。
(他国はシンガポール、チリ、ブルネイ、ニュージーランド)
唯一比較可能な大国アメリカには、当然日本有利の話は期待できない。

つまり日本は外国から一方的に入り込まれるだけで、その逆はない。
かけがえのない伝統の社会システムを失い呆然と立ち尽くすのみだ。
先人の血涙で守って来た日本社会の土台が、お子様リベラル政権の
性急で無責任な選択によって「ぶち壊され」ようとしている。

【製造業の輸出は伸びない】

現下の輸出不振の原因は「円高」にあり、TPPの関税撤廃はほとんど無意味だ。
逆にアメリカや他の参加国からの安物流入で国内産業は無惨に淘汰されよう。
内需は低迷しデフレは悪化、失業は増え景気はさらに落ちるだけである。

TPPで日米が対等な相互利益関係を築くなど空論中の空論である。
国際社会の力関係の現実と歴史的事実に照らしてありえないことだ。
推進論者には、TPPであらゆる防御をはぎ取られた日本の社会が
米国他に容赦なく荒らされて変形していく姿を見ようとしていない。

その意味でTPPは論理の経済問題ではなく心理の政治問題だ。
第三の開国など冗談にもならぬ。黒船・大東亜戦争に続く第三の敗北でしかない。
よく聞かれる「今に始まったことじゃないし仕様がないじゃん」式の諦観は
もう通用しない。

なぜ野田首相は11月APECまでのTPP参加表明を急ぐのか。
10月28日付の毎日新聞によれば、公式文書に出た政府の本音は
「その時期がオバマ政権に一番喜ばれるから」だそうだ。
国家存亡を左右する決断をアメリカのご機嫌取りとしか感じていないのか。
そんな○○で◎○×な政府は○○△してしまえと叫びたくなる。

【臆病風になびく日本のリーダーたち】

ネット配信の「日経ビジネス」の見出しに毎日のように並ぶ論調がある。

「合理的に考えてTPPには参加するしかない」
「国際的な枠組みに乗り遅れるな」
「参加しないと韓国に差をつけられてしまう」

これが日本をリードする経済界の意向なのだから情けない。
日本は外国に合わせて生きてさえいればよいという萎んだ発想にうんざりする。
自立して我が道を確立する気概はどこにもない。これを称して臆病者という。
長いものに巻かれるにしても、その長さの検証もろくにしないで
枝葉の理由をつけてテキトーに決めようとする。称して怠け者という。


江戸期のように自主的に貿易をコントロールする気構えを思い出そう。
自由貿易は絶対の正義ではないし、保護貿易も時には大事だ。
状況に応じて主体的な判断で選択するべきなのだ。

そもそもTPPは苦境のオバマ政権が企むひとつの経済戦略で
これを世界標準などと誤認してすがりつくなど愚劣の骨頂でしかない。
初めから参加を前提で議論している時点で「戦わずして既に負けている」のだ。
こんな卑屈な政治屋・経済屋を私たちは如何にしても排除していかねばなるまい。


自らの意志を捨てて他者(平和を愛する諸国民)に依存した奴隷的生き方。
占領憲法(現憲法)に謳われるこの精神が生んだ数々の弊害が今露呈しておりTPPの扱い方にもそれが現れている。

将来に向けてこれ以上の恥を積み重ねるのは堪え難いことである。
目覚めよ日本国民! 自立せよ日本!

(写真:ミソサザイ)

「北方領土の日」に寄せて

091025-D-282

2月7日は「北方領土の日」ということで、10年以上も前にNHKで放送された
「北方四島の自然」という番組のビデオを引っ張りだして見た。


四島の中でも、国後島の爺々岳山麓、原始の森の美しさが素晴らしい。
80%を針葉樹が占める針広混交林に、北海道では絶滅あるいは稀少に
なってしまった動物や植物が豊富に生息している。

特にシマフクロウ、ヒグマ、クマゲラなどの多さには驚かされる。
道内ではもう見られないグイマツもある。

ロシアのサハリンテレビの撮影で作られた、当時の貴重な映像を眺めながら
今もこの豊かな自然が変わらずに残されていることを願わずにはいられない。

**
北方四島には江戸時代以前からの日本人の生活史があることを思うと
改めて「何としても取り戻さなければ」との思いが込み上げてくる。
敗戦時のどさくさに不法占拠されたまま、何もできないとは情けない。

なぜ2月7日が「北方領土の日」に制定されたかというと、
幕末の1855年(ペリー来航の2年後)のこの日(旧暦12月21日)
日魯通好条約が結ばれて、北方四島が日本領として確定されたことによる。

これ以後、両国の国境は何度も変わったけれども、四島は一貫して日本領土
だった。

**
ロシアは今、国内状況はボロボロらしい。貧富の差は限界に達し人心は荒廃、産業も財政も軍事も破綻寸前の危機的状態だという。
これまでも日本の経済援助、資源開発援助を求める手段として領土返還をエサにちらつかせてきたが、今後はますます顕著になるだろうという。

まったく残念だが外交センスも国益意識もない今の政権ではそんな死に体のロシアにすら利用されるだけだろう。
だがいずれまともな日本政府ができた暁には、冷静な戦略をもって平和的な形で領土を取り戻す交渉ができると思う。

傲慢なロシアに臆せず、友好の嘘でごまかしたり裏取引で妥協したりせず
きっちりと獲るべき実を獲る、強い交渉が。
そんな日がくることを信じている。

それまで元島民の方がひとりでも多く長生きして下さることを切に願う。

(写真:国後島の夜明け)

目覚めよ日本男児!

Moon-rose-Karikachi

早いもので師走である。
平成22年はみなさんにとってどんな年だったろうか。
私にとって、今年ほど心穏やかならざる年も珍しかった。

寝惚けた民主党政府が改めて教えてくれたことがある。
私たちの国は戦後ずっと世界のシビアな現実から目を背けてきたということだ。

1945年の敗戦後、日本人は一体となり焼け跡から驚異的な復興を遂げた。
70年代にはGDPで世界第二位の経済大国、裕福な国となった。
だが米ソ冷戦の最中にあって日本の高度成長が可能だったのは
国防をアメリカに依存して軍事費を経済復興に回せたことが大きかった。

そして今はどうか。日本は自力では国防もままならない非力な半独立国家のままだ。
頼みの綱だった経済力もその地位を失いつつある。
平和とは国際的バランス上に成り立つ微妙なもので、今後も続くとは限らないのだが、私たちはこの異常な状況に慣れきって国防についての思考回路を失っている。

そんな戦後日本人の平和惚けの象徴が「日本国憲法」前文だろう。
そこにはこう書かれている。

「日本国民は・・(中略)・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」
「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」

日本人は自分たちの安全と生存を外国に委ねると明記しているのだ。
そして、平和を維持しようと努めているのは国際社会だという。
なんと現実離れした甘い認識だろうか。

今も昔も国際社会はシビアな弱肉強食の世界であり、自立の気概なき国の存続は危うい。
諸国民は決して公正ではないし、まして弱小国の面倒など見てはくれぬ。
日本が65年間平和でいられたのも、その経済力を利用するアメリカの都合によるものだ。


今、中国は核ミサイルを数百発持ち日本の主要都市に照準を合わせている。
尖閣の漁船衝突事件は小手調べで、来年の夏には本格上陸が計画されているらしい。
中国共産党の本当の狙いは沖縄である。領土を奪われる危機に日本人は鈍感すぎる。


そして何よりも北朝鮮にいる拉致被害者をいまだに取り返せずにいる。
政治とは国家の領土領海を守り、国民の生命と財産、安全を守るものである。
その意味で日本には65年間「政治といえるものはなかった」といってもよい。

戦後日本の繁栄は、シビアな国際社会を経済力で乗り切ろうとしたものだった。
だが、金で国は守れないことは歴史が証明している。
現にチベット、ウイグルは中国の軍事侵略を受けて悲惨な目にあっている。
同様に軍事力で来られたら、日本は戦えるのか。
国を守る意識の薄い今の日本は、あらゆる場面で外国人の干渉に対し無防備である。

何より大事なはずの国籍が軽んぜられ、簡単に取得できるようになった。
さらには、国を乗っ取られる危険がある外国人参政権までホイホイ与えようとする。
そして今はテレビマスコミがパチンコなどの外国勢力に握られ、彼らに都合の良い番組が作られる。
事態は本当に深刻なのだ。国民の生存本能が鈍っているのである。


街で見かける看板には「生活第一」「いのち大切に」「クリーンな政治」・・・
いつまでも、こんな空虚な言葉で騙されて思考をストップさせていてはいけない。
一般国民が性根を据えて「日本人による日本人のための社会」を本気で考えるときがきている。
日本男児よ、覚醒せよ。
「草食系」とか「癒し」などと甘ったるい日常に遊んでいる場合ではない。
今、危機意識を多くの人が共有していかなければ日本は沈没する。明るい未来はないのだ。

(写真:十勝平野に月昇る)

あからさまな侵略の意思に対して

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この度の尖閣諸島における中国漁船による領海侵犯事件の顛末について、皆様はどう感じておられるだろうか。

日本の領海内で犯罪を犯し拘束され、国内法に従い裁判を受けるべき船長がなぜか処分保留で釈放された。彼は政府チャーター機に乗り込む際、Vサインをして「また尖閣で漁をしたい」とうそぶいた。

中国の強迫におじけづいた日本の菅内閣は、一言も弁を戦わせずに敵前逃亡。武力行使どころか経済制裁すらされていないのに、早くも怯えて「ちびった」のだ。世界史上希有なお子ちゃま政府の目を背けたくなる哀れさだ。


我々は世界の嘲笑を浴びている。軽薄な政権交代ブームに乗せられた2009年衆院選の歴史的大失敗のツケを払うのは国民だ。政治に無関心で自分の生活しか眼中にない日本人の因果応報とはいえ泣けてくる。

テレビ朝日は報道ステーションで「取り返しのつかないことにならないうちに、日本は譲歩すべきだ」といった。

NHKニュースでは「中国国内で日本に抗議するデモ」ばかり報道して、日本各地の「日本人の怒り」を伝えない。

今や完全に北京政府の操り人形と化した、卑屈な日本のマスコミ。
こんな報道に接していると、中国の言い分にも理があるような錯覚に誘導される危険がある。
「尖閣諸島は日本の領土だというのに、なぜ中国はこんなにも強硬に干渉してくるのか。
ひょっとして何か我々の知らない正当な根拠があるのではないか?」そんな疑心暗鬼すら出てきそうだ。

これは尖閣諸島を「中国に配慮して」きちんと実効支配してこなかった自民党政府の弱腰と、歴史的経緯をマスコミや学校教育がきちんと国民に教えてこなかった怠慢に起因する、日本人の自信のなさの表れであろう。熱狂的なナショナリズムなど必要ない、本来淡々と事実を知ればわかるレベルの話なのに。

私自身は「尖閣諸島は日本の領土で中国が資源を狙っている」という認識だったが、今回新たに知ることが多々あった。

中でも、現在尖閣諸島は私有地であることは知らなかった。かつて石原慎太郎氏が国会議員時代、防衛のため買収を申し入れたが丁重に断られたという経緯がある。昔からしっかりと日本の法律が及んできたことがわかる。

そして歴史的経緯について。
日本が尖閣諸島を領有する宣言をしたのは明治18(1876)年で、当時シナ(清王朝)の支配は及んでおらず、その後の中華民国も日本領と認めていた。
例えば、難破した福建省の漁船の乗組員が尖閣の日本住民に助けられる事件があり、中華民国は日本政府に感謝状を出している。尖閣には戦前まで日本人が多く住み、缶詰工場もあった。
今は誰も住んでいないが、戦前は覇気のある多くの日本人が夢を持って海外雄飛した時代だったことを考えれば、離島とはいえ漁業資源の豊かな島に人々の生活が営まれていたことは驚くに値しないだろう。

そして大東亜戦争後アメリカ占領下にあった南西諸島が、昭和27年のサンフランシスコ講和条約により日本に返されたとき、尖閣諸島もその中に含まれていた。中華人民共和国政府は異議を唱えず、昭和30年代の中国の地図にも尖閣は日本の領土として記載されていたのである。誰も尖閣諸島が中国領だなどと言うものはいなかった。

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中国が領有権を突然言い出したのは、1969年に国連アジア委員会がこの地域にエネルギー資源埋蔵の可能性を明らかにしてからで、72年の沖縄返還でこの地域からアメリカの影響力が減ったことも彼らにとって好機だったといわれる。

こうした歴史をみても尖閣諸島は疑問の余地なく我が国の領土であり、日本人は自信を持ってよいのだ。どんなに強硬でも中国側の言い分には一分の理すらないと我々は堂々と言うべきだろう。石原慎太郎氏は「中国は暴力団と同じ」と言った。シナ大陸の国は聖徳太子の昔以来、我々日本人とは常識を異にする文明であり、付き合うには慎重な工夫と警戒が必要な隣国であることは間違いない。

今日29日、仙谷官房長官は「中国がこんなに強硬に出るとは思わなかった、自分たちが甘かった」とのたまった(何を今更!)・・・彼はきっと、あの能天気な日本国憲法前文を無条件に信奉してきたのだろう。

「平和を愛する諸国民の信義と公正に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と。

だが中国共産党には信義もないし公正もない(北朝鮮にもない)。
愚かでおめでたい平和幻想に遊ぶ政治家は、一刻も早く国政の場から去ってもらいたいと強く思う。普天間問題しかり、平和ボケ民主党政権のもとで、我が国は日一日と国際的な信用と尊敬を失い続けているのだ。

民主党政権が終わったら、そのあとが大事だ。戦後65年で失った日本人の自立心と道徳、誇りを取り戻そう、その志を持つ政治家と政府を育てることができるのは、私たち国民だけである。同時にそれは歴史あるこの国に生まれた者としての義務でもあろう。

(写真:石狩川と層雲峡の秋)