慶賀 八十一歳をお迎えあそばした 陛下

買い物に行けば店はクリスマス色。レジの女性はサンタ帽をかぶりBGMはジングルベル。
ラジオもテレビも話題は明日24日のことばかり(キリスト教徒でもないだろうに)。

クリスマスに大騒ぎしてはしゃぐ奇妙な習慣も、儲けたい商売システムとして割り切れば我慢できる。イベント依存症の現代日本に於いてハロウィンだろうがXマスだろうがみんな同じ「商戦」に過ぎず、西洋の習慣を安っぽく真似ることの無意味さに誰も疑問も持っていない。

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では本日23日はどうなのかといえば、軽薄な商売Xマスとは全然意味が違う。
そもそも天皇陛下のお誕生日こそ我ら日本人にとっての「クリスマス」のはずではないか。

にもかかわらず自分の国の一番大切な日を放ったらかしにして(休みだけは享受しておいて)遥か遠い西洋のキリスト祭に日本中が浮かれているなど、まったく沙汰の限りだ。


日本の国民でありながら日の丸を祝日に掲げる習慣を廃れさせてしまったのはなぜか。
テレビやラジオの、陛下や皇室に対する言葉遣いが一般人とほとんど同じになっているのはなぜだ。
政府は陛下のお誕生日をお祝いする式典行事など頭の片隅にも浮かばないようだ。

いったい日本人とは何なのか。吾は日本人であると胸を張っていえるか?__否!
たとえパスポートに国籍:Japaneseと書いてあっても、国史にも祖先の功績にも国旗にも祝日にも無関心。これはもう中身は日本人とは別のものといってよいだろうと思う。
つまりこれを「戦後日本人」と呼ぶのである。本当の日本人とはまるで別物だ。
敗戦占領で引っ被った借り着を、長年の惰性で今も着続けている。虚ろな偽ものだ。

「戦後日本人」は皇室のみならず自国の歴史を全然知らないまま「現在だけ」の生活を送っている。己の属する民族の伝統や文化慣習に無知で冷淡で、西洋白人の文化には相変わらず垂涎の目で飛びつき有り難がる。「精神の奴隷状態」が習慣となったのが「戦後日本人」。

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車で走ってみても、近所に国旗を揚げている家はまったく見当たらない。
(共産党の「原発反対」「海外で戦争をする国にさせるな」などというポスターばかり)

せめて我が家だけでも、と国旗を掲出して神棚に新しいお供えものをして篤く敬う。
今上陛下のご長寿を心の中でお慶び申し上げつつ、いつかわが国が「恥ずべき奴隷状態」を認識して借り着を脱ぎ捨てて、健全でしっかりした本来の日本に戻ることをひたすら祈念する思いで過ごした、静かな今年の12月23日であった。

 

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