この度の尖閣諸島における中国漁船による領海侵犯事件の顛末について、皆様はどう感じておられるだろうか。
日本の領海内で犯罪を犯し拘束され、国内法に従い裁判を受けるべき船長がなぜか処分保留で釈放された。彼は政府チャーター機に乗り込む際、Vサインをして「また尖閣で漁をしたい」とうそぶいた。
中国の強迫におじけづいた日本の菅内閣は、一言も弁を戦わせずに敵前逃亡。武力行使どころか経済制裁すらされていないのに、早くも怯えて「ちびった」のだ。世界史上希有なお子ちゃま政府の目を背けたくなる哀れさだ。
*
我々は世界の嘲笑を浴びている。軽薄な政権交代ブームに乗せられた2009年衆院選の歴史的大失敗のツケを払うのは国民だ。政治に無関心で自分の生活しか眼中にない日本人の因果応報とはいえ泣けてくる。
テレビ朝日は報道ステーションで「取り返しのつかないことにならないうちに、日本は譲歩すべきだ」といった。
NHKニュースでは「中国国内で日本に抗議するデモ」ばかり報道して、日本各地の「日本人の怒り」を伝えない。
今や完全に北京政府の操り人形と化した、卑屈な日本のマスコミ。
こんな報道に接していると、中国の言い分にも理があるような錯覚に誘導される危険がある。
「尖閣諸島は日本の領土だというのに、なぜ中国はこんなにも強硬に干渉してくるのか。
ひょっとして何か我々の知らない正当な根拠があるのではないか?」そんな疑心暗鬼すら出てきそうだ。
これは尖閣諸島を「中国に配慮して」きちんと実効支配してこなかった自民党政府の弱腰と、歴史的経緯をマスコミや学校教育がきちんと国民に教えてこなかった怠慢に起因する、日本人の自信のなさの表れであろう。熱狂的なナショナリズムなど必要ない、本来淡々と事実を知ればわかるレベルの話なのに。
私自身は「尖閣諸島は日本の領土で中国が資源を狙っている」という認識だったが、今回新たに知ることが多々あった。
中でも、現在尖閣諸島は私有地であることは知らなかった。かつて石原慎太郎氏が国会議員時代、防衛のため買収を申し入れたが丁重に断られたという経緯がある。昔からしっかりと日本の法律が及んできたことがわかる。
そして歴史的経緯について。
日本が尖閣諸島を領有する宣言をしたのは明治18(1876)年で、当時シナ(清王朝)の支配は及んでおらず、その後の中華民国も日本領と認めていた。
例えば、難破した福建省の漁船の乗組員が尖閣の日本住民に助けられる事件があり、中華民国は日本政府に感謝状を出している。尖閣には戦前まで日本人が多く住み、缶詰工場もあった。
今は誰も住んでいないが、戦前は覇気のある多くの日本人が夢を持って海外雄飛した時代だったことを考えれば、離島とはいえ漁業資源の豊かな島に人々の生活が営まれていたことは驚くに値しないだろう。
そして大東亜戦争後アメリカ占領下にあった南西諸島が、昭和27年のサンフランシスコ講和条約により日本に返されたとき、尖閣諸島もその中に含まれていた。中華人民共和国政府は異議を唱えず、昭和30年代の中国の地図にも尖閣は日本の領土として記載されていたのである。誰も尖閣諸島が中国領だなどと言うものはいなかった。
**
中国が領有権を突然言い出したのは、1969年に国連アジア委員会がこの地域にエネルギー資源埋蔵の可能性を明らかにしてからで、72年の沖縄返還でこの地域からアメリカの影響力が減ったことも彼らにとって好機だったといわれる。
こうした歴史をみても尖閣諸島は疑問の余地なく我が国の領土であり、日本人は自信を持ってよいのだ。どんなに強硬でも中国側の言い分には一分の理すらないと我々は堂々と言うべきだろう。石原慎太郎氏は「中国は暴力団と同じ」と言った。シナ大陸の国は聖徳太子の昔以来、我々日本人とは常識を異にする文明であり、付き合うには慎重な工夫と警戒が必要な隣国であることは間違いない。
今日29日、仙谷官房長官は「中国がこんなに強硬に出るとは思わなかった、自分たちが甘かった」とのたまった(何を今更!)・・・彼はきっと、あの能天気な日本国憲法前文を無条件に信奉してきたのだろう。
「平和を愛する諸国民の信義と公正に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と。
だが中国共産党には信義もないし公正もない(北朝鮮にもない)。
愚かでおめでたい平和幻想に遊ぶ政治家は、一刻も早く国政の場から去ってもらいたいと強く思う。普天間問題しかり、平和ボケ民主党政権のもとで、我が国は日一日と国際的な信用と尊敬を失い続けているのだ。
民主党政権が終わったら、そのあとが大事だ。戦後65年で失った日本人の自立心と道徳、誇りを取り戻そう、その志を持つ政治家と政府を育てることができるのは、私たち国民だけである。同時にそれは歴史あるこの国に生まれた者としての義務でもあろう。
(写真:石狩川と層雲峡の秋)