強い衝撃を受けた。JR北海道社長・中島氏が書き置きを残して失踪というニュース。
8年前に私がJRを退職したとき氏は常務取締役で、笑顔の優しい温和な方だった。
直接の上司になったことはないが皆から慕われていた印象がある。
社長になられたのはごく自然なことだと思ったものだ。
それが今日の知らせに耳を疑った。
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JR北海道が直面した今年の事故は確かに耳目を集めるものが多かった。
石勝線トンネル内の列車火災や信号機の故障、列車の部品脱落などで
監督省庁からの指導も多数に及んだと聞く。
新聞やメディアは例によって「過労による」「心労がたたって」という。
おそらくそれは正しいし、それ以外にはないだろう。
「温厚で責任感の強い人だったから」という。
それも間違いない。
だがこれらは無意味な説明である。問題の本質はほかにある。
私は今回の中島社長の行動を通じて企業経営者が置かれている立場の危うさ、重圧を改めて思わざるをえない。それは常に不特定多数の「敵対的な視線」に曝されている誰をも頼れない孤独と救いのない残酷な立場なのだと思う。
仕事だからという一言では済まされない常軌を逸した重圧を生む主因は
私はメディアによる一方的で執拗な企業叩きの報道姿勢にあると思う。
それが誠実な経営者ほど道義的に苦しむ状況を演出している気がしてならない。
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先のJR西日本の運転士の居眠りによる脱線事故は悲惨な結果をもたらした。
事故で命を落とした人々の無念、関係者の胸の内は計り知れない。言葉も無い。
だがその思いを勝手に代弁するかのように正義面でJR西の経営陣をはげしく非難するテレビ出演者を見て、私は心の底から嫌悪を覚えた。
「あんたら、何様のつもりだ」と。
鬱憤ばらしさながらに、立場上反抗できない者をいじめて楽しむごとき報道姿勢、あくまで形式上の責任者を道義的に断罪する無軌道さは見るに耐えない醜悪さで知性の欠如そのものであった。
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あえて言えば、事故はもう起こってしまったものだ。
100%防ぐことができたはずだとは誰もいえない。起きてしまった事実は返らない。
居眠りしたのは過酷な勤務のせいだというが他の運転士も同じ条件で働いている。
これこそが原因だ、などと言い切れるはずがなく、日常の何でもが事故の原因になりうる。
その意味で事故は運命という一面をもつ。人間の努力と注意の及ばない領域があるのだ。
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JR西日本には社会的な重大責任がある。誠心誠意の補償と謝罪をするしかない。
だが誰もが同じように突然の事故で世を去る可能性はあって、この世に生きている限り我々はみな運命に対して同じところにいる。
JR経営陣は神ではない。事故に道義的責任を負うほどの全知全能の存在ではない。
それでも誰かを悪人に仕立て上げて、みんなで袋だたきにして正義面しようとする、ヒステリックで幼稚なその姿を見て哀しくなった人は実は多いのではないか。
マスコミの興味本位・面白主義は関係者のやり場のない悲しみと怒りを冒涜するものだ。
「どうしてそっとしておいてやらないのか。本当に悼む気持ちがあるなら」
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JR北海道の中島社長が、どうか思い直されて皆の元へ帰ってこられることを心から願う。
かつて貴方を知りお世話になった一人として、どうか強い心で戻ってこられますようにと願う。
私には祈ることしかできない。
(photo: JR時代に車掌勤務中の小生)