原野のただ中に車を乗り入れる。
車内からじっと何時間も、鳥が現れるのを待っているうち
ふと何か不思議な気持ちになってくる。
「どうして自分はこんなところに一人でいるのだろう?」
もちろん写真を撮るためだが、
その目的について考え込んでしまうのだ。
「写真を撮って、何になるのだろう」と。
いったい幾万回
この素朴な疑問を自問し続けてきたことだろうか。
貴重な人生の時間を費やし
数多くのものを引き換えにして
得られるかどうかすら不確かな
作品という曖昧なるものを求めていくことに
耐えがたい不安に襲われる
そんな自分の弱さを痛烈に自覚して
独り悶絶する。
**
写真家とは、その存在意義はなんだろう?
自分は猟師ではないから
餌をまいたり仕掛けを作って
動物や鳥を呼び寄せることはしない。
シャッターチャンスは大宇宙の運行にまかせている
僕の撮影は効率悪いことこの上ない。
しかし、効率を求めて不自然な行為に走ったら
自然写真家を名乗る資格はないという思いがある。
なぜなら、自然とはそもそも非効率、非合理なものだから。
人間社会の都合でそれを捻じ曲げて撮った写真は
たとえ見るものがそれと気付かなくても
撮った本人は知っている。
それが精妙に作られたまがい物だということを。
僕はそんな色に染まることを断じて自分に許さない。
いかに効率よく決められた絵をカメラに収めるかという
「撮り屋」さんになってはならないと戒める。
**
「この一枚に込める思い」がその作品の価値だと思う。
その一枚の撮影に至るまでの、心の営みの重さが。
肉体的努力が報われない日々への絶望や
たった一度の人生の時間を費やしていく不安
その中でたったひとつだけ
続けていくこと、信じていくことの尊さを
ひたすらに 孤独のうちに噛みしめていく
そこに人格の成長があり
その結晶としての
味のある作品というものが生まれる。
僕はそう信じている。
現代的効率主義とは真反対にあるのが写真家。
みずから非効率・非合理な人間として不器用に生きぬいて
人間の宿命を見極めんとする存在として世にあるべきだ。
写真家よ
生涯 哲学者たれ!
思想家たれ!
それが汝の存在意義なり、と
(写真:根室 春国岱夕景)
コメントありがとうございます。
随分遅くなってからの応答でごめんなさい。
タマチャンの心のこもった言葉が嬉しいです。
誰しも心は傷つきやすいもの、時には落ち込みますよね。僕も同じです。
「あーもう駄目!・・(でも何とかなるさ)」
『走り疲れたらお休み、歩き疲れたらお休み
やがて休みつかれたなら どうせまた走りたくなるさ・・(さだまさし「立ち止った素描画」)』
清水の山内君、本当に久しぶりです。
己が為すべきことを為す、そうですね。
いつも真面目に努力する君の姿を思い出します。
そうそう、ひとつ約束覚えてますか?
いつか赤石岳に登りましょうね!
先日知床の番組を見て、「安田君 元気にしてるかな」と思いホームページを開いてみました。
写真家の道は厳しいですね。悩みは尽きないでしょうが、「今ある環境の下、己が為すべき事を為す」のが大事だと思います。
安田君の、ひいては日本人の世界観(精神)を映し出すような作品を生み出すべく奮闘努力されることを期待しています。
そのためには、家庭円満がなによりです。
(10/3/9 16:58)
今晩は!ヤッサンのブログをいつも楽しみに見ています。あなたと同じく、私も常に「一度の人生、このままでいいのか・・・」と自問自答しています。心が弱く、今の状況から逃げ出したいと思ってしまいます。
自分の信念を信じ、それに立ち向ってるヤッサンが羨ましいぐらいです。あなたの言葉にはいつも勇気づけられています。
(10/3/4 22:48)