クマを探した夏

100830-D-064

今年はあの尾根から探してみよう、あの沢に張ってみようなどと思いを巡らした夏の大雪山。
豈図らんや、誰もが驚くとんでもない集中豪雨に見舞われて、道内各地で道路の崩壊や洪水だらけ。
入山にも危険が生じ、考えていた撮影計画はほとんど白紙に戻さざるを得なくなった。

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入山できる林道を探した結果、東大雪のユニ石狩沢で頑張ることにした。
この山域は水場が少なくテント泊の定着撮影には不向きなので、登山口で車中泊して峠まで毎朝登ることにした。

最初の2日間はクマの痕跡も気配もなく、汗だくのシャツやベストをハイマツの上で干したり、今まで見るだけで登らなかったユニ石狩岳の山頂に初めて上がったりした。

3日目、天気が怪しい。では一息入れようかと三国峠を越え十勝側に回り、音更沢林道の奥にある岩間温泉に向かう。
この無人の露天風呂も豪雨で壊れていて、地元の方々が修理をして下さっていた。お礼を言って入らせてもらい、先客のよく日焼けした若者と山の話に花が咲く。

シュナイダーコースから一気に石狩岳に登り、勢いで音更山へ縦走し、さらに調子づいて十石峠まで踏破、さすが疲れてユニ石狩は省略、峠から降りてきたという。荷物もほとんどないとはいえ、おそるべき健脚である。なにしろ急勾配のシュナイダーコースを登りに使うチャレンジが素晴らしい。

若さをうらやましく思っていると耳よりの話が。「十石峠で会った登山者が、親子熊の写真を撮ったといって見せてくれましたヨ」。
登山道の途中で親子のクマ2頭が草を食べているところに通りかかったらしい。登山者はさぞたまげたろうが僕にとっては垂涎の話、なぜ今日出るのさ?と悔しがる。

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翌日行くと果して1,400m付近に大きなクマの糞が積まれていた。近くには小さな糞。確かに親子がここにきたのだ。ほど近いところに派手な掘り返し跡がいくつもあった。
そのあと3日間その周辺を見張りつづけたが、ついにこの親子グマには会えなかった。

きっと山の中を移動中に立ち寄っただけだったのだろう。この親子について考えるうちに僕の中にある思いが強くなった。
この親子グマは登山者が笛をふいても、声をかけても全然動じずに草を食べ続けたらしい。

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こうした場合、専門家や行政官は決まって「異常に人慣れしたクマ」とみなして危険性を周知する。
だが「クマは必ず人間を怖がって逃げるはず」という考えこそ、ステレオタイプな固定観念ではないか。

人間の性格が千差万別であるように、クマにも臆病な奴もいれば、物に動じない奴もいる。この親子も肝っ玉母子だったのだろう。あるいは逃げるにはもう遅いので平静を装っていた。逃げたらやられる!と思ったのかも知れない。

つまり「異常」とする基準自体が曖昧だ。クマも人も生き物であり、心理というものが存在する以上、一括りにはできまい。
それはペットを飼っている人ならすぐ分かることだ。
「人を見て逃げない=異常で危険」というのは、事故リスク軽減のための行政サイドの管理手法なのだろうが、よく考えると、ことさらに危険を強調して人の恐怖感を煽ることは却って予期せぬ危険を招きかねない。恐怖から慌てて走って逃げたり大声で叫んだりして不必要な刺激をクマに与えてしまうのではないか。

このようなSafety Firstの行き過ぎは、小事にすら怯える臆病心を蔓延させるもので、怯えた心はものごとの本質を見えなくさせ、いろいろな判断を誤る元凶となる。
クマは人と同じく複雑多様な心理の持ち主であり、一義的な推定は慎むべきと思う。

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ところで僕はヒグマの撮影のために毎年知床半島へ出かけていたが、最近は知床への気持ちが薄れている。
実をいうと知床でのヒグマ撮影はいわゆる「専門家」や行政官との冷戦状態だった。

唯物的な自然科学の視点に縛られて、多様な自然の現実に生き物として虚心に向き合おうとしない彼らに、僕は苛立ちを覚えたものだ。

科学よりも内的な価値観と観察眼に生きるカメラマンは、彼らに素直に従わない邪魔な存在であったろう。もう彼らとの軋轢には関わりたくはない。

知床が世界遺産に登録されて4年、最近は人気低迷に苦しんでいるらしい。が、それも当然かという思いが正直ある。

「自然保護」「エコツアー」といった当世風の宣伝文句で演出した観光ブームは大自然を語るにはあまりに軽薄で、他の観光地と大差ない内容が皆に飽きられたのだろう。

そして残念ながら
いろいろ美辞を並べても結局は経済的価値のみに生きてしまっている現代人の心では、
知床の自然が内包している壮大で偉大なものを感受できないのではないかという気がしている。

なぜなら知床の自然の価値とは「カミ」あるいは「カムイ」によって語られるべき精神の価値だからだ。
目に見えぬ存在を当たり前に信じる心、唯物的な現代人にはそれが欠けている。致命的に。

(写真:十石峠~音更山の稜線と石狩岳)

クマを探した夏” に1件のフィードバックがあります

  1. 清水の山内

    先日終了したNHK朝ドラ{ゲゲゲの女房}では、「見えないけど居る」が下地のテーマになっていたように思います。それゆえ、夫婦の和、家族同士の繋がり、隣人や友人の間の信頼、職業に対する姿勢等を、日本人の心に響くように描けたのでしょう。原作が良ければ、マスコミの間違った価値観(恩を知り恩に報いること、を知らない)を撥ね退けることができるかもしれませんね。
    (10/9/30 23:01)

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