古い機材を使うこだわり

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「デジタルにあらずんばカメラにあらず」・・・
当世の写真事情はデジタル一色に染まっている。

でも僕は昔ながらのフィルムカメラが好きだ。

特にポジフィルムを光に透かした時の美しさ!
電気的なモニター映像と本質的に異なり
どこか生き物のような温かみが感じられる。

コストのかかる現像所の縮小移転、閉鎖。
フィルムの販売終了、カメラの製造終了・・・
厳しい状況だが経済活動の視点からは見えない価値が
フィルムカメラにはあると思う。
何とか滅ぼさないで欲しいと願うのみだ。

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ところで僕は結構古い機材を使っている。
35mmはニコンのフィルム最終モデルF6だが
中判は叔父から譲り受けた40年モノのホースマン985。
めっきり見なくなった6x9サイズである。
(デジタルは3世代くらい前のD200で、
こちらは最新のD700を指を咥えて見ているのが本音)

中古で買ったマニュアルの600mmレンズ
その表面の細かい傷を見ながら
いつも思うことがある。

「(これを使っていた)先輩たちに負けたくない」

便利な機能などなくても素晴らしい写真を撮った、
昔の写真家の先輩たちがいる。
オートフォーカス、手ぶれ防止、進化した測光精度・・
そうした科学の便利さに頼って
いつのまにか人間自身の能力は退化していく。
現代の甘やかされた僕たちはもはや
昔の人のレベルに達することはできないのだろう。
それでも「便利な世の中だからこれでいいのだ」と
腕を磨くことを怠る自分の言い訳はしたくない。

「科学なんかのせいで堕落してたまるか」

「昔の人に最初っから負けるなんて許せない」

馬鹿みたいに意地を張って
先人の使った古い機材を使う。

未熟な腕で、失敗の多い非効率的な撮影を
あえて続ける。

そこに前向きな意味を求めるとすれば
時代を超えて変わらぬ人生の価値について
自分に問いかける緊張感を与え続けること、だろうか。

つくづく不器用である。

(写真:韮崎の桜 /Horseman985 90mm/Fuji Realla ISO100)

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