日本人のこころ」カテゴリーアーカイブ

「宮本武蔵」について一言

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中学二年で初めて吉川英治「宮本武蔵」を通読して以来、わが座右の書である。
この吉川先生の作品がわが人生に与えたものは実に大きかったと思う。

本当に強いということは、どういうことなのか?
吉川「武蔵」はそれを一貫して突き詰めている。
これは果てしない精神修練の物語であり、厳しさを己に課すことの尊さを教える物語でもある。

武蔵の剣はひたすらなる厳しい人格的修練の上に築かれていった。
それは原作小説においても、宿敵佐々木小次郎との勝敗を分けることになった。
小次郎の天才的鋭利は、武蔵の全人格的重厚に敗れたのだ ―と 。
言葉で明記されずとも、武蔵と小次郎の人生描写を通じて、読者はごく自然にそれを感得する。
人生の価値は精神の修練にこそあると、我々は「武蔵」を通じて自然に悟らされる。 続きを読む

紀元節(建国記念の日)の一考

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今年も日本会議の建国記念奉祝式典に参加したのだが、小さな異変があった。
参加者が予想以上に多く、会場の椅子が足りなくなっていたのである。

去年までは後方の席はずいぶん空いていたはずだ。
この式典はその性格上「にわかブーム」とは無縁だから、
参加者は毎年ほぼ変わらないだろうと思っていたのだが
どうも様子が違う。中でも若い世代が増えているように見えた。

若い世代が日本の物語を知りたがっている――!
それは二日前に投開票された東京都知事選でも感じられたことだった。 続きを読む

「最後の日本軍人」小野田寛郎さん逝く

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16日の夕方、元陸軍少尉・小野田寛郎さんが逝去された。91歳。
小野田さんの生き方は、多くの人に感銘を与えずにはおかないだろう。
私もその一人である。

大東亜戦争の終結後もフィリピンのルバング島の山中に潜んで戦闘を続けて30年。
兵士としての責務を尽した小野田さんは、昭和49(1974)年祖国に帰還を果された。
高度経済成長下の日本は東京オリムピック、大阪万博の熱狂と「平和」を謳歌していた。オイルショックを経てようやく落ち着いた頃に、小野田さんは突如として、タイムスリップのように戦後日本人の前に現れたのだった。ボロボロの軍服で。

強靭な精神を宿した鋭い眼光。
凛と背筋を伸ばした直立姿勢。
TVや報道陣に囲まれながら立ち敬礼をする小野田さんの姿が、
気怠い平和に疲れ始めた日本人に与えた衝撃は、如何なるものだったろうか。
私はその頃小さな子供だったので、知る由もなかったが
今なら、あの時小野田さんという方の存在が日本社会に与えた衝撃の意味、変わり果てた日本社会に彼が受けた心の傷に思いを致すことができる気がする。
もちろん私の勝手な想像ではあるけれど。 続きを読む

年の瀬、感謝と安堵と少しだけ嘆息

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【 安倍首相の本気に感謝 】
12月26日で政権発足一年を迎えた安倍晋三首相が、靖国神社に電撃的参拝をされたと知り、
私はまず「ありがとうございます」と心の中でつぶやいた。
そして新聞各社の記事を見て、予想通りの反応に苦笑しながら、この一年のわが国の歩みに思いを馳せた。

今年は伊勢の式年遷宮が行なわれ、わが国も全体として大きな節目を迎えた。
「長年の垢を落し清浄な正気を取り戻す」
遷宮にあやかるように地道な取り組みが積み重ねられてきた一年だった。 続きを読む

まず「戦後日本」を清算するべきだ

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私が政治について意識して勉強し始めたのは、30才に近くなってからで
人よりも幾分遅いのかもしれない。
そんな私が分を越えてこうした話題を書くのは、
子供の頃から抱くある強い思いに発している。
『頼むからまともな大人に戻ってくれ、戦後日本人よ』とでも言うべき叫びである。 続きを読む

主権回復記念日によせて~その意味を考える

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占領が終わって日本が独立を回復した61年前の本日、4月28日。
現在のわが国を正しく認識し、今後の展開の方向を予見する人たちには、
静かに催された今日の式典の意義が分かっているだろう。

この安倍内閣が今までの政府(自民、民主問わず)と違う、かなりまともな政府だと
やや新鮮な驚きとともに、多くの人は好ましく感じていることと思うけれど、
今回の「主権回復」を記念するということに対する理解は、残念だが十分とは思われない。

あの7年弱の占領期間においてわが国がどのような状態にあったのか。
国家が主権を失う、或は回復するということの意味を考えたことがあるだろうか。
これほど重要な出来事に無関心なままで、その子孫は安寧に繁栄できるものだろうか? 続きを読む

「国史」なくして未来なし

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21日、春季例大祭を迎えた靖国の境内に、わが国の閣僚の参拝姿が見られた。
靖国神社のご祭神は、幕末明治以来、国のために戦い亡くなった方々である。
国のために殉じた方々に尊崇の念を示すのは、人として自然の感情だと思う。

靖国は軍国主義の象徴として忌避する声が一部にあるが
それは国史への誤解がもたらす、安易で浅はかな見方である。
たとえば「軍国主義」という言葉遣いひとつを見ても誤解されている。

軍国主義とは本来、軍の独裁的暴走や国民を犠牲にする狂気政治のことではなく、軍事力行使が重要な政策とされていた時代の政治体制の呼称に過ぎない。
戦前は、欧米列強はみんな軍国主義で、500年かけて世界を武力支配してきた。日本は自衛のために軍国体制を必要としたのであり、それ自体は当たり前のことだ。
オレは軍隊が嫌いだ、というセンチメンタルな個人感情とは区別されるべきことだが、戦後日本ではそれが深く混同されて、言葉がおかしくなっているのである。 続きを読む

日本再生元年としたい

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皆様お久しぶりです。
年末以来、公私において多々動きがありましたが
やっと落ち着いてきたので、再開の一筆を申し上げます。

民主党政権による二年半の「どん底日本」は一応終焉しました。

義勇奉公、救国の一心で政党「たちあがれ日本」に飛び込んだ私は、
「かけはし塾」を皮切りに、年末選挙戦では事務局の一員となり微力を尽しました。
戦時の兵士の心境はかくやあらん、熱意のみで戦う民兵なり、というところでした。

私のいた「たちあがれ日本」は「太陽の党」を経て「日本維新の会」に解消しましたが、政界再編はまだ緒についたばかりで、これから何が起るか予断を許しません。
しかし愛国心ある安倍晋三首相の誕生で、徳俵から中央へ押し戻した形となりました。
反日メディアや自民党内の旧体制派との戦いは油断はできませんが、
中央政府が一応しっかりしたことで、正直気持ちが楽になりました。
まずは心の整理をして、私も銃後の民間人に戻ろうと思います。 続きを読む

71年目の記念日

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昭和16年12月8日、オアフ島真珠湾の戦闘で幕を開けた日米戦争は、
同胞300万の犠牲を礎にして、15世紀以来500年に及ぶ白人植民地支配を根底から覆した。

「ジャップノ卑怯ナ奇襲攻撃ダ!」「ダマシ討チダ」「リメンバー、パールハーバー!」・・・
日本を憎み戦争に追い込んだ米国の立場は、これからも12月8日をこう言い伝えるはず。

そしてわが国の言論、マスコミや教育界も相変わらずである。
「なんと無謀な戦争をしたのか!」「愚かな!軍部の暴走!」「世界を知らなかった、井の中の蛙だった」・・・

祖先が命をかけて国を守ろうとした一大決断を「愚かな過ち」と貶めるだけで、
それ以外の評価は無視する。これは、自ら視野狭窄に閉じこもっているのである。
だから今の日本人は、むしろ戦前よりも世界を知らないのではないか。
自国に無知なまま海外で仕事をしても、真に世界を知ったことにはならない。
むしろ無闇に外国を崇めて日本を蔑む、自虐的な劣等意識に陥りがちではないか。 続きを読む

靖国神社を思う(八月十五日に寄せて2)

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今年もまた九段坂上のお社に首相の姿はなかった。
メディア報道は比較的平静で、お決まりの外国の干渉も大したことはない。
だが野田首相は竹島に血走った目を剥く韓国のご機嫌をとりたかったのか、
それとも、ほかの数多の行事や会食のほうが重要だったのか。

やれA級戦犯がどうのアジアの感情がどうのと、参拝しない言い訳ばかりで
「なぜ参拝するべきか」はすっ飛ばされて論じられない。
当たり前だからか?(ならば当たり前に参拝すればよいのに)

一度きちんと説明して参拝されよ、日本国民を信じなされ。
くだらない踏み絵の儀式も廃れて、8月15日は静かな祈りの日になるはずだ。

だがそうさせたくない連中がいて、常識をわざと混乱させようと画策してきた。
日本を断罪して外国におもねり養ってもらっている迷惑な人たちだ。 続きを読む