「国史」なくして未来なし

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21日、春季例大祭を迎えた靖国の境内に、わが国の閣僚の参拝姿が見られた。
靖国神社のご祭神は、幕末明治以来、国のために戦い亡くなった方々である。
国のために殉じた方々に尊崇の念を示すのは、人として自然の感情だと思う。

靖国は軍国主義の象徴として忌避する声が一部にあるが
それは国史への誤解がもたらす、安易で浅はかな見方である。
たとえば「軍国主義」という言葉遣いひとつを見ても誤解されている。

軍国主義とは本来、軍の独裁的暴走や国民を犠牲にする狂気政治のことではなく、軍事力行使が重要な政策とされていた時代の政治体制の呼称に過ぎない。
戦前は、欧米列強はみんな軍国主義で、500年かけて世界を武力支配してきた。日本は自衛のために軍国体制を必要としたのであり、それ自体は当たり前のことだ。
オレは軍隊が嫌いだ、というセンチメンタルな個人感情とは区別されるべきことだが、戦後日本ではそれが深く混同されて、言葉がおかしくなっているのである。

軍国主義が主流でなくなった今の世界も、少しも平和ではないことは明白だ。
世界史を大観すれば、コロンブス以来のこの500年はスペインやイギリスなど西欧諸国が世界中を植民地にして支配してきた歴史である。
その終りを告げたのが第二次世界大戦であり、日本の戦争は白人列強に対する自衛とアジア解放の文脈で語られるべきものであろう。

日本が退場したあとの世界は共産主義に席巻され、50年に渡り血の惨禍を経験した。
支那大陸、朝鮮半島、ベトナム、東ドイツなどの悲劇はまだ記憶に新しい。

1992年のソ連崩壊後はアメリカの金融支配が世界の覇権を握ってきたが、
リーマン破綻、ユーロ危機は、彼らの天下がもう限界であることを告げており、
イランやイスラム諸国、中国や印度が、白人支配構造に反抗を開始している。

日本人が惚けている間に、世界は100年前の混沌に還ろうとしているのだ。

わが国は1945年の敗戦と占領以来、実質的にアメリカの植民地と化してきた。
誇りも伝統も捨てて、近視眼的に日々の安逸を願うだけの閉じこもりに甘んじている。

「過去の戦争で迷惑をかけた」という誤解が重い足枷となり、臆病な無作為の60年以上の積み重ねが、国民の背骨をすっかり弱くした。
道行く子供達の、覇気のない歩き方や、うつろな目を見ればわかるだろう。
誰もが卑小な小金持に甘んじ、大きな道義や精神のありかたに背をむけてきた。
それが、今日私たちの社会の行き詰まりを招いている。

だが最近の中韓の度を超した言いがかりには、さすがに皆怒りを感じているだろう。
ある意味で、よい刺激剤である。目を覚ませということだ。
ふた言目には歴史を持ち出す彼らに「いいかげんにしろ」と反駁できないわけは、ひとえに我々が「国史」つまり自国への愛に立脚した歴史観を知らないことに尽きよう。

わが外務省の高級官僚たちは確かに頭は良いが、まさにその「国史」を知らないのだ。
だから日本人にとって困ることでも、外国人の歓心を買うことならばやってしまう。
これがいわゆる腰抜け外交、売国奴というものである。

しかし問題は外交だけではない。
「国史」への無関心は、私たち庶民の将来を確実に脅かしていることも見逃せない。
考えてみよう。
今の世代が、祖先の業績や栄光にまったく無関心で冷たいならば、その自分たちもまた、子孫から無用視されるであろうことは確実である。
それは何と恐ろしいことではないか。
今の日本人は、世代間の信頼感と一体感を見失っているように思う。

その例のひとつが、子の躾である。
親が「この子が大人になる頃にはもうこの考え方は不要なのだ」と思えば、躾は成り立たない。
だが子供は躾という「枠」がなければ、茫漠たる世界の中で自己を把握できず、やがて精神を病んでいくだろう。
そんな彼らが親になれば、必ずや我が子の躾において苦悩するだろう。
中には子育てを放棄する親も出てきている悲惨な現実がある。

また例えば、誰もが「若さ」を保ち続けようと無我夢中である。
歳をとることへの本能的な恐れ自体は理解できるが、
今の世のヒステリックなまでの若作りには不自然なものを感じる。

これまで伝統を軽んじ、進歩主義を安易に謳歌してきたバブル世代が、
いざ自分が古株となり「因果応報」の不安に駆り立てられているように見える。
この姿をみて若者は将来に果して希望が持てるだろうか。
漠然とした不安と人間不信、孤立感、厭世感が蔓延している。
この不自然の連鎖の本質を、多くの方に気づいてほしい。

畢竟「祖先は無条件に、まず感謝し、尊敬するもの」なのである。

先人の不手際や勘違いを、いちいち意地悪に掘り起こして
小賢しくとがめ立てるのは愚かなことである。

ましてあの苦難の時代に必死に生きた祖先たちの日々を、いとも簡単に
「狂った指導者と皇国史観で世界に迷惑をかけた」ことにして放り出し、
それにつけ込む外国の悪宣伝に自ら追従して恥じない無責任さ。

これらはすでに心の病というべきではないだろうか。
西洋製のカルテには決して書かれないだろうけれど。

ご先祖が草葉の陰でどんなに哀しんでいることだろう。

「国史」なくして未来なし」への2件のフィードバック

  1. やっさん 投稿作成者

    まさに「恩を仇で返す」ことになっていますね。ご先祖が守ろうとした日本の国柄、家族、社会道徳が戦後徹底的に否定され壊されてきました。自らの文明を軽んじ外国崇拝に耽っていたために、我々は今、正真正銘の亡国の瀬戸際に追い詰められていると思います。
    (13/6/22)

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  2. 清水の日本人

    外国の思惑通りに、国史すなわち日本の歴史を知らない人間に育てるこれまでの教育は、恩を仇で返すようなものですね。つまるところ、人の心を持たない人間にする教育をしていたということだと思います。
    (13/5/14 05:48)

    返信

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