年の瀬、感謝と安堵と少しだけ嘆息

090922-D-0258

【 安倍首相の本気に感謝 】
12月26日で政権発足一年を迎えた安倍晋三首相が、靖国神社に電撃的参拝をされたと知り、
私はまず「ありがとうございます」と心の中でつぶやいた。
そして新聞各社の記事を見て、予想通りの反応に苦笑しながら、この一年のわが国の歩みに思いを馳せた。

今年は伊勢の式年遷宮が行なわれ、わが国も全体として大きな節目を迎えた。
「長年の垢を落し清浄な正気を取り戻す」
遷宮にあやかるように地道な取り組みが積み重ねられてきた一年だった。

「アベノミクス」のもとで、経済は20年の長いデフレからの脱却傾向を示している。
頑強な官庁や財界との妥協の末の消費増税、微妙で奇怪なTPP交渉参加など、
依然として賛否両論、苦悩要素は山積みとはいえ、「座して衰滅を待つのみ」の
最悪の民主党政権時代を乗り切った我々が、前に歩き出したことは確かであろう。
東京五輪開催決定も、我々の気持ちを盛り立てる中期的道標になると期待したい。

【 見苦しき”反日” マスメディア 】
一方で日本マスメディアの醜さが派手に露呈した一年でもあった。
先の「特定秘密保護法」の成立過程の報道のひどさは記憶に新しい。

世論調査の圧倒的な「賛成」を無視して、朝日や毎日などの大手新聞やNHKは
「国民の知る権利が危機に瀕しています」「独裁者が国民を監視するための法案」と毎日のように御用学者に喋らせるなど、一方的で悪意に満ちた言葉を流して国民の不安を煽るデマゴーグぶりは目に余るものがあった。

猪瀬東京都知事を辞任に追い込んだ獰猛で下品な報道、JR北海道の不祥事に牙を剥く姿も、正義を気取ったマスコミによる集団イジメに見えた。

そのメディアについて、大いに喜ばしい出来事もあった。
NHKは自社制作の番組「ジャパンデビュー」について、不当な取材方法と事実の歪曲・捏造を行なったので、取材された台湾人と日本人の一万人を超す視聴者から名誉毀損で訴えられていた(それも報道されていないが)。

この「ジャパンデビュー裁判」は、一審を覆して二審判決はNHKの敗訴。番組取材の不当性が司法によって指摘された初のケースとなった。
「放送の暴力」に鉄槌を食らわせた、歴史的判決である(拍手)。

【 NHKに関する諸問題 】
維新の三宅博議員が国会総務委員会でNHKを厳しく追求したが、その内容が的をついていて痛快だった。

「職員の平均年収が1185万など公務員の三倍だ。常識では考えられない」
「中国との関係は?渋谷の本局内にCCTVが入っており求めに応じ映像を渡していると聞くが?(情報漏洩ではないのか)」
「痴漢、暴力、麻薬所持、盗撮、受信料の年金流用、株不正取引、公務執行妨害、死体遺棄・・犯罪のオンパレードだ。」
「二ヶ月に一回の頻度で犯罪者を出す組織とは一体どうなっているのか」
「外国人の国別雇用数すら把握していないのか、そんな杜撰な管理でいいのか』等など
→参照(三宅博議員<http://www.youtube.com/watch?v=TRpZhKZZ0Y0>)

実にこの組織がメディアの中心に存在すること自体が日本社会の異常さを表しているではないか。

減り続ける受信料収入を補うために、なんと今後はテレビ保有に関係なく全世帯からの受信料徴収を画策して、議員に根回ししていると聞いた。
受信料拒否が国民の抗議の声だとは露ほども感じていない。言語道断。

戦後NHKは、反日思想番組の数々をキラ星の如く世に送り出してきた。
中でも旧軍や戦前の日本に対する不当で悪質なイメージ操作、そして皇室に対する敬語の意図的省略は許し難い。
戦前の日本人を悪しきものと捉え、別物に作り替えるための洗脳作業を今も一生懸命に続けているわけだ。

NHKは解体して真の国民放送局を新たに作るべきであろう。

安倍首相の靖国参拝についての発言を読んだ。安倍さんらしい誠実さと慎重さが感じられ、誰の良識にも受け入れられると思った。

ただ一点だけ、溜め息が出た。「日本は、二度と戦争を起こさない」という一文だ。先の大東亜戦争のことを言っているのなら明かな事実誤認であり悲しいことだ。
あの世界大戦を起したのは英米、独であり、ソ連コミンテルンだった。
わが国は彼らに生命ギリギリまで追いつめられて立上がった側である。
その事情は開戦時を知る国民の記憶にちゃんとある。

現在の対米関係上の配慮ならば別な言い方があったろうに…これこそ本当の失言である(勿論メディアは何も言わないが)。私は悲しい。

「敗戦の反省」は確かにいくらでもある。日本軍の作戦は杜撰だったと思うし、必死な中で人間の醜い面も出たに違いない。戦争に限らず、人間社会とはそういうもので、善悪で語れるものではない。

だが「戦争を起した」のがあくまで白人世界の側であることは譲れない。
この認識を間違ったから全てが判らなくなってしまったのが戦後日本人ではないか。この間違いがどうしても理解できないのが戦後レジームという病気であり、そこからの脱却を唱える他ならぬ安倍首相までが、実は理解されていないのだろうか?

靖国の英霊も「おいおい安倍君、そりゃないだろう」と思われたのではないかと心配である。

もちろん安倍首相の真意がどこにあるのか私には知る由もない。
だが言葉ひとつで国民をはらはらさせたり、感激させたり怒らせたりして世の中全体の浮沈を左右するのだから政治家は本当に重い仕事である。
普通の人にはとても務まるモノではない。もちろん芸人やスポーツ選手にも…!

年の瀬、感謝と安堵と少しだけ嘆息」への2件のフィードバック

  1. やっさん 投稿作成者

    あの大戦争に敗れた瞬間に世界観をリセットされた私たち日本人は
    外国による占領を通じて、日本精神への信頼を放棄させられました。

    今なお日本を覆う、この底知れぬ退廃と無気力、自己中心的な享楽主義の正体とは
    敗戦後すぐに敵に擦り寄った己の卑怯ぶりに対する、後ろめたさではないでしょうか。
    英霊に対する人々の無関心は、自己認識の弱体化の現れだと思います。

    時は流れて戦争の記憶は風化していきます。それは実はありがたいことです。
    子供たちの世代はそんな敗戦後遺症と無縁ですから、日本を「わが国」と素直に呼べるでしょう。
    わが国(=自分と不可分なもの)が他者から不当な圧迫を受ければ、敢然と抵抗する強さを発揮できるでしょう。
    その土台作りのために、私たちには正しい歴史と祖先の心を伝えていく義務があるのだと思います。
    (14/1/13  21:09)

    返信
  2. 将矢

    「気に入らない相手を追い詰め先に手を出させて悪者にし、世論を操作して反感を煽り、揚句に皆殺しを企てる」こんな外国に日本はやられてしまったという側面がありますね。そんな奴らから日本を守るため命がけで戦ってくれた先輩(英霊)を侮辱するなんて、日本人の心を持つ人にはできないことです。慰霊の意味を理解しようとしない人は、詰まる所、自分の思考が自己中心の自己正当化に終始しているから、それと異なる日本精神が理解できないのでしょう。子供たちには、そんな卑怯な人間にならないで欲しいと願っています。
    (14/1/10 22:00)

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