靖国神社を思う(八月十五日に寄せて2)

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今年もまた九段坂上のお社に首相の姿はなかった。
メディア報道は比較的平静で、お決まりの外国の干渉も大したことはない。
だが野田首相は竹島に血走った目を剥く韓国のご機嫌をとりたかったのか、
それとも、ほかの数多の行事や会食のほうが重要だったのか。

やれA級戦犯がどうのアジアの感情がどうのと、参拝しない言い訳ばかりで
「なぜ参拝するべきか」はすっ飛ばされて論じられない。
当たり前だからか?(ならば当たり前に参拝すればよいのに)

一度きちんと説明して参拝されよ、日本国民を信じなされ。
くだらない踏み絵の儀式も廃れて、8月15日は静かな祈りの日になるはずだ。

だがそうさせたくない連中がいて、常識をわざと混乱させようと画策してきた。
日本を断罪して外国におもねり養ってもらっている迷惑な人たちだ。

(敗戦後遺症としての反日日本人)

勝者にすり寄り自国を悪者と断罪することで甘い汁を吸ってきた者たちがいる。
長年にわたる売国的な言動の報い、彼らは終生祖国日本を愛せない亡国の民となった。
この捩じれた姿は敗戦国の宿命か。ドイツも同じ苦しみを味わった。
A級戦犯とされて獄中で亡くなった東郷茂徳元外相の悲痛な歌が胸を衝く。

「いざ子等よ 戦うなかれ 戦わば勝つべきものぞ 夢な忘れそ」
(戦争はしない方がよい。だがするならば必ず勝て。負ければ言われなき罪を負わされるのだ)

(日本に「戦犯」はいない)

近年「悪の権化・A級戦犯が祀られているから首相参拝はまかりならぬ」という言い方がされる。

これも国民の無知につけ込み「A級戦犯」という言葉の悪印象を利用した虚偽宣伝である。
昭和28年の独立回復後ほどなく、第16特別国会において与野党全会一致で決議採択している。
「すべての戦犯は国内法では犯罪人ではない」と。

つまりサンフランシスコ講和条約調印で、占領中の東京裁判の判決は永久無効となった。
A級もBC級も関係ない。旧敵国に着せられた戦犯の汚名は返上され、
刑死された「昭和殉難者」の靖国合祀は国民の熱意のもとに成されたのだ。

しかし占領軍の企図を受け継いだままの学校教育は、この経緯と事実を子ども達に教えない。
真実を知る世代が他界し、今や戦犯は悪人だとの誤謬がまかり通っている。
私たち世代の無知に教育の怖さを痛感する。

(国に殉じた人を敬うのは世界常識である)

今は多くの日本人が「靖国は私には関係ない」と思っているのだろう。
それにつけ込み「いっそ面倒な靖国はもう廃止して、新たに国立追悼施設を作ろう」などと、わざと面倒なことにしてきた張本人たる連中が企んでいる。

国のために殉じた方々を慰霊する施設は世界共通の常識だ。
アメリカにはアーリントン墓地がある。7つの海を支配したイギリスは世界各地にある。

日本では明治大帝の命で誕生した靖国神社がその役を担っている。
もし靖国神社を「軍国主義の象徴だから」などといって自ら廃したなら、
世界中から、最大級の軽蔑を受けることは間違いない。
恥ずべき世代として子々孫々から恨まれるであろう。

(八月十五日に参拝する意味)

「八月十五日」は日本だけの一日ではない。
あの日本の戦いに「感謝」してくれたアジア、アフリカの国々がある。
日本統治が終わった「独立記念日」とする韓国。
抗日戰に勝利した(嘘だが)「栄光の日」とする中国共産党。
まして、米国や英仏蘭豪はいうまでもない。
世界秩序を一変させた日本の存在の大きさを世界はよく知っている。

だからこそこの日に首相が靖国に参拝することは意味がある。
「わが国は自己の意思と価値観にもとづき行動する一人前の独立国家だ」と国際社会に明示することになるのだ。
ゆえに「13日参拝」では駄目である。

(「軍人は好戦的ではない」という真実)

靖国は軍人の御霊を特に多くお祀りしているので
「戦争賛美の神社」と単純に思い込む人も少しはいるようだ。
いつかこんな話を聞いたことがある。

「戦争を一番嫌うのは実は軍人なのです。戦場で兵士は死と背中合わせです。そして将校は可愛い部下に死を命令する、本当につらい立場なのです」

説明不要。命賭けで戦ってくれた軍人の勇気に感動するのは自然だ。

(心で感じる偉大な時の流れ)

大鳥居をくぐり境内に立てば、そこは神域の清浄さに溢れている。
拝殿に手を合わせ目を閉じれば、清らかな感情が静かな喜びとともに湧いてくる。

靖国の 246万6千余柱の御霊は、そうして心に感じることができるのだ。

今ここにいる自分につながる、無限の歴史、無数の人々の存在。
長い時の中で紡がれてきた無数の物語を思い、敬愛の念に胸は満たされる。
今生きている我々のみならず、過去も将来も含んだすべての日本人の大切なこの場所だ。
合理主義や「敗戦ヒステリー症候群」で損なわれてたまるものか。

67回目の終戦(敗戦)記念日。
この世界的に重要な日において、靖国参拝の意味をもういちど考えてみた。
来年こそは厳かに、別の首相が閣僚全員で参拝されることを願う。

靖国神社を思う(八月十五日に寄せて2)” に1件のフィードバックがあります

  1. 清水の山内

    8月15日、私は次女を連れて、県の護国神社に参拝に行って来ました。私達の他にも、家族連れの参拝客の姿がありました。
     靖国神社は、「恩を知り、恩に報いる」という、日本人として大切な心を守ってくれている場所でもあるのだと思います。平和な世の中とは、この精神を土台にして初めて築くことができるのではないでしょうか。
    (12/8/22 23:32)

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