「宮本武蔵」について一言

110311-6-031

中学二年で初めて吉川英治「宮本武蔵」を通読して以来、わが座右の書である。
この吉川先生の作品がわが人生に与えたものは実に大きかったと思う。

本当に強いということは、どういうことなのか?
吉川「武蔵」はそれを一貫して突き詰めている。
これは果てしない精神修練の物語であり、厳しさを己に課すことの尊さを教える物語でもある。

武蔵の剣はひたすらなる厳しい人格的修練の上に築かれていった。
それは原作小説においても、宿敵佐々木小次郎との勝敗を分けることになった。
小次郎の天才的鋭利は、武蔵の全人格的重厚に敗れたのだ ―と 。
言葉で明記されずとも、武蔵と小次郎の人生描写を通じて、読者はごく自然にそれを感得する。
人生の価値は精神の修練にこそあると、我々は「武蔵」を通じて自然に悟らされる。

かつて大川周明博士は『日本精神研究』にこう述べられた。

「三尺の秋水、抜けば玉散る。ただ打ち見るだに一身忽(たちま)ち引締り、端然として凝視すれば心の奥まで澄み渡る。
如何に況んや宮本武蔵は、一撃直ちに死生を決する真剣の勝負を試むること前後実に六十余回に及んだのだ。何といふ深刻な鍛錬であらう。
天稟彼の如くにして此の鍛錬を経た。
その魂が赫灼(かくしゃく)として希有の光燿を放つのは当然のことである。」

この精神の高さ、それが宮本武蔵が長く人々の心を深くとらえ続ける本質である。ただ強敵をなぎ倒すだけの強さや、二刀流の独特の技術が珍しいからではない。
凡人の達すること叶わぬ高い人格的境地に達した武蔵の、その修練こそが時代を超えた尊い輝きを放つのだ。

さて今、私はテレビ朝日のドラマ『宮本武蔵』を少しだけ見ながらこれを書いている。
「キムタク武蔵」は私の目にはまったくお話にならない。
セリフも演技も大袈裟で不自然、視線がキョロキョロして表情も子供みたいで迫力なし。
まなざしに深い精神性も感じられない。「なんと弱そうな武蔵だ!」と思った。
脇役も難ありで、鷹揚とした大人物・沢庵禅師役の香川照之は明らかに器不足。
可憐なるお通や朱実も、現代的なわがまま娘の言葉の荒さと冷たさで興ざめ也。

ストーリーも原作のよい場面がことごとく改変されている。
とくに姫路城天守閣の一間に籠った武蔵が古今和漢の名著を精読し心の眼を養う場面は、
ドラマではなぜか早くも二剣を使うための秘密筋トレの場にされていた。
ロッキーとかカラテキッドみたいな感覚なのだろうか。
また京流吉岡道場の子・清十郎は女好きのキモい変態放蕩者にされていた…
原作では家名の重圧に苦しむ生真面目で気弱な、どこか憎めない善人だったのだが。

また京の遊郭の雪の夜、武蔵が名妓吉野太夫の挙措や言葉に諭される深い風情ある場面も、流し目を遣う太夫の妖艶さばかり強調されて風情どころか下品に堕していた。
日本のわびさびを全然判ってない。

人生の恩人・師匠である沢庵禅師にタメグチを叩き続けるキムタク武蔵も実に不愉快千万、失礼極まりない。
また仙人みたいな老僧が「見えぬ筈のものを見よ」などと意味不明の神秘的教えを垂れて、
オカルチックな幻想映像のなかで武蔵が清十郎を倒す場面などは、まるで安っぽい米国製忍者映画そっくりだった。

とにかく全てがハリウッド的な軽薄下品とがさつな演出で、原作の深い味のある世界をぶち壊している。
このやうな荒唐無稽な話を通じて剣豪が成長するなどとは、杜撰さと無神経さに心底呆れるほかはない。
作り手の人間観が相当狂っているのだろう。ジョークなら故吉川先生に失礼で悪質極まりない。
制作はテレビ朝日だから、日本人が敬愛してきた立派な宮本武蔵像をアメリカ流に堕落させて貶めたかったのかなとも思った。

私にとっては、大切なものを足蹴にされたような気分である。
こんなものは武蔵ではない。むちゃちだ。そこで最後にひとつご紹介。
まともな武蔵を見るならば、中村錦之助主演の旧作映画(東映)を断然お勧めしたい。
DVDが出ているので、原作に忠実でよく出来たこちらをぜひご覧あれかし!

「宮本武蔵」について一言」への2件のフィードバック

  1. お茶と蜜柑

    「むちゃち」ですか。なんとも残念です。多くの人が、日本人の心を失ってしまったんですね。でも、私達は、ここで踏ん張らないといけません。精神修養と言ってもそれは特別なことではなくて、正しい生き方をしようと努力することだと思います。志せば、誰にでも始められることですね。続けて行くのは厳しいですが。
    (14/3/18 0:54)

    返信
    1. やっさん

      コメント感謝です。大切な吉川英治の武蔵だけについ思いを吐露してしまいました。
      仰る通り多くの日本人が「外人化」してしまっている現実。
      日本は世界を知らず愚かだったから先の戦で懲罰されたんだという誤った考えが無意識レベルにまで浸透していて、
      己の自然な感覚よりも、外国に評価されるかどうかが大事だという判断があらゆる場面で優先される。
      だから戦前の国民精神の精華ともいえる吉川英治「宮本武蔵」を一生懸命にハリウッドアクションものに作り替えてしまう。
      彼らには伝統的感性や価値観は無意味なものだったのでしょう。

      思うに正しい生き方とは形ではなく心の問題、のびやかで自然な心で生きることではないでしょうか。
      それは祖先から連綿と続く独自の歴史への信頼感であり、外圧で否定されるはずのないものです。

      他国と無用な喧嘩はせず、媚を売るような卑屈にも混迷しない。
      そんな堂々とした日本人の本来の姿をこの身で掴みたいと思っています。
      (14/3/18 20:02)

      返信

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