71年目の記念日

100426-D-080
昭和16年12月8日、オアフ島真珠湾の戦闘で幕を開けた日米戦争は、
同胞300万の犠牲を礎にして、15世紀以来500年に及ぶ白人植民地支配を根底から覆した。

「ジャップノ卑怯ナ奇襲攻撃ダ!」「ダマシ討チダ」「リメンバー、パールハーバー!」・・・
日本を憎み戦争に追い込んだ米国の立場は、これからも12月8日をこう言い伝えるはず。

そしてわが国の言論、マスコミや教育界も相変わらずである。
「なんと無謀な戦争をしたのか!」「愚かな!軍部の暴走!」「世界を知らなかった、井の中の蛙だった」・・・

祖先が命をかけて国を守ろうとした一大決断を「愚かな過ち」と貶めるだけで、
それ以外の評価は無視する。これは、自ら視野狭窄に閉じこもっているのである。
だから今の日本人は、むしろ戦前よりも世界を知らないのではないか。
自国に無知なまま海外で仕事をしても、真に世界を知ったことにはならない。
むしろ無闇に外国を崇めて日本を蔑む、自虐的な劣等意識に陥りがちではないか。

<欺瞞の67年の果てに>

冒頭の通り「白人支配の世界秩序を覆す、自国とアジア防衛の戦い」が先の戦の目的である。
当時欧米の植民地にならずにひとり踏ん張るわが日本に、生き残る道は、圧迫と攻撃を跳ね返して自ら起つこと以外になかった。
欧米こそが恐るべき侵略者であり、謝罪すべきなのは彼らだ。
当時の日本人には常識だったことが、占領で口封じされて今の国民にその思いと事実が全然伝わっていない。
米国は極悪なる原爆の威力で勝った。人道でも正義でも何でもない。
その者の恐喝に屈し、押付け憲法を擁護するという恥辱の67年を過してきた我等。
何が「軍国日本の民主化」だ!一から十まで嘘を宣伝して戦前を貶め、一体感ある素晴しい日本の国を、ここまでぶち壊したのはアメリカである。
(見よ、AKB、お笑い、グルメ、ケータイ、スマホ・・刹那の享楽と現実逃避の醜態を)

<消された「わが国」という視点>

わが学校教育は、昭和20年夏を境に「わが国の立場と視点」を教えなくなった。
これもGHQの指令による。

以来、私たちは学校で自分たちの本当の歴史を習ってこなかった。
習ったのは「Nipponという名の東洋の一国」をどこか別の国、別の立場から俯瞰して批評する如きもので、科学的客観性を標榜しつつ単なる出来事と人名の年代順の羅列に徹している。

そこには国史への愛着もなく、歴史的人物への一体感もない。
人としての情緒や共感を呼ぶ物語性は冷徹に捨象されており、もはやHistory はStoryでなくなって無味乾燥なものになってしまっている。
今のテレビ番組や新聞論説、書店に並ぶ歴史本などは、殆どがこの類いであるように思う。

そしてこの薄情な他者目線を知識人やメディアは「国際的視点からの歴史知見」として賞讃する。
だが日本人が、日本の歴史を、日本人の視点と言葉で語らずにわざわざ他国の視点で語ることが望ましいことなのか。
考えるまでもなかろう。否である。無制限な「国際的視点」は心を迷わせ滅ぼすものだ。
とりわけ、その自国軽視と他国への盲従が、成長途上の子供心に与える影響は大である。
大人の変節や惰弱への不信、やがて自己の社会への適応不安、人生観の混乱に起因した現実逃避の心の病を生んでいるのではないか。

<過去を誤摩化したままで、未来は描けぬ>

私たち戦後世代は、国のことに関心が薄く、個々の生活を守るだけで満足であるとする。

国の歩み、祖先の歩みに、多くは関心をもたず、せいぜい個人の歴史趣味程度である。

「過去を云々することに意味はない、これからのことだけ考えればよいのだ」と言う。

だが、正しい過去を知らなければ現在を正しく認識できるはずがないことは自明である。

正しい自己を知らぬまま、よき未来を考えようと思っても、それは砂上の楼閣に過ぎぬ。常に足下が崩壊する不安に怯えて生きる、頼りない存在でしかいられない。

開戦記念の日、かつて日本の掲げた正義を取り戻さなければならないという思いを新たにした。
今夜は冷える。夜半は雪になりそうだ。

71年目の記念日」への2件のフィードバック

  1. やっさん 投稿作成者

    まったくそうですね。先の戦争の意義は欧米的秩序とアジア的秩序の戦いだと戦前の碩学は既に洞察していました。負けてその通りになり、今は欧米が世界を牛耳っている。科学も文化様式も美の基準も髪の色までも何もかも。だがもし日本が勝っていたら世界はどうなっただろう?と考えるのは大切ですね。「模範たる欧米文明が同時に凶悪な侵略者」という根本矛盾をわが国は果して克服できただろうか?とか。/18世紀以来の欧米文明はいま没落を始めています。2030年、欧亜の力関係は逆転すると米国人研究者が言います。我々はいよいよ戦前の日本人に学び直し、本来の日本を再興しなければいけませんね。
    (2012/12/13  00:22)

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  2. 清水の

    あの戦争をどう見るかについては様々あるようですが、当時の状況に鑑みれば、日本の独立を守るための戦いであったことは間違いのない事実ですね。その点を見誤り、戦前の全てを否定し、先輩方の国を想う真心まで貶すところに、今の世の乱れの原因があります。ただ、もし勝っていたらと考えると、別の問題が生じていたかもしれません。現代に生きる我々は、日本精神を堅持して、明るく、元気で、和やかな家庭、そして国家を築いて行きたいと思います。
    (2012.12.12 22:22)

    返信

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