今年も日本会議の建国記念奉祝式典に参加したのだが、小さな異変があった。
参加者が予想以上に多く、会場の椅子が足りなくなっていたのである。
去年までは後方の席はずいぶん空いていたはずだ。
この式典はその性格上「にわかブーム」とは無縁だから、
参加者は毎年ほぼ変わらないだろうと思っていたのだが
どうも様子が違う。中でも若い世代が増えているように見えた。
若い世代が日本の物語を知りたがっている――!
それは二日前に投開票された東京都知事選でも感じられたことだった。
■選挙の常識を揺るがした都知事選
わが国の選挙は、巨大な組織の動員による「組織票」が主役といってよいだろう。
私がかつて勤めていた会社でも、労働組合が推す候補者への投票が慣例であり、
それに敢て逆らうような政治意識と思想信条をもつ人も見当らなかった。
人格の高潔さや政策の実現可能性はどうでもよい。そんなこと誰も期待しない。
莫大な金をかけた演出と宣伝があれば、有名人の名前があれば当選できる…
この退廃した空気と無気力な選挙民、創価学会の資金と動員力が「ますぞえ都知事」
誕生の大きな要因であり、私生児問題やヤミ金の醜聞にまみれたこの人物の当選には
正直「またか」と嘆息せずにはいられない。
しかしこの流れを拒否し、わが国を再生させようという流れも確実に育っている。
金も組織もなく、ただ国を憂う純粋な思いで戦った田母神氏を強く後押ししたのは、
これも純粋にわが国の行く末を案じて止まない、無名の六十万の民であった。
戦後ワースト3という低投票率46.14%(全体で450万余票、舛添氏211万票)の中で
「本当に真剣な61万票」が占めた意味は大きい。
田母神支持層の主力は若者世代で、これはわが国の将来に希望の光となるだろう。
戦後日本を覆ってきたタブーや閉塞的な思考を拒否し、撥ね除けて行動する強さを
見せてくれた。
「本当の政治」を真剣に求め考える国民層は、少いながらも確実に拡大している。
敗戦後、日本社会は崩壊の一途を辿ってきたと思う。
唯物的でニヒルで、自分中心的な考えに甘んじる人間が増え過ぎた。
経済発展で物欲に目がくらみ、道徳は地に落ち、世界一の安心社会は潰え去った。
(このままでいいのか?いいはずがない!)
今回初めて、ごく普通の人々が健全な常識を社会に取り戻そうと具体的に行動し、
それが田母神氏の躍進という形になって示されたことは、実に大きいと思う。
一度起きたこの流れはいわば自然の摂理であり、もう止まらないだろう。
■わが国の中心、天皇の大御心を知ることから心を取り戻そう
「建国記念の日」奉祝式典は、まっとうな心を多くの人々と共有できる貴重なひとときである。
今年、札幌会場には明治大帝の玄孫にあたる竹田恒泰氏がお見えになった。
竹田氏は、記紀神話と神武天皇のご存在について、また日本の国が天皇の大御心を核に国民が支え合って営まれてきた歴史について、楽しく温かいお話をして下さった。
先の敗戦時、「私の身はいかになろうとも構わない、わが国民が飢えぬようにして欲しい」
という昭和天皇のお言葉に敵将マッカーサーが深く感動したこと、さらには鎌倉時代の元寇に際して、亀山上皇が伊勢神宮で「私の命と引き換えに国民を守ってください」と祈られたことなどは、国民全員に知って欲しいことであった。
歴代天皇はみな民を思う大御心でおられた。決して天皇個人の性格だけではない。
…こんな伝統をもつ元首はまったく世界歴史に類がない、我々は実に幸せな国民である。
だからこそ日本は世界で最も古い国として続いてきたのであると。
「私たちは、日本人に生まれたことだけで、すでに人生勝った様なものです」
とは竹田氏の至言である。
前席の年輩の男性が眼鏡を外してしきりに涙を拭いておられた光景が忘れられない。
皇室を中心にして国民全体がひとつの家族のようにまとまってきたのがわが民族の本来の姿ですね。
国民の間の信頼感と絆の強さはここに根源があります。
東日本大震災に際して世界から絶賛された自己犠牲の心は、国民があたかも家族同様に信じ合い助け合う、まさに日本人の真骨頂といえましょう。
こんな安定した幸せな社会のあり方を築いた民族は、古今東西他にありません。
しかし戦後はその唯一無二の尊い国柄を「古い」「封建的だ」とわざわざ壊そうとしてきたのですから、
敗戦と占領による心の傷の大きさを思わずにはいられません。
世代が更わっていくことで、少しずつ日本の心が隅々まで回復していくことを願うのみです。
(14/2/27 12:32)
今こそ、建国精神に立ち返って、日本を再興する時だと思います。そのためにも、家族の和を大切にしたいですね。
(14/2/27 0:21)