日本再生元年としたい

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皆様お久しぶりです。
年末以来、公私において多々動きがありましたが
やっと落ち着いてきたので、再開の一筆を申し上げます。

民主党政権による二年半の「どん底日本」は一応終焉しました。

義勇奉公、救国の一心で政党「たちあがれ日本」に飛び込んだ私は、
「かけはし塾」を皮切りに、年末選挙戦では事務局の一員となり微力を尽しました。
戦時の兵士の心境はかくやあらん、熱意のみで戦う民兵なり、というところでした。

私のいた「たちあがれ日本」は「太陽の党」を経て「日本維新の会」に解消しましたが、政界再編はまだ緒についたばかりで、これから何が起るか予断を許しません。
しかし愛国心ある安倍晋三首相の誕生で、徳俵から中央へ押し戻した形となりました。
反日メディアや自民党内の旧体制派との戦いは油断はできませんが、
中央政府が一応しっかりしたことで、正直気持ちが楽になりました。
まずは心の整理をして、私も銃後の民間人に戻ろうと思います。

この一年半、政治家先生方や政党事務局の方々との交流を通じて、
私はあらためて政治というものの深遠さと崇高さを肌で感じました。

「国を経営する責任とは、およそ人間が担い得る責任の中でも最大のものだ。
求められるのは、各分野に通じた有識者としての力ではなく、
なによりも「祖国への愛」であり、強い使命感を自覚する「公人精神」そのものだ。
祖先の歴史への深い敬慕のオーラを持つ人でなければ、わが国の宰相には相応しくない」

そのことを改めて痛感した次第です。
このような人物は民主党には殆ど見当たらない。自民党にも今や少数なのでしょう。
いわば政界に公人精神が絶えていたのですから不毛にもなりましょう。
政治家を小馬鹿にして憚らないテレビや新聞もまた、己の軽薄下劣を棚に上げているがその軽蔑に値してしまう貧相な政治屋連中の顔は、国の体を成さない戦後日本の象徴でした。

政治家は玉石混淆なのです。誰が本物なのか、ニセ物に騙されないためにはどうするか。
それにはメディア情報に惑わされずに、自分の価値観をしっかり持つことしかないのでしょう。

とにかくニュース解説や御用学者の変てこな話を一方的に聞かされるのは苦痛ですし、また洗脳される危険があります。
私は既にテレビは極力見なくなり、ネットの情報をじっくり心に照らして考えます。
もとよりこの世に100%の正解などあり得ず、枝葉末節に迷って本筋を外すまいぞ、と。
それがむしろ自然でいいように思います。

自然なあり方ということについて、総選挙後にしみじみ思ったことがあります。
ここ10年のわが国を思い、私はある不可思議な力を感じて仕方ありません。
最悪の政権下で起きてしまった大震災と領土侵略は、どん底日本を再生へ向けるスイッチを入れることになりました。
ゆっくりと「自然な姿」に戻ろうとする国民的な治癒が始まったことを感じるのです。
原発の話題に隠れ気味ではあっても「憲法改正」が争点になりました。
この選挙は時代の大きな転換点を示していたと思います。

かつて日本解体を企図したGHQの怨念が、65年後の民主党政権において結実したまさにその時、相次いで大災害と外患が生起して、私たちは一気に新しい相へ移行した観があります。
新政権が発足した今の日本は、昨年の日本とはまるで別の国に見えるのが不思議です。
パラダイムが変わりました。まるで昭和20年8月15日のように。
私には何か人智を超える偉大な運命の流れというものが感じられます。

今年は皇紀2673年、伊勢神宮の式年遷宮の年です。これも不思議な縁。
私には、わが民族の歴史と底力を信頼せよ、と祖先たちの声が聞こえるような気がしてなりません。

今、私たちが心すべきは何でしょうか。

損得勘定よりも、自然な情や倫理を大切にすること。
祖先と子孫に恥じない言動をすること。
(本来当たり前の)世代を貫く縦軸の責任感覚を取り戻すこと。

こうして私たちが心正しく自然体であろうとする積み重ねが、結局わが国の趨勢を司る「偉大な力」の源泉になるのだと思えるのです。

そうした本来の価値を「古い」と切り捨てて、何やら胡散臭い「人権主義」「平等主義」「武力放棄による平和主義」といった、現実ばなれした幻想をひたすら崇拝したこの60数年は、いったい何だったのでしょうか。

私はこう思います。
歴史上初めての敗戦に混乱して国全体が幻想の殻に閉じこもる「壮大な引きこもり時代」だったのだと。神話の「天岩戸隠れ」です。

しかし日本は甦ります。いや甦るのが当たり前なのです。
世界の厳しい現実に目を開いて、再び国の意思を示して雄々しく胸を張る時がきていると思います。「復活の節目」を迎えたのです。

我々の社会は、文武両道、心身を清く鍛えることに価値をおいてきました。
互いに慈しみ合い、家族を守り、上は民族の家長としての皇室を仰いできました。
私たちは忘れようとしてきた戦前を再評価し、早くそこに還るべきです。
かつて小泉八雲を初め、多くの外国人が日本社会の美しさを讃えたものでした。それは、信頼と優しさに支えられて均斉のとれていた、稀なる美しい国でした。貧しくても心の豊かな日本でした。

私たちはそこに帰ることが自然な成行きなのだと思います。

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