「最後の日本軍人」小野田寛郎さん逝く

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16日の夕方、元陸軍少尉・小野田寛郎さんが逝去された。91歳。
小野田さんの生き方は、多くの人に感銘を与えずにはおかないだろう。
私もその一人である。

大東亜戦争の終結後もフィリピンのルバング島の山中に潜んで戦闘を続けて30年。
兵士としての責務を尽した小野田さんは、昭和49(1974)年祖国に帰還を果された。
高度経済成長下の日本は東京オリムピック、大阪万博の熱狂と「平和」を謳歌していた。オイルショックを経てようやく落ち着いた頃に、小野田さんは突如として、タイムスリップのように戦後日本人の前に現れたのだった。ボロボロの軍服で。

強靭な精神を宿した鋭い眼光。
凛と背筋を伸ばした直立姿勢。
TVや報道陣に囲まれながら立ち敬礼をする小野田さんの姿が、
気怠い平和に疲れ始めた日本人に与えた衝撃は、如何なるものだったろうか。
私はその頃小さな子供だったので、知る由もなかったが
今なら、あの時小野田さんという方の存在が日本社会に与えた衝撃の意味、変わり果てた日本社会に彼が受けた心の傷に思いを致すことができる気がする。
もちろん私の勝手な想像ではあるけれど。

小野田さんは帰国後に政府から見舞金を受けたが、それを全て靖国神社に寄付された。

「一緒に戦った仲間達がここにいるのだから」と。

するとマスコミや一部の人たちは「軍国主義に加担している」と攻撃した。
小野田さんは「この国は、私の知っている日本とは違う国だ」と言ってブラジルへ移住されたのだった。

30年ぶりに帰った祖国を後にする小野田さんの胸中を想像して私は涙が出そうになる。
悔しくて、情けなくて、コンチクショウの思いが胸に込み上げてくる。
考えてもみよ。祖国のために長く苦しい戦いの年月を送った小野田さん。
共に戦い、先に逝った仲間を悼む気持ちは実に自然で当たり前のものだ。

その思いをコチコチの反戦平和思想で弾劾する日本のマスコミや世論の愚かさ、冷酷さ。
驚異の高度経済成長とやらも、この恩知らずと偽善の上に築かれていたのなら、
所詮はバブルと共に塵のように吹き飛ぶ運命の、砂上の楼閣だったのかもしれない。

少々話がずれるが、よく聞かれるこんな物言いがある。
「先の戦争の真実などどうでもよい。敗戦で生まれ変わって日本は繁栄してるのだから、
それでいいじゃないか」と。

今がよければ過去はどうでもよいというわけだろうか。

だが歴史に学びもせず、先人の名誉も守らず、将来への責任感もないのはいかがなものか。それで大人と言えるのか。

それに今が本当に「いい状態」といえるかどうかも後世の歴史的評価に待つしかないものだ。
結局、ものを考えずに済ませるための逃げ口上でしかないのだろう。

こんな風に、国家や公の問題に無関心で、極めて狭い個人的生活の範疇しか目に入らず、
毎日をただ何となく過ごしている人が、私たちの国には多すぎないだろうか。

さてそれに比べて、ブラジルで牧場を起業した小野田さんの生命力の逞しさは何だろう。
30年の死と隣り合せの戦いの日々が、一人の人間をここまで強くした姿であろうか。
「失敗したら笑われるから必死でした」と取材に答える小野田さんの笑顔と言葉には
過去に囚われずに自由に道を切り開こうとする人間本来のエネルギーが満ちあふれていた。

牧場を成功させた小野田さんは、やがて再び母国日本に戻ってくる。
それは、世に衝撃を与えた「金属バット殺人事件」がきっかけだった。
子が親を、親が子を殺す ー ここまで堕ちた日本社会の道徳倫理。
小野田さんは、弱っている子供達の心を正しい本来の姿に導いてやりたいとの思いで、
福島の山奥に「小野田自然塾」を開いたのである。

賛同者は増えていき、今では全国に数カ所の活動拠点をもっている。
TVや新聞は小野田さんの活動をルバングでの30年で培ったサバイバル術を教えていたかのように簡単にいうけれども、決してそうではないと思う。
便利さや虚飾を取り去って、素朴な人間本来のあり方を子供達の心に伝えていたのだ。

「最後の軍人」小野田寛郎さん逝く。
私は、限りない追悼の念にうたれて止まない。
日本人の強さ、気高い精神の覚醒を願う一人として、失った道標の大きさに立ちすくむ思いだ。
だが私は決して忘れない。
小野田さんの堂々たる凛とした軍人姿、そして晩年の人生を達観したような飄々たる笑顔。
小野田さんの語る言葉の数々は、「魂の腐れ止め」として心の中に生き続ける。

「私は戦場での三十年、生きる意味を真剣に考えた
戦前、人々は命を惜しむなと教えられ、死を覚悟して生きた
戦後、日本人は何かを命がけでやることを否定してしまった
覚悟をせずに生きられる時代は、いい時代である
だが、死を意識しないことで、日本人は生きることをおろそかにしてしまっていないだろうか」(小野田寛郎)

心からご冥福をお祈りする。小野田さん、これからも日本をお守りください。

「最後の日本軍人」小野田寛郎さん逝く」への2件のフィードバック

  1. やっさん 投稿作成者

    山川草木を師としての写真撮影は、必然的に人間の自然な生き方、あり方について考えることになります。小野田さんの自然塾の本を読みましたが実に教わること、納得することばかりです。
    人間の芯は、物では絶対に得られない。正しい教育と心身の錬磨によるしかないと、改めて思います。
    (14/2/5  23:42)

    返信
  2. 将矢

    私も、小野田さんの生き様に感銘を受けた一人です。心から、ご冥福をお祈り致します。そして、日本精神の防波堤となるべく、この命を全うしたいと思います。
    (14/2/1  20:47)

    返信

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