W杯敗退について一考

荒波の向うに一縷の光

荒波の向うに一縷の光/根室・納沙布岬

ブラジルW杯一次リーグ、日本は残念ながら敗退した。
最後のコロンビア戦についてのメディアや批評屋の記事がネットに踊る。
類似した記事は沢山あるので、目についた部分の感想をのべてみたい。

「なさすぎた勇気…ボール遊びだった日本」
「彼らは本当に「サムライ」を名乗る資格があるのだろうか。勝負を懸けた戦いだからこそ、刺し違えてでも相手を倒す気構えが必要だったのではないだろうか。」
「限りない不完全燃焼感。日本の勝利を信じて見守った多くの人の目にも、この日のサムライブルーが本当に戦ったとは映らなかったはずだ。」

こうした言い方は少し度が過ぎていよう。「限りない不完全燃焼」といっても、これが日本チームの現実だった。
現実を認めずに「まだ燃焼できたはず」とはちょっと未練がましい。

また「刺し違えても相手を倒す気構え」とは勇ましいが、言うは易しだ。
「サムライを名乗る資格は…」といってしまったら今の日本人の誰にも名乗れないと思う。
つまるところ勝敗の結果だけに囚われて鬱憤をぶつけるだけの、ライターの自己慰撫の「言葉遊び」に思える。

ところで、4年の間厳しい練習を経てきた選手達はこの敗戦を受け止めて、
「応援してくれた日本の人たちに申し訳ない」と記者の質問に答えていた。
その姿に私は胸を打たれたし、同時にある連想をした。
今日はサッカーと重ねてそのことを述べてみようと思う。 続きを読む

「日本」が生きていたあの時代を思う日

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「昭和の日」4月29日、私は国旗を掲出して神棚にお塩とお米を捧げた。

菊の花を飾り、日本会議制作のDVD「昭和天皇」を観賞した。
(このDVDは実によく出来ており、見るたび感動で目から鼻水が出る)

昭和は「日本国」が生きて稼動していた最後の時代だったのかと思う。
妙な言い方だが、私は平成日本を「日本国」と思えないのである。 続きを読む

ホームページの改訂作業終了

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2008年の開設から既に6年。今年は気持ちも新たにしようということで、
標題のとおり、かなり大きな改訂を行ないました。
約3週間かけた作業でしたが、とりあえず一段落。ホッとしています。
構想に当り考えたのは「この6年間の歩み」を反映させようということ。
しかし振り返るとあまりに大きな出来事が多く、今更ながら時勢の変化を
しみじみと噛みしめています。世の中も私自身も、随分変わりました。

今回の改訂テーマは「二千年の歴史の国・日本」です。
私自身が微力を尽して勉強してきたことを反映させ、表現する場としての
役割を意識して構成しています。
神の世界(=自然)を見つめる「写真館」、人の世界(=社会)を考察する
「文学館」「情報館」を設置し並列構成にしてみました。
欲張りなようですが、無理せず運営して参ります。 続きを読む

「宮本武蔵」について一言

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中学二年で初めて吉川英治「宮本武蔵」を通読して以来、わが座右の書である。
この吉川先生の作品がわが人生に与えたものは実に大きかったと思う。

本当に強いということは、どういうことなのか?
吉川「武蔵」はそれを一貫して突き詰めている。
これは果てしない精神修練の物語であり、厳しさを己に課すことの尊さを教える物語でもある。

武蔵の剣はひたすらなる厳しい人格的修練の上に築かれていった。
それは原作小説においても、宿敵佐々木小次郎との勝敗を分けることになった。
小次郎の天才的鋭利は、武蔵の全人格的重厚に敗れたのだ ―と 。
言葉で明記されずとも、武蔵と小次郎の人生描写を通じて、読者はごく自然にそれを感得する。
人生の価値は精神の修練にこそあると、我々は「武蔵」を通じて自然に悟らされる。 続きを読む

紀元節(建国記念の日)の一考

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今年も日本会議の建国記念奉祝式典に参加したのだが、小さな異変があった。
参加者が予想以上に多く、会場の椅子が足りなくなっていたのである。

去年までは後方の席はずいぶん空いていたはずだ。
この式典はその性格上「にわかブーム」とは無縁だから、
参加者は毎年ほぼ変わらないだろうと思っていたのだが
どうも様子が違う。中でも若い世代が増えているように見えた。

若い世代が日本の物語を知りたがっている――!
それは二日前に投開票された東京都知事選でも感じられたことだった。 続きを読む

本日、東京都知事選なり

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いよいよ本日が投票日である。
北海道にいる私は、内心やきもきしながら、静かに成行きを見守るのみだ。

オリンピック準備、震災対策、福祉、少子化対策など課題山積の大東京。
アジアのリーダー日本の首都、世界の注目を集める東京都知事選である。
しかし選挙戦と報道内容は異様で、そのレベルと質が疑問視されるものだった。

今回の選挙を私なりに総括するなら、それは
「自分の頭で考える人」VS「報道イメージに乗るだけの人」
だったのではないかと思う。 続きを読む

「最後の日本軍人」小野田寛郎さん逝く

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16日の夕方、元陸軍少尉・小野田寛郎さんが逝去された。91歳。
小野田さんの生き方は、多くの人に感銘を与えずにはおかないだろう。
私もその一人である。

大東亜戦争の終結後もフィリピンのルバング島の山中に潜んで戦闘を続けて30年。
兵士としての責務を尽した小野田さんは、昭和49(1974)年祖国に帰還を果された。
高度経済成長下の日本は東京オリムピック、大阪万博の熱狂と「平和」を謳歌していた。オイルショックを経てようやく落ち着いた頃に、小野田さんは突如として、タイムスリップのように戦後日本人の前に現れたのだった。ボロボロの軍服で。

強靭な精神を宿した鋭い眼光。
凛と背筋を伸ばした直立姿勢。
TVや報道陣に囲まれながら立ち敬礼をする小野田さんの姿が、
気怠い平和に疲れ始めた日本人に与えた衝撃は、如何なるものだったろうか。
私はその頃小さな子供だったので、知る由もなかったが
今なら、あの時小野田さんという方の存在が日本社会に与えた衝撃の意味、変わり果てた日本社会に彼が受けた心の傷に思いを致すことができる気がする。
もちろん私の勝手な想像ではあるけれど。 続きを読む

年の瀬、感謝と安堵と少しだけ嘆息

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【 安倍首相の本気に感謝 】
12月26日で政権発足一年を迎えた安倍晋三首相が、靖国神社に電撃的参拝をされたと知り、
私はまず「ありがとうございます」と心の中でつぶやいた。
そして新聞各社の記事を見て、予想通りの反応に苦笑しながら、この一年のわが国の歩みに思いを馳せた。

今年は伊勢の式年遷宮が行なわれ、わが国も全体として大きな節目を迎えた。
「長年の垢を落し清浄な正気を取り戻す」
遷宮にあやかるように地道な取り組みが積み重ねられてきた一年だった。 続きを読む

まず「戦後日本」を清算するべきだ

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私が政治について意識して勉強し始めたのは、30才に近くなってからで
人よりも幾分遅いのかもしれない。
そんな私が分を越えてこうした話題を書くのは、
子供の頃から抱くある強い思いに発している。
『頼むからまともな大人に戻ってくれ、戦後日本人よ』とでも言うべき叫びである。 続きを読む

主権回復記念日によせて~その意味を考える

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占領が終わって日本が独立を回復した61年前の本日、4月28日。
現在のわが国を正しく認識し、今後の展開の方向を予見する人たちには、
静かに催された今日の式典の意義が分かっているだろう。

この安倍内閣が今までの政府(自民、民主問わず)と違う、かなりまともな政府だと
やや新鮮な驚きとともに、多くの人は好ましく感じていることと思うけれど、
今回の「主権回復」を記念するということに対する理解は、残念だが十分とは思われない。

あの7年弱の占領期間においてわが国がどのような状態にあったのか。
国家が主権を失う、或は回復するということの意味を考えたことがあるだろうか。
これほど重要な出来事に無関心なままで、その子孫は安寧に繁栄できるものだろうか? 続きを読む