「戦後70年」私の総括と希望

■蒸し暑い北国の夏

お盆時期の北海道は毎年のように集中豪雨に見舞われる。今日も旭川で道路が川のようになっている様が報道されていた。
温かい南風が吹き込むとき上空に寒気が入ると竜巻や雷雨が起りやすい。いわゆる「大気が不安定な状態」だ。つい先日も札幌を含む石狩地方に竜巻注意報が出た。事なきを得て安堵したが、兎に角自然の威力はすさまじい。
山を裂き、海を褪(あ)せさせる力をこともなげに発揮する。

■メディア「夏の陣」の自爆ぶり

自然の猛威まではいかないがメディア報道の暴慢は目に余る。新聞の見出しはもちろん、昼間のラジオの局アナの台詞のひとつひとつ、毎時のNHKニュースは「反安倍、反原発、反安保法制」の色で染められている。
そして執拗な戦争関連の偏向した番組の連発。デモ隊が茶の間に土足で踏み込んでいるような不愉快さである。

安全保障法案の衆院可決川内(せんだい)原発の再稼動など、日本に必要なことが粛々と行なわれている。その動きに対して、国民を不安がらせるようなメディアの脅迫的報道が繰り返されている。
安倍はヒトラーだ独裁者だ、戦争法案が通れば徴兵制復活だ、原発は原爆と同じだなどと叫ぶ荒唐無稽なヒステリー集団のデモ光景をテレビは嬉々として映し出す。法案の意味も知らず空気に踊らされている哀れな姿である。
しかし彼らが熱狂的に騒げば騒ぐほど、その「イタさ」は鮮明になり国民の軽蔑を強めていくだけであろう。
70年の間、わが国を好き放題に弄んできたリベラル左翼思想の暴風も、ついに断末魔の様相を呈しているのか。

美瑛の夜明け

美瑛の夜明け

■「戦後70年」とはなんだったのか? <私の総括>

「昔の日本は愚かで野蛮な国でした。馬鹿な軍部が思い上がって侵略して世界に迷惑をかけました。でも戦争に負けたおかげで平和憲法ができて、恐ろしい軍隊がなくなって日本は平和な素晴らしい国になりました。」

「昔のことは外国に許して頂けるまで謝らなくてはなりませぬ。立派で偉い欧米や国連の言うことをよく聞いて、褒めて頂けるように振る舞うことが日本の生きるただ一つの道なのです」

これが戦後日本の基本姿勢であった。この萎びた負け犬根性とウソの歴史を日教組の教員やNHK・朝日新聞などのメディアが国民の脳に刷り込んできた。その成果が今の日本のていたらくである。
戦時慰安婦や南京陥落の実際について正しい史実を主張せず、悪意に満ちた虚偽の宣伝を野放しにしている。米国の軍事基地が国内にあっても平気顔で、しかも自らの軍備を持たないことを「誇りだ」などと詭弁を弄して、米国の植民地状態に甘んじている。北朝鮮拉致被害者を取り戻すこともできない。
自分たちが軍事力を持つと他国を侵略すると怯える異常な自己不信はいったい何なのか。

私にとってこの戦後70年とは、このように日本人を萎びた民族に作り替える自壊作業をひたすら繰り返してきた空しく哀しい歳月であると言わざるをえない。特に無垢な子供たちがうけた深刻な精神の傷は計り知れない。

戦後の私たちはまっとうに生きるための価値の軸を奪われた。祖先の歩みを愚かにも否定し、思い上がった。
自由だ権利だと浮かれて、その実は欲望と怠惰に流れてきた。見せかけの繁栄に溺れ、真に価値あるものを何ら生み出せず、祖先の名誉を守ろうともせずに遺産をただ食いつぶしてきた。戦後70年、反省するべきはこの戦後の過ちであり、謝罪するべきは我が祖先に対してではないのか。

ヨツバシオガマ(暑寒別岳)

ヨツバシオガマ(暑寒別岳)

■この夏を超えて日本は治癒へ向かう

惰眠をむさぼったこの歳月の重さよ!日本はもうだめなのかも知れないと幾度思ったことか。
だが時は流れ、社会は変わっている。あの頃絶望していた私もこの10年で少し希望を抱き始めている。
そうなのだ。人間は変われるし国家も社会も当然のように変りゆくものだったのだ!

GHQの落し子である日教組やNHK・新聞メディアの毒害力もどうやらピークを過ぎたようにみえる。彼らの偽りの言葉や報道が、今日の日本国民の心をリアルに動かしたり具体的な行動指針になりうるかは極めて疑わしい。

非現実的で内容のない番組しか提供できない今のメディアは見捨てられていくだけだ。知的で旺盛な若者たちは内心の素直な疑問に従って自ら歴史の真実を学ぶようになるだろう。そしてやがて彼らが社会のトップになる時代がやってくる。人口減と人材不足がトップの世代交替(ガラガラポン)を否応なしに促して社会は大きく変わる。
祖先や伝統を否定する異常な時代が終わって、社会はより自然な祖先顕彰の流れに向かうだろう。

70年前、GHQは「公職追放令」によって日本の指導者層を強圧的に入れ替えた。その結果、大量の共産主義者が政財界に入り込んで強固な利権を固めた。東大を筆頭に学問の府は左翼学者の巣窟と化し、丸山真男や南原繁などの戦後知識人が日本の過去を高みから見下して断罪することで進歩派を気取る時代が長く続いた。
戦後日本は庶民の違和感や苦しみをよそに、歪んだ左翼人たちによる共産主義・リベラル政策の実験場になってきた観がある。祖先を切り捨てて、今を謳歌する自分たちだけで新しい国を作れると勘違いした時代だった。

だが繰り返すが、時代は少しずつ変わり、人間も変わる。国家・社会も変わってゆく。これからの日本人は再び健全なバランス感覚と冷静な観察眼をもって、静かに強く世界に対するようになるだろう。
日本を今のような萎びた混乱状態に抑圧しようとする「GHQの亡霊」たちを拒否し、歴史を自らの視点で学び直し、かつての日本人が使っていた言葉をきちんと取り戻そうとしていくのは自然な流れに違いない。

秘奥の滝(奥十勝)

秘奥の滝(奥十勝)

■言葉を取り戻すことで歴史を回復する

言葉は世界観そのものである。人間があらゆるものに名前をつけるのは、この世界を認識する行為である。
先の大戦を日本人は「大東亜戦争」と認識し命名した。当時白人が世界の四分の三を支配するという現実があり、この異常状態を打破しアジアを植民地奴隷から解放せんとする日本人の世界認識と強い正義感が込められていた。

戦後GHQはそれを「太平洋戦争」と言い換えさせた。「日本はアジアを侵略したので連合国に懲罰された」と歴史を180°ねじ曲げた。教科書もマスコミも政府も「太平洋戦争」と呼び続ける。知性の頽廃も極まれりである。
祖先の強い思いをかくも踏みにじり誤摩化したまま、我々に何の未来があるというのだろう?

先の大戦を「大東亜戦争」と公に呼ぶ時こそ、日本人は70年前の敗戦を乗り越えたといえよう。

そんな時代が遠からず来ることを私は切に願い信じている。わが国を取り巻く国際情勢の厳しい現実が、確実に私たちの覚醒と蘇生を促してくれるはずだ。
最後に繰り返そう。時は流れ、人は変わる。社会も変わる。希望を持って信じよう。

エゾコザクラ

エゾコザクラ

「戦後70年」私の総括と希望」への2件のフィードバック

  1. やっさん 投稿作成者

    そうですね。私たちがするべきことは、次の世代に正しいものを残し伝えていく努力ですね。
    30年後に日本人が胸を張って正当な主張をできる世の中になっていてほしいと願っています。

    14日に安倍首相の「戦後70年」談話が発表されましたね。戦争や侵略を一般化して語ることで、歴史を歪曲してわが国を恫喝する中韓(&国内左翼)の口は封じられたと思います。
    しかしながら「過去日本は世界に対して過ちを冒した」という自虐スタンスは依然として踏襲されました。この自虐史観が根っこにある限り、私たちは堂々と祖先を敬い感謝することを憚られる世が続きます。
    今の世界は「悪の日本とドイツを懲罰した米英ら連合国の正義」というストーリーを前提にしています。この安倍談話の内容は残念ながら米英に遠慮して日本が己の正義を主張できない苦境を痛切に表しております。

    私たちはせめて少しでも悔しい思いを伝え残すこと、将来の世代が己の心で感じて覚醒していく可能性を信じるしかないのでしょう。また、それが日本の力を信じることなのだと思う昨今です。

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  2. お茶と蜜柑

    日本は必ず甦ります。我が家の子供たちは、残念ながら馬鹿番組(TV)も見るし、英単語も違和感なく受け入れているようですが、祖先や祖国を大切にする気持ちは、お陰様で自然に身に着けてくれました。今から30年後は私の子供たちが子育てをしている頃ですが、日本人らしい心を持った子に育ててもらえるように、私自身の心を磨いて行きたいと思います。

    返信

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