撮影の日記」カテゴリーアーカイブ

夏の花と雪を求めて大雪山へ

■ 浄水器

7月から8月にかけて何度か大雪山へ出かけました。
今年の夏は本当に暑く、登山は汗だくで水がすぐ欲しくなります。

去年から携帯用の浄水器をもって行くようにしています。
いくら浄水器でも、淀んだ沼水や泥の沢水には使いたくないと思ってしまいます。
ある程度きれいな水がとれる場所は雪渓などに限られてしまい、メインの水としては当てにはできません。
やはり必要な水を持参したうえで、予備の給水手段として活用するべきだと改めて思っています。
テン場での炊事水の補充にはありがたいですね。

■ 遅い雪解けと花たち

「今年は雪解けが遅いよ」と誰に訊いても同じ答えが返ってくる夏です。
この7月に銀泉台から赤岳、白雲岳へのルートを二度通りました。
最初は雪だらけ、二度目もまだ雪渓がかなり大きく残って雪面の反射がきつかったです。
どうも雪が遅くまで残ると花には良くないのでしょうか、ひとつひとつの花が萎れ気味で、他にも群落の規模が小さかったり、去年あったところに全然なかったりと、全体としては少々残念な印象です。

それでも可憐な花たちが風に揺れている様に心が癒されることは変わりません。
自然の営みの大きさは、人の小さな不満なんかどこかへ吹き飛ばしてくれます。

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春の風景/渡る雁に寄せて

ここ北海道でも、ようやく鳥たちの夏冬交替の季節となりました。
冬の海のカモメたち、湖のオオハクチョウ、小さなツグミやベニヒワたちは繁殖のために北へ旅立ちました。
入れ替わりに南からは ノゴマ、アオジ、ノビタキなどが賑やかなさえずりと共にやってきました。
年中変わらずにいるカラスやトビ、シジュウカラやヒヨドリたちも元気に飛び回っています。

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私の「戦友」と春の別れ

■ 「10年間ご苦労様、ありがとう」

この3月末、愛車の赤いCR-Vを買い替えました。私が最後のオーナーになりました。
06年に釧路で買って以来、10年間私の足、そして宿として活躍してくれました。
生涯の走行距離は18万6,000キロ。広い北海道を共に走ってきた愛しき友です。
感謝と愛惜を込めてきれいに掃除。あまりマメに洗わなかった無精を詫びつつ
たくさんの懐かしい思い出と年月を振り返れば、胸に熱いものが込み上げます。

最後の朝は花を手向けて記念撮影。そして新しい車の待つ中古車ディーラーへ。
それは季節の移ろいゆく最中、冬の名残の雪が降りしきる日でした。

秋の日のCR-V(夕張岳山麓にて)

秋の日のCR-V(夕張岳山麓にて)

***    ***   ***

次の車はやはりホンダの中古。そして前CR-Vの次モデルで銀色がなかなかキレイです。
ウチにやって来てすぐ、さっそく車内生活のためのリフォーム開始です。

後部シートを外して床や棚を作り、レザーを張ります。カーテンも付けます。
前の車から引き継いだものはサイズが違うため殆どゼロから作り直しです。
機材を積む方法や衣類、食糧など、頭をフル回転してイメージを作り図面化。
あとはホームセンターに通って資材調達と組み立て、木工細工。こういう仕事は好きです。

あと数日で第一次完成予定。季節はこちらに関係なくどんどん進みます。
貴重な春の動物や野鳥たちとの出会いをフイにしないよう頑張らなくてはなりません。

渡り鳥たちの朝(ウトナイ湖にて)

夜明け、10万羽のマガンたちが飛び立つ(ウトナイ湖にて)

流氷を求めて(羅臼〜網走)

【道東への長旅】

二月末から三月初めにかけて、道東の撮影に出ておりました。阿寒湖、摩周湖、鶴居村、知床羅臼、尾岱沼、根室、網走、斜里と巡り、走行距離じつに1,900kmに及んだ長旅でした。
今回は、そのうち流氷に関わる部分について簡単に記そうと思います。

【嵐に見舞われて停滞(羅臼)】

知床半島の北側に位置する斜里やウトロの港は、冬の北西風に吹き寄せられる流氷に海が閉ざされます。
しかし南側の羅臼町では岬を回り込んできた流氷は港を埋めることもなく、漁船に乗って沖合の流氷原を観察できます。氷の上に憩うアザラシやオオワシオジロワシなどを間近で見ることもできるわけです。
10年ぶりにこの船に乗ろうと羅臼にやってきた私ですが、初日からものすごい吹雪に見舞われました。本州では春一番と報道された低気圧です。暴風の中を何とか羅臼に着いたものの、道の駅Pで停滞。

丸二日も続いた嵐が去ると、陽光の降り注ぐ根室海峡は青々としてさざ波がたち、流氷は水平線のどこにも見えません。穏やかな凪の向こうに国後島がぼうっと浮んでおります。流氷がないので船はあきらめ、港を飛ぶワシを撮影して羅臼を辞しました。流氷は年によって状況も様々ですが、羅臼は南側のために更に少なかったのでしょう。

【羅臼港で会った英国の長身のカメラマンの話】

「英国にはオジロワシはいないんだ。いやスコットランドにはいるが、ほんの少しだけだ」
「昨日の吹雪の中のドライブは実に…その、デンジャラスだったよ、なにしろ雪道を走るのも初めてだったしね」
「羅臼には初めて来たが、誰も英語を話さないので難渋した。なにしろ僕も日本語を全然話せないからね」

彼は英国の南西部、Dorset州に住んでいるとのこと。海の近くで暖かく、雪は全然降らないそうです。
「ここにはなんと鷲が沢山いるんだ、実にファンタスティックだよ」

話をしながら、そのタフさと無謀さ?に驚かされ、またひどく感心させられました。
(これがかつて七つの海を制覇した英国人の冒険心というものかな)
同時に(それにしても少しは日本語を勉強してくればいいのに)…だがそれも如何にも英国人らしいなあと苦笑。

【網走で流氷を見る】

羅臼を辞して一旦根室、釧路へ南下し、再び北上してオホーツクの網走市へ。あの嵐のおかげでしょうか、沖合4kmに立派な流氷原が広がっています。天気もよいので名物の砕氷船オーロラ号に乗ってきました。大きな船で氷を割りながら進むので、近くにアザラシやワシがいても逃げてしまい見えませんが、遠くの氷の上に休む猛禽の姿を認めることができました。
流氷についての科学的な解説はよく聞きます。シベリアのアムール川の河口で生まれた氷塊が成長しながら南下して、真冬の北海道に到達する。氷から溶け出す栄養分をプランクトンが食べ、それを小魚が食べ、それを鳥やアザラシが食べていく食物連鎖の図です。いわゆる「流氷の育む豊かな生命の輪」というものです。

科学的な説明はさておき、流氷が夕陽に照らされ桃色に輝く様や、西の空に日が沈んでいく刻々と移り変わる色合いの妙は、実に人の心をうつものがあります。
「古代人はこの不思議な氷をどんな思いで見ていたのだろう?」
毎年冬になると遥か彼方からやってきて海を覆い尽くし、春とともに遠く去ってゆく不思議な氷達を —
どこからかやって来て、海獣の獲物の恵みを与えて、またいずこかへ去ってゆく無数の巨大な氷。
そうした素朴な自然への畏敬心に私は惹かれてなりません。
科学や数字の話ではなく、人の生きた目と心がつかみ取る本物の自然観のようなもの。
そうした見方と感覚を、流氷という現象が私にそっと教えてくれている気がするのです。

雪のない2月 (新川河口)

札幌の北、石狩湾に注ぐ新川の河口付近に鳥たちの撮影に訪れました。
とても雪が少なく、2月とは思えない光景に改めて驚かされました。
「これではまるで春だな…」
川面にはホシハジロの家族やカンムリカイツブリがのんびり浮び、草っ原にはきつねが歩いていました。

カンムリカイツブリ

のんびりゆらゆら浮ぶ カンムリカイツブリ

案外平気なキタキツネ

案外平気で近づいてきた キタキツネ

これからまだ雪は来るでしょうが、どっさり降ってびしっと冷えていつもの冬に戻るとは到底思えません。温かいのはよいのですが、何だか調子が狂いますね。

この週末から道東へ出掛けます。知床にも足を向けますが、やはり心配になります。
羅臼の流氷はかなり遅くなっているそうですし、果して十分に見られるかどうか?

春の海岸慕情(小樽市張碓)

気分転換に海が見たくなった僕は、双眼鏡とカメラと望遠レンズを持って車を飛ばした。
国道5号線を小樽方面に向かう。銭函を過ぎて峠の上り坂にかかると海が右側に広がる。
風の強い日だった。海は大きくうねり真白な波頭の砕ける様子が遠くから見下ろせた。

***
目指す張碓(はりうす)はささやかな集落だ。
国道から細路へ入る。海に向かって突き当たりまで行くと小さな駐車場がある。
傍に建つ石碑には、小樽市の鳥「アオバト」の詩と説明が刻まれている。

アオバトは緑と黄色のとても美しい鳩。オー、アオーと啼くのでアオバトなのだ。
彼らは森に住み、海水のミネラルを求めて岩礁へ群来することで知られている。
だがこの海岸でアオバトの姿を見るにはまだ時期が早い。7月以降だろう。
北国の青空と夏雲の季節はまだまだ先である。

***

海岸の主役・カモメは種類が多い。殆どは冬にシベリアやアラスカから渡ってくる。
わが国で通年見られるのはオオセグロカモメ、あるいはウミネコだ。
張碓(はりうす)海岸の弁天島という岩礁では、彼らが毎年コロニーを作り子育てをする。

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桜と碑文と日本のこころ雑感 〜 温根湯・層雲峡

五月連休の晴れた一日、久しぶりに道東へ遠出した。
今を限りと咲ききそう北の桜たち、そのはかない風情を愛でる旅。
日帰りで行ける範囲で札幌から六時間の温根湯(北見)を目的地にした。
彼の地ではツツジが見頃で白樺の新緑や山桜の薄色との溶合う風情はじつに優美だった。
温根湯の新名所「山の水族館」で無邪気に泳ぐ渓流魚たちに心癒されるひとときを過ごす。

旅の途中、上川町の層雲峡に立ち寄って、銀河・流星の双瀑を眺めてきた。
駐車場の傍らには、幅3m高さ2mほどの石碑が建っている。
昭和天皇、香淳皇后両陛下の行幸啓(ぎょうこうけい)記念碑である。

昭和天皇 御製
そびえたつ大雪山の谷かげに 雪はのこれり 秋たつらしも

この石碑の裏の由来にはこうある。

「天皇、皇后両陛下には、昭和四十三年 開道百年記念祝典にご臨席の上、
道北地方ご巡幸に際して、九月三、四、五日の三日間にわたって、層雲峡にご滞在になった。
この間 層雲峡温泉から高原温泉にかけてご探勝あそばされ、このお歌をお詠みになった。

両陛下のこの地への行幸啓を永く記念するため、上川町が、層雲峡観光協会、層雲峡町内会の
協賛を得てこの碑を建立する
昭和四十四年七月二十五日
上川町長 野田晴男
雪嶺敬書 」

北海道でも天皇陛下やご皇族の御足跡を目にする機会は決して少なくない。
稚内公園の氷雪の門は有名だ。傍に真岡郵便局の九人の乙女の悲劇を悼まれた御製御歌がある。
道内各地に行幸啓の碑文があるし、野幌森林公園にも明治天皇の駐蹕の碑がある。
これらの碑文を読めば、当時の人々のご皇室に対する自然で素直な温かい敬慕が伝わってくる。

**  **
思えば私たちの世代はご皇室や日本神話を肯定的にきちんと教わる機会もなく育った。
日本人の暮しに「アメリカ」が残酷に染みこんだ。ABCの洪水が日本の高度な言語文化を壊した。
抗えない欧米化の激流のなかで、居心地の悪さと不自然さに身もだえ、あるいは絶望しながら、
生きていくための価値が見えない不安におののき、私は沈思黙考する青年時代を過ごしたのだ。

社会人となった私は、やがて祖先の歴史とわが国の神話への強い愛惜に駆られるようになる。
そしてごく自然に、御皇室と国民が互いに慈しみ敬慕しあう「君民一体」の歴史、二千年の
長きにわたり祖先が営々と築いてきた、美しい国柄と優しい大和心の本質に邂逅するのである。
「ああそうだ。日本人は、日本は、本当はこうなんだ!…」
深く納得して目が開かれた感激、初めて人生の心軸となるものに出会った思いがした。

**

双瀑の傍らのこの記念碑文を読みながら、私は当時の上川町の人々の真心に思いを致した。
戦後ずっと見失われている「君民一体」の伝統が、懐かしい戦前昭和の香りがそこにあった。
この記念碑はいつか日本人が日本人に還るその日の為に、静かに立ち続けている。
(終)

桜咲く神宮で

思いもかけぬ暖かさは、今年の桜前線を駆け足にさせた。
先週の函館・松前に続き、札幌も27日に円山公園の桜の満開を聞いた。
あるいはGW中に道東や道北でも咲いてしまいそうな勢いである。
白樺の若葉が萌えてきた野山の雪の減り具合を見ても、今年の春の早さを感じる。

北海道神宮は札幌市の円山山麓に鎮座する。我が家からもほど近いので、
境内の桜を愛でながら小さな動物や野鳥たちを撮影するのが私の恒例である。

参道の桜

参道の桜

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朝一番の清浄な境内の空気を吸って参拝を済ませる。8時前はまだ人も少ない。
参道の桜の樹々は、薄紅色の雲を重ねたような枝を優美に差し掛けている。
通勤前に参拝するスーツ姿の若者や、敬虔な面持ちでゆっくり歩を運ぶ初老の男性、犬を散歩させる女性たちがちらほらと行き過ぎる。
不安げな曇り空がいつしか晴れて、春の光が柔らかく神域の杜を包みはじめた。

エゾリスが走り回る。秋に埋めておいたクルミを忙しく掘り出している。
そんなに大きなのをくわえて、あごが外れないのかと心配になるほどだ。
ちりちりと軽やかなさえずりが聞こえてきた。
シジュウカラやハシブトカラが、桜や梅の花の間を飛び回っている。
美しいヒノキやスギの林の中では、枝のカラスがのんびり啼いている。
人界の雑事を忘れる至福のひとときである。

木鼠の耳ふさの毛の揺れるごと  やはらかな風吹くここちして

あった、あった

あった、あった ♩〜

 

稜線から下りてくる秋(2)〜 10月の山々

11月も早くも中旬。札幌ではこの冬はじめて本格的な雪が降った。
窓の外は銀世界になったが、ついこの間の明るい秋の日を思い出しながら
10月の紅葉の旅を簡単にまとめてみようと思う。

***    ***

■「トナシベツ渓谷」の紅葉と渓流のアメマス

10月初めに夕張岳の東麓のトナシベツ渓谷を訪ねた。
高山植物で名高い夕張岳は、西側の大夕張コースが登山者に人気がある。
だが私はまだ登ったことのない東側の静かな金山コースに惹かれている。
今回はその登山口の偵察も兼ねて車を林道の奥へ走らせた。

静かな山の秋だ。沢がさらさら流れ、ひと風ごとに枯れ葉がゆらりと舞い落ちる。
登山口の駐車場には私しかいない。きらめく川辺にもみじの赤が燃えている。
三脚を立て、構図をとり露出を決め、あれこれつぶやきながら盛りの秋色を堪能した。

一時間ほどで車にもどり釣り竿を出す。胴長を履いて素人漁師に変身だ。
胸を躍らせて、本流に支流が合して泡立つ深い渕を狙って竿を振り込む。
小さい重りをつけたエサが、ポイントの深みにすっと沈むや、ぴゅっと引き込まれた。
コンマ何秒かの呼吸で手元を合わせる。ぐんと手応えが返る。「ニジマスかな?」
いや深みにグイグイ引き込むこの動きはアメマスのようだ、それも結構な大きさだぞ。
竿を立てて向こうが疲れるのを待ち、ゆっくり岸辺に寄せる。ウム、アメマス君だ。
30cm弱というところか、いい型だ。

この二年ほどで私もだいぶ釣りの基本を覚えて、坊主で帰ることはなくなった。
だが逃げようともがく魚を見て可哀想に思い、そこで止めてしまうこともある。
そんな奴でも、渓流釣り自体はとても気持ちよくて楽しいのでどうにもならない。
仲間には笑われそうだが、私は生まれつき甘ちゃん性質なのだろう。
この日もアメマスを三尾だけ釣って大事に持ち帰って美味しく頂いた。
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稜線から下りてくる秋(1)〜9月の山々

この秋の紅葉の美しさは格別で、私は頻繁に山に入り、心を染めるような秋景色を撮ることができた。
先般の大雪山(黒岳から旭岳)に続き、東大雪(糠平、然別湖、音更山)を始め、遠くは知床・羅臼岳、また大雪の愛山渓〜沼ノ平、夕張岳東麓のトナシベツ渓谷、日高山麓のパンケヌーシ川、秋田県の鳥海山と充実した撮影行。記録整理の暇もないひと月を過ごした。どの撮影行もそれぞれ印象深い。

■東大雪/音更山は撤退、然別湖のナキウサギに会いにいく

私は東大雪の静かな山域が好きだ。訪れる人が少ないことは深刻な問題でもあるが、やはり静かな山はいいものだ。そこには何か別の時間が流れているような大きな感覚が残されている。

東大雪の森で

東大雪の森で

9月半ばのある日、十勝三股の十石峠から音更山(おとふけやま)を目指した。石狩岳に隣する音更山はコースが長いこともあり未だに登頂していない。この日も朝から雲が出て登るにつれて空が暗くなってきた。ついに稜線が白いガスに包まれたので、もはや写真にならないと思い峠で引き返し下山した。またしても音更山は遠い山となった。

撮影にならないため登頂せずというケースは多い。自分自身も登頂そのものにこだわらない。山と写真を一組に考えるうちに、いつの間にか自然にそうなってきたようである。
この日は音更山を諦め、翌日は然別湖方面に転進してナキウサギの撮影に没頭した。

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