わが国の政治(国内)」カテゴリーアーカイブ

沖縄戦終結の日に一考

■6月23日は先の大戦における沖縄戦終結日

昭和20年4月1日、沖縄の海を埋め尽くした米英豪の連合軍は兵18万2千、空母戦艦等106隻。
これに対し、わが国の守備隊は、第32軍(陸軍・牛島満中将)と根拠地隊(海軍・太田実少将)をあわせて約7万7千、それに加えて県民の義勇隊 およそ2万5千。倍近い戦力差の中、わが守備隊と沖縄県民は、手を携え心をひとつにして決死の戦いに臨んだのだった。

以前、那覇の陸自第15旅団基地を訪ねたときに当時の戦闘について詳しい説明を聞かせて頂いた。私は初めて沖縄戦の凄まじい実際を知り、いい知れぬ感動と運命の悲哀に涙がとまらなかった。沖縄戦は日本人の忘れてはならない大切な記憶、民族の物語だと強く思った。

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シュンクシタカラ湖(阿寒) ※写真は本文とは関係ありません

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春のおとづれ

四年に一度の統一地方選挙、前半戦が終わろうとしている。
今回、私は知り合いの札幌市議会議員の選挙戦を手伝った。
例年この時期は残雪の森で繁殖期を迎える小動物や野鳥たちをさがすのだが、
年末の衆院選で私を応援してくれた市議に頼まれたため今年はスーツネクタイで過ごした。
そして今日が投票日だ。約ひと月の間いろいろあって私は最後は彼と袂を分つことになった。
今、札幌と日本のために真に有意義な結果が出ることを願いながら静かに夜を待っている。

あの衆院選出馬は私にとって思いもかけない出来事だったと今さらに感慨深い。
縁のある「次世代の党」からどうしても出てくれと頼まれた。当選など到底考えられぬ状況だった。
ただ北海道に「次世代の党」の名を知らしめる意義を信じて、結果は考えずに全力を尽くした。
あのとき知り合った人たちとの新しい縁も今後どうなっていくのかは正直わからない。
自分の信じる道を素直に進むのみだ。他者への敬意を忘れず、思い上がることなく謙虚に。

札幌の町並みの向こうに見える藻岩山や手稲山の雪はどんどん薄くなってきた。
長い冬を過ごしてきた樹々の冬芽はもうすぐほころんで瑞々しい若葉が生まれるだろう。
春一番乗りのフキノトウたちが雪の絨毯の隙間から頭を出している。
暖かい風が吹き柔らかな日差しが降り注ぐ北の街に、いつものように心浮き立つ春がやってくる。
桜前線はいまどのあたりかな?なんてようやく気にする余裕が出て来た。

樹液をナメナメする春のエゾリス

樹液をナメナメする春のエゾリス

2014衆院選を終えて 〜 逆境に奮い立つ勇気

■ 絶望的な戦い しかし「次世代の党」は死なず

「終わったなあ…」とひと息つきました。昨夜は開票速報をテレビで見ながら何度も眠りに落ちかけました。疲労感と脱力感が身を包んでいます。
終わってみれば一炊の夢。出馬を決心した11月23日が昨日のことのように思い出されます。
私自身も準備ゼロのいわば飛び入り参加で、また「次世代の党」の名前も国民にほとんど知られていない絶望的な状況で突入した選挙戦でした。

選挙結果は自民党の圧勝。民主党が微増(しかし海江田党首が落選)、共産党が倍増する奇妙な現象が起き、そしてわが次世代の党は19から2議席へと大激減の惨敗となりました。

この結果は仕方ないと思います。あまりにも急な解散総選挙で準備は全くできておらず、我々のような新しい政党にとってはどうしようもない条件でした。二年後の衆院選を睨んで国民への周知を図ってゆく計画が完全に崩れ、次世代の党は壊滅寸前まで追い込まれてしまいました。

次世代の党は国会で鋭い質問を連発して日本復活への実績を挙げてきました。これを恐れたアメリカが安倍政権に圧力をかけたかもしれません。つまり「次世代潰し」の狙いです。

我々「次世代の党」はこの消えゆく日本を救うために生れた希望の光です。私たちが諦めたらそこで日本は終わってしまう、絶対に諦めてはならないと改めて強く思います。
私の胸中には、69年前戦争に敗れて壊滅状態に陥ったわが国の歴史がオーバーラップするのです。あの破壊された国土の中で、祖国再建を諦めなかった私たちの先輩達の気持ちを思い勇気を奮い起こします。

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「次世代の党」正式発足 〜 真の「日本国」の政治が始まる

「次世代の党」結党(公式サイトから転載)

9月16日に都内のパレスホテルで「次世代の党」結党式が行なわれた。

石原慎太郎最高顧問、平沼赳夫党首、山田宏幹事長各氏による結党の挨拶と趣旨説明のあと、期待される若手議員による今後の抱負が披露された(過剰な演出臭には苦笑させられたが)。
この政党の誕生は日本国の将来に大変重要な意味を持っている。私自身、多少関係を持つ人間としての思い入れもあるので、下記2本の動画を紹介したい。

【9.16「次世代の党」結党大会[桜H26/9/17](約11分)】
【衆議院議員 三宅博「次世代の党」の使命、自主国家と拉致問題について[桜H26/9/17] (約10分)

■ 国を憂う気持ちで行動した日々

私は2011年「たちあがれ日本」(平沼赳夫代表)の次世代人材育成塾「かけはし塾」に参加した者である。
当時は鳩山・菅・野田の三氏が首相の座を弄した民主党政権下で、わが国は紛糾と混乱を極めていた。
東日本大震災における菅首相の幼稚で無責任な言動は、多くの国民に大きな衝撃と危機感を与え、無名の一国民の私は「これでは本当にわが国の将来はない、黙っていられるか」と危機感に燃えて、民主党打倒の戦いに身を投じた。
あのときのわが国は「戦時に等しい非常事態」にあったと思う。私は憂国の志願兵の気持ちだった。

その後「たち日」は石原新党「太陽の党」に移行し、大阪の橋下徹氏と「日本維新の会」を合流発足させ、天下分け目の12月の衆院選に突入した。
私は「維新の会」事務局に入って後方支援で戦った。結果は自民党118→294議席の圧勝で第二次安倍政権が誕生した。民主党は230→ 57と惨敗、日本維新の会は11→54議席と躍進した。

その後の安倍政権の着実な実績をみるにつけ、2012衆院選は真実、時代の大きな節目であったと思われてならない。
幼稚で欺瞞的な戦後日本の象徴たる民主党政治に、日本国民が堪忍袋の緒を切り訣別状を叩き付けた瞬間だったのだ。
私はその時以来政治の現場から離れたが、大きな勉強をさせてもらったと思う。また今後も変わらず日本のために自分が何をするべきかを考え、それを軸に生きて行こうと思っている。

卒塾式で平沼赳夫代表と(平成24年)

卒塾式で平沼赳夫代表と

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安倍改造内閣に思う 〜 日本と世界の現実について

■ 留任した閣僚ポストが示す安倍政権の強い願い

第二次安倍内閣が発足して2年弱、初めての内閣改造が行なわれた。2年後の任期満了まで貫く強い意志を改めて示した改造であることは重要な閣僚を留任させていることで明らかだ。

特に麻生財相、岸田外相、下村文科相の三人と、菅官房長官の留任は意義が大きい。
国力(財政)を充実し、欧米に偏屈しない広域外交で安全保障を強化し、日本人としての健全な精神生活を取り戻す。そして全体としての「日本を取り戻す」そんな願いを体現していると思う。

■ 安倍政権に抱く焦燥感 〜 「本心はどこにあるの?」

もちろん安倍政権の政策の中にはかなり問題があると思うことも確かだ。
首相が最重要と公言する経済政策においては、明らかに景気回復の妨げとなる8%増税を強行、さらに来年は10%にしたいと言う。法人税の軽減は大企業の利益に資するが、その実益は外国人株主に回るだけで、一番必要な日本の中小企業には回って来ないだろう。

また女性の社会進出が足りないなどと社民党みたいなことを言うのも首を傾げざるをえない。
配偶者控除の廃止、女性管理職の義務化などの政策を打ち出しているが、いったい何をしたいのか。もちろん有能な女性を登用することが望ましいことに異論はないが、だからといって女性一般を対象にした税制変更や企業への義務化などは行き過ぎであり有害であろう。
それに男性ではもう社会はよくならないと勝手に決めつけているようにも聞こえるではないか。

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原発とマスコミと

北海道電力はこの10月、電気料金値上げを経産省に申請するという。
「(全契約者)平均で17.03%の値上げ」だというから溜め息がでる。

家計のことはどこの家も同じだから今さら何も言うまい。私の溜め息は日本社会が今陥っている大きな構図に対してである。電気料金の値上げは原発をストップしているせいだ。

なぜ再稼動させないのか?大声で強く文句をいう反原発の連中が怖いからである。
彼らの理不尽な文句にビビるのはなぜか?選挙で負けるのが怖い自民党議員が多いからである。
なぜ再稼動すると選挙で負けると思うのか?公明党(創価学会)が原発反対だからである。
なぜ公明党が関係あるのか?自民党は創価学会の票で当選している議員が多いからである。
なぜ公明党は原発反対なのか? 核アレルギーを習性にする戦後日本人に媚びているからである。
なぜ戦後日本人は核に対して過剰反応するか? 原爆をすぐに連想するように教育されたからである。
なぜそんな教育をされたのか?日本に核を持たせず、永遠に米国の従属国にしておくためである…
(もういいかな?)

私の見解はともかくとして、現在の状況では原発なくしては産業が衰亡し国民生活が破綻する。
眉をつり上げて「100%の安全を確保しなきゃダメ」などと駄々をこねる時間はないことは確かだ。 続きを読む

本日、東京都知事選なり

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いよいよ本日が投票日である。
北海道にいる私は、内心やきもきしながら、静かに成行きを見守るのみだ。

オリンピック準備、震災対策、福祉、少子化対策など課題山積の大東京。
アジアのリーダー日本の首都、世界の注目を集める東京都知事選である。
しかし選挙戦と報道内容は異様で、そのレベルと質が疑問視されるものだった。

今回の選挙を私なりに総括するなら、それは
「自分の頭で考える人」VS「報道イメージに乗るだけの人」
だったのではないかと思う。 続きを読む

石原都知事の決意

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石原慎太郎氏が、東京都知事を辞して国政に復帰する意思を表明した。
戦後日本が60年間先送りにして未解決のまま抱えてきた「主要矛盾」。
それをはっきりと具体的に指摘して、是正の必要を全国民に訴え、自らその先頭に立つ覚悟と決意を示した。

占領軍に強制された憲法体制が、私たちの心に権利意識偏重の我欲を育ててしまったこと。
国の会計制度不備のために、潜在する国力が発揮できず空回りしてきたこと。
対米追従の無気力外交に慣れて、全国の米軍基地の固定化を黙認放置してきたこと。
ゆとり教育の愚行を反省せず学力低下に無為無策の文部行政など、中央官僚の腐敗と堕落。

国民として耳が痛い。だがこれらは私たち国民全員の課題なのである。
利権を漁る浅ましい官僚を育てたのも、厚顔無恥な政治屋を送り出したのも、みんな私たち国民ではないか。
石原氏は80歳の高齢にして「最後のご奉公」で国に尽くす決意を語ったのだ。 続きを読む

サッカー勝利の余韻を醒ますオスプレイ報道

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昨日、日本代表のU-23チームがスペインを破った試合を見た。
初戦、しかも世界No1の相手から奪った金星にビールも美味かった。

爽快な気分で何気なくテレビをそのままつけていたところ、
突然短いニュース番組が始まり、米軍基地に配備される「オスプレイ」が映ったのだ。

実はこの夜のサッカー中継番組は、視聴者からのツイッターのメッセージが寄せられて画面下の方にテロップで流れる仕組みになっていた。
勝利を喜ぶ人、プレーについて感想を述べる人、苦言を呈する人など多数続々。
みんなでお祭りを楽しんだ後の長閑さが微笑ましかった。

しかしニュースに突然オスプレイの映像が出て雰囲気は一気に変わる。
「オスプレイの事故率を発表」とアナウンサーが言い終わらないうちに、
早くも文字が流れ出した。

「やっぱり危険なものだったのか!オスプレイなんか要らねー!」
「現実の国民の安全に影響が出る危険なレベルだ!」

まあこんな調子の感情的で強硬な「配備反対の声」が続々と、さっきまでサッカーを見て楽しんでいたお茶の間に流されたのである。
単に勢い反射的な情動に駆られて、別に興味も深い考えもなく「オスプレイ騒動」に便乗して揶揄してみたのだろうか。
少しはそんなものも混じっていたかも知れぬ。

しかしこの測ったようなタイミングで次々に「反・オスプレイ」が我先に押し寄せてくるのはやはり不自然だ。
それに夜中のニュースに反応してわざわざツイッターでテレビ局に投じてくるなど普通の一般人の所業とも思えない。

これは普段から「反○○○」の市民運動ばかりやっている「プロ市民」の仕業に違いない。
ちなみに参考として、地元沖縄の有志の情報を一例ご紹介する。
ぜひリンクから新聞記事をご一読願いたい。

<「早期配備は必要」 有志ら関係機関に要請 オスプレイ>
(八重山日報 2012年7月25日 )
http://goo.gl/5esbM

閑話休題

ここで指摘したいのは、放送局の手法の巧妙かつ卑劣な点だ。
まずツイッターという流行の手段を使うことで
「ここに現れるのは一般人の常識的な意見ばかりなんだ」と思わせる。

ところが実際には、左翼市民活動家たちによる宣伝工作だけが乱舞する。
それを公共放送たるテレビの画面に、悪びれもせず組み込んでいる。
極めて悪質な印象操作が、ツイッターを使って行なわれているのだ。

さらに放送局側は楽に言い逃れができよう。
「ツイッターですから、国民の声をそのまま流しているだけなんですよ」と!

新聞やテレビ、ラジオなどの媒体が国民を「騙す機能」を本来持っているのは現実だ。
だが、何のために「騙す」かで影響と意義は大きく異なる。

昔、メディアは日本人のために(と思って)騙すことがあった。
大戦中の「大本営発表」のウソは国民を鼓舞し勇気づけ、戦意を発揚するためだっただろう。
戦わなければ国が滅びる状況がそこにリアルにあったからだ。

現在の日本のメディアは外国勢力に支配されて日本人を騙す。
日本人から金を搾取し(韓流、パチンコ)彼らの言いなりになる政府(民主党)を作り、歴史ねつ造による謝罪を引き出す宣伝工作に余念がない。

かように今も昔も、外国勢力はメディアを支配してその国を操作する。
例えば今の「反原発」ブームは中国と韓国が仕掛人だという。
ライバル日本の原発産業を封じ、世界に原発を売り出すつもりだ。
(中国産の原発?それこそ世界最大の脅威であろう)

また、ニュース解説者はわが国の首相や閣僚をつねに軽侮し、国会議員を安易に小物扱いして憚らない(素晴らしい議員もいるが全部一緒くただ)
その結果、国民は政治を侮り無関心となり、ろくな議員を選出しないから国家は機能不全に堕していく。
亡国メディアの罪は計り知れない。
わが国はこの売国メディアを何とかしなければならない。

せっかくのサッカー勝利の余韻も、オスプレイの洗脳ニュース工作でぶち壊しか。
こんなことで動じていては、私もまだまだ未熟!

ツイッターの「つぶやき」は、基本的に私的な言葉だと思う。
だからその言葉遣いは総じて、公の場にふさわしくない。
らちもないおしゃべりや井戸端会議をそのまま垂れ流しているようだ。
せめて、このうるさいツイッターテロップ表示を消したいのだが、
哀しい哉リモコンのどのボタンを押しても、消えてくれない。
NHKは、井戸端会議を見たくない者への配慮なんか、ないのだろうか。

巨大メディアの影響力は国を活かしもし殺しもする。
彼らは日本復活の最大の力にも成り得る。
世の中から失われていく美しい伝統の言葉遣いを守ること。
個人の欲望の堕落を諌め、義勇公に奉じる高尚な価値を国民に慫慂すること。
これこそ健全なメディアの使命ではないのか。
(終わり)

がれき受入拒否の札幌市長に疑義を呈す

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札幌市はがれきの受け入れ要請を拒否することになった。
落胆した私は上田市長の文章を読んでみた。その感想を率直に述べようと思う。
以下は札幌市HPに掲載された上田文雄市長の声明文である(抜粋)。

東日本大震災により発生したがれきの受入れについて

(3月11日にテレビを見た)多くの人々の心には、「何とか自分達の町でもこのがれき処理を引き受けて早期処理に協力できないか」という同胞としての優しい思いと共感が生まれたものと思います。(略)
私は、これまで、「放射性物質が付着しないがれきについては、当然のことながら受け入れに協力をする。
しかし、放射性物質で汚染され安全性を確認できないがれきについては、受入れはできない。」と、市長としての考えを述べさせていただきました。
『放射性廃棄物は、基本的には拡散させない』ことが原則というべきで、不幸にして汚染された場合には、なるべくその近くに抑え込み、国の責任において、市民の生活環境に放射性物質が漏れ出ないよう、集中的かつ長期間の管理を継続することが必要であると私は考えています。
非常時であっても、国民の健康と生活環境そして日本の未来を守り、国内外からの信頼を得るためには、その基本を守ることが重要だと思います。
「現地に仮設処理施設を設置し精力的に焼却処理することで、全量がれき処理が可能であり、また輸送コストもかからず、被災地における雇用確保のためにも良い」という意見も、被災県から述べられ始めています。
(現在の焼却後8,000ベクレル/kg以下であれば埋立て可の基準は)「果たして、安全性の確証が得られるのか」というのが、多くの市民が抱く素朴な疑問です。
全国、幾つかの自治体で、独自基準を設けて引き受ける事例が報道され始めていますが、その独自基準についても本当に安全なのか、科学的根拠を示すことはできてはいないようです。
(略)
私たちの住む北海道は日本有数の食糧庫であり、これから先も日本中に安全でおいしい食糧を供給し続けていかなくてはなりません。そしてそれが私たち道民にできる最大の貢献であり支援でもあると考えます。札幌市はこれまで、心やさしい市民の皆様方とともに、さまざまな支援を行ってまいりました。(1,400人を超える被災者の受け入れ、一定期間子どもたちを招いて放射線から守る活動、山元町への長期派遣をはじめとした、延べ1,077人に及ぶ被災地への職員派遣など)今までも、そしてこれからも、札幌にできる最大限の支援を継続していく決意に変わりはありません。
(略)
私は、「市長として判断する際に、最も大事にすべきこと、それは市民の健康と安全な生活の場を保全することだ」という、いわば「原点」にたどり着きました。私自身が不安を払拭できないでいるこの問題について、市民に受入れをお願いすることはできません。
市民にとって「絶対に安全」であることが担保されるまで、引き続き慎重に検討していきたいと思っています。
(2012年3月23日 札幌市長 上田文雄)

溜め息がひとつ出た。

長々と書かれた内容は、徹頭徹尾「放射線リスクはごめんだ」という逃げの正当化に終始し、その論も欺瞞的だと思った。

まず「絶対安全であることが担保されるまで」というのは詭弁だ。100%の安全などこの世に存在せず、担保の基準もない。
日本の食糧庫たる北海道ゆえに拒否する、など飛躍しすぎだ。
がれきの安全性は頭から信用しないが、食品への危険性は頭から信じるというのも不公平で面妖な話だ。

食品への風評被害は、そういう行政の逃げ腰による消費者心理が大きい。
それを一般市民と同レベルの不安に囚われ、それを臆面もなく吐露するような者はリーダーとは呼ばない(非常時には市民に扮装して逃走するかも)。

また「現地の処理施設なら低コストで全量処理が可能だ」とか「雇用確保に資する」という話を持ち出すのも筋違いも甚だしい。

今の無能な政府の下で、がれき撤去が遅々として進まぬ中、状況に追いつめられた被災者たちが編み出した苦肉の策を、これ幸いとばかり受入拒否の理由に拝借するなど、人間の信義に反する。

この声明は危機に対する上田市政の虚飾と惰弱を公に露呈していると思う。
市民の安全という美辞を隠れ蓑にして問題を遠ざけ、東北の同胞の現実の苦難を無視、傍観を決め込むつもりだろう。卑小なり。

被災者の受け入れや子どもを預かることは立派だが所詮は安全な後方支援に過ぎない。今、試されているのは全く次元の違う問題である。
その意味で今回のがれき受入拒否は、多くの札幌人の義心と意気地をないがしろにするものだ。
このような一部の薄情人の論理で「180万都市札幌」を代表されては困る。

また「非常時でも基本原則を守るべきだ」にはまったく呆れた。
非常時には平時と異なる判断が必要なのは政治の基本中の基本であり、幼児でも判ることだ。これではもし札幌が被災したらどうするのか心もとない。
為政者たる資質そのものが疑われる聞き捨てならない認識だ。

東北被災地を思う国民の義心を突っぱねて守る「市民の安全」とは何なのか。主客転倒。冒頭の「同胞としての優しい思いと共感」が空虚に響く。

上田市長の思考に決定的に欠け落ちているもの。
それは「札幌市民であるまえに、日本国民であることの自覚」である。

(終)