がれき受入拒否の札幌市長に疑義を呈す

090217-2-35

札幌市はがれきの受け入れ要請を拒否することになった。
落胆した私は上田市長の文章を読んでみた。その感想を率直に述べようと思う。
以下は札幌市HPに掲載された上田文雄市長の声明文である(抜粋)。

東日本大震災により発生したがれきの受入れについて

(3月11日にテレビを見た)多くの人々の心には、「何とか自分達の町でもこのがれき処理を引き受けて早期処理に協力できないか」という同胞としての優しい思いと共感が生まれたものと思います。(略)
私は、これまで、「放射性物質が付着しないがれきについては、当然のことながら受け入れに協力をする。
しかし、放射性物質で汚染され安全性を確認できないがれきについては、受入れはできない。」と、市長としての考えを述べさせていただきました。
『放射性廃棄物は、基本的には拡散させない』ことが原則というべきで、不幸にして汚染された場合には、なるべくその近くに抑え込み、国の責任において、市民の生活環境に放射性物質が漏れ出ないよう、集中的かつ長期間の管理を継続することが必要であると私は考えています。
非常時であっても、国民の健康と生活環境そして日本の未来を守り、国内外からの信頼を得るためには、その基本を守ることが重要だと思います。
「現地に仮設処理施設を設置し精力的に焼却処理することで、全量がれき処理が可能であり、また輸送コストもかからず、被災地における雇用確保のためにも良い」という意見も、被災県から述べられ始めています。
(現在の焼却後8,000ベクレル/kg以下であれば埋立て可の基準は)「果たして、安全性の確証が得られるのか」というのが、多くの市民が抱く素朴な疑問です。
全国、幾つかの自治体で、独自基準を設けて引き受ける事例が報道され始めていますが、その独自基準についても本当に安全なのか、科学的根拠を示すことはできてはいないようです。
(略)
私たちの住む北海道は日本有数の食糧庫であり、これから先も日本中に安全でおいしい食糧を供給し続けていかなくてはなりません。そしてそれが私たち道民にできる最大の貢献であり支援でもあると考えます。札幌市はこれまで、心やさしい市民の皆様方とともに、さまざまな支援を行ってまいりました。(1,400人を超える被災者の受け入れ、一定期間子どもたちを招いて放射線から守る活動、山元町への長期派遣をはじめとした、延べ1,077人に及ぶ被災地への職員派遣など)今までも、そしてこれからも、札幌にできる最大限の支援を継続していく決意に変わりはありません。
(略)
私は、「市長として判断する際に、最も大事にすべきこと、それは市民の健康と安全な生活の場を保全することだ」という、いわば「原点」にたどり着きました。私自身が不安を払拭できないでいるこの問題について、市民に受入れをお願いすることはできません。
市民にとって「絶対に安全」であることが担保されるまで、引き続き慎重に検討していきたいと思っています。
(2012年3月23日 札幌市長 上田文雄)

溜め息がひとつ出た。

長々と書かれた内容は、徹頭徹尾「放射線リスクはごめんだ」という逃げの正当化に終始し、その論も欺瞞的だと思った。

まず「絶対安全であることが担保されるまで」というのは詭弁だ。100%の安全などこの世に存在せず、担保の基準もない。
日本の食糧庫たる北海道ゆえに拒否する、など飛躍しすぎだ。
がれきの安全性は頭から信用しないが、食品への危険性は頭から信じるというのも不公平で面妖な話だ。

食品への風評被害は、そういう行政の逃げ腰による消費者心理が大きい。
それを一般市民と同レベルの不安に囚われ、それを臆面もなく吐露するような者はリーダーとは呼ばない(非常時には市民に扮装して逃走するかも)。

また「現地の処理施設なら低コストで全量処理が可能だ」とか「雇用確保に資する」という話を持ち出すのも筋違いも甚だしい。

今の無能な政府の下で、がれき撤去が遅々として進まぬ中、状況に追いつめられた被災者たちが編み出した苦肉の策を、これ幸いとばかり受入拒否の理由に拝借するなど、人間の信義に反する。

この声明は危機に対する上田市政の虚飾と惰弱を公に露呈していると思う。
市民の安全という美辞を隠れ蓑にして問題を遠ざけ、東北の同胞の現実の苦難を無視、傍観を決め込むつもりだろう。卑小なり。

被災者の受け入れや子どもを預かることは立派だが所詮は安全な後方支援に過ぎない。今、試されているのは全く次元の違う問題である。
その意味で今回のがれき受入拒否は、多くの札幌人の義心と意気地をないがしろにするものだ。
このような一部の薄情人の論理で「180万都市札幌」を代表されては困る。

また「非常時でも基本原則を守るべきだ」にはまったく呆れた。
非常時には平時と異なる判断が必要なのは政治の基本中の基本であり、幼児でも判ることだ。これではもし札幌が被災したらどうするのか心もとない。
為政者たる資質そのものが疑われる聞き捨てならない認識だ。

東北被災地を思う国民の義心を突っぱねて守る「市民の安全」とは何なのか。主客転倒。冒頭の「同胞としての優しい思いと共感」が空虚に響く。

上田市長の思考に決定的に欠け落ちているもの。
それは「札幌市民であるまえに、日本国民であることの自覚」である。

(終)

がれき受入拒否の札幌市長に疑義を呈す」への2件のフィードバック

  1. やっさん 投稿作成者

    そうですね。今や「サイレントマジョリティー」は「思うだけで行動しない人たち」を指すのかも知れません。
    そもそも、どう考えて判断するべきか、どう行動するべきか自体が分らなくなっている人が大半なのだろうという気がします。
    損得勘定や面倒臭さを「えいっ」と打ち破って正しいことを実行するだけの、心の活力が弱まっているのでしょうね。
    それに、価値観が「多様化」して何が正しいことなのかすらあやふやになっているから、誰も自信を持って声を出せない。
    これがわが国の低迷の根底にあると思います。
    だから大阪維新の会が大人気なんですよね。政策内容の是非よりも「勢いがあって、強く見えてカッコいい」というヒーロー待望の大衆心理に国中が流されている。
    実に、実に危なっかしい状況であります。
    (2012.4.5 15:55)

    返信
  2. きらくにね

    福島で、がれき処理を好意的に受け止めている人がいることを、このブログで知りました。

    サイレントマジョリティーって、ほんとにいるのかな、と最近疑心暗鬼になっています。
    だって、こんなに国がめちゃめちゃにされているのに、怒りを行動に変えている人って、少なくないですか?

    それにしても、写真、かわいいですね。(#^.^#)
    (2012.4.4  22:36)

    返信

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