日本の自然を守るのは誰か

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夕張岳の沢(ペンケモユーパロ川)

先の小笠原諸島の世界自然遺産登録の報道は、近年の例に比して案外静かだった。

まず小笠原諸島はやはり遠い島であり一般の関心を惹きにくいことがあるだろう。
白神山地や屋久島、知床のようにブームになりそうもなく、震災後の世間の鎮静な雰囲気もある。あるいは「世界遺産」自体が早くも陳腐化してきたのかもしれない。


それにしても「貴重な自然を守る」という美辞と実際に自然遺産登録地で行われていることには大きな乖離があることを改めて思う。

森の中に道路や「自然保護センター」を新設して、国道を拡張して観光バスを増発する。外国人観光客の便宜のためにと看板を外国語表記に変える。豪勢なホテルを続々建てて日に何十本ものツアーを組む。

他方、伝統のトド漁を規制されたり、一方的な入山規制で古い馴染みの登山者が締め出されるなど観光産業を優先する行政のあおりを食った国民も多い。

まるで観光業者のためだけに国をあげて世界遺産のブランド名を買ったようなもので、こうなるともはや遺産登録の意義自体に再考の余地があるといわざるをえない。


残すべき遺産とは何だろうか。単に森林などの自然景観、外見を維持することだろうか。
いやそうではあるまい。

母なる日本列島の自然をいとおしみ、感謝の気持ちを形にして次世代に伝えること。長い歴史に裏打ちされてきた自然を敬う慣習や考え方に第一義的に尊敬を払い、最大限その心を受け継ぐように努力すること、それが本当の自然遺産ではないだろうか。


もちろん開発や変化は国民生活の充実と維持のために積極的に必要なものだ。
しかしどんな開発においても、得られるものと失われるものの比較考量がなければならない。その議論の土台、判断の基準となるのは、わが国独自の生活慣習に先人が込めてきた想いを素直に尊敬する気持ちだと思う。

然るに「国際化」の言葉に踊らされて伝統のトド漁やクジラ漁をやめるべきだとか、古代遺跡の上にゴルフ場を作るというような行為が、今生きている人間の利益のために是とされてしまう。積み重ねてきた歴史への尊崇よりも現在世代の都合と欲望を優先してしまう不道徳がわが国に蔓延している。悲しむべき状況である。


同根の病で、自然ブームの中で観光業界の利益が環境行政の判断基準となっている。
「観光客の増加は地域活性化になる」という(誰が言い出したか知らないが)いいかげんな固定観念に強力に支配されて、誰も反対できない雰囲気があるからだ。
その結果、守ろうとした森林に人工の施設をどかんと建設して、さらにグッズ商売までがあっさり許可される。他方、その森では毎年多くの野生のヒグマが「観光客の安全のために」秘密裏に駆除されている。もはや何を守るのかすら分からなくなっているのだ。


かようにわれわれの社会は、ものごとを判断する道理の基準を喪っている。
「日本流」で胸を張れず、すぐに外国の事例に模範を頼ろうとする惰弱なクセがある。
もちろん外国製は日本人に合わないから、破綻して前よりも悪くなる繰り返しだ。
この「自国軽視」の病から一刻も早く抜け出す意識が必要である。

たとえば「国連」は国際社会の利害調整機関にすぎない。そのまた一機関であるUNESCOなどに、二千余年の歴史あるわが国の自然を今更評価していただく必要は露ほどもないことを改めて考えるべきだろう。

「日本の自然は素晴らしい」と言われて悪い気はしないが、わが国の自然に何らの歴史的恩恵も責務も感じていない外国の言葉は頼るに値しないことを知るべきだろう。

わが国の自然をわが人生と一体のものとして、その記憶を子孫に伝えていく資格と義務は、この列島に共に生きてきた我々日本国民だけのものだ。
その現実の重さの前には、国際社会のお墨付きなど不要であり、むしろそのことを私たちは誇りに思ってよいと思う。

(写真:夕張岳 ペンケモユーパロ沢の朝)

日本の自然を守るのは誰か」への2件のフィードバック

  1. やっさん 投稿作成者

    わが国の歴史の特徴でもある「異国かぶれ」は、本来自分の国柄への絶対的信頼の証だと思います。それは子が親に抱く安心感の上に初めて成り立つ冒険心、好奇心のようなものかもしれません。
    しかし、戦後日本の外国礼賛はそれと本質的に異なるものではないでしょうか。親(国柄)への反発と不信感(あるいは憎悪)を人為的に刷り込もうとした「戦後の空気」が生んだ、自己否定と自己破壊を招く深刻な精神の病に見えるのです。
    今回の大震災でほの見えた「日本精神」も、復興とともに再び無意識の淵に沈む。そして相変わらずの惚けた無為の日々が続くならば国民精神の劣化減耗に歯止めがかかることはない。やはり今、日本は大きな歴史的転換点にいると思います。沈み行くだけの「黄昏」を迎えないために、何かしなければなりません。
    (2011.7.18 02:49)

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  2. 清水の山内

    「異国かぶれ」という困った人達は昔から居ましたが、現代は以前にも増して危機的状況にあるようです。
     しかし、震災を機に、我々日本人が受け継いできた〈生き方〉が見直されてきています。たとい今はピンとこない人でも、いつかはその大切さに気付くことができるはずです。山鹿素行も夏目漱石もそうでした。
     曇りの無い目で我が国の歴史を振り返って見ることができれば、「日本らしさ」とは何かに気付くことでしょう。
     例えば、「聖徳太子が17条の憲法で伝えようとした精神とは」、「菅原道真は遣唐使を廃止して何を守ろうとしたのか」、「足利将軍家とは違って、楠木正成らの家族は皆仲が良かったのはなぜか」、「西郷隆盛が幕臣の山岡鉄舟を明治天皇の扶育係に推薦したのはなぜか」など、歴史上の人物の思いを忖度してみると、ヒントがつかめると思います。
    (2011.7.14  00:30)

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