メディアリテラシーと「内なる自然」

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6月2日、内閣不信任案は否決されましたが
菅内閣はようやく終焉へ大きく踏み出したと思います。

首相にとっては党内の造反を抑えた「勝利」でも
国民はその手法の卑劣さと醜さをしっかり見ていますから
そんな人間の末路は知れているものです。
8月退陣、今度こそ本人の意図とは違って現実になるでしょう。


さてここでは少し別の話をいたします。

今回多くのメディアが不信任案を「権力争いのゴタゴタ」と呼びました。
地方ラジオのDJまで「なぜ今、不信任案なんでしょうかね」と嫌悪を示し
視聴者のお便りも「被災者のことを考えて!」というものばかりが紹介されていたように感じました。

「被災者のことを真剣に思えばこそ一刻も早く首相交代が必要だ」という意見はなぜか急に影を潜めて、表立ってきませんでした。

この極端に偏った民主党擁護の報道姿勢は、09年の政権交代の時に
メディアの論調がみせた印象操作と同じ手法だと思います。
あのとき多くの国民が「自民は駄目」の執拗なイメージ刷り込みにやられて
熟慮もせず覚悟もないまま、新聞やテレビの論調に引きずられて投票した結果今の民主党政権が誕生してしまったのでした。

その後の民主党政権による日本の弱体化と劣化はご存知の通りの惨状で
残念ながらメディア工作に極端に弱い日本人の欠点が露呈した形です。


今の日本人のテレビや新聞への無警戒な依存ぶりは常軌を逸しています。
いわゆる世論はメディアが操作して作り出しているのが実態で
さらに外国がそれを利用して日本社会を操作している。由々しき状況です。

そういえば大学入試に朝日新聞の思想満載の『天声人語』が使われました。
朝日記者の思想を刷り込まれる子どもたちの将来が心配です。

それに新聞コラムなどは断片的文章のつぎはぎで、美文とはいえない。
あらゆる面で教育には不適当な代物といっていい。
日本人の新聞信仰はもはや病気の域にあると感じる事例です。


これも余談ですが
今回の不信任案否決の裏に外国の介入はなかったのでしょうか。
菅直人氏のこれまでの巧みな保身術は
ひょっとすると外国のspyによる入れ知恵なのではないか。
なぜかというと彼のやり方は日本人の常識では理解できないものが多い。
嘘をつくことが平気な神経、仰々しく空虚なパフォーマンス。
なんとなく2008年五輪の開会式と似たメンタリティが連想されます。
彼は外国人から多額の献金もこっそり受けていましたし
N.Koreaの拉致犯人釈放懇願書にも署名していたことを思えば
あながち的外れではないかもしれません。


さて話を戻すと
テレビや新聞の言説を自分の感覚よりも優先することは
言い換えれば現実よりもメディアの作る幻想を信じることであります。
そんな人が今の日本にはかなりいるのではないでしょうか。

架空の世界に心を遊ばせたまま、現実の世の中に興味を持てない人が。
いわゆる「ネットおたく」だけの話ではありません。
テレビを中心とした非現実的な世界も本質的に同じでしょう。

こんな精神のホルマリン漬け状態にならないためには
生々しい現実を自分の言葉で解釈しようとする態度が不可欠です。
テレビや新聞の報道記事は「誰かにすでに意味付けされたもの」であり
必ずもう一度自分の頭で考えて、意味をつけることが必要なのです。


戦時中の大本営発表は「国民を騙した」と悪し様に言われますが
それは今のマスコミも同じでしょう。
(いや、今のマスコミは米国や中国・朝鮮の意思に操られています。
誤謬とはいえ日本勝利を願っていた大本営発表よりもずっと悪質でしょう)

ともかく
メディアからはなるべく距離を取り、常に疑いましょう。
特にテレビの洗脳効果のすさまじさは心しておきたいものです。
テレビ漬けの幼児の脳の発達が阻害される事例は、大人でも無視できません。

というわけで私は必要最小限、なるべくテレビを見ないようにしております。
現実感覚を研ぎすまして、心を眠らせずに物事をしっかり見ること。
それは誰もが本来もっている力「内なる自然」の回復でもあります。
メディア惚けからの脱出は日本人に活力を取り戻すと私は信じています。
人生は自分の言葉で語ろう!をキーワードに頑張りましょう。

(終わり)

メディアリテラシーと「内なる自然」」への2件のフィードバック

  1. やっさん 投稿作成者

    そう、日本文明に根ざした「勘」が忘れられていますね。
    勘の根源は「生命力」だろうと思います。
    生死存亡の根源体験を「言語」で積み重ねてきた人間ですが
    それゆえに(マスコミという)巨大な「言語的影響力」の中で
    自らの思考維持が難しくなっているのではないでしょうか。
    生存の本能が鈍っていると思います。
    (11/6/16 23:28)

    返信
  2. 清水の山内

    テレビのニュース番組を見ていると、もちろん参考になる部分は多いのですが、反面、おかしな言い回しや(なんでも「~かもしれません」と言う等)、常用漢字の制限のため却って読みにくい字幕が気になります。
     また、背景的事情の説明無しに特定の事実のみ伝えて、結果的に偏った意見形成に導いてしまっていることもあります。
     こういったことに違和感も持たずマスコミの言うとおりに物事を考えているとすれば、それはもはや奴隷も同然だと思います。
     日本の文明を身に着けその精神を受け継ぐということは、かかる奴隷にならないということでもあります。なぜなら、自分で判断できる、又はそこまでいかなくとも、勘が働くからです。
    (2011.6.15 11:08)

    返信

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