波乱の向こうに 令和の夜明け(1)

明けましておめでとうございます。

今年こそ元旦の更新を!と思いつつ、お正月気分に連戦連敗。
ようやくPCに向かって文を綴ることができました。
今更気負うこともないので、今年も緩くやってまいります。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

昨年は平成が終わりを告げ、令和が始まりました。
年初にあたり御代替りを寿ぎ、11月の「大嘗祭だいじょうさい」から述べてみましょう。

伊勢神宮 外宮

大嘗祭を終えて真の天皇になること

5月に令和改元、10月に「即位礼正殿の儀」、全世界が日本の皇位継承を知りましたが
真の意味での皇位継承は「大嘗祭」の儀式をもって完成したのでした。
故・葉室頼昭氏(春日大社宮司)が著書で大嘗祭についてお書きになった文章を引いてみます。

「…天皇がご即位されていちばん最初の新嘗祭にいなめさいを、大嘗祭といいます。
…天皇がいわゆる大嘗宮のなかに入られて、天照大神に自らご飯を差し上げられて、そのご飯を天皇も召し上がる。
そして天照大神と一つになる。それが本当に天皇になられるという儀式なんですね…」

葉室氏は平成の大嘗祭のとき、宮家の方々の「衣装をお着けする役」で奉仕されました。
その時の体験を、こうお書きになっています。

「…大嘗宮のなかにはもちろん入れないから、その入り口で待っているでしょう。
そのときに、一つになられる前に入っていかれる天皇と、天照大神とご一体になって出てこられた天皇の違い、この威厳のすごさにみんなびっくりしました。
天照大神と一つになるというのは本当だなと思いました。
私だけが思ったのではなくて、そこに奉仕した人はみんなそう思ったのです。」

(葉室頼昭『神道 見えないものの力』春秋社 P162より)

このお話からは、政治制度上の天皇像ではなく霊的で精神的な天皇のお姿を強く感じます。
天皇は神道の祭祀を司る大神主なのですから、本来これが当然のことですね。

この一点をもって、わがご皇室が外国の王室(たとえば英国・スペイン、ベルギーなど)と本質的に異なることが実感されることでしょう。
他の国の王室は、民族の信仰とは関係ありません
ご皇室の存在はその意味ではカトリックのローマ教皇と比較されるものでしょう。

ご皇室は日本で最も古い家系であり、私たちのいわば総本家なのでして、
私たちの祖先を辿ると、全ての国民は天皇家の血筋につながっていると言われています。

このような君主と国民の関係は世界において類例がありません。
他国の古い家系ははるか昔にみな滅んでしまったからです。

GHQ占領軍司令部のブレーンに モルデカイ・モーゼという方がいました。
このユダヤ人の長老が1979年に著された本の冒頭に、興味深い一文があります。
ぜひ引用し紹介したいと思います。

「日本民族のもつ最大の財産は天皇制である。これは全く世界に類例のない偉大なものであり、人類の理想とするものである。
かつてユダヤ人の大思想家でフランス革命に大きな影響を与えたジャン・ジャック・ルソーは、かの有名な「社会契約論」で次の如きことを言っている。

「人もし随意に祖国を選べというなら、君主と人民の間に利害関係の対立のない国を選ぶ。自分は君民共治を理想とするが、そのようなものが地上に存在するはずもないだろう。したがって自分は止むを得ず民主主義を選ぶのである」
…」
『あるユダヤ人の懺悔  日本人に謝りたい』モルデカイ・モーゼ著 初版1979年 復刻版2019年 より

ユダヤの長老が日本の天皇に対して寄せた大なる賛辞は、非常に重要な意味があります。
GHQが昭和天皇を東京裁判の被告にしなかった真の理由もここにあるといえましょう。
あのルソーが、当時もし日本の国を知っていたら…
「書きかけの社会契約論など破り捨てて、ただちに東洋の偉大な君主国へ馳せ参じ」たであろうというわけなのです。
世界の指導者たちは第二次大戦後に初めて天皇の本質を知り、驚愕したのです。

モーゼ氏は「外国では日本のような君民一体の国柄は決してありえない」といいます。
外国では「君主とは人民を搾取する存在である」という理解が常識だったのです。

わが国の「皇室問題の専門家」たちは、テレビ解説でお決まりのように言います。
「新しい天皇のあり方を」「開かれた皇室を」「ヨーロッパの王室では…云々」
こういうトンチンカンな専門家などは 百害あって一利なしです。

彼らの解説は、日本に無知な外国人たちが皇室をあれこれ云々するのと変わりません。
戦後の教育は宗教や信仰を一切無視してきたので、その弊害の代表例といえるでしょう。
信仰心に 新しいも古いもなく、まして 閉ざされたも開かれたもないのです。

(東国三社詣)常陸國一宮・鹿島神宮 拝殿

伝統の意味をわきまえない安易で軽薄な行為


今般の大嘗祭で、大嘗宮の茅葺屋根が「経費節減のために」板葺きに変えられました。
噴飯もの、言語道断の仕業と思います。
皇室の伝統を守るべき立場の宮内庁が、長官自ら率先して伝統破壊のお先棒を担いだのです。
わが国の高級官僚がいかに無責任で国への敬意を欠いていることか…情けないことです。


宮内庁は19日、2019年11月に行われる代替わりの皇室行事「大嘗祭(だいじょうさい)」の会場を前回の8割程度に縮小すると発表した。祭祀(さいし)の様式は踏襲しつつ「大嘗宮」の一部の建物をプレハブ化し、屋根や柱も安価で調達しやすい素材に切り替える(日本経済新聞 2018年12月19日 記事より)

この日経新聞の記事もひどいです。大嘗祭は「皇室行事」ではなく「国家の祭祀」です。
「会場」などと、まるでコンサートやイベントと同じ感覚で捉えているように感じます。

じつは茅葺は技術的にも費用的にも十分に可能でした。
清水建設が人も費用も出す、期日にも間に合わせるからと進言していたのです。
それを蹴って敢えて板葺きにしたのですから、宮内庁は初めから「簡略化」を決めていた。
その理由が「経費節減」なのです。なんというセコい根性、狭い見識でしょうか。

「前回は総額25億円かかったから」とか「どうせ三ヶ月で壊すのなら安普請でいい」とか言っていたらしい。これほどご皇室の伝統を軽んじた考え方はないでしょう。
物ごとの価値を 合理性と金額の多寡でしか考えられない、お粗末な人間が多すぎる
とくに政官財界の中枢を占める人たちの、精神の劣化が確実に国を衰弱させています。

(東国三社詣)下総國一宮・香取神宮 拝殿

昨年のご譲位に関してもひとつ。
宮内庁もメディアも終始「(生前)退位」という不適切な言葉を使いつづけ、さらに歴史上例のない「上皇后」「皇嗣殿下」などという新語を勝手に作って使っています。
多くの国民は「上の人が決めたことだから」と疑いもせずにいますが・・
皇位に関わる言葉を勝手に作るなど本来あってはならないことだという、日本人なら当たり前の感覚が麻痺しているのです。
(「上皇后」ではなく天皇のご母堂という意味の「皇太后」が歴史的に正しい尊称です)
秋篠宮殿下は正しくは「皇太弟」であり、悠仁親王殿下はやがて皇太子殿下になられる(立太子)のが本筋です。

それを阻み、どうしても愛子内親王殿下を天皇にしたい勢力が宮内庁にも入り込んでいます。
秋篠宮殿下を「皇位継承の可能性のある」半端な存在(いわゆる「皇嗣殿下」)としておき
悠仁親王殿下の立太子を遅らせ、愛子内親王殿下を皇太子にする工作の時間を稼ぐつもりかもしれません。
悠仁親王殿下を無視し続けている大手メディアの報道姿勢も同様の狙いでしょう。
「万世一系」の皇統を断ち、皇室を形骸化して日本を滅ぼそうとする勢力は、公的な場所に潜伏して、なりふり構わず工作を続けているのですが、私たちがこのことを知って意識することで、彼らの野望を挫きご皇室をお守りすることになりますし、それが日本の国を守ることになります。真相を多くの国民が知ることが大切だと思います。

男系継承を守ることが日本を守ること

年の初めの更新ということで、ご皇室のお話を申し上げました。
これこそ、我が国の存亡を左右する最も重大な、負けられない戦いだと思うからです。

天皇の「男系継承」が続く限り、私たちは遠い昔から続く日本人でいられます。
日本人が日本人でいられるなら、長い歴史を紡いできたその底力で、どんな国難も跳ね返すことができると私は信じますし、皆様もきっとそう信じておられることでしょう。

(東国三社詣)息栖神社 境内

ここ数年でテレビには外国人が出演する番組が激増したと感じます。
日本人と外国人のハーフのタレントが、雨後のタケノコのように出現しています。
これは明らかにメディアの意図的な世論操縦、洗脳工作だと思われます。

外国人と日本人の区別をしないように、ジワジワと私たちの頭を作り変えていき
日本にこだわる必要はない、世界はひとつになるのだという妄想を刷り込んできます。

これではいずれ、日本の歴史と文化はこの地球上から消えてしまうでしょう。
それでいいのだと平然と言う人たちが、グローバリズムを信奉する人々です。
メディアを握っている彼らによって、私たちは「日本を忘れさせられてきた」のです。
私たちは、これからは本気で、はっきりとNOを言わなければなりません。

ご高覧くださり ありがとうございました。
次回(2)では消費税10%の闇について、ささやかな私見を述べてみたいと思います。

過ぎにし春夏を思う

はや10月である。ようやく秋心地がついてきて、冷房も使わずに一昼夜を過ごせるようになった。
札幌に住んでいた頃は冷房などは不要であったが、今からは信じ難いことに思える。
5月以来更新をせずに過ごしてしまったが、またゆるやかに再開しようと思う。

🔷 東北の旅

北海道にいた頃、僕は東北地方の自然に憧れながら、いつも遠くに感じていた。
函館や知内の海岸に立てば、青森県の陸地は驚くほど近くに見えるのだが、やはり津軽海峡を隔てていることが心理的に厚い壁となり、何か遠い国のような距離を感じていたのである。

静岡に住んでから、500kmも離れている東北地方がかえって近く感じられるから不思議だ。
やはり陸続きであること自体が、気持ちにある種の一体感を与えるのだろうか。
今年、春と夏の2回、青森・秋田へ撮影の旅をした。

🔷 春の鳥海山麓(5月)

紅色に輝く残雪の鳥海山を見たくて、にかほ高原の溜池群をめぐった。
扇谷地池ではブユに悩まされつつ、雪をたっぷり詰めた山肌が落日に照り映える様を見つめた。
翌朝は大谷地池に三脚を立てた。よく晴れた朝だったが少しだけ水蒸気の濁りがあったのだろう、
最初の光芒が眠りから覚めた山の雪肌を照らしたとき、思ったより赤味が少ない感じがした。

朝露も乾かぬ間に、四角井戸池へ。満開の桜が枝を頭上にかざし、やや遠く見える鳥海山頂が手前の池の面に映り込む。桜と鳥海山のこの構図は思い描いていた一枚だった。

微風が湖面を常に揺らして、願ったような水鏡とはならなかった。また空気の濁りが 山や森の輪郭を春らしくぼかした。それは、それでいい。自然は 思う通りにならない。人の生も然り。

🔷 白神山地(7月)

ふた月が経った六月の末。梅雨の真っ最中であった。
新潟から一夜のフェリーの客となり、翌朝秋田港から北上して南津軽へ向かった。
深浦町で雨のために3日間の停滞のあと、ようやく十二湖を初めて訪れた。
整備された遊歩道のあちこちに「世界遺産」の文字が溢れ、外国の観光客の姿が目立った。
有名な青池のほとりでは、始終 甲高い声の外国語が飛び交い、耳を刺し続けた。

自然は誰の遺産でもない。世界自然遺産という言葉には 嘘と偽善のいかがわしさが満ちている。
北海道の知床で感じていたストレスを、ここでも否応なしに味わうことになろうとは。

十二湖を去り秋田側の藤里町でブナの森を見た。ここでは豊かな時間が静かに流れていた。
大げさな建物や看板など宣伝がほとんどなく、昔からの自然な姿がよく保たれているようだった。
この点も 知床のウトロと羅臼の関係を思い出させるものがある。

🔷阿仁・秋田駒ヶ岳

白神山地を離れて、能代から 阿仁、田沢湖へと内陸線に沿って南下した。
マタギで有名な阿仁地域の核をなすのが森吉山や太平湖の自然である。

森吉山から流れ落ちる「安の滝」はなにか不思議な生命力を感じる滝であった。
黒い岩壁が斜めに切れ込んで、落ちる水柱を美しく分けて滝の輪郭を特徴付けている。
安の滝伝説は 各地にあるような悲恋の話である。
日本人の優しく深いこころは、美しく優しく時に厳しい自然の姿と重なり合う。

森吉山は標高よりも、その生命を育む山麓の森の深さに惹きつけられる。
北海道でいえば、利尻や羊蹄ではなく、知床や大雪山のような・・・
何しろここは阿仁のマタギたちが猟の生活を営んできた恵みの山なのである。

秋田駒ケ岳に初めて登った。疲労で体調を崩した影響で撮影自体は不十分に終わった。
有名な花の山だが、時期が遅かったのかチングルマはすべて散り、黄色いミヤマダイコンソウばかりが目立った。赤いエゾツツジが見えたが夏の日差しにしおれて勢いは既になかった。

田沢湖の深い青色は変わらず美しい。その色はクニマスの泳いでいた昔と変わらないのだろう。
関係者の努力が実り、いつの日か野生のクニマスが田沢湖に戻ることを、私も願っている。

深いブナ原生林の風、野生動物の息づく気配、湖沼の静寂と波紋、山奥に轟く大滝…
すべてが生気に満ちて、太古のいぶきを宿した霊妙な世界だった。
東北地方の山や森や湖沼、農村の風景が心を惹きつけてやまないのはなぜだろう。
この世で知らない古い日本への憧れ。これは僕の前世の記憶なのだろうか?
それとも祖先から受け継ぐ遺伝子の記憶なのだろうか。

春は遅い桜を追いかけた。夏は梅雨のあと巨木と山の花を求めた。
もうすぐ、紅葉に彩られた季節がやってくる。その準備にいま追われている。
東北の自然を訪ねる旅は始まったばかりだ。それは古い日本の本質に出会う旅でもある。

令和は「現実」を受け止める勇気の時代に

◾️平成をふりかえれば

令和の幕開けからひと月が経ったいま、改めて平成の時代を振り返って思うことがある。
大自然災害の頻発や、子供達のいじめや猟奇殺人などが まるで日常茶飯事のようになっていた。
何か我々の根深い場所が ひどく病んでいることを強く感じていたものだ。
巨大な嘘を積み重ねてきた「戦後日本」の矛盾が、その腐敗を隠しきれず噴出してきたのだと。

世の真実を見抜くのは 合理ではなく 直感である。
東日本大震災に際して石原都知事が「天罰」という言葉を用いて批判されたことがあった。
だが石原氏の痛切な思いに 心底共感した日本人は私だけではあるまい。

空虚な言葉を流行らせて 健全な秩序を壊していく リベラリズムが世界中を混乱させてきた。
自由、平等、人権」などの抽象的で中身のない言葉が 金科玉条のように扱われたために
われわれの言葉は軽薄となり それとともに物事の価値はすべてが相対化し、そして空洞化した。
「何よりも個人の個性が大切だ」と宣伝・神聖化されて、公的な道徳は混乱し そして劣化した。

◾️「イイとこ取り」の考え方ではダメ

「経済だけ考えればイイ」といって、人間の精神生活の面を考えない者
ありもしない「差別」を設定して「弱者を守れ」と叫び「イイひと」を演じる者
心地イイ話だけを聞いて、不都合な真実や面倒な事実は黙殺、無視してやり過ごす者
安易な「イイとこ取り」で一生を過ごそうと考える、戦後日本人の特徴のひとつかもしれない。

この「イイとこ取り」が精神を腐らせた。自己の都合を優先させ 現実を見る目を失わせた。
無知蒙昧を恥じず、 他者を尊敬する習慣も消えて、己を鍛えることを面倒に思うようになった。
そして「あるがままの君、そのままの君がイイんだ」と言われたがる薄弱な人間が増殖した。

だから骨のある若者たちは 理想の人間像、社会像を「昔の日本人」に求めざるを得ない。
古事記や万葉集、神社は静かなブームである。若い女性たちの間では縄文ブームまである。
昔の日本人は泣き言をいわずに謙虚に真剣に生きる強さがあった。戦にも勇敢に立ち向かった。
モノは豊富だが人間が呆けた現代、若者たちは 真面目に強く生きるお手本を欲している。

これは日本の長い歴史の強みだが、そこに頼る以外にないのは 危機的な状況ともいえる。
つまり戦後日本人の姿はもはや 生きるうえで御手本にならないものに堕ちているということ。
この恥ずべき現実を 我々はごまかさずに 真摯に受け止めて考えなくてはならない。


◾️国際主義者との戦いは 終わっていない

戦後は次の戦争で終わる、次は勝てばいいんです」(経済評論家・渡辺哲也氏)とは面白いが、
じつは戦争は この百年来、形を変えながら 今も絶えず続いているというのが私の認識だ。

欧米の近代を作ったユダヤ思想は 国家を否定し 国境なき市場による世界統一を目指す考え方。
欧州の大財閥ロスチャイルドを後ろ盾に 米国のウォール街が金融力で世界を支配してきた。
その国際主義のユダヤ勢力に対してわが日本の歴史と精神文化を守る熾烈な戦いが続いている。

これこそが あの仏革命から20世紀の世界大戦まで一貫する、世界動乱の構図の核心なのだ。
かつて「大東亜百年戦争」と喝破した林房雄氏の慧眼は、この本質を見事についていたと思う。
わが日本は 世界最古の家系・皇室をいただく国であり、いわば世界の国の模範的存在である。
だからこそ世界を統一したい国際主義者にとり最大かつ最後の敵として、標的にされてきた。

戦後 猖獗を極めた国際主義だが、2年前に米国にトランプ大統領が誕生して情勢は急変している。
「自国ファースト」国民の安全と繁栄を最優先する政策が 堂々と語られるようになってきた。
わが国では政財官すべてが鈍麻して対応できずにいるが、国民の間では 徐々に世界の真実を知ることで 本来の国家観に目覚める動きが見られるのは 将来に向け明るい兆しである。

令和の御代は「歴史ある日本」の伝統を尊び、ご皇室や祖先への敬愛心を新たにしたいものだ。
それが 今を生きる私たち大人が 日本人としてまず考えるべきことであろう。

新元号発表寸前の思い・・不安と希望

四月一日、いま午前10時50分である。あと40分で、次の御世の元号が発表されるのである。

胸に渦巻く不安が高まる。変な元号にされたらどうなる?
「有識者」たちが絞り込んだという5つの案から、決められるらしい。
あの、女性宮家という「皇室破壊工作」を推進する勢力が占める「有識者」たちなのだろうか。
日本の国柄とご皇室の歴史を無視して、己の思想的好みを勝手な理屈で押し通そうとしてきた、あの「有識者」たちが、今回も決めているのだろうか。
私は どんどん胸の中に不安が高まっている。

新しい元号は、これから何十年か、私たち日本人の生活に密着する重大なものである。
これがもし、左翼リベラル思想に冒された連中の頭で 作られたら、どうなるのか。

国民がそっぽを向くような、あまり使いたくないような、言葉だったら?
国民に「何か嫌だな」「あまり使いたくないな」と元号を縁遠く感じさせれば しめたもの。
いずれ元号を廃止して西暦に統一するように持っていこう、そう考えている者たちがいるだろう。
それらが、「有識者」たちを主導している可能性も否定できない。
女性宮家をめぐる謀略や、皇室を貶めるマスコミ報道を許容し、歴史上存在しない皇嗣殿下というものを国民の知らないうちに勝手に作ってしまった連中だ。
ご皇室を、好き勝手に造り変えようとする者たちが、なぜか「有識者」と呼ばれている。

今回の元号の決め方に、陛下やご皇族の方々の意見は取り入れられているのか?・・
マスコミの記事で見る限り「有識者」が絞り込んで官邸が決める、という流れのようである。

もうあと13分で、発表だ。何をか言わんや・・祈るしかできない。祈るのみである。
日本の神様、ご先祖さま、どうかまともな元号になりますように。
日本国民が自国の歴史と伝統に誇りを感じられる、よい元号になりますように。
きちんと、伝統を守って古典籍からの引用でありますように。
現代的なキラキラ元号になりませんように・・
人権とか個人とか、平等とかの薄っぺらで幼稚な近代感覚で選ばれませんように・・

あと数分で、日本の将来がかかった瞬間がやってきます。

真の日本の夜明け (御代替りを迎えて)

◆ 去る12月23日 天長節 皇居前にて

今上陛下の 最後の「天長節」(※天皇陛下のお誕生日のこと)
人混み嫌いの私も 万感の思いで 皇居へ参じた。
朝の皇居 和田倉門前には すでに参賀者の大行列が出来ていた。

曇り空から時折 雨が落ちてくる 穏やかな冬の日。
手荷物の検査を終えて 新たな列に並ぶと 行く手には 正門と二重橋が見えた。
雲間から陽光が差して 彼方のビル街に降りそそぐ。

正門を入り 二重橋を渡ると 古い石垣や青々した松に 残りもみじの紅が映えている。
年配の夫婦や子連れの若夫婦、恋人たち、外国人と様々な人々が行く。
イベント気分の人も多いのかもしれないが・・それでも 天長節を祝うこの場に これだけの大勢の人たちが足を運び集った事実自体が 麗しく感じられた。

11時__人々で埋まった宮殿前で 小旗を握り 陛下と皇族方のお姿を拝した。
遠くからお姿を拝して 私は 思わず目頭が熱くなるのを感じた。
ライブ演奏や映画に感動するのとは異なり、根元的で 静謐な感激が湧いてきた。

悠遠の時間と、今ここに在る自分・・霊妙な感覚で 心が痺れたようになった
あの瞬間 私は  陛下のお姿を鏡として 己の本質に触れたのかもしれない。

生身の人間であると同時に 無数のご先祖の霊を合わせた「日本総体」としての 陛下。
 陛下と我々の心が共鳴して 不可視な波動が 己の魂を揺さぶったのかと思う。

「すめらぎは 我が国の祭祀王  皇室は 世界で一番古い家系 神と人をつなぐ大神主・・」
そんな知識や言葉よりも、胸に湧いた あの清らかな感情を 唯々 尊く思うのみ

◆ 元日_「日高見国(ひだかみのくに)」の旭日昇天

海から昇る朝日は 大きく美しい
まして それが一年の最初の日の出であれば 尚更に

両親が米国に住んでいた頃  家族で東海岸まで初日の出を見に行った。
夜明け前の海岸は 草むし 荒涼として 吹きつける風は冷たかった。
日の出の瞬間 喜びの声が上がって  道脇に集った大勢の人々の顔には
New Year の Opening Event を Enjoy する 興奮と歓喜があった。

あれから長い年月が経ち、私は久しぶりに海から昇る初日を拝む機会を得た。
茨城県 大洗町の 水平線から昇る 雄大な旭日に 全身を照らされて
北米海岸の風情とはまったく異なる、厳かな畏怖と 静かな祈りが 心に満ちた。
これが「日の出づる国」の夜明けなのだ・・ わけもなく感慨が胸に迫った。

古い祝詞に「大倭日高見国」(おおやまと ひだかみのくに)という言葉がある。
これは 天孫ニニギノミコトが 高天原から天下り 治めた国を指している部分で、
大倭は大和朝廷のこと。では日高見国とは何か?・・
じつは戦後日本で 一切顧みられなかった この謎に いま清新な光が当てられている。

東北大学名誉教授 田中英道(ひでみち)先生の説は 今 最も注目されるべきであろう。

「日高見国」は古代の東日本に存在した一大文化圏で 神話の「高天原」とはその地を指す。
そしてその中心は 常陸国(=日の立つ国)つまり今の茨城県、鹿島の地であったという。
(研究の詳細は ぜひ田中先生の著書をご参照頂きたい)
  『高天原は関東にあった』(勉誠出版)2017年 

美術研究が専門の田中先生が、考古学、歴史学、人類学、形象学など学際的な視点から
総合的に考察・構築された説は まさに 汲めども尽きぬ驚異の泉である。
その高い実証性と説得力の前に 歴史学界は沈黙し ほとんど無視を決め込んでいるらしい。

「神話は無価値な作り話」「古事記・日本書紀は後世の権力者の都合による捏造だ」
「日本は中国文化圏の一部に過ぎない」「縄文人は未開の野蛮人だった」etc・・

戦後の歴史学者が拠ってきた これらの自虐的な偏見に満ちた見方は、この田中説の登場で 一気に「次元跳躍」的に 覆されるであろう。
もちろん私たち国民は 歴史学会のメンツや 都合など いっさい気にする必要はない。
大切なことは 真実を知ることなのだから。

縄文時代に 関東・東北に高度な文化があったことは 青森の三内丸山遺跡を初めとする考古学の発掘調査で 明らかになってきている。
日本列島の自然の恵みは 安定的な食料事情(狩猟採集経済)を保証していた。
私たちの祖先は 一万年にわたり平和で高度な文化社会を築いていたのである。

神武以前の創建と言われる古社・鹿島神宮香取神宮の存在は それを今に伝えている。
神話の「出雲の国譲り」は 日高見国(高天原)勢力による 西国の平和的統合の事実を伝える。
「天孫降臨」は 中国大陸の戦乱興亡の余波に対応に迫られて 国内を統一する動きだった。
かつて 大船団が「東の鹿島」を旅立ち「西の鹿児島」へ「天(=海)降った」のである。

私は この田中説を知って 日本の起源の真実にやっと出会えた という強い感動に打たれた。
そして 日高見国の祖先が崇めた「太平洋に昇る旭日」に 強い思いを抱いたわけである。
万古不易の尊い「初日の出」を拝した後は 鹿島神宮に初詣を済ませたことは 言うまでもない。

鹿島神宮と並び 東日本最古の 香取神宮への参拝も 今年はぜひ叶えたいと思っている。
縄文日本に生きた祖先を偲び 古代のロマンに胸を震わせた 今年の元旦であった。

鹿島神宮(奥宮)

 

 

15年ぶり涸沢カール訪問記(後編)

◆雑感その1 山の挨拶ルール

前穂高を望む(横尾)

橋を渡る登山者たちの声で目が覚めたら六時半だった。
今日は戻るだけなのでゆっくりでよいが、体はすぐに動いた。
少ない酒が変な夢を見せたのか、寝返りを打ち続けたせいで体の節々が痛い。
外を覗くと他のテントはほとんど撤収していた。
空は曇っていて暑くもない。歩きにはちょうどよいだろう。

荷造りをしてテントを撤収し、八時過ぎに横尾を出発した。
徳沢へ向かって歩く。前から来る人の群れ、群れ、また群れ・・・
「こんにちはー」「こんにちはー」と挨拶を交わす。

初めのうちはにこやかで丁寧な声が出る。ああ、みんな元気ですね、お気をつけてと思う。
だがそれがひっきりなしに続くうちにウンザリして、遂には下を向いて黙って過ぎる。
そのとき感じる軽い罪悪感が、鬱陶しい。
この挨拶のルール、誰が広めたのだろうかと恨めしく思ったりする。

◆雑感2 お手手つないで

横尾から徳沢へ向かう森の道

徳沢園でひとやすみ。お汁粉を作って飲む。これが元気が出る。
薄曇りで、風が気持ちよい。
出発する。明神まで1時間かからないだろう。
日の差し込む気持のよい林の中をどんどん歩く。前をゆくカップル登山者。
見るとしっかり手をつないでいる。
若い二人だな、微笑ましいではないか。



しばらく同じ歩調で、彼らの後ろを歩くことになった。見るとはなしに見る。
この二人、片時も手を離さない。ぴったり肩を寄せ合っている。・・・少し呆れてくる。
エイ顔を見てやれ、と追い越して振り返ると、歩きながら微笑み見つめ合い二人だけの世界。
毒気を抜かれ、お幸せにね・・と念じて、もう振り返らずに早足に遠ざかった。

昨今、山でお手手つないで歩く男女が多いが、いい歳して幼稚園児みたいで不自然である。

◆雑感3 山ガール

明神岳を望む(明神にて)

「すみませーん、お先に失礼します・・」
後ろから声をかけ、元気よくスタスタと追い越していった女性ハイカー。
小柄だが足が速い人だった。小気味好いリズムで遠ざかって行く。

明神に着いて休んでいると、さっきの彼女が近くのベンチに座っていた。
彼女はさっと飲み物をのみほし靴を履き直すと、凛々しく立ち上がりザックを背負った。
隣に座っている女性に軽く会釈をして、颯爽と上高地へ歩き出した。

一連の動作がじつに自然で、滑らかで優美で、僕はその人の去りゆく姿に見とれてしまった。
気持ちのよいものを見たと素直に思った。

ありがとう
山ガール

あんな人がいるのだから、山ガールも馬鹿にしたものじゃないな・・
僕は少しばかり頑迷だったと反省し考えを改めた。

◆雑感その4 上高地を去る / 沢渡(さわんど)温泉

人にとって芸術とは何かと考えさせられる

混み合う上高地ターミナルから、臨時増発のバスに乗りこんで沢渡の駐車場へ向かった。
「木漏れ日の湯」を楽しみにして、最寄りの駐車場に車をおいて来ていた。
上高地に通っていたころ、必ずここで汗を流し山行を締めくくったものである。

車に戻って温泉道具を持ち出すと、道路を渡ってログハウス風の建物に歩み寄る。
しかし入り口に鍵がかかっていた。
誰もいないし、どこからも入れない。今日は休みなんだろうか?

バス停の切符売り場のお姉さんに尋ねると、経営者の身内にご不幸があり営業していないとか。
そうか・・やっぱり十五年も経っていたんだよな。心に静かな冷たい風が吹き抜けた。
建物はそのまま残っている。その光景が余計に寂しかった。

少し下流の「梓湖の湯」で汗を流して、今回の山行の終了宣言とした。

15年ぶりの涸沢カール訪問記(前編)

15年前東京で、僕は毎週のように信州の山々に通った。
それまでの人生のすべてがここに集約しているかのように感じて
すっかり大自然の虜になってしまったのだった。

やがて北海道に戻り、自然写真家として再出発した僕は、人間と自然と
世界の真実を知ろうという志を立て、社会の片隅で孤独な努力を続けてきた。

故郷の静岡に戻って一年経ったこの秋、懐かしい北アルプスを訪ねた。

◆ 上高地の静かな変貌

秋の河童橋と奥穂高

かつて心を奪われた「涸沢カールの紅葉」を見たかった。弱っている心の力を蘇らせるために、原点に戻ろうと思ったのだ。

台風一過の初秋、僕は上高地の河童橋の上に立った。梓川の美しい流れと岳沢を抱いた奥穂高岳の勇姿は、あの頃と何も変わらない。
だが外国人が増えた。現地観光社の職員にも中国人スタッフがいて驚いた。

 

この中国人の増え方はどうだ。僕は総毛立つような不安を禁じ得ない。
差別はよくない、などというキレイゴトはもはや何の意味もない。
このまま外国人の増加を放置すれば、取り返しがつかないことになるだろう。

◆ 魂の禊(ミソギ)か 団塊世代の登山者たち

多くの人が楽しそうに話しながら、河童橋を渡って山へ向かっていく。
彼らは素敵な登山服に身を包み、きれいなザックを背負っている。
「私はもう百名山登ったよ、今は二百名山目指してるんだ」
「今日は穂高で、明日は立山へ行くのよ」

還暦を過ぎた人々が高価な登山グッズを身につけて、大挙して山へ入って行く。
いつの間にか見慣れた光景だが、このとき僕はあることに気がついた。
彼らは自分では意識せずに、山の神に魂を清めてもらおうとしているのかもしれないと。

「人生は楽しむためにある。公のことは他の誰かが考えればいい。
自分と周辺の人間が損をしないようにすればよいのだ。
そしてまず金だ!金さえあれば安心だ。金がない負け犬になったらお終いだ。
数字と科学的合理性、目に見えるものだけが信じられる。
目に見えぬものは全て幻で嘘だ。宗教は時代遅れの迷信、詐欺師の商売にすぎない」

団塊世代(私の父母世代)に共通してある価値観とは、概ねこういうものではないか。
金と物質を偏重し、精神をないがしろにする考え方が蔓延して、冷たく虚しく野暮な世になった。
人々の共通の価値が消え、孤独な「個人」を好き勝手に生きる子の世代は、精神的虚弱に病んでいる。
上高地に限らずあらゆる観光地が、物質主義で退廃した日本人の心のように見えて哀しい。

団塊世代は世塵に汚れた心の禊(みそぎ)を求めているように見える。
彼らの中には祖先から受け継いだ清らかな魂があり、それが山へと駆り立てる。
僕は、そうであってほしいと願っている。

◆ 初日、横尾のテント場まで


今日の予定は、梓川に沿って横尾まで、およそ12kmの歩きだ。
テント泊装備に加え撮影機材が重いので、膝を痛めないようテーピングする。
快調な歩きで、→明神→徳沢と順調に過ぎて、予定より早く横尾山荘に着いた。

紅葉の最盛期でもありテント場は混み合っていた。
僕は梓川に掛かる吊り橋の下に幕営した。他のテントからは離れて静かな場所だ。
ときおり橋を渡る人たちの話し声が気になるくらいだった。

横尾の夕景

単独のテント泊ではやることは単純だ。まず寝床を準備して荷物を整理する。
鍋に一合半の米を浸し、ベニヤ板の上でお湯を沸かしてテルモスに詰めた。

炊飯するうちにゆっくりと夕暮れが迫り、炊き上がる頃にはすっかり暗くなった。
横尾山荘の灯が赤々と夜の帳に浮かび、テントの中も冷気が満ちてくる。

幕営の様子

食事を片付けて寝袋に入ると、僕は今日のこと、そして明日のことを考えた。
案外よく歩けたな。重い荷物に肩が痛むが、朝には回復するだろうと思った。
四時の時点で天候判断だ。テントはここに張っておいて、涸沢まで往復しよう・・
梓川の瀬音が、耳に心地よかった。

◆二日目、十五年ぶり涸沢カールへ

長い夢をみた。高校時代の部活の友達や、片思いをした子が現れたりして。
山の空気はなぜ、心を昔に返すのだろう。

出発する登山者たちの声で起こされた。テントの入り口から首を出して見ると、
夜明けの霧の向こうに、朝日を浴びた前穂高の峰が青空に頭を突き出していた。
天候OK、よし行くぞ。

六時半に出発。やはり外国人が多い。それは紅葉シーズンだからなのか。
岩小屋の跡を過ぎて、左の沢向こうに朝日を浴びて巨大な屏風岩が輝いている。

本谷橋の手前で、北穂高が美しい場所に来た。ここで今回初めての撮影を行う。
Horseman985、叔父から譲られた中判カメラの歴史的逸品である。
何でも簡便・単純化するデジタル時代、この6×9判の持つ描写力とアオリ機能は貴重だ。

ある日のHorseman985(摩周湖にて)

狭く傾いた山道に三脚を構える。水平を出すのに苦労する。
15年前と変わらぬ北穂の姿に見惚れる。
後から途切れなく来る登山者に道を譲りつつ、数枚撮り終えるのに15分かかった。
本谷橋を通過して本格的な登りが始まる。15年前の記憶が蘇る。こんなだったかな、ああそうだ、こうだったなと独りごちつつ進んで行く。

 

支流の涸沢へ回り込むと谷には陽光が溢れていた。
山肌を埋めつくした錦秋模様が鮮やかに輝いている。

テントを置いてきて正解だ。ザックは軽く、肩の痛みは少ない。快適な登りである。
おかげで意外なほど早く、懐かしい涸沢小屋に到着できた。
テラスで憩う人々。雄大なカール、そのV字谷の正面に浮かぶ常念岳の秀麗な姿。
スリムな新しい登山服姿の若者や、昔ながらのニッカ姿のベテランもいる。
僕は15年前に池袋の店で買った山シャツと、札幌の釣具屋で買ったズボン。昔からオシャレ登山とは縁がない。

涸沢ラーメン(¥1,000)を頼み、持参の弁当箱を開く。ふりかけご飯だ。
これから撮影だからビールは飲まない。白湯が美味しかった。

涸沢ラーメン

「去年だったかな、テレビで言ってたよ、テント1,000張だってさ」
大岩の上で撮影しているときに声をかけてきた、初老の登山者が言った。
昔はグループでテントひとつで済んだが、今は単独行や少人数が増えた。
テントもその分増えたんだという。団体行動を嫌い、気の合う仲間だけで山に来る人が多い。
1,000張か・・それにしてもすごい数だ。

 

カール下部より北穂高を望む

涸沢カールの紅葉は色づきは今ひとつだったが、ここまで来られたことに僕は満足だった。
6×9で2ロール撮り、日が傾き始めた15時に横尾へ下山を開始した。
真っ暗になる前に降りたい。ヘッドランプ下山は好きではなかった。





完全に暗くなる前の17時過ぎに横尾に戻った。
テントに荷を解き、炊飯の準備にかかる。
重く濡れたシャツを枝に張ったロープに干すが、まず乾かないだろうな。

横尾山荘でチューハイを買った。今夜はロースハムとチーズで乾杯!
しかし残念、チーズは車に忘れてきたようだ。ピーナッツで我慢する。
今夜はご飯がずいぶん美味しく炊けた。
小魚のふりかけと、生卵に醤油を溶いてご飯にかける。おかずはハムのみだが満腹となった。

◆ 歳月が変えた視点

15年ぶりの涸沢カール訪問は、思いの外淡々と行われた。
経験を積んだことで、いつしか初心の感動を忘れてしまったのかもしれない。
「百名山」登山者たちの会話や外国人の多さに、やや白けていたのもある。
ただ自分の体力的な自信にはなったので、それでよしとしたい。

明日は上高地まで12kmの歩きが残っている。まずは体を休めよう。

(了)

 

 

<甲子園後記> 秋田・金足農「日輪のたぐひなき愛」の校歌を讃す

秋田県立の金足(かなあし)農業高校が、夏の甲子園に旋風を巻き起こした。
この夏、何度も流れたその校歌は、農業国日本にふさわしい自然観を存分にうたいあげている。

「可美(うま)しき郷 わが金足」
(素晴らしいふるさと われらの生まれ故郷、金足よ)

「霜しろく 土こそ凍れ 見よ 草の芽に日のめぐみ」
(厳冬の冬、大地は霜に凍りつくが 春には 恵みの陽光が草の芽に命を吹き込む)

「農はこれ たぐひなき愛 日輪のたぐひなき愛」
(農とはつまり太陽の恵み この世に二つとない無限の宇宙自然の 愛の営みだ)

「おお げにやこの愛 いざやいざ 共に承(う)けて」
(ああまったく有難い、この大自然の愛を、みなで感謝とともに承けていこう)

「やがて来む 文化の黎明(あさけ) この道にわれら拓かむ ・・われら、拓かむ」
(必ず来るだろう、真の文化の黎明が だから我らは一心にこの農の心道を拓いてゆこう)

歌い出しの「うましき郷」という語を聞けば、有名な万葉集(巻一・二番)の舒明天皇の御製が連想される。

大和には群山あれど       (大和にはたくさん山があるが)
とりよろふ天の香具山      (中でも天の香具山がいい)
登りたち 国見をすれば     (山に登って国中を見渡せば)
国原は 煙立ち立つ       (人々の家々からは炊飯の煙が立って)
海原は 鷗立ち立つ       (海にはカモメたちがのどかに群れ飛んでいる)
可怜(うま)し国ぞ
蜻蛉洲(あきつしま) 大和の国は (いい国だなあ、大和の国は・・・)

同じく故郷を賛える素直な心が、古今を通じて変わらない共感を私たちの心に与えてくれる。

そして霜白く凍る厳しい冬が過ぎて、生命が一斉に輝く春の到来を、じつに美しく明るく歌う。
生命の源は「日輪のたぐひなき愛」と。これこそ日本人本来の自然観、太陽信仰の核心であろう。

天照大神から託された斎庭(ゆにわ)の稲穂を元に稲作で国を栄えさせた我らの祖先たち。
わが郷土と学業の師への恩愛のみならず、我が国の悠久の歴史へまで心を広げてゆく歌詞だ。

日本の国の成り立ちを織り込み、いまも変わらない自然への感謝のこころを受け継ごうとする。
こんな素晴らしい校歌を、私はほかに知らない。

最近、アニメソングのようなキラキラした軽薄な歌詞の校歌が甲子園に流れることがある。
その高校の生徒には悪いが、あの類のものを校歌にしてしまう大人たちが情けなく恥ずかしい。
ものごとの価値や区別がわからぬ、幼稚で無粋な日本人がここまで増えたかと悲しくなる。

***

最後の句「やがて来む 文化の黎明(あさけ)」とはなんのことだろう。
私には作詞の近藤忠義氏の思いが透けてみえる。

「今の日本人は物質とお金ばかり追いかけて、本当に大切なことを忘れている。
だがいつか、それが反省されるときがくる。そして本当の文化が花咲く世の中がくる。
だから我々は風潮に迷わされずに、物事の本質を求め、大自然の愛に感謝する農業の道を進もう」

そんな思いが込められた歌い終わりの部分のように思えてならない。

そしてこの校歌の素晴らしさは、何といっても楽曲のよさでもあろう。
作曲の岡野貞一氏は、戦前の東京音楽学校(現東京芸大)で教授をされた方である。
「春の小川」「朧月夜」「故郷(ふるさと)」など誰もが知る唱歌を作曲したほか、
日露戦争を歌った「水師営の会見」も岡野氏の手になる曲である。

金足農の校歌の旋律には、地に足のついた雄々しい時代の日本人の精神が宿っている。
それが美しい文語の韻律と美事に結びつき、長く我々の心に残る名曲を産み出したのだろう。

この素晴らしい校歌を歌える生徒たちは幸せ者だと、つくづく思う。

(前編 おわり)

W杯後記 _ ロシアとソ連は別ものである

🔹サッカーの祭典に見たロシア民族の誇り

わたしは有名選手たちの活躍よりも、開催国ロシアの戦いに注目していた。
国を代表するチームは、その国情を多かれ少なかれ、反映するものだ。
「ロシアW杯2018」は現今の国際政治の流れに照らして、運命的であった。

ソビエト政権という異形の支配者による暗黒時代から解放されてから27年。
ついに「ロシア民族によるロシア」が世界の檜舞台に立つ日がきた。
スタジアムを埋め尽くした大観衆の後押しで、好成績もついてきた。
下馬評で最弱と評されたロシアチームは、気力溢れる見事な戦いでベスト8に輝いた。

試合前の国歌吹奏でロシア選手や監督たちが見せる、深い眼差しと表情はじつに印象的だった。
共産政権下の75年に及ぶ苦難の歳月に失われた、二千万同胞の無念の魂への哀悼なのだろうか。
或いは、国を奪われて味わった塗炭の苦しみを乗り越えた、民族の歴史への誇りかもしれない。

 

🔹ソ連とロシア_悲劇のユダヤ革命

「ソ連時代を通じて●回目の、ロシアとしては初めての・・」とTVのアナウンサーが話す。
ロシアはソ連とは別の国家だということは、ほとんど理解されていないのだろうと思う。

だがこの事実を理解しなければ、世界の真実に迫ることはできない。

ロシアは1917年のボルシェビキ革命によって、一度は滅ぼされた。
その革命を起こしたのは、ロシア人ではなかった。
ユダヤ人革命家(レーニン、トロツキー、ジノビエフ、カメネフら)だった。
私たちが教科書で学んだ「貧しいロシア人労働者たちの蜂起」はウソである。

ロシア革命とは、少数派のユダヤ人がロシアを乗っ取った事件なのである。
そして欧米のユダヤ財閥が、彼らに巨額の援助をしていた。
(ロスチャイルド、ヤコブ・シフ、JPモルガン他)

当時の書籍はその間の事情をつまびらかにしているので、一例をあげる。
(残念ながら日本の二冊は戦後GHQの没収で絶版。私は古書店で入手した)

  1. 『The Jews』ヒレア・ベロック原著(1922年)/日本語訳『ユダヤ人』 2016年 祥伝社 (渡部昇一監修)
  2. 『世界的に激化するユダヤ問題と日本』宇都宮希洋 著 1939年 内外書房(宇都宮氏は陸軍所属)
  3. 『ユダヤ民族の対日攻勢』武藤貞一 著 1938年 内外書房(武藤氏は元毎日新聞社主筆)

革命政府によりロマノフ王家一族は虐殺され、ロシア国民は恐怖社会に突き落とされた。
秘密警察KGBが日常的に目を光らせる、暗黒の年月が始まったのである。

政権を批判した者は「反革命思想の持ち主」として逮捕投獄された。
「労働者」でない者、あるいは「ブルジョア」の烙印を押された者も同じ運命だった。
そうして普通の人々が次々と強制労働と獄死、あるいはその場で銃殺されたのである。
その数は二千万以上で、ナチスを遥かに凌ぐ蛮行にも関わらず、なぜか世に語られない。

***

戦後の「シベリア抑留」の記憶は、私たち日本人に「反ソ連」の感情を刻み込んだ。
それがそのまま「反ロシア」になっている観があるが、それは正されるべきであろう。
なぜなら、上述の通りロシア人たちこそソビエト政権の最大の犠牲者だったからである。
歴史の事実が示すものを、私たちは偏見を捨てて学び直すべきではないだろうか。

今後、世界で重きをなすロシアを、過去の間違った認識に囚われて誤解しつづけるならば、
望ましい日露関係を築く妨げとなるばかりか、世界の情勢変化にも立ち遅れることになろう。

🔹2017年、トランプ大統領が米国に誕生

米国民が覚醒してトランプ大統領が誕生した。この意味はとてつもなく大きい。
一言でいえば世界は「秩序の破壊」から「正常化」へ踏み出したのである。
隠されてきた世界史の真実が、これから次々と明るみに出てくるだろう。

この一年間で、欧州にナショナリズム復権の波が堰をきって溢れ出してきた。
民族意識の高まりを反映して、仏、伊、墺国などに右派政党が台頭してきた。
これぞユダヤ財閥による「共産主義思想によるグローバル化(世界統一)」の策謀に対し
欧州の国民が立ち上がった「民族レジスタンス」の大波と呼ばずして何と呼ぶか。

イギリス国民は、これ以上EUに留まれば伝統の英国は滅びると悟り、離脱を決した。

対照的に、独のメルケルは「多様性と寛容」を訴えて中東から大量移民を受け入れてきた。
だが移民が人口の30%を超えて、ドイツ社会崩壊の危機に目覚めた国民は、彼女を見放した。
メルケルは迷走して中国共産党と結ぶ愚を演じ、ドイツの将来をさらに危うくしている。

トランプは米国内のユダヤ勢力のうち「イスラエル民族派」と結んで世界戦略を立てている。
そしてウォール街のグローバリズム派ユダヤ勢力と、水面下で激しく戦っている。

“国境をなくして世界を統一する”という、ロスチャイルド、ロックフェラーやキッシンジャー、ブレジンスキーらが広げてきた大風呂敷は、いまやボロボロに破れて穴だらけなのだ。

欧米や日本のフェイクメディアの必死の洗脳も、追いつかない速さで世界は変わりつつある。
国民はもう新聞もテレビも、信用しない。フェイクニュースを見抜こうと目を光らせている。
グローバリズム(国家を破壊して世界を市場で統一する)の陰謀は、破綻したのだ。

この情勢に、愛国者プーチンの率いるロシア民族が輝きを増してきたのは自然なことだろう。
わが日本も、安倍首相を後押しして日本ファーストで国民がまとまっていかねばならない。

🔹ロシアは、ソ連ではない

「シベリア抑留」はソ連政権がやったことであり、ロシア人の仕業とはいえない。
だが日本のメディアは、パブロフの犬のように「ロシアは悪、プーチンは極悪人」という。

だが私たちは別の視点をもったほうがよい。
ロシア国民の圧倒的なプーチン支持という現実を、素直に、かつ公平に見てみよう。
決して「独裁者による非民主的な圧政」などではないことが、すぐに腑に落ちるはずだ。
こうして私たちは、またひとつメディアの洗脳を脱して、世界を見る目が開かれるだろう。
(終)

「個」の虚構との訣別を

「孤独な群集」

あれは高校一年の夏だったか。美術の授業でポスターを作る課題が出された。
幾つか決められたテーマの中から、私はなぜか「孤独な群集」を選んだ。
十六歳の少年に社会的な問題意識があったのではない。
ただ思索的で意味の深いテーマ性に何となく惹かれたのである。

赤いダルマを縦横にずらりと並べ、その中に一つだけ横に転んだダルマを描いた。
先生は褒めてくださったが、転んだダルマは現代社会に溶け込めない今の私の姿と重なる。
少年の私は、無意識のうちに早くも人生の闇路を予感していたのかもしれない。

昭和六十年の日本社会はすでに「孤独な群集」の腐臭を漂わせていたのだろう。
公民教科書には現代社会の病として「三無主義」という言葉が登場していた。
「無気力・無感動・無関心」が人々の心を蝕んでいるという問題は、すでに教科書にも載っていたのである。

あれから三十年経った。日本人の「三無主義」は悪化の一途を辿っているようだ。

メディアはスキャンダルや茶番ばかりで、人々は公への真面目な関心を維持できない。
そして蓄財や享楽・生活の利便といった、狭い視点しか持てなくなっている。

不安と猜疑心が先に立ち、すぐに細かい損得勘定をするミミッチい習性がついてしまったり、
退屈なため息ばかりで、のびやかな活力やこころの柔軟さは忘れ去られているようだ。

「人付き合いも面倒だし、気ままにスマホとAIと犬を相手に暮らせれば、他はどうでもいい・・」
そんな投げやりで萎んだ了見が、静かに人々の心に染みて来ているような気がする。

道北の大河・天塩川

「個の確立」という妄想

いまだに「国家は庶民の敵だ」「国家は個人を抑圧する」という感覚がしぶとく蔓延している。
国や公の要請に従わない「個」の確立が人類の普遍的な価値だという人が、まだいる。
マスメディア、学者や文化人、一部の教育関係者たちにその傾向が強い。
およそ現実とかけ離れた、机上の妄想が数十年間も続いている。

さて、何物にも縛られぬ自由な個人__そんな人間は古今東西、実在しない。
現実の人間は必ず何らかの共同体に居場所をもち、その規範に縛られている。
またそのおかげで、安定した自己をもって健全に生きていられる。
これが世の常識であろう。
それなのに、共同体や国家に忠誠心をもつ「個人」が語られることはない。

かように偏った「個我」にとらわれて、我らは所属不明の孤独で不安定な群集に陥っている。
この状態は人間として不自然で、一刻も早く克服されなければならない。
だが_漫然と生きていても、虚しい毎日の反復から脱することはできない。

だから、私たちはもう一度、己の命について静かに謙虚に考え直すべきだと思う。

我々の肉体は、両親から生まれた。
しかし、私たちの心臓を動かして生かしている力は、両親が作り出したわけではない。
いったいどこからきたのだろう?

「吾が心を 吾が心と思はず」

江戸時代の垂加神道家・若林強斎はこう言っている。

「神道の大事は、吾が心を吾が心と思わず、天神アマツカミの賜物ぢゃと思うが、ココが、大事ぞ、
そう思いなすではない、真実にそれ。
こう云うことを寝ても覚めても大事にするよりない。
是程の宝物頂戴して居りながら井戸茶碗程にも思わぬは、うろたえぞ。」

私たちの心、命は、自分のものであって、しかし自分のものではない・・
一見難しいが、考えてみれば誰も「心や生命」を創り出すことはできない。
天神の賜物とは、宇宙の摂理に頂いた命を、遠い遠い祖先からずっと繋いできたこと。
合理主義的な解説など不要な、信仰の真髄に触れる感覚がそこにはある。

肉体は滅ぶもの。だが魂は残って後世の人々の心に新たな関わりを生じ、ずっと続いてゆく。
そうした自然な信仰が、我ら日本人の生命観の根源をなしているのだと思う。

人の生は深くて永い。私の個我も、悠遠な大いなる生命の流れのごく一部に過ぎない。

「わが心が天神アマツカミの賜物であるとの確念は、わが生命が
一身の生死を超えて天地の永遠に参ずるということに外ならない」
(『神道大系』垂加神道 下 解題)__ 元金沢工業大学教授 近藤啓吾先生

エゾシカ姉妹

親の勝手な「個」の観念が子供を追い詰めていく

近代思想における「個人」は他者とは隔絶し、つねに自己の安全と利益を優先する。
それはすべての人間が有する「自然権」といい、弱肉強食が自然状態なのだとする。
そこに「契約」を定めることで、初めて人間の社会が成り立つのだそうである。
トマス・ホッブスが提唱した社会契約論は、そんなものだった。

だが我ら日本の先祖は、そんな弱肉強食の自然状態とは無縁であったろう。
縄文時代に大きな戦争がなかったことが、遺跡の発掘研究から明らかになってきている。
共同作業の稲作で栄えてきたわが国の由来、世界に珍しいほど温和な国民性からみてもわかる。

ところが、戦後日本の教育は、欧米の思想に心酔して、欧米人の視点でわが国の独自性や国柄を酷評し、軽視あるいは無視してきた。
そして日本民族は残虐で好戦的だとか、皇室への崇敬心を狂信的カルト宗教のように言い募る輩が大学教授になったりしている。
まるで「日本人が信じてきた歴史など、すべて誤りで、学ぶ価値もない」と言わんばかりである。

だから、戦後の子供たちは日本の神話を知らない。また天皇のことも全然知らない。
日本人でありながら、日本のことを全然知らないまま育っている。
こんなバカな教育をしている国は世界にない。

いま日本の子供が教え込まれるのは「自由」や「人権」「平等」などのいわゆる普遍的価値というものだ。
(これらは日本においては、あらゆるワガママを正当化するための呪文でしかない)
人として当たり前の義務や規則を、面倒で意味のない、避けるべきものとして片隅に追いやっている。
例えば日本国憲法には権利ばかり多く書かれて、義務はたった三つしか書かれていない。(納税・教育・労働。なぜか国防の義務はない)

甘やかされ思い上がり、人生の先達を尊敬することもなく、ただ体だけ大きくなる若者たちだが
遅かれ早かれ、彼らは現実社会との差に直面して、己の力量不足と無知に絶望して苦しむ。
こんなはずじゃ……と呟くが、今更教えを乞うべき先達もなく、自分を責めて卑しめるばかりで、うつ病になる。

昨今の「友達のような親」などは、とうてい人生の真剣な悩みに答えられるはずがない。
それに今の大人たちは自分の遊びや旅行に忙しい。墓参りはしないし、町内行事は無視する。
この自分勝手で幼稚な親の姿こそが、子供らを悲しく情けない思いにさせ、己を蔑ませる元凶なのだ。
成長するにつれて深まってゆく絶望感に、若くして人生を諦めている若者はさぞ多いだろう。

出口のない苦しみに疲れ、すべてに嫌気がさしたとき、ついに若い人生は破綻する。
自暴自棄の凶行、絶望からの自死、現実逃避の精神症が生じるのは、この時なのだ。

冷酷・狂気の犯罪者としてニュースに現れる若者の姿は、あまりに哀れである。
昔からいわれる「親の顔が見たい」の言葉は、今こそ声を大にして叫ばれるべきだ。
無垢な子供の魂が健全に導かれるか否かは、いつの世も親の自覚と努力に負っている。

一見スマートだが、底知れぬ虚無を心に抱えている日本の若者たちの危うい姿。
これがあの「三無主義」のたどり着いた最終段階なのだろうか。

先祖を裏切り、子孫を見捨てる現代日本人たち

かつて、2,700年練磨されてきた貴重な日本人の知恵と人生観があった。
それをたった一度「戦争に負けた」だけで全否定したことの愚かさは、言葉に尽くせない。
しかも、欧米崇拝の負け犬根性に駆られて、身丈に合わない制度を無理やり導入してきた。
こんな不自然にねじくれた社会で、次世代がまともに育つはずがない。
日々起こる理不尽で狂気じみた事件は、起こるべくして起きている悲劇なのだ。

残念だが、われわれ戦後日本人は、多かれ少なかれ卑怯な臆病者になってしまっている。
目先の利害しか見ずに、すべての祖先を忘却し裏切り、すべての子孫を見捨てている。
それを問題視しないメディアに流され、事態の恐ろしい本質に全く気がつかない群集。
彼らの鈍感さは、同じ日本人として本当に信じられないし、情けないの一言である。

全体(公)の中にある個(私)・・精神の均衡

国家を内側から破壊するにはどうするか?
信仰を禁じ、ウソの歴史を教えて国民の団結を壊す。
個人主義を吹き込んで公の意識を薄れさせ、バラバラにする。
欲望を煽る広告宣伝で風紀を堕落させ、国家と国民を借金漬けにする。
(住宅や車のローンも借金漬けの一例である。けっして他人事ではないのだ)
そして政治を金で縛って法律を変えさせ、伝統を絶やして国民意識を希薄化していく。

これがユダヤ式「3S政策」であり、我が国も戦前から相当やられてきている。
(3Sとはセックス、スクリーン(映画)、スポーツのことである)

スポーツは、大規模なビジネスにすることで、巨大利権の世界にシームレスにつながっている。
オリンピックはその代表だ。「柔道」はその道具に選ばれたために魂を汚され堕落した。
神事から娯楽に堕し、外人の稼ぎ場と化した相撲は、わが伝統破壊のもっとも顕著な例である。
先般、女も平等に土俵に上げろと騒いだ連中がいたが、可哀想に、完全に洗脳されている。

「個」という幻想にとらわれて、頭だけで考えた法制度を作ってきたために
我々日本人はいまやすっかり常識と現実がわからなくなっている。
つまり、鈍麻して幼稚化してしまっている。
「日本人は何を考えているのかわからない」と外国人に言われるはそのせいだ。
英語ができないとか、国際化が不十分だからではない。現実認識が幼いからである。
この現状は、戦前から日本破壊を企んできた共産主義者たちの狙い通りだろう。

「ゆく川の流れは絶えずして しかも元の水にあらず」
この世に永遠不滅のものがないこともまた真実である。
不自然は矯められる(正される)宿命にある。

世代交代にしたがって、世界潮流もまた変わってきた。
個人主義やリベラル「進歩派」が大きな顔をする時代は終わった。

先日、国民民主党の前原氏が「リベラル右派」を誇らかに自称したが、時代錯誤も甚だしい。
彼もまた国家覆滅を図る左翼革命家の一味だったのか__いやいや…そんなタマではないか。

これからの世界は、リアリティのある誠実さ、光と影の両方を語る勇気、真実を見抜く眼力、が求められていく。
くだらない言葉狩りに狂奔して「セクハラ・差別」糾弾商売をしてきた偽善者たちは、もう居場所がなくなる。
具眼の士には、リベラル思想など顧みる価値もないのだ。
2017年米国にトランプ大統領が誕生したのを機に、世界は健全化にむかって舵を切ったといえよう。
何年かかろうが、不自然は矯められるものなのだ。

私たちは均衡ある精神を保ち、ばら撒かれたキレイゴトのウソを見抜いて洗浄していこう。
長く待たれた時代がやってきた。米国の変身によって、その条件が急速に整ってきている。
我々自身が、これまでの惰性を改めて、偽善を撃ち壊す気概を持つことが求められている。(終)