過ぎにし春夏を思う

はや10月である。ようやく秋心地がついてきて、冷房も使わずに一昼夜を過ごせるようになった。
札幌に住んでいた頃は冷房などは不要であったが、今からは信じ難いことに思える。
5月以来更新をせずに過ごしてしまったが、またゆるやかに再開しようと思う。

🔷 東北の旅

北海道にいた頃、僕は東北地方の自然に憧れながら、いつも遠くに感じていた。
函館や知内の海岸に立てば、青森県の陸地は驚くほど近くに見えるのだが、やはり津軽海峡を隔てていることが心理的に厚い壁となり、何か遠い国のような距離を感じていたのである。

静岡に住んでから、500kmも離れている東北地方がかえって近く感じられるから不思議だ。
やはり陸続きであること自体が、気持ちにある種の一体感を与えるのだろうか。
今年、春と夏の2回、青森・秋田へ撮影の旅をした。

🔷 春の鳥海山麓(5月)

紅色に輝く残雪の鳥海山を見たくて、にかほ高原の溜池群をめぐった。
扇谷地池ではブユに悩まされつつ、雪をたっぷり詰めた山肌が落日に照り映える様を見つめた。
翌朝は大谷地池に三脚を立てた。よく晴れた朝だったが少しだけ水蒸気の濁りがあったのだろう、
最初の光芒が眠りから覚めた山の雪肌を照らしたとき、思ったより赤味が少ない感じがした。

朝露も乾かぬ間に、四角井戸池へ。満開の桜が枝を頭上にかざし、やや遠く見える鳥海山頂が手前の池の面に映り込む。桜と鳥海山のこの構図は思い描いていた一枚だった。

微風が湖面を常に揺らして、願ったような水鏡とはならなかった。また空気の濁りが 山や森の輪郭を春らしくぼかした。それは、それでいい。自然は 思う通りにならない。人の生も然り。

🔷 白神山地(7月)

ふた月が経った六月の末。梅雨の真っ最中であった。
新潟から一夜のフェリーの客となり、翌朝秋田港から北上して南津軽へ向かった。
深浦町で雨のために3日間の停滞のあと、ようやく十二湖を初めて訪れた。
整備された遊歩道のあちこちに「世界遺産」の文字が溢れ、外国の観光客の姿が目立った。
有名な青池のほとりでは、始終 甲高い声の外国語が飛び交い、耳を刺し続けた。

自然は誰の遺産でもない。世界自然遺産という言葉には 嘘と偽善のいかがわしさが満ちている。
北海道の知床で感じていたストレスを、ここでも否応なしに味わうことになろうとは。

十二湖を去り秋田側の藤里町でブナの森を見た。ここでは豊かな時間が静かに流れていた。
大げさな建物や看板など宣伝がほとんどなく、昔からの自然な姿がよく保たれているようだった。
この点も 知床のウトロと羅臼の関係を思い出させるものがある。

🔷阿仁・秋田駒ヶ岳

白神山地を離れて、能代から 阿仁、田沢湖へと内陸線に沿って南下した。
マタギで有名な阿仁地域の核をなすのが森吉山や太平湖の自然である。

森吉山から流れ落ちる「安の滝」はなにか不思議な生命力を感じる滝であった。
黒い岩壁が斜めに切れ込んで、落ちる水柱を美しく分けて滝の輪郭を特徴付けている。
安の滝伝説は 各地にあるような悲恋の話である。
日本人の優しく深いこころは、美しく優しく時に厳しい自然の姿と重なり合う。

森吉山は標高よりも、その生命を育む山麓の森の深さに惹きつけられる。
北海道でいえば、利尻や羊蹄ではなく、知床や大雪山のような・・・
何しろここは阿仁のマタギたちが猟の生活を営んできた恵みの山なのである。

秋田駒ケ岳に初めて登った。疲労で体調を崩した影響で撮影自体は不十分に終わった。
有名な花の山だが、時期が遅かったのかチングルマはすべて散り、黄色いミヤマダイコンソウばかりが目立った。赤いエゾツツジが見えたが夏の日差しにしおれて勢いは既になかった。

田沢湖の深い青色は変わらず美しい。その色はクニマスの泳いでいた昔と変わらないのだろう。
関係者の努力が実り、いつの日か野生のクニマスが田沢湖に戻ることを、私も願っている。

深いブナ原生林の風、野生動物の息づく気配、湖沼の静寂と波紋、山奥に轟く大滝…
すべてが生気に満ちて、太古のいぶきを宿した霊妙な世界だった。
東北地方の山や森や湖沼、農村の風景が心を惹きつけてやまないのはなぜだろう。
この世で知らない古い日本への憧れ。これは僕の前世の記憶なのだろうか?
それとも祖先から受け継ぐ遺伝子の記憶なのだろうか。

春は遅い桜を追いかけた。夏は梅雨のあと巨木と山の花を求めた。
もうすぐ、紅葉に彩られた季節がやってくる。その準備にいま追われている。
東北の自然を訪ねる旅は始まったばかりだ。それは古い日本の本質に出会う旅でもある。

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