真の日本の夜明け (御代替りを迎えて)

◆ 去る12月23日 天長節 皇居前にて

今上陛下の 最後の「天長節」(※天皇陛下のお誕生日のこと)
人混み嫌いの私も 万感の思いで 皇居へ参じた。
朝の皇居 和田倉門前には すでに参賀者の大行列が出来ていた。

曇り空から時折 雨が落ちてくる 穏やかな冬の日。
手荷物の検査を終えて 新たな列に並ぶと 行く手には 正門と二重橋が見えた。
雲間から陽光が差して 彼方のビル街に降りそそぐ。

正門を入り 二重橋を渡ると 古い石垣や青々した松に 残りもみじの紅が映えている。
年配の夫婦や子連れの若夫婦、恋人たち、外国人と様々な人々が行く。
イベント気分の人も多いのかもしれないが・・それでも 天長節を祝うこの場に これだけの大勢の人たちが足を運び集った事実自体が 麗しく感じられた。

11時__人々で埋まった宮殿前で 小旗を握り 陛下と皇族方のお姿を拝した。
遠くからお姿を拝して 私は 思わず目頭が熱くなるのを感じた。
ライブ演奏や映画に感動するのとは異なり、根元的で 静謐な感激が湧いてきた。

悠遠の時間と、今ここに在る自分・・霊妙な感覚で 心が痺れたようになった
あの瞬間 私は  陛下のお姿を鏡として 己の本質に触れたのかもしれない。

生身の人間であると同時に 無数のご先祖の霊を合わせた「日本総体」としての 陛下。
 陛下と我々の心が共鳴して 不可視な波動が 己の魂を揺さぶったのかと思う。

「すめらぎは 我が国の祭祀王  皇室は 世界で一番古い家系 神と人をつなぐ大神主・・」
そんな知識や言葉よりも、胸に湧いた あの清らかな感情を 唯々 尊く思うのみ

◆ 元日_「日高見国(ひだかみのくに)」の旭日昇天

海から昇る朝日は 大きく美しい
まして それが一年の最初の日の出であれば 尚更に

両親が米国に住んでいた頃  家族で東海岸まで初日の出を見に行った。
夜明け前の海岸は 草むし 荒涼として 吹きつける風は冷たかった。
日の出の瞬間 喜びの声が上がって  道脇に集った大勢の人々の顔には
New Year の Opening Event を Enjoy する 興奮と歓喜があった。

あれから長い年月が経ち、私は久しぶりに海から昇る初日を拝む機会を得た。
茨城県 大洗町の 水平線から昇る 雄大な旭日に 全身を照らされて
北米海岸の風情とはまったく異なる、厳かな畏怖と 静かな祈りが 心に満ちた。
これが「日の出づる国」の夜明けなのだ・・ わけもなく感慨が胸に迫った。

古い祝詞に「大倭日高見国」(おおやまと ひだかみのくに)という言葉がある。
これは 天孫ニニギノミコトが 高天原から天下り 治めた国を指している部分で、
大倭は大和朝廷のこと。では日高見国とは何か?・・
じつは戦後日本で 一切顧みられなかった この謎に いま清新な光が当てられている。

東北大学名誉教授 田中英道(ひでみち)先生の説は 今 最も注目されるべきであろう。

「日高見国」は古代の東日本に存在した一大文化圏で 神話の「高天原」とはその地を指す。
そしてその中心は 常陸国(=日の立つ国)つまり今の茨城県、鹿島の地であったという。
(研究の詳細は ぜひ田中先生の著書をご参照頂きたい)
  『高天原は関東にあった』(勉誠出版)2017年 

美術研究が専門の田中先生が、考古学、歴史学、人類学、形象学など学際的な視点から
総合的に考察・構築された説は まさに 汲めども尽きぬ驚異の泉である。
その高い実証性と説得力の前に 歴史学界は沈黙し ほとんど無視を決め込んでいるらしい。

「神話は無価値な作り話」「古事記・日本書紀は後世の権力者の都合による捏造だ」
「日本は中国文化圏の一部に過ぎない」「縄文人は未開の野蛮人だった」etc・・

戦後の歴史学者が拠ってきた これらの自虐的な偏見に満ちた見方は、この田中説の登場で 一気に「次元跳躍」的に 覆されるであろう。
もちろん私たち国民は 歴史学会のメンツや 都合など いっさい気にする必要はない。
大切なことは 真実を知ることなのだから。

縄文時代に 関東・東北に高度な文化があったことは 青森の三内丸山遺跡を初めとする考古学の発掘調査で 明らかになってきている。
日本列島の自然の恵みは 安定的な食料事情(狩猟採集経済)を保証していた。
私たちの祖先は 一万年にわたり平和で高度な文化社会を築いていたのである。

神武以前の創建と言われる古社・鹿島神宮香取神宮の存在は それを今に伝えている。
神話の「出雲の国譲り」は 日高見国(高天原)勢力による 西国の平和的統合の事実を伝える。
「天孫降臨」は 中国大陸の戦乱興亡の余波に対応に迫られて 国内を統一する動きだった。
かつて 大船団が「東の鹿島」を旅立ち「西の鹿児島」へ「天(=海)降った」のである。

私は この田中説を知って 日本の起源の真実にやっと出会えた という強い感動に打たれた。
そして 日高見国の祖先が崇めた「太平洋に昇る旭日」に 強い思いを抱いたわけである。
万古不易の尊い「初日の出」を拝した後は 鹿島神宮に初詣を済ませたことは 言うまでもない。

鹿島神宮と並び 東日本最古の 香取神宮への参拝も 今年はぜひ叶えたいと思っている。
縄文日本に生きた祖先を偲び 古代のロマンに胸を震わせた 今年の元旦であった。

鹿島神宮(奥宮)

 

 

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