15年ぶりの涸沢カール訪問記(前編)

15年前東京で、僕は毎週のように信州の山々に通った。
それまでの人生のすべてがここに集約しているかのように感じて
すっかり大自然の虜になってしまったのだった。

やがて北海道に戻り、自然写真家として再出発した僕は、人間と自然と
世界の真実を知ろうという志を立て、社会の片隅で孤独な努力を続けてきた。

故郷の静岡に戻って一年経ったこの秋、懐かしい北アルプスを訪ねた。

◆ 上高地の静かな変貌

秋の河童橋と奥穂高

かつて心を奪われた「涸沢カールの紅葉」を見たかった。弱っている心の力を蘇らせるために、原点に戻ろうと思ったのだ。

台風一過の初秋、僕は上高地の河童橋の上に立った。梓川の美しい流れと岳沢を抱いた奥穂高岳の勇姿は、あの頃と何も変わらない。
だが外国人が増えた。現地観光社の職員にも中国人スタッフがいて驚いた。

 

この中国人の増え方はどうだ。僕は総毛立つような不安を禁じ得ない。
差別はよくない、などというキレイゴトはもはや何の意味もない。
このまま外国人の増加を放置すれば、取り返しがつかないことになるだろう。

◆ 魂の禊(ミソギ)か 団塊世代の登山者たち

多くの人が楽しそうに話しながら、河童橋を渡って山へ向かっていく。
彼らは素敵な登山服に身を包み、きれいなザックを背負っている。
「私はもう百名山登ったよ、今は二百名山目指してるんだ」
「今日は穂高で、明日は立山へ行くのよ」

還暦を過ぎた人々が高価な登山グッズを身につけて、大挙して山へ入って行く。
いつの間にか見慣れた光景だが、このとき僕はあることに気がついた。
彼らは自分では意識せずに、山の神に魂を清めてもらおうとしているのかもしれないと。

「人生は楽しむためにある。公のことは他の誰かが考えればいい。
自分と周辺の人間が損をしないようにすればよいのだ。
そしてまず金だ!金さえあれば安心だ。金がない負け犬になったらお終いだ。
数字と科学的合理性、目に見えるものだけが信じられる。
目に見えぬものは全て幻で嘘だ。宗教は時代遅れの迷信、詐欺師の商売にすぎない」

団塊世代(私の父母世代)に共通してある価値観とは、概ねこういうものではないか。
金と物質を偏重し、精神をないがしろにする考え方が蔓延して、冷たく虚しく野暮な世になった。
人々の共通の価値が消え、孤独な「個人」を好き勝手に生きる子の世代は、精神的虚弱に病んでいる。
上高地に限らずあらゆる観光地が、物質主義で退廃した日本人の心のように見えて哀しい。

団塊世代は世塵に汚れた心の禊(みそぎ)を求めているように見える。
彼らの中には祖先から受け継いだ清らかな魂があり、それが山へと駆り立てる。
僕は、そうであってほしいと願っている。

◆ 初日、横尾のテント場まで


今日の予定は、梓川に沿って横尾まで、およそ12kmの歩きだ。
テント泊装備に加え撮影機材が重いので、膝を痛めないようテーピングする。
快調な歩きで、→明神→徳沢と順調に過ぎて、予定より早く横尾山荘に着いた。

紅葉の最盛期でもありテント場は混み合っていた。
僕は梓川に掛かる吊り橋の下に幕営した。他のテントからは離れて静かな場所だ。
ときおり橋を渡る人たちの話し声が気になるくらいだった。

横尾の夕景

単独のテント泊ではやることは単純だ。まず寝床を準備して荷物を整理する。
鍋に一合半の米を浸し、ベニヤ板の上でお湯を沸かしてテルモスに詰めた。

炊飯するうちにゆっくりと夕暮れが迫り、炊き上がる頃にはすっかり暗くなった。
横尾山荘の灯が赤々と夜の帳に浮かび、テントの中も冷気が満ちてくる。

幕営の様子

食事を片付けて寝袋に入ると、僕は今日のこと、そして明日のことを考えた。
案外よく歩けたな。重い荷物に肩が痛むが、朝には回復するだろうと思った。
四時の時点で天候判断だ。テントはここに張っておいて、涸沢まで往復しよう・・
梓川の瀬音が、耳に心地よかった。

◆二日目、十五年ぶり涸沢カールへ

長い夢をみた。高校時代の部活の友達や、片思いをした子が現れたりして。
山の空気はなぜ、心を昔に返すのだろう。

出発する登山者たちの声で起こされた。テントの入り口から首を出して見ると、
夜明けの霧の向こうに、朝日を浴びた前穂高の峰が青空に頭を突き出していた。
天候OK、よし行くぞ。

六時半に出発。やはり外国人が多い。それは紅葉シーズンだからなのか。
岩小屋の跡を過ぎて、左の沢向こうに朝日を浴びて巨大な屏風岩が輝いている。

本谷橋の手前で、北穂高が美しい場所に来た。ここで今回初めての撮影を行う。
Horseman985、叔父から譲られた中判カメラの歴史的逸品である。
何でも簡便・単純化するデジタル時代、この6×9判の持つ描写力とアオリ機能は貴重だ。

ある日のHorseman985(摩周湖にて)

狭く傾いた山道に三脚を構える。水平を出すのに苦労する。
15年前と変わらぬ北穂の姿に見惚れる。
後から途切れなく来る登山者に道を譲りつつ、数枚撮り終えるのに15分かかった。
本谷橋を通過して本格的な登りが始まる。15年前の記憶が蘇る。こんなだったかな、ああそうだ、こうだったなと独りごちつつ進んで行く。

 

支流の涸沢へ回り込むと谷には陽光が溢れていた。
山肌を埋めつくした錦秋模様が鮮やかに輝いている。

テントを置いてきて正解だ。ザックは軽く、肩の痛みは少ない。快適な登りである。
おかげで意外なほど早く、懐かしい涸沢小屋に到着できた。
テラスで憩う人々。雄大なカール、そのV字谷の正面に浮かぶ常念岳の秀麗な姿。
スリムな新しい登山服姿の若者や、昔ながらのニッカ姿のベテランもいる。
僕は15年前に池袋の店で買った山シャツと、札幌の釣具屋で買ったズボン。昔からオシャレ登山とは縁がない。

涸沢ラーメン(¥1,000)を頼み、持参の弁当箱を開く。ふりかけご飯だ。
これから撮影だからビールは飲まない。白湯が美味しかった。

涸沢ラーメン

「去年だったかな、テレビで言ってたよ、テント1,000張だってさ」
大岩の上で撮影しているときに声をかけてきた、初老の登山者が言った。
昔はグループでテントひとつで済んだが、今は単独行や少人数が増えた。
テントもその分増えたんだという。団体行動を嫌い、気の合う仲間だけで山に来る人が多い。
1,000張か・・それにしてもすごい数だ。

 

カール下部より北穂高を望む

涸沢カールの紅葉は色づきは今ひとつだったが、ここまで来られたことに僕は満足だった。
6×9で2ロール撮り、日が傾き始めた15時に横尾へ下山を開始した。
真っ暗になる前に降りたい。ヘッドランプ下山は好きではなかった。





完全に暗くなる前の17時過ぎに横尾に戻った。
テントに荷を解き、炊飯の準備にかかる。
重く濡れたシャツを枝に張ったロープに干すが、まず乾かないだろうな。

横尾山荘でチューハイを買った。今夜はロースハムとチーズで乾杯!
しかし残念、チーズは車に忘れてきたようだ。ピーナッツで我慢する。
今夜はご飯がずいぶん美味しく炊けた。
小魚のふりかけと、生卵に醤油を溶いてご飯にかける。おかずはハムのみだが満腹となった。

◆ 歳月が変えた視点

15年ぶりの涸沢カール訪問は、思いの外淡々と行われた。
経験を積んだことで、いつしか初心の感動を忘れてしまったのかもしれない。
「百名山」登山者たちの会話や外国人の多さに、やや白けていたのもある。
ただ自分の体力的な自信にはなったので、それでよしとしたい。

明日は上高地まで12kmの歩きが残っている。まずは体を休めよう。

(了)

 

 

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