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目覚めよ日本男児!

Moon-rose-Karikachi

早いもので師走である。
平成22年はみなさんにとってどんな年だったろうか。
私にとって、今年ほど心穏やかならざる年も珍しかった。

寝惚けた民主党政府が改めて教えてくれたことがある。
私たちの国は戦後ずっと世界のシビアな現実から目を背けてきたということだ。

1945年の敗戦後、日本人は一体となり焼け跡から驚異的な復興を遂げた。
70年代にはGDPで世界第二位の経済大国、裕福な国となった。
だが米ソ冷戦の最中にあって日本の高度成長が可能だったのは
国防をアメリカに依存して軍事費を経済復興に回せたことが大きかった。

そして今はどうか。日本は自力では国防もままならない非力な半独立国家のままだ。
頼みの綱だった経済力もその地位を失いつつある。
平和とは国際的バランス上に成り立つ微妙なもので、今後も続くとは限らないのだが、私たちはこの異常な状況に慣れきって国防についての思考回路を失っている。

そんな戦後日本人の平和惚けの象徴が「日本国憲法」前文だろう。
そこにはこう書かれている。

「日本国民は・・(中略)・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」
「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」

日本人は自分たちの安全と生存を外国に委ねると明記しているのだ。
そして、平和を維持しようと努めているのは国際社会だという。
なんと現実離れした甘い認識だろうか。

今も昔も国際社会はシビアな弱肉強食の世界であり、自立の気概なき国の存続は危うい。
諸国民は決して公正ではないし、まして弱小国の面倒など見てはくれぬ。
日本が65年間平和でいられたのも、その経済力を利用するアメリカの都合によるものだ。


今、中国は核ミサイルを数百発持ち日本の主要都市に照準を合わせている。
尖閣の漁船衝突事件は小手調べで、来年の夏には本格上陸が計画されているらしい。
中国共産党の本当の狙いは沖縄である。領土を奪われる危機に日本人は鈍感すぎる。


そして何よりも北朝鮮にいる拉致被害者をいまだに取り返せずにいる。
政治とは国家の領土領海を守り、国民の生命と財産、安全を守るものである。
その意味で日本には65年間「政治といえるものはなかった」といってもよい。

戦後日本の繁栄は、シビアな国際社会を経済力で乗り切ろうとしたものだった。
だが、金で国は守れないことは歴史が証明している。
現にチベット、ウイグルは中国の軍事侵略を受けて悲惨な目にあっている。
同様に軍事力で来られたら、日本は戦えるのか。
国を守る意識の薄い今の日本は、あらゆる場面で外国人の干渉に対し無防備である。

何より大事なはずの国籍が軽んぜられ、簡単に取得できるようになった。
さらには、国を乗っ取られる危険がある外国人参政権までホイホイ与えようとする。
そして今はテレビマスコミがパチンコなどの外国勢力に握られ、彼らに都合の良い番組が作られる。
事態は本当に深刻なのだ。国民の生存本能が鈍っているのである。


街で見かける看板には「生活第一」「いのち大切に」「クリーンな政治」・・・
いつまでも、こんな空虚な言葉で騙されて思考をストップさせていてはいけない。
一般国民が性根を据えて「日本人による日本人のための社会」を本気で考えるときがきている。
日本男児よ、覚醒せよ。
「草食系」とか「癒し」などと甘ったるい日常に遊んでいる場合ではない。
今、危機意識を多くの人が共有していかなければ日本は沈没する。明るい未来はないのだ。

(写真:十勝平野に月昇る)

あからさまな侵略の意思に対して

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この度の尖閣諸島における中国漁船による領海侵犯事件の顛末について、皆様はどう感じておられるだろうか。

日本の領海内で犯罪を犯し拘束され、国内法に従い裁判を受けるべき船長がなぜか処分保留で釈放された。彼は政府チャーター機に乗り込む際、Vサインをして「また尖閣で漁をしたい」とうそぶいた。

中国の強迫におじけづいた日本の菅内閣は、一言も弁を戦わせずに敵前逃亡。武力行使どころか経済制裁すらされていないのに、早くも怯えて「ちびった」のだ。世界史上希有なお子ちゃま政府の目を背けたくなる哀れさだ。


我々は世界の嘲笑を浴びている。軽薄な政権交代ブームに乗せられた2009年衆院選の歴史的大失敗のツケを払うのは国民だ。政治に無関心で自分の生活しか眼中にない日本人の因果応報とはいえ泣けてくる。

テレビ朝日は報道ステーションで「取り返しのつかないことにならないうちに、日本は譲歩すべきだ」といった。

NHKニュースでは「中国国内で日本に抗議するデモ」ばかり報道して、日本各地の「日本人の怒り」を伝えない。

今や完全に北京政府の操り人形と化した、卑屈な日本のマスコミ。
こんな報道に接していると、中国の言い分にも理があるような錯覚に誘導される危険がある。
「尖閣諸島は日本の領土だというのに、なぜ中国はこんなにも強硬に干渉してくるのか。
ひょっとして何か我々の知らない正当な根拠があるのではないか?」そんな疑心暗鬼すら出てきそうだ。

これは尖閣諸島を「中国に配慮して」きちんと実効支配してこなかった自民党政府の弱腰と、歴史的経緯をマスコミや学校教育がきちんと国民に教えてこなかった怠慢に起因する、日本人の自信のなさの表れであろう。熱狂的なナショナリズムなど必要ない、本来淡々と事実を知ればわかるレベルの話なのに。

私自身は「尖閣諸島は日本の領土で中国が資源を狙っている」という認識だったが、今回新たに知ることが多々あった。

中でも、現在尖閣諸島は私有地であることは知らなかった。かつて石原慎太郎氏が国会議員時代、防衛のため買収を申し入れたが丁重に断られたという経緯がある。昔からしっかりと日本の法律が及んできたことがわかる。

そして歴史的経緯について。
日本が尖閣諸島を領有する宣言をしたのは明治18(1876)年で、当時シナ(清王朝)の支配は及んでおらず、その後の中華民国も日本領と認めていた。
例えば、難破した福建省の漁船の乗組員が尖閣の日本住民に助けられる事件があり、中華民国は日本政府に感謝状を出している。尖閣には戦前まで日本人が多く住み、缶詰工場もあった。
今は誰も住んでいないが、戦前は覇気のある多くの日本人が夢を持って海外雄飛した時代だったことを考えれば、離島とはいえ漁業資源の豊かな島に人々の生活が営まれていたことは驚くに値しないだろう。

そして大東亜戦争後アメリカ占領下にあった南西諸島が、昭和27年のサンフランシスコ講和条約により日本に返されたとき、尖閣諸島もその中に含まれていた。中華人民共和国政府は異議を唱えず、昭和30年代の中国の地図にも尖閣は日本の領土として記載されていたのである。誰も尖閣諸島が中国領だなどと言うものはいなかった。

**
中国が領有権を突然言い出したのは、1969年に国連アジア委員会がこの地域にエネルギー資源埋蔵の可能性を明らかにしてからで、72年の沖縄返還でこの地域からアメリカの影響力が減ったことも彼らにとって好機だったといわれる。

こうした歴史をみても尖閣諸島は疑問の余地なく我が国の領土であり、日本人は自信を持ってよいのだ。どんなに強硬でも中国側の言い分には一分の理すらないと我々は堂々と言うべきだろう。石原慎太郎氏は「中国は暴力団と同じ」と言った。シナ大陸の国は聖徳太子の昔以来、我々日本人とは常識を異にする文明であり、付き合うには慎重な工夫と警戒が必要な隣国であることは間違いない。

今日29日、仙谷官房長官は「中国がこんなに強硬に出るとは思わなかった、自分たちが甘かった」とのたまった(何を今更!)・・・彼はきっと、あの能天気な日本国憲法前文を無条件に信奉してきたのだろう。

「平和を愛する諸国民の信義と公正に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と。

だが中国共産党には信義もないし公正もない(北朝鮮にもない)。
愚かでおめでたい平和幻想に遊ぶ政治家は、一刻も早く国政の場から去ってもらいたいと強く思う。普天間問題しかり、平和ボケ民主党政権のもとで、我が国は日一日と国際的な信用と尊敬を失い続けているのだ。

民主党政権が終わったら、そのあとが大事だ。戦後65年で失った日本人の自立心と道徳、誇りを取り戻そう、その志を持つ政治家と政府を育てることができるのは、私たち国民だけである。同時にそれは歴史あるこの国に生まれた者としての義務でもあろう。

(写真:石狩川と層雲峡の秋)

クマを探した夏

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今年はあの尾根から探してみよう、あの沢に張ってみようなどと思いを巡らした夏の大雪山。
豈図らんや、誰もが驚くとんでもない集中豪雨に見舞われて、道内各地で道路の崩壊や洪水だらけ。
入山にも危険が生じ、考えていた撮影計画はほとんど白紙に戻さざるを得なくなった。

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国民精神はどこにある

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「人ごとではない」
「最後はみんな独りなんだ」
100歳を超えるお年寄りの所在不明が続発している。
生死すらわからない、連絡がとれないという。
あろうことか家族による年金の不正受給まで起きているらしい。

本当にここは日本なのか?と背筋の寒くなる思いである。

ことほど左様に
異常を異常と感じなくなった現代社会。
一体感のないバラバラの、不安だらけの「個人」生活。
そんな中で、最後の拠り所たる家族関係すらこの有様とは。

今や血のつながる家族よりも
犬や猫というペットが家族だそうだ。
自分の気に入ったものだけあればOKという思い上がりで
人のつながりを軽視あるいは忌避した結果
却って人生を損なっていることに
どれほどの人が気づいているだろうか。

**
いわゆる「家族の崩壊」について考えるとき
私はいつも、現行の介護保険制度が頭に浮かぶ。
これは親を他人の手にゆだねることを制度化してしまったもので
いわば法による「親不幸ノススメ」、天下の悪法だと思っている。

制度導入時、会社員だった私はいいようのない嫌悪感を抱いたものだ。

親の介護は確かに労ではあろう。
しかし、老いた両親を子が看るのは当たり前のことで
人としてまっとうなあり方だと誰もが分かっているはずだ。

介護保険制度は、その自然な親子の情を安易に削ぐものだ。
目先の労苦を取り除くことだけを重視し、人の気持ちを捨象している。
すなわち老親の世話を「苦役」と見る非情さを不問に付している。

どんなに親切な介護ヘルパーも、しょせん他人であり
この世でかけがえのない家族に代わる存在ではない。

親の世話を他人様に頼む場合、相当な苦悩があってしかるべきで
それを制度にしてしまっては人の心は浅く薄くなるばかりである。
介護の手が足りないケースについて根本原因は何かを含めて
人の心に本当に必要なものは何なのかを
もう一度よく考えてみるべき時期ではないかと思う。
(この制度はもともと見直しを前提でスタートしたはずだ)
安易にヘルパーを増やせばいい問題ではないし
ましてや、外国人労働力に頼るなどもってのほかだ。

**
とにかくも
百歳まで生きることは間違いなく言祝ぐべきことであってほしい。
邪魔にされたり行方不明とはあまりに悲しい。
いずれは自分の行く道でもあるのに。

戦後あまりに個人の自由を優先したために
家族の意味も
先祖から子孫への繋がりの意味も
肌で感じられなくなった日本社会がある。

現在の自分のことしか考えられない国民の心の空しさを
私はこのうえなく重大な危機と感じている。

「幸せとは何か」とは答のない問いかもしれない。
だが人はみな老いるという現実に向かい合うとき
たとえ不便でも貧乏でも
心安らかに老いていけた昔日の社会秩序のありがたさを思う。

万古変わらぬ人の宿命に処する知恵を
先人の伝統精神から汲み取り示すことは
まぎれもなく
私たちの存亡にかかわる危急の課題であろう。

(写真:夏の十勝岳に咲いたエゾイソツツジ)

”夏の風物詩”にもの申す(NHKへの怒り)

Tokyo-aboard
毎年よくもまあと思うほど、戦争関連の番組を並べる8月のNHK。
その内容はいつも決まって「旧日本軍の悪いイメージの刷り込み」だ。
ここまで一方的だと却って不自然ではないかとは、露ほども思わないらしい。

今夜は「ソ連によるシベリア抑留」を扱った特集番組だ。
少しは日本の立場に立った番組を作る気になったのかと期待して見てみた。

***
だがやはり期待した私が愚かだった。
「ソ連によるシベリア抑留で57万人の日本人が強制労働をさせられ、そのうち少なくとも5万5千人が亡くなった。」
これは事実である。

私は日本人として「よくもやったな、ソ連め・・・」と自然に思う。
あの頃を生き抜いた軍人の方々の苦労や苦悩を、ひとりの若輩としても
静かに想像してみるのである。「どんなにか帰りたかったろうな」と。

番組はソ連が抑留した日本軍人に対して行った洗脳(思想教育)の
巧妙かつ卑劣な手法を次から次へと悲惨さたっぷりに描き出す。
日本兵士たちの望郷の念を逆手にとって
「社会主義思想を身につけた者から帰国させる」と触れ込むソ連当局。

過酷な労働と、募る日本への思いから
抑留者の中にソ連に恭順する者が現れたのも無理はなかったろう。
当局はそうした者を優遇することで、さらなる裏切りや密告を奨励し
日本兵の連帯感を断ち切り、自ら共産主義に入信するよう誘導したのだ。

昨日までともに戦い信じ合ってきた仲間を裏切らねばならない。
日本人が日本人を売る、友達を密告する。
そうすれば日本に帰れると・・・

こうした話が抑留体験者へのインタビューを中心に語られる。
私は涙が出そうになった。

**
だが番組中ただの一度もソ連に対して批判的と感じられる表現はなかった。

またこんな部分もあった。
ソ連は抑留者たちの軍隊階級に応じて労働の重さや食事に差をつけることで
かれらの間に不満と反感をあおった。極限状態にあった彼らは、果たして
将校の吊るし上げやマルクス主義の勉強会を開くなど、当局の狙い通りになっていく。

番組ではこれを日本軍の階級組織の厳しさが引き起こした悲惨な状況として語るだけで、ソ連の人体実験の非道さという側面を無視した。

このように、事実を述べながらもその解釈が不自然な点が異様だった。
相手の悪行に触れないように無理に逃げ回っているように感じる。

そこで思い出されるのは、広島の平和記念公園の碑文である。

「安らかに眠ってください もうあやまちは繰り返しませんから」

主語がないので有名な碑文だが、マスコミは暗黙了解的に
「日本人のあやまち」という文脈で報道する。
原爆を投下し民間人30万人を大虐殺したのはアメリカであり
「碑文」は彼らに言わせるべき台詞であることは言を俟たない。

「戦争が悪い」とか「向うがやらねばこちらがやっていた」などと
喧嘩両成敗のように原爆投下を正当化するような態度は
一見大人の議論のように見えるが、とんでもないことで、
相手の強弁に正当な議論もできずに従うだけの臆病者の言い訳である。
そして被爆者や懸命に戦った同胞たちへの最大の裏切りである。

日本人の自意識を欠き、事実を曲解した番組を並べて
「戦争を風化」させているのは他でもないNHK自身であるとはっきり言っておく。

**
今日の番組もしかり。
シベリア抑留者たちは同胞を裏切り思想を転換させられた。
帰国後は「アカ」のレッテルを張られ就職に困るなどの多くの辛酸を舐めた。
それを番組は「国家と戦争に翻弄された人生でした」と簡単に締めくくった。
こんな人を馬鹿にした言い方があるだろうか。
「国家と戦争に翻弄され」などと…低劣で浅い歴史認識を自ら露呈している。
また人格を玩弄する思想洗脳を施したソ連の悪行にはいっさい批判もなし。
同胞を57万人(!)拉致し、不法に11年も強制労働させ5万5千人を死なせた相手に対して一言もないとは。
あなたたちはいったいどこの国のテレビ局なのか。

日本人を愚弄するNHKの態度はさらに続く。
戦後、シベリアに囚われの身になった家族を返せと
ソ連大使館前にデモ行進する大勢の日本人の姿の映像が流れる。
NHKはすかさずコメントを忘れない。
「この背景には冷戦を有利に運ぶためのアメリカの意図がありました」
「対日理事会でアメリカは、抑留者を返さないソ連を激しく非難しました。
共産主義のソ連が国際社会から非難される効果を狙ったのです。」

「抑留者を返せ」のデモはアメリカの都合で行われたというのだ。
あきれて言葉もでない。大勢の日本人の思いはNHKに全く無視された。
北朝鮮に拉致された同胞家族にも同じように言えるのか。日本人の気持ちに立った歴史認識を持てと腹立たしく思った。

まさか日本人の気持ちや立場を無視することが
公平公正な番組作りであるとでも思っているのか。
このような歪曲番組を作り続けるならば
N・H・K(日本放送協会)などと名乗る資格はない。
私は本当に憤りを感じている。
日本の歴史的立場や気持ちを無視し続けるNHKは、占領軍放送局である。

(写真:東京上空から 「この繁栄は誰のおかげなのか」)

もう黙って見ていられません

inori

本当は自然の記事を書きたいのですが
とても座して見ていられない状況になっています。

相変わらずどこをみても
お金の話「消費税」だけをテーマにして
7月11日(参院選投票日)が迫ってきています。

しかし何度でも指摘しますが
民主党の本質は
「自民党を倒す」だけが目的で集まった信念も価値観もバラバラの集団。
財源なき「子供手当」「高速道路無償化」というバラマキショーは
彼らに国政を担う能力も責任感もないことの証です。

しかしそれはほんの表面に過ぎず
もっとも恐ろしいのは、彼らのもつ共産主義的な価値観にあります。
それは「日本という国のかたち」自体を忌み嫌う考え方です。

その最もあからさまなものが千葉景子法相の唱える「夫婦別姓法案」です。
これはつまり日本社会から「戸籍」をなくすということであります。

個人はばらばらになり、「誰それさんの家」という概念そのものがなくなる。
もちろん子供はお父さんとお母さんの姓が違うことになるし
結婚も意味をもたなくなります。

夫婦別姓とはそういうデタラメな社会を現出させるものですが
この法案を、なんと千葉大臣は秋の臨時国会か来年の通常国会で
成立させるつもりでいます。ろくに議論もせずに!
頭がおかしいと思いませんか。

みなさま、どうかお目通し願います。6月30日産経新聞からの抜粋です。

千葉景子法相は29日の記者会見で、
選択的夫婦別姓を可能にする民法改正案と
人権侵害救済機関設置法案(旧人権擁護法案)が
民主党の参院選マニフェスト(政権公約)に記載されていないことについて
「マニフェストに載っていない、あるいはテーマになっていないことが
特段問題になることはない」と述べ、
参院選後も引き続き法案成立を目指す考えを示した。
(中略)
民主党が単独過半数になれば3法案を阻む要素はほとんどない。

こんなことを許していいのでしょうか。
ご先祖から受け継いできた家族のあり方が
一部の過激な社会主義者によって破壊されようとしている。
それも国民に気づかれないように「こっそりと」です。
マニフェストに載せないとは卑怯じゃありませんか。

私はここで、とても基本的な、しかし大切な認識を
改めて提示したいと思います。
マスコミは決して言わないのでつい忘れがちな点です。
それは・・

日本がここまで駄目になったのは「自民党政権が悪い」だけではなく
日本人全体がだらしない腑抜けになったからだということです。

特にきれいごとや偽善に弱く、問題が起きると責任逃れに走る卑小さ。
日本人(とりわけ男性)から勇気と気概、本当の誇りが消えたと思います。
そして自民党はそんな日本人の忠実なる代表だったのではないか。

では民主党ならそんな日本を「元気に」できるのか?
もちろんできません。

彼らこそ戦後日本人の卑小さ(悔しい)の結実した姿だと思います。
たとえば菅直人首相の言葉遣いや態度は
統治者としての自覚や政策を訴える意欲すら感じさせません。
(国会での居眠りや党首討論回避など、言語同断)
彼は日の丸と君が代が大嫌いで、天皇陛下への敬意も表さない。

さらに彼は以前、北朝鮮拉致実行犯の釈放嘆願書に署名しました。
拉致被害者のご家族の心中は察するに余りあります。

日本の国をまかせてはいけない人だということは明らかですが
テレビは言いませんね。こういう事実を。

みなさまに僭越ながらお願い申しあげます。
「反自民」や「新しい政治を」などというイメージやスローガンに流されず
公平で慎重な投票をしてください。
確かに、自民党には長年のイヤーな垢が一杯あります。
でもそれは、そういう政治家を育ててしまった私たち国民の責任です。
その隙を狙っただけの民主党政権は、国を壊す以外のことは何もできません。
(普天間を弄んだ無神経さや、口蹄疫対応の不手際は記憶に新しいですね)
これは決して「不慣れ」なのではなく、そもそも「資質がない」のです。

実は民主党の政策集を作っているのは、旧社会党の事務員です。
国なんかいらない、という考えの人たちが与党の政策を作っている。
(鳩山前首相は「日本列島は日本人だけのものじゃない」といいました)
いい加減そのものではありませんか。

テレビはそうした面をなぜか報道しません。
さらには故意に論点を「消費税」にしぼって
本丸の「夫婦別姓法案」「外国人参政権」「人権救済法案」など
危険な法案を私たちの目から隠そうとしているように見えます。

みなさま
どうかご自身の目で、インターネットなどで確かめてください。
そして国全体のことをまじめに深く考えている政治家を選んで下さい。

人気取りの甘い嘘ではなく
まっとうな国家観と先人への敬意をもっている人たちを探すこと、
それこそが、私たち国民の本当の義務だと思いませんか。

あと一週間弱、祈るしかありません。
同胞が今度こそ投げやりでなく賢い選択をすることを信じます。
私たちは自分の国を、自分で守らなければいけないのです。

参院選公示~日本人としての思い

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心の底から、日本が心配だ。
今夜のサッカーの話ではない。
来月11日の参議院選挙のことである。

菅直人氏は鳩山氏の残した課題の始末も放って
支持率回復に乗じてさっさと国会審議を打ち切ってしまった。
おそらく日本中がサッカーに目を奪われている隙に
選挙を済ませてしまおうという腹か。
(W杯の決勝戦が7/11=投票日)

今日は参院選の公示日、夕方テレビを見ていると
NHKキャスターが自信たっぷりに言う。

「今度の選挙の争点は消費税をどうするか、に絞られてきています」

公約に出た10%の数字に反応したのだろうか。
だが常識的に考えると消費税は喫緊の問題ではない。

誰もが「景気回復後に議論するべき話」だと分かっている。
最大の争点になるとまでは言えないと思う。
普段から自分のお財布にしか関心がないのなら別だが。

党首インタビューもテレビの傲慢さを感じた。
質問は消費税と議席数、選挙後の連立にしか関心がなく
党首たちが本当に伝えたいことを言わせない。

特に新党の扱いがひどい。あまりに短い時間設定。
失礼で明らかな政党差別である。

「党利党略の選挙戦ゲーム」的な報道姿勢は問題だ。
日本の行く末が左右される国政選挙という緊張感が感じられない。

「ためしてガッテン」などのお気楽番組は安心して見られるが
真剣な国家意識の欠けた公共放送は看板を下ろすがよい。

ところで
「景気回復」は我々の喫緊の願いであることは間違いない。
その前に
私はまず日本人全体の自信が復活しなければ結局駄目だろうと思うのだ。

持続的で活発な経済活動と、雇用・需要の好循環が生まれる
その出発点は、やはり活発な人間精神に宿るからだ。

本来人間は自分が誰かの役に立っていると思うと
骨身を惜しまない。
そこに精神の喜びと満足があり
それが公の役に立つことは名誉でもある。

今の日本はどうか。
自分以外に尽くす精神の生きがいはあるか。

「日本人は働きすぎ」と一時期盛んに言われた。
労働を苦役と捉えて余暇と対立させる見方は
いかにもマルクス主義的な20世紀の遺物だが
それが日本の男性の立場を今も縛っている。

古今東西、男性は家の外でバリバリ働くもので
それは苦役どころか自然の本能だと私は思う。

「家庭と仕事の両立」を夫に迫る今の日本社会の風潮は
男から本能を奪い、精神を委縮させてきたと思う。

たとえば昨今ラジオやテレビドラマで出てくる父親像は
決まって「子どもと妻に遠慮するもの分かりのよい軟弱な夫」。
その現実版が覇気のない「草食系男子」ではないだろうか。

有効な少子化対策は、日本の男を働きバチに戻せ!なのである。

**
話を戻すが、今の日本の混迷は、皆が「自分のため」にしか
生きられないことに起因する精神性のものだと思う。
公的な使命感やお国のためにという気持ちが忘れられて
バラバラ勝手に生活している。

実際には日本という一つ屋根の下に暮らしながら
国をまじめに考えることがない、いびつな生き方。

国のためにという素朴な思いを無理に否定して
個人主義をことさら押し付けてきたことが
私たちの心を捻じ曲げてきたと思えてならない。

畢竟、景気の回復は健全な人心の回復なしにはありえない。
「国(公)のために頑張ることの意義」を
今再び多くの人が共有することが肝要で、その意識改革は政治にしか
期待できない大きな「一喝」である。
選挙ではその点に触れているかどうか、
とりわけ子供たちへの教育をどう語っているかが
争点となるべきではないのか。

私が見るかぎり、日本人の精神の問題を直視している政党はふたつ。
ひとつは平沼赳夫代表の「たちあがれ日本」であり
もうひとつは山田宏党首の「日本創新党」である。
戦後60年の無為無策のツケが招いた今の低迷を喝破しているのは
彼らだけだと見る。

日本を想う大先輩たちが「もう黙っていられない」と
立ち上がったことに感謝せずにはいられない。

マスコミは嘲笑し無視しても私たちは無視してはならない。
テレビには流れない彼らの言葉をぜひ確かめてほしいと思う。
民主党は自民党の最悪の亜種である。

民主党こそ自分たちの利益のためには言動不一致、
手のひらを返して立ち回り、口先で国会と国民を愚弄して恥じない
軽薄なる連中である。

自民党は「腐っても日本人」だった。
戦後の腐敗を私たちとともに味わってきたのだ。

だが民主党は、自民党を腐らせて崩壊させた勢力が
殻を食い破って表に出たものにすぎない。
それは外国勢力であり、また日本の伝統を憎む一部の過激思想派に
利用される人々である。
「外国人参政権法案」、「選択制夫婦別姓法案」を通そうとした
民主党の危険な本質を私たちは忘れてはならない。

「自民にお灸をすえる民主党投票」はもう繰り返してはならない。
それは私たち自身をさらなる苦境に追い詰めるだけである。
だが自民党もまた膿を自力で排出しなければ存在意義はなくなる。
「たちあがれ日本」「日本創新党」と協力して、日本を本当の
意味で再生する底力を出してほしいと願うのみである。

これでも日本の内閣? 

081003-D1-0291

自然や写真と関係ない話題で恐縮だが
僕は 撮影に出ていないときは
時事問題や社会に関心が集中してしまう。

きっと皆さんも感じているだろう。
最近の日本の政治状況は
もうひどいなんてものじゃない。

常識感覚が欠落した発言と行動に
政治家の資質そのものが疑われている。
もちろん予想はしていたけれども
ここまでとは。

自民党政権時代なら、とっくにアウトだ。
マスコミが連日容赦なく叩きまくっているだろう。

民主党はマスコミが応援しているから強い。

本日のNHK世論調査では支持率は59%(前回比-9)。
衆院選で僕は民主党には入れなかった。

首相は「国民の皆さまの支持を得た内閣」と
ことあるごとに言うので、
不支持の僕はどうやら国民じゃないらしい。

それはいいとして
最近の民主党の暴走ぶりはひどい。

今日15日、中国の次期国家首席と目される人を
天皇陛下と会見させるという。
ニュースでも再三言う通り、
病後の天皇陛下のお体を慮って、会見の申し込みは
1か月前で締め切るというルールがあったのに。
それを無視して強引にきめてしまった。

「30日前ルールなんて誰が決めたの?」(小沢一郎氏)

「相手がどうしてもと要求してきた。
日中関係が良くなるからいいことだ」(鳩山首相)

だそうだ。少しも問題と感じていないらしい。

****
日本国民として、はっきり言っておきたい。
なぜ天皇陛下が
中国の一政治家の要求に従わなければ
いけないのか?

30日ルールを誰が決めたかという問題ではない。
なぜルールを破ってまで相手に迎合するのか。
天皇陛下を日中友好とやらに利用しようとする
その軽率さ、あまりの不見識に腹が立つのだ。

祖国の元首を軽々しく扱われた、侮辱に対する怒りだ。

中国と聞けば条件反射的にへつらう鳩山・小沢の
まるで奴隷のような姿勢に情けなさと憤りを感じる。

売国奴め!と心の中で声の限り叫ぶけれども
悲しいかな 僕は無力な一般国民である。

あ、民主党政権下では国民ではないのだった。
来年の夏には国民に戻れるだろうか。

怒りの矛先がおかしい

081111-D-0011

もう昨日のことになるが、
NHKの夜9時のニュースで
ちょっと信じられない光景を見た。

昭和二十年三月十日といえば
僕のような戦後生まれでも知っている。
東京大空襲のあった日だ。

米軍のB29爆撃機が約300機で襲来し
既に防備力尽きた東京の下町を
一晩で四十万発の焼夷弾を落として
焼き払った。

死者は十万人以上。
人類史上最悪の空爆だったといわれる。
当時の悲惨な情景や回顧録を
僕も読んだり聞いたりした。

敗戦後に開かれた極東軍事裁判(東京裁判)では
民間人殺傷を意図したこの大空襲が
戦時国際法違反の犯罪であったとする
日本側の主張は 途中で
日本語訳が打ち切られ、議事録から消された。

東京裁判の不公正さはつとに知られている。
大空襲は明らかにアメリカの戦争犯罪であるが
連合国側の裁判官たちは、原爆投下の罪とともに
徹底的に無視したのである。

***   ***   ***

さて、本題はここからである。
この東京大空襲で亡くなった人たちの遺族が
原告となって訴訟を起こしていた。

相手はだれか?
空襲の被害について訴える相手は、誰なのか。

こともあろうに日本政府だった。

これはどうみてもおかしい。
もしアメリカ合衆国を訴えるなら筋が通る。
実際には無理だろうが、考え方はまともだ。

だが彼らはこういうのだ。
「軍人が恩給や援護法を受けているのに
民間人の被害者は何の援護もなく放置された」と。
亡くなった原告の遺影を胸に涙ながらに訴える兄妹の
映像が、肉声が延々と流れる。ほだされそうだ。

だがちょっと待って欲しい。
戦争で被害を受けたのは、東京大空襲だけではなく
大切な身内を亡くした人は全国にたくさんいる。
あの戦争では300万人が亡くなったのだ。

戦争の惨禍は国民全体が共有した悲劇ではないのか。
身内を失った悲しみを国民みんなが共有し、
力を合わせて昭和の時代を生きてきたのだと僕は思う。

「誰のせいでこうなったのか」
そうした個々の思いをぐっと呑み込んで、
みなで団結して国を守って戦った記憶として昇華する、
そういう暗黙の、重い重い約束があるような気がする。
それでこそ戦後の復興が成ったのではないだろうか。

だから今になって急に
「国は謝罪せよ、一人1千万円だ」というのはどうか。
こう言ってはなんだが
全国の遺族の思いに対する裏切りではないか。
誰が焚きつけたのか、誰がどんな思惑で始めたのか。

僕は原告の方々が本気だということだけは、わかる。
戦後の歴史観がそうさせていると思うからだ。
戦争について、国民はとばっちりを受けた被害者だと
思いこんでおられるのだろう。
だがそれは・・大いなる虚妄である。

真相は占領政策により忘却の淵に沈められた。
アメリカの占領軍GHQは
終戦後7年をかけて日本人を洗脳した。

「軍国主義の侵略国家・日本が支配欲で始めた戦争だった」
という歴史観の刷り込み・洗脳が
図書没収、私信の検閲、学校教育、公職追放…
あらゆる手段で、全ての日本人に対して徹底的に行われたのだ。

当時、報道は100% 占領軍による検閲下にあった。
新聞やラジオは日本軍の暴虐ぶりをねつ造・誇張して
ウソを全国の家庭に送り続けたのである。

そして戦後60年たった今も
マスコミは同じことを続けている。
5月放送のNHKスペシャル
「ジャパンデビュー」シリーズでは
戦前の台湾統治を悪しざまに描き、
事実に反する内容と取材証言の改ざんと
捏造が指摘されている。
(この番組に対し、全国の一般視聴者一万人と
取材を受けた台湾人が原告となり
NHKに対し訴訟を起こし係争中だ)
そして昨日のニュースである。

原告団の訴えは東京地裁で棄却された。
僕は当然だと思った。
だがNHKのテレビカメラは
悔しそうな原告の声や顔をアップで
映し出し、スタジオのキャスターは
無念そうな表情で言った。

NHK:「こうした人々がまだまだいることを
私達は忘れてはなりません」

NHKは、洗脳は全く解けていない。
「占領軍なき占領軍支配が続いている」(田母神俊雄氏)
残念ながら、至言であろう。

タテのつながりという視点

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12月8日は
日本人としては忘れえない対米戦の開戦日。
そして私的には静岡の祖母の誕生日である。

すでに卆寿を迎えた祖母は、
年相応の衰えはあるものの
健康そのものは至って穏やかで、
本当にありがたいことである。

私は少年時に1年半、
祖父母のもとで暮らしたことがある。
父の英国駐在に伴い
家族とともにロンドンでの生活を送っていた私は、
翌年の高校受験を控えて単身帰国した。

家族が帰国するまで、
当面祖父母の世話になることになったのだが
思春期の少年を預かる祖父母たちの気苦労や
また預ける両親の気苦労を思うと、
今更ながら感謝の念を禁じえない。

短い期間ではあったが
祖父母との生活が私に与えたものは
まことに大きなものがあり、
人生を左右する貴重な体験だったと思う。

中でも大切なことは、自分と祖先との間の
「タテのつながり」というべきものを、
生活の中で実感し体得できたことだと思う。

祖先を意識することは、今生きている自分を、
過去から未来へと連綿と続く時間軸の中で
相対化する視点を得ることである。

ともすれば個人中心的な狭い視野に陥りがちな
核家族時代にあって、祖父母という存在は
「絶対的個人たる自分」を離脱して
はるかな祖先から続く果てしない織物の上に
現れた模様の一つである
「相対的な自分」を教えてくれた。

私もまた祖先と同じように、
後世の子孫からは歴史的存在として
扱われるのだという、当たり前の真実に気付くのである。

そのことは、人間に謙虚さという資質を備わらせる。
今、この世に生きている者だけがすべてではない。
死んだ者、まだ生まれてこない者たちも含めた
広い視点でこの世界を見るとき、
初めて私たちは
現代の価値観を絶対正義とすることの
傲慢と愚かさに気付く。

まさしく(私達が今頑張っているのと全く同じように)
私達の前の世代、その前の世代も、
みなそれぞれの時代において最善を尽くしてきたはず、
そう肯定的に信じる根拠がある。

それが祖先への自然な敬愛と尊崇の念と呼ぶべきものかもしれない。

私的な祖先のことだけではなく、国全体の祖先たちに対しても
全く同じことが言えると思う。

たとえば先の大戦に関しての祖先の行いや決断に対して、
否定的な側面からのみ断罪するような教育や報道が
強力になされ続けている。

占領下に流布された虚偽の数々が
今や明らかにされているにも関わらず
いまだに当時の日本の行いに一片の理も認めないような
戦後日本の空気のこわばりがある。

だが大戦時における祖先の必死の思いや真剣さを
単純に「過ち」「悲惨」という絵の具で塗りつぶすことは
その時代を最善を尽くして生きた日本人への冒涜だと思う。

それは歴史に対する謙虚さを欠くばかりでなく
人間としての健全な精神を著しく阻害する状況と
言わざるをえない。

私にとって
12月8日は大切な祖母の喜ばしい記念日であり
また祖父母を含めた祖先に対する誇りと
日本人としての矜持を再確認する日なのである。