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<甲子園後記> 秋田・金足農「日輪のたぐひなき愛」の校歌を讃す

秋田県立の金足(かなあし)農業高校が、夏の甲子園に旋風を巻き起こした。
この夏、何度も流れたその校歌は、農業国日本にふさわしい自然観を存分にうたいあげている。

「可美(うま)しき郷 わが金足」
(素晴らしいふるさと われらの生まれ故郷、金足よ)

「霜しろく 土こそ凍れ 見よ 草の芽に日のめぐみ」
(厳冬の冬、大地は霜に凍りつくが 春には 恵みの陽光が草の芽に命を吹き込む)

「農はこれ たぐひなき愛 日輪のたぐひなき愛」
(農とはつまり太陽の恵み この世に二つとない無限の宇宙自然の 愛の営みだ)

「おお げにやこの愛 いざやいざ 共に承(う)けて」
(ああまったく有難い、この大自然の愛を、みなで感謝とともに承けていこう)

「やがて来む 文化の黎明(あさけ) この道にわれら拓かむ ・・われら、拓かむ」
(必ず来るだろう、真の文化の黎明が だから我らは一心にこの農の心道を拓いてゆこう)

歌い出しの「うましき郷」という語を聞けば、有名な万葉集(巻一・二番)の舒明天皇の御製が連想される。

大和には群山あれど       (大和にはたくさん山があるが)
とりよろふ天の香具山      (中でも天の香具山がいい)
登りたち 国見をすれば     (山に登って国中を見渡せば)
国原は 煙立ち立つ       (人々の家々からは炊飯の煙が立って)
海原は 鷗立ち立つ       (海にはカモメたちがのどかに群れ飛んでいる)
可怜(うま)し国ぞ
蜻蛉洲(あきつしま) 大和の国は (いい国だなあ、大和の国は・・・)

同じく故郷を賛える素直な心が、古今を通じて変わらない共感を私たちの心に与えてくれる。

そして霜白く凍る厳しい冬が過ぎて、生命が一斉に輝く春の到来を、じつに美しく明るく歌う。
生命の源は「日輪のたぐひなき愛」と。これこそ日本人本来の自然観、太陽信仰の核心であろう。

天照大神から託された斎庭(ゆにわ)の稲穂を元に稲作で国を栄えさせた我らの祖先たち。
わが郷土と学業の師への恩愛のみならず、我が国の悠久の歴史へまで心を広げてゆく歌詞だ。

日本の国の成り立ちを織り込み、いまも変わらない自然への感謝のこころを受け継ごうとする。
こんな素晴らしい校歌を、私はほかに知らない。

最近、アニメソングのようなキラキラした軽薄な歌詞の校歌が甲子園に流れることがある。
その高校の生徒には悪いが、あの類のものを校歌にしてしまう大人たちが情けなく恥ずかしい。
ものごとの価値や区別がわからぬ、幼稚で無粋な日本人がここまで増えたかと悲しくなる。

***

最後の句「やがて来む 文化の黎明(あさけ)」とはなんのことだろう。
私には作詞の近藤忠義氏の思いが透けてみえる。

「今の日本人は物質とお金ばかり追いかけて、本当に大切なことを忘れている。
だがいつか、それが反省されるときがくる。そして本当の文化が花咲く世の中がくる。
だから我々は風潮に迷わされずに、物事の本質を求め、大自然の愛に感謝する農業の道を進もう」

そんな思いが込められた歌い終わりの部分のように思えてならない。

そしてこの校歌の素晴らしさは、何といっても楽曲のよさでもあろう。
作曲の岡野貞一氏は、戦前の東京音楽学校(現東京芸大)で教授をされた方である。
「春の小川」「朧月夜」「故郷(ふるさと)」など誰もが知る唱歌を作曲したほか、
日露戦争を歌った「水師営の会見」も岡野氏の手になる曲である。

金足農の校歌の旋律には、地に足のついた雄々しい時代の日本人の精神が宿っている。
それが美しい文語の韻律と美事に結びつき、長く我々の心に残る名曲を産み出したのだろう。

この素晴らしい校歌を歌える生徒たちは幸せ者だと、つくづく思う。

(前編 おわり)

「個」の虚構との訣別を

「孤独な群集」

あれは高校一年の夏だったか。美術の授業でポスターを作る課題が出された。
幾つか決められたテーマの中から、私はなぜか「孤独な群集」を選んだ。
十六歳の少年に社会的な問題意識があったのではない。
ただ思索的で意味の深いテーマ性に何となく惹かれたのである。

赤いダルマを縦横にずらりと並べ、その中に一つだけ横に転んだダルマを描いた。
先生は褒めてくださったが、転んだダルマは現代社会に溶け込めない今の私の姿と重なる。
少年の私は、無意識のうちに早くも人生の闇路を予感していたのかもしれない。

昭和六十年の日本社会はすでに「孤独な群集」の腐臭を漂わせていたのだろう。
公民教科書には現代社会の病として「三無主義」という言葉が登場していた。
「無気力・無感動・無関心」が人々の心を蝕んでいるという問題は、すでに教科書にも載っていたのである。

あれから三十年経った。日本人の「三無主義」は悪化の一途を辿っているようだ。

メディアはスキャンダルや茶番ばかりで、人々は公への真面目な関心を維持できない。
そして蓄財や享楽・生活の利便といった、狭い視点しか持てなくなっている。

不安と猜疑心が先に立ち、すぐに細かい損得勘定をするミミッチい習性がついてしまったり、
退屈なため息ばかりで、のびやかな活力やこころの柔軟さは忘れ去られているようだ。

「人付き合いも面倒だし、気ままにスマホとAIと犬を相手に暮らせれば、他はどうでもいい・・」
そんな投げやりで萎んだ了見が、静かに人々の心に染みて来ているような気がする。

道北の大河・天塩川

「個の確立」という妄想

いまだに「国家は庶民の敵だ」「国家は個人を抑圧する」という感覚がしぶとく蔓延している。
国や公の要請に従わない「個」の確立が人類の普遍的な価値だという人が、まだいる。
マスメディア、学者や文化人、一部の教育関係者たちにその傾向が強い。
およそ現実とかけ離れた、机上の妄想が数十年間も続いている。

さて、何物にも縛られぬ自由な個人__そんな人間は古今東西、実在しない。
現実の人間は必ず何らかの共同体に居場所をもち、その規範に縛られている。
またそのおかげで、安定した自己をもって健全に生きていられる。
これが世の常識であろう。
それなのに、共同体や国家に忠誠心をもつ「個人」が語られることはない。

かように偏った「個我」にとらわれて、我らは所属不明の孤独で不安定な群集に陥っている。
この状態は人間として不自然で、一刻も早く克服されなければならない。
だが_漫然と生きていても、虚しい毎日の反復から脱することはできない。

だから、私たちはもう一度、己の命について静かに謙虚に考え直すべきだと思う。

我々の肉体は、両親から生まれた。
しかし、私たちの心臓を動かして生かしている力は、両親が作り出したわけではない。
いったいどこからきたのだろう?

「吾が心を 吾が心と思はず」

江戸時代の垂加神道家・若林強斎はこう言っている。

「神道の大事は、吾が心を吾が心と思わず、天神アマツカミの賜物ぢゃと思うが、ココが、大事ぞ、
そう思いなすではない、真実にそれ。
こう云うことを寝ても覚めても大事にするよりない。
是程の宝物頂戴して居りながら井戸茶碗程にも思わぬは、うろたえぞ。」

私たちの心、命は、自分のものであって、しかし自分のものではない・・
一見難しいが、考えてみれば誰も「心や生命」を創り出すことはできない。
天神の賜物とは、宇宙の摂理に頂いた命を、遠い遠い祖先からずっと繋いできたこと。
合理主義的な解説など不要な、信仰の真髄に触れる感覚がそこにはある。

肉体は滅ぶもの。だが魂は残って後世の人々の心に新たな関わりを生じ、ずっと続いてゆく。
そうした自然な信仰が、我ら日本人の生命観の根源をなしているのだと思う。

人の生は深くて永い。私の個我も、悠遠な大いなる生命の流れのごく一部に過ぎない。

「わが心が天神アマツカミの賜物であるとの確念は、わが生命が
一身の生死を超えて天地の永遠に参ずるということに外ならない」
(『神道大系』垂加神道 下 解題)__ 元金沢工業大学教授 近藤啓吾先生

エゾシカ姉妹

親の勝手な「個」の観念が子供を追い詰めていく

近代思想における「個人」は他者とは隔絶し、つねに自己の安全と利益を優先する。
それはすべての人間が有する「自然権」といい、弱肉強食が自然状態なのだとする。
そこに「契約」を定めることで、初めて人間の社会が成り立つのだそうである。
トマス・ホッブスが提唱した社会契約論は、そんなものだった。

だが我ら日本の先祖は、そんな弱肉強食の自然状態とは無縁であったろう。
縄文時代に大きな戦争がなかったことが、遺跡の発掘研究から明らかになってきている。
共同作業の稲作で栄えてきたわが国の由来、世界に珍しいほど温和な国民性からみてもわかる。

ところが、戦後日本の教育は、欧米の思想に心酔して、欧米人の視点でわが国の独自性や国柄を酷評し、軽視あるいは無視してきた。
そして日本民族は残虐で好戦的だとか、皇室への崇敬心を狂信的カルト宗教のように言い募る輩が大学教授になったりしている。
まるで「日本人が信じてきた歴史など、すべて誤りで、学ぶ価値もない」と言わんばかりである。

だから、戦後の子供たちは日本の神話を知らない。また天皇のことも全然知らない。
日本人でありながら、日本のことを全然知らないまま育っている。
こんなバカな教育をしている国は世界にない。

いま日本の子供が教え込まれるのは「自由」や「人権」「平等」などのいわゆる普遍的価値というものだ。
(これらは日本においては、あらゆるワガママを正当化するための呪文でしかない)
人として当たり前の義務や規則を、面倒で意味のない、避けるべきものとして片隅に追いやっている。
例えば日本国憲法には権利ばかり多く書かれて、義務はたった三つしか書かれていない。(納税・教育・労働。なぜか国防の義務はない)

甘やかされ思い上がり、人生の先達を尊敬することもなく、ただ体だけ大きくなる若者たちだが
遅かれ早かれ、彼らは現実社会との差に直面して、己の力量不足と無知に絶望して苦しむ。
こんなはずじゃ……と呟くが、今更教えを乞うべき先達もなく、自分を責めて卑しめるばかりで、うつ病になる。

昨今の「友達のような親」などは、とうてい人生の真剣な悩みに答えられるはずがない。
それに今の大人たちは自分の遊びや旅行に忙しい。墓参りはしないし、町内行事は無視する。
この自分勝手で幼稚な親の姿こそが、子供らを悲しく情けない思いにさせ、己を蔑ませる元凶なのだ。
成長するにつれて深まってゆく絶望感に、若くして人生を諦めている若者はさぞ多いだろう。

出口のない苦しみに疲れ、すべてに嫌気がさしたとき、ついに若い人生は破綻する。
自暴自棄の凶行、絶望からの自死、現実逃避の精神症が生じるのは、この時なのだ。

冷酷・狂気の犯罪者としてニュースに現れる若者の姿は、あまりに哀れである。
昔からいわれる「親の顔が見たい」の言葉は、今こそ声を大にして叫ばれるべきだ。
無垢な子供の魂が健全に導かれるか否かは、いつの世も親の自覚と努力に負っている。

一見スマートだが、底知れぬ虚無を心に抱えている日本の若者たちの危うい姿。
これがあの「三無主義」のたどり着いた最終段階なのだろうか。

先祖を裏切り、子孫を見捨てる現代日本人たち

かつて、2,700年練磨されてきた貴重な日本人の知恵と人生観があった。
それをたった一度「戦争に負けた」だけで全否定したことの愚かさは、言葉に尽くせない。
しかも、欧米崇拝の負け犬根性に駆られて、身丈に合わない制度を無理やり導入してきた。
こんな不自然にねじくれた社会で、次世代がまともに育つはずがない。
日々起こる理不尽で狂気じみた事件は、起こるべくして起きている悲劇なのだ。

残念だが、われわれ戦後日本人は、多かれ少なかれ卑怯な臆病者になってしまっている。
目先の利害しか見ずに、すべての祖先を忘却し裏切り、すべての子孫を見捨てている。
それを問題視しないメディアに流され、事態の恐ろしい本質に全く気がつかない群集。
彼らの鈍感さは、同じ日本人として本当に信じられないし、情けないの一言である。

全体(公)の中にある個(私)・・精神の均衡

国家を内側から破壊するにはどうするか?
信仰を禁じ、ウソの歴史を教えて国民の団結を壊す。
個人主義を吹き込んで公の意識を薄れさせ、バラバラにする。
欲望を煽る広告宣伝で風紀を堕落させ、国家と国民を借金漬けにする。
(住宅や車のローンも借金漬けの一例である。けっして他人事ではないのだ)
そして政治を金で縛って法律を変えさせ、伝統を絶やして国民意識を希薄化していく。

これがユダヤ式「3S政策」であり、我が国も戦前から相当やられてきている。
(3Sとはセックス、スクリーン(映画)、スポーツのことである)

スポーツは、大規模なビジネスにすることで、巨大利権の世界にシームレスにつながっている。
オリンピックはその代表だ。「柔道」はその道具に選ばれたために魂を汚され堕落した。
神事から娯楽に堕し、外人の稼ぎ場と化した相撲は、わが伝統破壊のもっとも顕著な例である。
先般、女も平等に土俵に上げろと騒いだ連中がいたが、可哀想に、完全に洗脳されている。

「個」という幻想にとらわれて、頭だけで考えた法制度を作ってきたために
我々日本人はいまやすっかり常識と現実がわからなくなっている。
つまり、鈍麻して幼稚化してしまっている。
「日本人は何を考えているのかわからない」と外国人に言われるはそのせいだ。
英語ができないとか、国際化が不十分だからではない。現実認識が幼いからである。
この現状は、戦前から日本破壊を企んできた共産主義者たちの狙い通りだろう。

「ゆく川の流れは絶えずして しかも元の水にあらず」
この世に永遠不滅のものがないこともまた真実である。
不自然は矯められる(正される)宿命にある。

世代交代にしたがって、世界潮流もまた変わってきた。
個人主義やリベラル「進歩派」が大きな顔をする時代は終わった。

先日、国民民主党の前原氏が「リベラル右派」を誇らかに自称したが、時代錯誤も甚だしい。
彼もまた国家覆滅を図る左翼革命家の一味だったのか__いやいや…そんなタマではないか。

これからの世界は、リアリティのある誠実さ、光と影の両方を語る勇気、真実を見抜く眼力、が求められていく。
くだらない言葉狩りに狂奔して「セクハラ・差別」糾弾商売をしてきた偽善者たちは、もう居場所がなくなる。
具眼の士には、リベラル思想など顧みる価値もないのだ。
2017年米国にトランプ大統領が誕生したのを機に、世界は健全化にむかって舵を切ったといえよう。
何年かかろうが、不自然は矯められるものなのだ。

私たちは均衡ある精神を保ち、ばら撒かれたキレイゴトのウソを見抜いて洗浄していこう。
長く待たれた時代がやってきた。米国の変身によって、その条件が急速に整ってきている。
我々自身が、これまでの惰性を改めて、偽善を撃ち壊す気概を持つことが求められている。(終)

久々に更新です

思うところがあり暫く別の作業に没頭して、本来の撮影活動が停滞しておりましたが、
春も過ぎて夏に向かうこの時期、富士山麓で活動を始めました。
手探りで続けるうちにいろいろ見えてくると思います。

🔹富士山麓

昨日行ったのは富士山スカイラインの「西臼塚」の森。
時間が遅かったためか人影もなく、夕方の光に輝く木々の若葉がゆるやかな風に揺れていました。
降るような小鳥たちのさえずりです。森は生命に満ち溢れています。
小道をゆくと、注連縄に囲まれたご神木のミズナラが静かに鎮座していました。
我々の信仰心の原点、豊かな自然に育まれた日本人の素朴な感謝が、そこに黙然と在りました。

北海道の森は森閑たる神秘的な雰囲気で、その原始性を私は愛してやみません。
それに比べて、富士山麓の森には人の匂いを感じます。
それは親しい身近な存在としての森を感じさせ、北の森とはまた違う新しい感覚がありました。
山川草木にカミを感じ、その宿る神霊を信じて大切に守ってきたわが祖先たちを思います。
森は樹木の群れであるけれど、その存在の由来を静かに辿れば、宇宙を一貫する大きな生命に行き着く。
我ら人の営みもまた、その大生命の局所的な現れに過ぎない、そんな大きな思いに至るのです。

🔹祖先から受け継ぐ日本の信仰心

私は日本の信仰たる神道のこころ、古事記の世界にとても惹かれます。
何といいましょうか・・・
日々見聞きする言説、次々現れる新技術や商品の話題、国際金融とグローバル化。
みんな金銭がらみの、人間ご都合主義の作り物、胡散臭くて嫌気がさします。
そんな臭いものに囲まれて息詰まるなか、遠い昔の日本神話や神道の考え方は実に開放的で魅力的です。

天照大神あまてらすおおみかみを始め、八百万やおよろずのカミ様たちは私たちと同じく悩みもし、時に過ちも犯すご存在です。
それもそのはず、私たちはみな「天の益人あめのますひと」といってカミの子孫で、八百万の神様は私たちのご先祖なのです。
だから私たちの心は本来神性をもち素直で清らかに出来ています。それが現世的欲望に引張られて離れる異心ことごころが出る。その異心を祓い清め、本来の「清く明けき心」に還る、それが祓いなのです。

本居宣長は『古事記伝』第三巻で次のように日本の古代の「カミ」を解釈しています。

すべ迦微カミとは古御典等いにしえのみふみどもに見えたる天地のもろもろの神たちを始めて、其を祀れる社に御霊みたまをも申し、又人はさらにも云はず、鳥獣とりけもの木草のたぐひ、海山など、其余何そのほかなににまれ、尋常よのつねならずすぐれたることのありて、可畏かしこき物を迦微カミとは云ふなり」

つまり人はもちろんのこと、自然界の鳥や獣、木や草、海や山など、善悪に関係なく、尋常ならざる力を持っているものは、みんな畏れ多きカミとして敬ったのです。

日本の「カミ」観は実におおらかで、自然界に生きる人間の真理を語っていると感じます。
キリスト教やユダヤ教、イスラム教の絶対的一神教と根本的に違い、そこに人為的な約束事は一切ありません。
日本人の信仰は祖先崇敬の素朴な心で、信仰の根源に最も近いのではないかと思えるのです。
だから「これこそホンモノだ」と、心の奥の奥、いわば魂の次元でしっくり噛み合う感触があるのです。

私自身、幼い頃から古いものに憧れたり、現代的な科学合理主義に強い違和感を持ってきました。
それは日本人のDNA、いにしえをカミと敬う大きな宇宙観に発しているのだと思います。

🔹取り戻そう、日本の素直な清い心を

明治以前の日本は、安定し充実した日本の伝統に抱かれて、本当に自然な形で発展してきたと思います。
しかし西洋一神教文明との接触以来、その自然さは混乱し中断され、素直な心が霞の向う側に隠れてしまった。

明治以来、文明開化だ、進歩主義だと突き進んできたこの150年の間、己を見失った不自然が積み重ねられた末に、肥大化した我欲に囚われて、利便性の追求という単純な物質偏重に落ち込んでしまったように思えてなりません。

明治は西洋文明との衝突から始まりました。その不可抗力性と不運を理解した上で敢えて言いますが、この150年の経験は日本民族にとって大きな災厄であり試練でした。西欧との出会いは私たちの精神を混乱させ、欺き、絶望させ、遂には叩きのめしました。
明治史を彩る大日本帝国の華やかさと雄々しい活躍ぶりの中に、どこか哀しい調べがあるのは、裏を返せば、西欧による侵略攻勢の大なるに脅かされた、我らの先輩たちの命をかけた必死の戦いの絵巻だったからだと思います。
世界が拡大してゆく中で、ある意味必然的な流れがあったとはいえ、あまりに悲劇的な運命でした。
大東亜戦争は、日本を計画的に破滅させようと追い詰める悪意ある欧米列強に対し、我が国民が見せた全力の反撃でした。

敗戦後の日本は欧米金融勢力に屈服し、自らを小さく見せることでお叱りを受けないようにする臆病な子供のように哀れです。

そうした悲劇の歴史事実を率直にみつめ、正しい自己認識のもとに日本は出直すべき時だと、私は強く思うのです。
古い殻は、いつかは脱ぎ去らねばなりません。
それは決して「戦前に還れ」などという視野の狭い話ではありません。
私は「明治以前に還れ」といいたい。それくらいの精神的な大転換がいま求められていると思います。
米国、欧州を始め世界的に戦後秩序の再編が始まっている今こそ、日本も覚醒して再出発しなければならないのです。
そのことは、また稿を改めて論じたいと思います。

🔹この春の桜の回想

毎年見ていたのは、北海道神宮の境内や、函館五稜郭公園の桜たち。
静岡に移った今年はどこがいいだろう?なんだか気が乗らないままグズグズしていると
今年は開花が遅いと油断しているうち、あっという間に咲いて、雨ですぐ散ってしまいました。

諦めたあとで偶然出会う「残り桜」はひとしお嬉しいものです。
四月末に二度目の伊勢参宮を果し、立ち寄った三重県の美杉村で「三多気の桜」に出会いました。


またあちこちの見聞を記したいと思います。
今回はここまで。ありがとうございました。

新年のご挨拶 平成29年=皇紀2677年=西暦2017年

初日の出

あけましておめでとうございます。
みなさまにはよいお正月を迎えられたこととお慶び申し上げます。
しかし突然の自然災害や年の瀬の大火事で、思いもよらず苦しい状況の中で
新年を迎えられた方々のことを思うと、人の世の無常、定めというものの非情を感じて
まさに他人事ではなく身が引き締まります。

***  ***

昨年は個人的にも大きな転機の年となりました。
21年住んだ札幌を離れて、静岡県の富士山麓に参りました。

仕事の面では昨夏北海道を襲った4つの台風で撮影活動の場所を大きく失ったこと、
私的事情では親類縁者が高齢になる中、故郷への思いが強まっていたこと。
日本の将来について危機感が高まるなかで、自身の新しい出会いを欲していたこと。
それらを総合的に考え、今が転機と決断したうえの転居でした。
まずは早くこちらの生活に慣れて、活動を再開したいと思います。

新年の曙光に輝く

***  ***

「今年は激動の一年になるぞ」と、新年を迎えるたびに思っておりますが、
まさに世界の混乱は増す一方です。先行き不透明で前途多難の緊張感が満ちています。
かたやわが国のテレビ報道ときたら時代遅れでマト外れで、いったい何を見ているのかと。

情報が溢れている時代、その意味を自分の言葉で組み直して真偽を判断する力が必要ですが
手っ取り早く「検索」して得た他人の言葉を便利に使い回すことに慣れた頭には大変なこと。
情報を理解し判断する力の差は、そのまま現実認識の差となって、国論は常に分裂しています。

またテレビや新聞も本当に大事なことは報道しません。尖閣諸島の危険な実情も報道しません。
芸能人の麻薬とか、どうでもよい些事に我々の関心を向けさせようとします。
難しい世界情勢など一般国民は理解できないし、視聴率も取れないと考えているからでしょうか。

いつぞやある市議選候補者が、選挙を手伝っている私に雑談的に話してくれました。
「テレビ局の人間はみんな一般国民を馬鹿だと思っていて、程度に合わせた番組を作っていますよ」と。
彼自身がその業界出身だったのは笑えないオチですが、本当のことだろうと思いました。

***   ***

自分の命は長くても70〜80年です。でも日本の国と日本の民はずっとずっと続いて欲しい。
同じように願ってきた無数の祖先がいたからこそ、いまも日本は続いています。

現代の我々はその大切な祖先との約束がどんどん壊されていく只中を生きている。
伝統的な麗しい習慣は現代的に作り変えられ、言葉もじつに貧しく粗雑になりました。
長い歴史をもつ日本が今、根底から壊されて永遠に失われる危機に瀕していることを実感します。
それも国民がすっかり油断してノホホンと気付かない中で、静かに確実に進んでいる。
その首謀者は誰なのか。なぜ日本人はそれに気づかないのか。

“金を稼げば人生の勝利者、稼げなければ人生の敗北者”と言わんばかりの拝金主義社会です。
この流れを意図的に生み出して、世界を金漬けにして支配しようとしている勢力があります。
国際金融資本つまり国際銀行家たちです。彼らは金融を武器に各国の政治経済を冒し、その自主性を奪います。国民を「金持ち」と「貧乏」に分断して団結力を弱め、バラバラの個人を金で支配するのです。

金で国を買い叩かれ、国民を分断され、伝統文化を滅ぼされる苦しみを我々戦後の日本人はずっと味わってきました。誰と戦っているのか知らないまま、負け続けてきたのです。
本当の敵は、じつはアメリカや中国といった国家単位の政府ではなく、彼らを裏から金で操っている者たちなのだということを、この二年ほどで私は腑に落とすことができました。

我々の骨髄を腐らせ自壊させるのは結局は金と物への欲望であり、それを戦略的に流行らせているのは国際金融資本家たち、つまりグローバリスト推進派です。
私たちが金に対する卑しい心構えを恥じ、反省しないかぎり、彼らの侵略から日本を守ることはできないと思います。戦争は武力だけではないことを知らねばなりません。

真の国際的視野とは、自国のかけがえのなさを悟った人だけが持てるものだと思います。
国を失ったらどうなるか、その怖さや痛みを感じられる人は、他国民の痛みも分かるのです。
それが本当の国際人というもので、決して国際的なビジネスに長けた人のことではない。
私はそう思っております。

みんなで、2677年目を迎えた愛しい日本の国を守るために、自分の頭で考えていきましょう。
今年もよろしくお願いいたします。

(終)

富士の国から(耶蘇祭りの夜想)

秋頃にお知らせしました通り、このたび長年住み慣れた北海道を離れて
故郷静岡県の町に越してきました。
荷物整理もやっと一息つきまして、当ブログも再開と相成りました。
どうぞ引き続きよろしくお願い申し上げます。

***  ***

窓からは毎日富士山が大きく見えます。12月というのに日中の気温は12〜16℃もあって、
外出も薄いコートで済むのは新鮮な感覚です。温暖な土地に来たことが実感されます。
気候の変化に体がついていきません。朝晩はくしゃみばかりして、昼間は眠くてぼうっとして。
少しずつ慣れるものでしょうが、風邪は寒いからひくとは限らないなと感じます。
高校時代以来の静岡県民となり、人とのつながり作りからの再スタートですが
焦らずにやるべきことをやっていこうと思います。

***  ***

年が明けたら早速近隣の山を歩いてみたいのですが、私は静岡の山をほとんど知りません。
とりあえず昔買ったヤマケイのアルペンガイド南アルプス編を読みなおしています。
動物や野鳥たちのご機嫌伺い&足慣らしのため、まずは冬の低山で訓練ですね。
カメラを担いでいくのはもう少し先になりそうです。

【耶蘇(ヤソ)教祭りの大騒ぎにもの申す】

世の中はクリスマス一色でも、我が家では23日の天皇誕生日のお祝いが最も大切な日。
強風に負けず国旗も出した。青空に翻る(ほとんど飛ばされそうな)日の丸の美しさ。

私はX’mas「クリスマス」を日本語で「ヤソ(耶蘇)祭り」と呼んでいる。
キリスト教の聖夜祭なのだからそれが正しいといっても、残念ながら世間では通じない。

欧米人の習慣をむやみに導入したところで、しょせんうわべだけの借り物だ。
毎年12月に日本中で演じられるX’masの行事は巨大な消費と流通、それ以上でも以下でもない。
物事の意義や由来を無視して表面的な享楽だけをいいとこ取りする姿勢はいかがなものだろう。

たいていの人は「X’masは楽しいからいいじゃん」というだろう。また「GDP増に資する重要な経済行為だ」という人もあるかもしれない。だが行事の由来や意味が完全に没却されたら、そこには薄っぺらの、むなしい空っぽの疲れしか残らない。
メリークリスマス!と叫ぶ日本人は、いったい何をMerryと思い、何を祝っているのだろうか。

こうも思う。他国の宗教儀式を意味も考えずに真似することは、無責任で軽薄な仕業ではないか。
つまり真摯なキリスト教信者に対して侮辱行為ではないだろうか。ましてや商売の都合だけで。
何でも楽しければいいという軽い態度や、本来の深い意義を顧みない粗雑な感覚に、私は同意できない。

私の怒りとは無関係に、この馬鹿らしい風習もきっと100年後にはなくなっている気がする。時代も世界も変わる。西欧キリスト教文明の世界支配はせいぜいこの500年で、それももう終わろうとしている。
それまで待てないのは残念だが、耶蘇に迎合しない意思はしっかりと示しておきたい。

【平和ボケの悲劇&世間知らず日本、どこへゆく】

振り込め詐欺被害が報道されるたびに、またかという驚きと、なぜだという不審を禁じえない。
騙される人の中にある悪意への油断。虚実を判断する力の欠如。心の不安定さ。
そんな状態につけ込んで金を要求する巧言に動揺してしまい、痛い目に会うのだろう。
こんな油断と隙がお年寄りには多いのは、逆にいえば日本の幸せな国柄の証でもあるから皮肉だ。
なぜ、お年寄りが心に相当な武装を要するような、寒い世の中になったのか。

「国境や民族を超えて、誰もが地球規模で活躍するべき時代だ」とテレビで無邪気に話す「有識者」たちは国際化が生みだしている実生活での軋轢や弊害を「改革には痛みがつきものだ」と片付けて顧みない。こうした盲目的な国際化信仰がエリート層の見識の狭さと相まって、社会に実害を及ぼすこと実に大きなものがある。
年端もいかぬ全国の小学生がその大きな犠牲者だ。文科省は異議異論をすべて封じて、子供たちを早期英語教育の実験台に供した。

これは必ず大問題になる。すでに日本の家庭は崩壊寸前だ。
子供の機嫌をとる親には威厳も力もなく、自由の荒野に放り出された子は不安と恐怖からゲームや仮想空間に居場所を求めるしかない。社会全体が不安と臆病と自己不信のかたまりのような分厚い暗雲に包まれている感じだ。

このうえ家庭内に英語が入ってきたら親子はお手上げだ。何年かして全国で深刻な事態が顕われるだろうが、国際化信仰の文科省はシラをきるだろう。日本語と日本民族が地球上から消えていく、その第一幕を演出した罪を決して認めないだろう。
この恐ろしさに比べれば、ゆとり教育による学力低下などは全然他愛ないものだ。

また先般、全国の大学に対して「理系学生の育成を重視して、文系学部は削減せよ」という文科省通達もあった。この狂気の沙汰に、怒り嘆いているのは勿論私だけではないだろう。
科学技術の意義が人の生活向上に奉仕することなら、人間の死生観を深く考える哲学や宗教の素養こそが大前提である。土台をおざなりにして果実だけ効率よく得られると考える文科省官僚の頭は、ものの道理を弁えない幼児レベルの粗雑さだと思われてならない。

最高学府を出た人々が見せる無知と暴走が、我が国での「優秀さ」というものの無意味と危険性、有害性を証明している。
嗚呼!このような連中が国を導く立場に座っている。敗戦で正邪を180度ひっくり返されたままの戦後日本が悲しくてむなしい気持ちになる。
そういう思いが無気力を生み「今だけ金だけ自分だけ」の世を生み、振り込め詐欺の天国にもなるのだろうか。

***  ***

今日は12月25日、耶蘇祭りの日だ。我が家では「ケーキを食べる日」である。
デパートや大通りではモミの樹を飾り立てるのに懸命だ。毎年繰り返されるこの行事のむなしさは、戦後日本人の漂流と惚け面の本質をみごとに象徴している気がする。

敗戦で古来の国柄と心軸を投げ捨てた結果、目先の欲望と金の誘惑しか見えなくなった戦後日本の悲劇を静かに思う。
己の醜さをごまかさずに恥じることから始めなければならない。それがあの戦争の真の総括となり、これから進むべき正しい方向が初めて見えてくる。それは敗戦から続く自暴自棄と絶望の連鎖からの脱出、二千年のわが国史への素直な愛情と誇りの回復である。
敗戦を言い訳にして現状を看過する腐れ魂を一刀両断する、それが我々の再生へのただ一つの道であろう。

***  ***

札幌から静岡へ引っ越しても、私自身の視点、関心事はもちろん変わりません。
今後も我が美しき国土とそこに生きる命を見つめ、先人の国史と伝統の精華に思いを寄せつつ現代を生きる市井の一人としての憂国の思いを綴ってまいります。
どうぞ末長くご愛顧くださいますようお願い申し上げます。

わが歩みを刻んだ北海道と祖国への思い

いつしか二十年の歳月が流れていた。
不惑の歳を大きく超えたが精神の躍動は失わずにいたいものだ。
北国では初雪の知らせを聞く季節。私の人生もまた岐路を迎えている。

私はこの冬、故あって長年住んだ北海道を離れることにした。

秋色・十勝岳

秋色・十勝岳

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思い出とは白い霧の向こう側にある断片的な光景のことか。
歳月を経たことは寂しさでもあるが、同時に安らぎでもある。
喜怒哀楽、かつて心を燃やしたすべてが、今は優しい淡さに包まれて見える。

今度は故郷にほど近い、わが国随一の霊山の麓にある古い町へ移り住む。
そこで魂を磨き、これまでの積み重ねを統合して新しい挑戦をしたい。
人生はダイナミズムだ。機を逃さずに一気に跳ぶそのときが来た。

***

私は北海道の広大な自然に、本当に大切なことを教わった。

野生動物との日常的な遭遇は、いつしか人の心に謙虚な信仰の心を育む。
私は自然科学の本質的な矛盾と、人間の尺度で叫ぶ自然保護の虚しさを痛感した。

山で過ごした野生的な夜は、いつも私を小賢しい人間から一個の素朴な生き物に還した。
鋭敏になった心で、人の感覚や理屈を超えた世界の実在を直感するのだった。

日本文明の古代的自然信仰が、実は最も現代的かつ高次元の思想であることに気づき、
体と心で掴み取ったこの感覚が、古い神道に通じていることを、大きな感動とともに悟った。

大切なことはすべて昔にあったのだ。私たちは昔を忘れてはならない。

夜明けの知床峠

夜明けの知床峠

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欧州と日本という対照的な少年時代の生活環境が、私に自然な祖国愛を芽生えさせたが
そのことで私は公の重要な問題に関し、つねに少数派として孤立する宿命を背負った。
戦後の巨大な偽りの構造に安住する人々を寂しく眺めるしかできない無力な己を思う。

「思ふこと 言はでぞ ただに止みぬべき われと同じき人しあらねば」(在原業平朝臣)

何も言うまい、自分と同じ人などいないのだから、と唇を噛み世情を静観する毎日。
それでも思いを上手に伝える力が欲しいと願い続ける。

ひとり早い秋

ひとり早い秋

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年頭のご挨拶

皆様、明けましておめでとうございます。
平成二十八年、皇紀二千六百七十六年、キリスト暦でいうところの2016年となりました。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

謹賀新年2016-01

よい年になりますように!

**【内憂外患、避く能わざれば】

わが国の内憂外患は年々深刻さを加え来ております。にも関わらず、どこ吹く風といったように新聞やテレビメディアは世界の実態を伝えないので、わが国民に切迫した危機感が湧いて来ないという現実は相変わらずです。
しかし国全体のことを真剣に考える具体的な機会は、確実に増えてきている実感があります。

昨年はいわゆる戦後70年目でした。節目としては不自然な”70″年目におけるメディア各社の熱の入れ方には、日本を封じ込めておきたい外国勢力による「日本人の再洗脳」の意図を感じます。
戦後70年と銘打って放映された特番はやはり「愚かな日本軍国主義への批判」の焼き直しばかりだったわけです。
メディアが未だにそうしたGHQ製のお経を唱えている間に、国民は歴史の真実を知り始めている。その流れを米国はちゃんと知っており、それならば今度は日本を再軍備させて手先に使うべく、憲法改正の動きを後押し始めているようです。我々にとって憲法改正は絶対必要ですが、米国に利用される危険を避けるしたたかさが求められます。また膨張する中国の脅威に対し、わが国は核武装を含めた本気の議論が出来る国にならなければ危ういと思います。

昨年大騒ぎの末に成立した「平和安全法制」ですが、その中味は自衛隊が機能するために必要な最低レベルにも達しておらず、有事の際に国民を守れるとはいえない。今後の更なる法改正が必要な一里塚でしかない代物です。
しかしマジメな議論をする気もなく無責任な安倍叩きショーしか出来ない野党と低劣なメディアという日本の現状では、千里の道を這って妥協しながら進むしかなく、不穏な世界情勢を横目に実にもどかしい思いであります。

昨年は外国による日本攻撃も実に激しいものがあり、怒りと哀しみと溜め息を要する出来事が多くありました。
まず中国共産党の裏工作で「南京大虐殺」なる虚構がまんまとユネスコ世界記憶遺産に登録されてしまいました。
そして長崎県の通称「軍艦島」の文化遺産登録の試みは、強引に介入してきた韓国の工作で「朝鮮人強制労働」なる虚構をねじ込まれてしまいました。これは、政治利用されるユネスコの体質を甘く見た、明らかにわが国の外務省の大失態、油断と敗北です。

同様に「従軍慰安婦」なる悪質明白な虚構に対しわが外務省は一貫して「既に謝罪済み」と繰り返してきました。
事実関係の調査すらサボってきたツケはついに年末28日、岸田外相がわざわざ訪韓し「わが国の責任を痛感」し「10億円を贈る」汚辱外交に結実したのです。彼らはいったい何の責任を痛感したというのでしょうか。この売国行為を行なった外務官僚の心理に巣食う闇は、黙って見過ごせない大問題です。この報に接して暗澹たる思いで年の瀬を過ごされた国民は多かろうと思います。先祖に無実の罪(それも破廉恥なる性奴隷強制などという)をなすり付けて、わが外務省は何を得ようとしたのでしょうか。祖先を大切にする日本人にとってこの類いの行為は、たとえどんな理由をつけようと、絶対に許せないものです。ここに私は戦後70年の誤てる教育、日本人の心を内部から壊す作業の大成果を見せつけられた思いであります。

戦後日本政治はかようにわが国の先人の名誉を踏みつけて、外交の道具にする場当たり対応を続けてきたのであります。それもこれも旧敵国(国連、国際社会なるもの)に平身低頭してお詫びする態度を「善」と思い込む倒錯を今日まで重ねてきたということです。人として誠に許し難い、唾棄すべき恥ずかしい態度ではないでしょうか。このような卑屈な考え方で、これからの日本人はいったい世界の中で活躍などできるものでしょうか。今こそ国民一人一人が、この目に余る屈辱を怒りをもって見据え、声をあげ、心を寄せあって戦後の倒錯した心理を克服して行かねばならないと思います。

**【近況と今後について】

私自身は、もう一昨年になりますがほぼ一年前、衆議院選挙において「次世代の党」の看板を掲げて出馬、残念ながら落選致しました。己の力量も顧みず義勇奉公の熱意で身を投じた戦いを振り返ると胸が熱くなります。
支援を頂いた皆様の国を思う篤い心を感じて、絶望の中にも希望の光を見た気持ちがいたしました。
それを踏まえ春先にいろいろ考える機会もあり、政治の道は少なくとも今はわが天命ではないと悟りました。
そこで初心に還るべく、昨年はひたすら自然の中で野生動物や山岳の撮影に集中して参りました。

雌阿寒岳とタンチョウ

雌阿寒岳とタンチョウ

私の撮影活動はいつも「大自然に抱かれて生きる人間のあり方」をテーマにしてきました。そのために世界の真実の姿を知りたい、人間の本質と文明の本質について知りたい、という思いに突き動かされてきたのです。
そして私たち自身の存在が「日本」の民族文明そのものの体現であるという自覚に至り、日本の独自性を守ることが私たちの人生を幸せで豊かなものにすることだと目が開かれました。
世界の民族それぞれが、そうやって己の歴史文化を守り育み、次の世代へ繋いでいる。その営みの意義の壮大さに私は深く心を打たれます。

残念ながらわが国は今、多くの人々が個人的な好き嫌いや刹那的な損得勘定を主たる行動基準にしているように思います。日々起きる社会事件の異常さや、各界の責任ある指導者たちの萎縮と混迷ぶりを見るにつけ、大きな公的価値観の欠如を強く感じます。私たちの拠って立つべき日本の来歴への関心を失い、目の前の生活の利便性にのみ囚われている視野狭窄に原因があるのではないでしょうか。本来個人を支えるべきは大きな全体(祖先から繋がる長い時空)への所属意識であり、それは何気ない日常の中で見るもの触れるもの全てに宿っている長い時間と、先人の願いに思いを馳せるうちに自然に湧いてくる感謝。本質を見る広い視野はそこで磨かれてゆくと思います。

自然写真家は商業雑誌やテレビ画面に「絵」を有償提供する仕事人のことではなく、独自の活動を通じて得た独自の視点や観念を社会に発信し、ある「気付き」を人々の心に問うことが本当の使命だと思います。
私の私淑する野生動物写真家のK先生は、「金を稼ぐからプロ、ではないんだ」と言っておられました。私もその精神を常々自分なりに考え噛み締めてきました。食うための「撮り屋」にはなりたくないと思います。

また撮影で感じた大自然の息吹を己の感性と言葉で伝えるとき、その言葉は美しい国語でありたいと思います。
私たちの本来の自然観(=人生観)を心に呼び覚まし繊細な感覚を取り戻してゆくためには、外国語は妨げにしかなりますまい。古典を学び美しい和語を受け継ごう、先人の努力に自然な尊崇を持とうとする姿勢こそが、私たちに軸を与え、空疎なよどみを吹き払い、将来を永きにわたり明るくできる道と強く感じています。
目先の損得だけで現今の国際主義やグローバリズムの甘言に身を任せ、子供からの英語化を慫慂することは、日本の国柄を破壊して滅ぼすことであり、未来永劫取り返しのつかない愚行です。先祖にも子孫にも顔向けできません。

こうした価値観を持ち、私は今後も変わることなく、これまでの貴重な経験を糧としてさらに深く発展させていきたいと考えております。

当ブログも、ホームページも、今年を期にリニューアルしたいと考え、ただ今作業中です。
新年に間に合わず残念ですが、近いうちに完成させますので是非お越しください。

最後になりましたが、皆様の今年一年のますますのご健康とご活躍をお祈り申し上げます。

安田 聡

「戦後70年」私の総括と希望

■蒸し暑い北国の夏

お盆時期の北海道は毎年のように集中豪雨に見舞われる。今日も旭川で道路が川のようになっている様が報道されていた。
温かい南風が吹き込むとき上空に寒気が入ると竜巻や雷雨が起りやすい。いわゆる「大気が不安定な状態」だ。つい先日も札幌を含む石狩地方に竜巻注意報が出た。事なきを得て安堵したが、兎に角自然の威力はすさまじい。
山を裂き、海を褪(あ)せさせる力をこともなげに発揮する。

■メディア「夏の陣」の自爆ぶり

自然の猛威まではいかないがメディア報道の暴慢は目に余る。新聞の見出しはもちろん、昼間のラジオの局アナの台詞のひとつひとつ、毎時のNHKニュースは「反安倍、反原発、反安保法制」の色で染められている。
そして執拗な戦争関連の偏向した番組の連発。デモ隊が茶の間に土足で踏み込んでいるような不愉快さである。

安全保障法案の衆院可決川内(せんだい)原発の再稼動など、日本に必要なことが粛々と行なわれている。その動きに対して、国民を不安がらせるようなメディアの脅迫的報道が繰り返されている。
安倍はヒトラーだ独裁者だ、戦争法案が通れば徴兵制復活だ、原発は原爆と同じだなどと叫ぶ荒唐無稽なヒステリー集団のデモ光景をテレビは嬉々として映し出す。法案の意味も知らず空気に踊らされている哀れな姿である。
しかし彼らが熱狂的に騒げば騒ぐほど、その「イタさ」は鮮明になり国民の軽蔑を強めていくだけであろう。
70年の間、わが国を好き放題に弄んできたリベラル左翼思想の暴風も、ついに断末魔の様相を呈しているのか。

美瑛の夜明け

美瑛の夜明け

■「戦後70年」とはなんだったのか? <私の総括>

「昔の日本は愚かで野蛮な国でした。馬鹿な軍部が思い上がって侵略して世界に迷惑をかけました。でも戦争に負けたおかげで平和憲法ができて、恐ろしい軍隊がなくなって日本は平和な素晴らしい国になりました。」

「昔のことは外国に許して頂けるまで謝らなくてはなりませぬ。立派で偉い欧米や国連の言うことをよく聞いて、褒めて頂けるように振る舞うことが日本の生きるただ一つの道なのです」

これが戦後日本の基本姿勢であった。この萎びた負け犬根性とウソの歴史を日教組の教員やNHK・朝日新聞などのメディアが国民の脳に刷り込んできた。その成果が今の日本のていたらくである。
戦時慰安婦や南京陥落の実際について正しい史実を主張せず、悪意に満ちた虚偽の宣伝を野放しにしている。米国の軍事基地が国内にあっても平気顔で、しかも自らの軍備を持たないことを「誇りだ」などと詭弁を弄して、米国の植民地状態に甘んじている。北朝鮮拉致被害者を取り戻すこともできない。
自分たちが軍事力を持つと他国を侵略すると怯える異常な自己不信はいったい何なのか。

私にとってこの戦後70年とは、このように日本人を萎びた民族に作り替える自壊作業をひたすら繰り返してきた空しく哀しい歳月であると言わざるをえない。特に無垢な子供たちがうけた深刻な精神の傷は計り知れない。
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沖縄戦終結の日に一考

■6月23日は先の大戦における沖縄戦終結日

昭和20年4月1日、沖縄の海を埋め尽くした米英豪の連合軍は兵18万2千、空母戦艦等106隻。
これに対し、わが国の守備隊は、第32軍(陸軍・牛島満中将)と根拠地隊(海軍・太田実少将)をあわせて約7万7千、それに加えて県民の義勇隊 およそ2万5千。倍近い戦力差の中、わが守備隊と沖縄県民は、手を携え心をひとつにして決死の戦いに臨んだのだった。

以前、那覇の陸自第15旅団基地を訪ねたときに当時の戦闘について詳しい説明を聞かせて頂いた。私は初めて沖縄戦の凄まじい実際を知り、いい知れぬ感動と運命の悲哀に涙がとまらなかった。沖縄戦は日本人の忘れてはならない大切な記憶、民族の物語だと強く思った。

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シュンクシタカラ湖(阿寒) ※写真は本文とは関係ありません

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桜と碑文と日本のこころ雑感 〜 温根湯・層雲峡

五月連休の晴れた一日、久しぶりに道東へ遠出した。
今を限りと咲ききそう北の桜たち、そのはかない風情を愛でる旅。
日帰りで行ける範囲で札幌から六時間の温根湯(北見)を目的地にした。
彼の地ではツツジが見頃で白樺の新緑や山桜の薄色との溶合う風情はじつに優美だった。
温根湯の新名所「山の水族館」で無邪気に泳ぐ渓流魚たちに心癒されるひとときを過ごす。

旅の途中、上川町の層雲峡に立ち寄って、銀河・流星の双瀑を眺めてきた。
駐車場の傍らには、幅3m高さ2mほどの石碑が建っている。
昭和天皇、香淳皇后両陛下の行幸啓(ぎょうこうけい)記念碑である。

昭和天皇 御製
そびえたつ大雪山の谷かげに 雪はのこれり 秋たつらしも

この石碑の裏の由来にはこうある。

「天皇、皇后両陛下には、昭和四十三年 開道百年記念祝典にご臨席の上、
道北地方ご巡幸に際して、九月三、四、五日の三日間にわたって、層雲峡にご滞在になった。
この間 層雲峡温泉から高原温泉にかけてご探勝あそばされ、このお歌をお詠みになった。

両陛下のこの地への行幸啓を永く記念するため、上川町が、層雲峡観光協会、層雲峡町内会の
協賛を得てこの碑を建立する
昭和四十四年七月二十五日
上川町長 野田晴男
雪嶺敬書 」

北海道でも天皇陛下やご皇族の御足跡を目にする機会は決して少なくない。
稚内公園の氷雪の門は有名だ。傍に真岡郵便局の九人の乙女の悲劇を悼まれた御製御歌がある。
道内各地に行幸啓の碑文があるし、野幌森林公園にも明治天皇の駐蹕の碑がある。
これらの碑文を読めば、当時の人々のご皇室に対する自然で素直な温かい敬慕が伝わってくる。

**  **
思えば私たちの世代はご皇室や日本神話を肯定的にきちんと教わる機会もなく育った。
日本人の暮しに「アメリカ」が残酷に染みこんだ。ABCの洪水が日本の高度な言語文化を壊した。
抗えない欧米化の激流のなかで、居心地の悪さと不自然さに身もだえ、あるいは絶望しながら、
生きていくための価値が見えない不安におののき、私は沈思黙考する青年時代を過ごしたのだ。

社会人となった私は、やがて祖先の歴史とわが国の神話への強い愛惜に駆られるようになる。
そしてごく自然に、御皇室と国民が互いに慈しみ敬慕しあう「君民一体」の歴史、二千年の
長きにわたり祖先が営々と築いてきた、美しい国柄と優しい大和心の本質に邂逅するのである。
「ああそうだ。日本人は、日本は、本当はこうなんだ!…」
深く納得して目が開かれた感激、初めて人生の心軸となるものに出会った思いがした。

**

双瀑の傍らのこの記念碑文を読みながら、私は当時の上川町の人々の真心に思いを致した。
戦後ずっと見失われている「君民一体」の伝統が、懐かしい戦前昭和の香りがそこにあった。
この記念碑はいつか日本人が日本人に還るその日の為に、静かに立ち続けている。
(終)