新年のご挨拶 平成29年=皇紀2677年=西暦2017年

初日の出

あけましておめでとうございます。
みなさまにはよいお正月を迎えられたこととお慶び申し上げます。
しかし突然の自然災害や年の瀬の大火事で、思いもよらず苦しい状況の中で
新年を迎えられた方々のことを思うと、人の世の無常、定めというものの非情を感じて
まさに他人事ではなく身が引き締まります。

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昨年は個人的にも大きな転機の年となりました。
21年住んだ札幌を離れて、静岡県の富士山麓に参りました。

仕事の面では昨夏北海道を襲った4つの台風で撮影活動の場所を大きく失ったこと、
私的事情では親類縁者が高齢になる中、故郷への思いが強まっていたこと。
日本の将来について危機感が高まるなかで、自身の新しい出会いを欲していたこと。
それらを総合的に考え、今が転機と決断したうえの転居でした。
まずは早くこちらの生活に慣れて、活動を再開したいと思います。

新年の曙光に輝く

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「今年は激動の一年になるぞ」と、新年を迎えるたびに思っておりますが、
まさに世界の混乱は増す一方です。先行き不透明で前途多難の緊張感が満ちています。
かたやわが国のテレビ報道ときたら時代遅れでマト外れで、いったい何を見ているのかと。

情報が溢れている時代、その意味を自分の言葉で組み直して真偽を判断する力が必要ですが
手っ取り早く「検索」して得た他人の言葉を便利に使い回すことに慣れた頭には大変なこと。
情報を理解し判断する力の差は、そのまま現実認識の差となって、国論は常に分裂しています。

またテレビや新聞も本当に大事なことは報道しません。尖閣諸島の危険な実情も報道しません。
芸能人の麻薬とか、どうでもよい些事に我々の関心を向けさせようとします。
難しい世界情勢など一般国民は理解できないし、視聴率も取れないと考えているからでしょうか。

いつぞやある市議選候補者が、選挙を手伝っている私に雑談的に話してくれました。
「テレビ局の人間はみんな一般国民を馬鹿だと思っていて、程度に合わせた番組を作っていますよ」と。
彼自身がその業界出身だったのは笑えないオチですが、本当のことだろうと思いました。

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自分の命は長くても70〜80年です。でも日本の国と日本の民はずっとずっと続いて欲しい。
同じように願ってきた無数の祖先がいたからこそ、いまも日本は続いています。

現代の我々はその大切な祖先との約束がどんどん壊されていく只中を生きている。
伝統的な麗しい習慣は現代的に作り変えられ、言葉もじつに貧しく粗雑になりました。
長い歴史をもつ日本が今、根底から壊されて永遠に失われる危機に瀕していることを実感します。
それも国民がすっかり油断してノホホンと気付かない中で、静かに確実に進んでいる。
その首謀者は誰なのか。なぜ日本人はそれに気づかないのか。

“金を稼げば人生の勝利者、稼げなければ人生の敗北者”と言わんばかりの拝金主義社会です。
この流れを意図的に生み出して、世界を金漬けにして支配しようとしている勢力があります。
国際金融資本つまり国際銀行家たちです。彼らは金融を武器に各国の政治経済を冒し、その自主性を奪います。国民を「金持ち」と「貧乏」に分断して団結力を弱め、バラバラの個人を金で支配するのです。

金で国を買い叩かれ、国民を分断され、伝統文化を滅ぼされる苦しみを我々戦後の日本人はずっと味わってきました。誰と戦っているのか知らないまま、負け続けてきたのです。
本当の敵は、じつはアメリカや中国といった国家単位の政府ではなく、彼らを裏から金で操っている者たちなのだということを、この二年ほどで私は腑に落とすことができました。

我々の骨髄を腐らせ自壊させるのは結局は金と物への欲望であり、それを戦略的に流行らせているのは国際金融資本家たち、つまりグローバリスト推進派です。
私たちが金に対する卑しい心構えを恥じ、反省しないかぎり、彼らの侵略から日本を守ることはできないと思います。戦争は武力だけではないことを知らねばなりません。

真の国際的視野とは、自国のかけがえのなさを悟った人だけが持てるものだと思います。
国を失ったらどうなるか、その怖さや痛みを感じられる人は、他国民の痛みも分かるのです。
それが本当の国際人というもので、決して国際的なビジネスに長けた人のことではない。
私はそう思っております。

みんなで、2677年目を迎えた愛しい日本の国を守るために、自分の頭で考えていきましょう。
今年もよろしくお願いいたします。

(終)

新年のご挨拶 平成29年=皇紀2677年=西暦2017年」への2件のフィードバック

  1. やっさん

    お茶と蜜柑さん、いつもコメントをありがとうございます。小生静岡県民に復帰してひと月が経ちました。毎日大きな富士を仰ぎ、志を高く持って現世を強く生きてゆかうと思いを新たにしています。
    さて「国際とは国が際立つこと」とは実に言い得て妙ですね。思わず膝を打ちました。
    思えば昨年の伊勢志摩サミットでG7の首脳たちが内宮に参拝しました。彼らはみな何らかの精神的な感化を受けたとコメントを残しています。あれはまさに「日本」が際立った瞬間だったのでしょうね。
    近年の我が国は(メディアは報じませんが)世界の中で大きな影響力を持ち始めています。安倍外交は戦後の内閣で初めて「主体的な国家意思」を示して行動しており、米、露、EU諸国はその日本の存在感に改めて刮目しています。好不好に関らず、もはや日本は世界の傍観者の立場には居ないことは確かでしょう。

    「なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」伊勢に詣でた西行法師の作とされるこの一首が私は好きです。日本の深い豊穣な精神性が凝縮されているように感じます。山の清浄な空気には、なにごとか霊的なものがある。それを感じ取ろうとする、あの素晴らしい感覚をまた共に味わいたいですね。

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  2. お茶と蜜柑

    世間では無闇に国際化と言うけれど、「国際」とは、『国』が『際』立つことですから、自国の伝統、文化、文明を弁えていない国際人など、ありえない話ですね。これだけでも、日本人が日本人らしくあることの大切さが分かります。さらに、日本文明、即ち日本の精神には、人間にとって本来欠くことのできない大切なものがあります。”今だけ、金だけ、自分だけ”の対局にある心です。それを、自分自身が身に着け、次の世代に受け渡して行くために、同志達と修養しています。
    また、一緒に山に行きたいですね。

    返信

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