撮影の日記」カテゴリーアーカイブ

旅を終えるものたち

Pink_Salmon

知床半島の川で撮影しているとき
たくさんの遡上するカラフトマスを見た。
長い旅の果てに帰ってきた彼らは
故郷の川で 最後の仕事 繁殖の営みを終えて
今 眠りにつこうとしている。

早朝 冷え込んだ秋の川で
ふらふらと、力尽きて流される一匹のカラフトマスを見た。
懸命に体をくねらせて川岸の溜りにたどり着くと
先に逝った仲間の体に寄り添うように静かに横たわる。

瞳に映る晩秋の高い青空に 白い雲がひとすじ流れていた。
ああ
なんだろう この胸の底にうずく哀しみは
魂の共鳴とでもいうような
深いところから湧き上がる哀愁に満ちた感動は・・・

その瞬間
僕はもしかすると
生命の根源のようなもの 宇宙の真理というものに
億万年のときを飛び越えて
触れていたのかもしれない。

知床連山から吹き下ろす秋の風は
かすかに冬の匂いがした。

マガンの秋

091007-D-104_1

宮島沼が大賑わいの季節である。

美唄市にあるこの池は、シベリアから渡ってきたマガンたちが
本州へ渡る前にひととき羽を休める一大拠点だ。
多いときは6万を超えるという数が集結する。

ここ数年やや減少気味だとも聞くが、どうなんだろう。

このたくさんのマガンたちが、
夜明けとともに一斉に湖面から飛び立つ様はまさに壮観だ。
幾たびかの鳴き交わしが盛んに行われた後
羽ばたきは突然起こる。

数千、いや数万羽が黒い雲のように水面から湧き上がる。
轟音は天まで届かんばかり
黎明の空気を振るわせるその響きは
スサノオの天の詔琴もかくやと思わせる。

興奮の一大イベントであるが、いつもこの一斉のねぐら立ちが
見られるとは限らず、ちょぼちょぼと小分けになることも多い。

(脅かすと一部が慌てて飛んだりして乱れるので、なるべく
近づかずに観察しましょう。)

小学生の頃、「大造爺さんと雁(がん)」というお話を国語の教科書で読んだのを覚えている。
羽の一部の白い模様から「残雪」とあだ名されている賢いリーダー雁と、猟師の大造爺さんの、毎年繰り返されるかけひき合戦、頭脳戦。

ある年、連れ合いの雌の雁が怪我をして動けないのを守ろうとして
大造爺さんの前で逃げずにじっとしている「残雪」を見つけた爺さんが
「よきライバル」を撃たずに逃してやるという、いい話だったと思う。

マガンの季節にはこの話を思い出して懐かしい気持ちになる。
食えー、食えーと大声で鳴いているマガンだが、なんだかホロリとして
食指を動かす気持ちにはなれそうもない。

大雪山・高原沼の紅葉

Kogen_Onsen121

予定していた道東の取材を変更して大雪山の高原沼に入った。
この地域での撮影は私の秋の恒例行事である。

ただ今年はあまり時間が取れず、一日だけの取材となった。
その日は朝から曇りで紅葉撮影には向いているとはいえなかったが、
私は「どんな状況でも必ず美しさはある」と信じている方なので
勇んで沼巡りコースに入山した。

大学沼までの往復(ヒグマ出没のため規制されている・・・)は
慣れた道とはいいながら、毎回感動的な自然の色がちりばめられていて全然退屈しない、希有なルートである。

光が鈍い分、画面構成と対象の絞り込みに頭を使うので、
これはこれで結構面白い撮影ができたと思っている。

途中の沼でのんびり撮影しながら大学沼に着くと
大勢の人々が昼食を摂っている。
私も皆にならって今朝車の中で作ったおにぎりを頬張る。

「人間は米さえ食っておけば死にはせん」
いつか伯父が言ったことは私を支えている真実である。

帰りに林道沿いの渓流で釣りをした。
いかにも釣れそうな渓相なのだが、どのポイントを攻めても
不思議に全く当たりがない。

「まだ水温も高いのに、オショロコマ一匹かからないとは???」

昨日の雨でやや増水気味とはいえ、この程度なら問題なさそうだが。

もしや凄腕の釣り師が先に全部釣ってしまったのか?
それともエサが悪かったのか?(私はブドウムシを使っていますが)
高価なイクラでないと食べないのかな?

どなたか、9月のヤンベタップ川でオショロコマを釣るコツを
ご教授下さいませ。去年も全く駄目だったので悔しい・・・

浮島湿原

Ukisima-shitugen0111

北海道森林インストラクター会の総会と実地研修で、久しぶりに道東の浮島湿原を訪れた。
すっかり秋色の高層湿原、標高800mの風が汗ばんだ体を冷やしていく。
静かな別天地。
人間が訪れる前、はるかな昔から
オオルリイトトンボたちは生を営んでいたのだろう。
遠く大雪の峰が見える。新雪を薄くまとったのは旭岳。
もう冬がそこまで近付いている。

自己施肥

Sounkyo-Obako013
北国の秋の彩りの中でもナナカマドとモミジの赤、
カツラとヤチダモの黄は群を抜いて美しい。

紅葉目当てに層雲峡大函に来たが
川岸にハンノキが多いせいか今ひとつ地味だ。

晩秋に濃緑から茶色に変わり
そっと冬支度をするこの木は見えない実力者で
根に住まわせた菌に空中の窒素から
肥料を作らせるのだ(自己施肥)

地味な実力者については人の世も同じで
静かで思慮深い人ほど皆を支える強さを持つ。

私たちも
能ある謙虚な鷹を尊敬する精神風土を取り戻さなくては・・・

十勝岳のキタキツネ

090922-D-240

白金温泉付近のキャンプ場で迎えた朝は
小雨が上がった雲間から青空が見え隠れ。
秋風の冷たさの中、日差しのぬくもりにはまだ夏の名残り。

さわやかな大空に弧を描くのは 三羽のトビ。
上富良野の黄金色の田や、収穫の終わった畑を
上空から餌を探しているのだ。

昨年11月の雪山研修以来、約一年ぶりの白銀荘で
お湯を頂く。連休中で洗い場の混雑はすごい。

ここの露天風呂の雰囲気が好きだ。
39、44、46度Cの三種類の湯がある。
真冬なら46度にも入れるが、今は39度が精いっぱいだ。

白銀荘を後に、十勝岳温泉凌雲閣へ。
十勝岳、上ホロ、富良野岳への登山客で賑わっている。
昼過ぎなので、早くも下山してきた人たちだろうか。
今日みたいな天気は絶好の登山日和だ。
さぞ気持よかったろうな。

駐車場にキタキツネが現れ観光客の耳目を集めている。
餌をやらずに写真だけ撮る。キツネはもちろん餌を
期待しているものの、微妙な警戒心は捨てずにいる。

***  ***  ***

人間と野生動物の距離についてはいつも考えさせられる。
「餌をやるとキツネは自活できなくなる」というのは通説だが
「夏は餌をもらって冬は自活!」というしっかり者は確かにいる。

思うに
餌をねだる動物を遠ざけるという優しい配慮の本質は
人の子供の躾(しつけ)をそのまま当てはめるようなもので
人の自己満足に過ぎないのではないか。

そもそも野生を失うとは、一体どんな状況を指すのだろう。
彼らは自分なりにいつも真剣に生きている。
夏に餌を誰からもらおうが、冬には当たり前に自活する。
それが野生ではないだろうか。

ガソリン心配

090917-D-173

風に誘われるままに山に入ってしまった。
今更仕方ないが帰りのガス欠が心配。
残り10Lを切っているランプ点灯。
地図には層雲峡にエネオスの印。だが記憶にない。
もしなかったら(-_-;

***   ***   ***

太古の静けさの森でナキウサギを待つうちに
心は清く正しく前向きになるのが不思議。

神様に祈ることで身を正し、物事を落ち着いて受け止める心境。
覚悟ができると不思議、みんな良い方へ流れ始めるのだ。
ガソリンもきっと大丈夫だ!

層雲峡にて

090917-D-097

天気小康、大函に行ってみる。

まだハンノキの緑が大半の中、ダケカンバの黄とヤマモミジの赤が
柱状節理の岩壁の上部に張り付き、陽光に輝く様が目を引く。

閑散とした駐車場で三脚を出し、
写真は撮らずに昨日洗った登山シャツを干した。

石狩川の支流ニセイチャロマップ川が本流に注ぐ辺りが大函、
少し下流で滝が連続している辺りが小函である。

数日で秋の錦絵は最盛期を向かえるだろう。
長い間遊歩道は通行止めで小函には行けない。
大函はダムと展望台ばかりが小綺麗で風情はあまりない。

昔はよかったと皆が言うのが悲しい。

雨の夜

090917-D-134

遠く沼の原に最初の滴を落とした石狩川。
大雪の清流を貪欲に集めて、今私の目の前で銀流の滝をも一呑みして、
闇の中を上川、石狩平野へと駆け下りてゆく。
この壮大なる川の長い旅を思う夜。
明日は雨は止むらしい。ナキウサギは顔を見せてくれるとよいがなあ。

山道を行く

090915-D-015

大雪山の一角、東大雪の中では登りやすいユニ石狩岳への道にいる。
重なり合う苔むした岩の上にハイマツが根を張り、
倒木の上にはびっしりと、これも名も知らぬ苔が蓋っている。
太古の気配の漂う神秘的な空間。

鳴兎園と呼ばれるこの場所で、名の通りナキウサギが暮らしている。
果てなく続くような静寂を破り、鋭い声がピキッ、ピチッと響く。