日々の思い」カテゴリーアーカイブ

熱い夏の始まりに

気づけば七月中旬。いつもながら季節の移ろいの速さに驚かされます。
山は濃い緑に覆われ、小鳥たちや蝉の声で満ちています。
札幌は晴れた日は25℃を上回り暑い夏がやってきました。
この3ヶ月ほどの間におきたこと、考えたことなどを思いつくままに書いてみます。

初夏の森で

初夏の森で

■ 神社検定

先日「神社検定」1級の受験を終えました。会場は北海道神宮。試験前に祈願をして臨みました。
出来はまずまずの感触で、来月の合格発表を楽しみにしています。

この検定は神社の名前を覚える試験ではありません。日本人の宗教・神道について学ぶのです。
戦後の学校教育では決して触れることのない、わが国の神話や古典、和歌と伝統、神道の歴史と仏教や儒教との関係、国体観念の思想史等について、多くの重要かつ基礎的な学びを得ることができました。
これを土台にして更なる勉強を続け、真の日本人としての己を深めていこうと思います。

利尻富士の夕景

利尻富士の夕景

■日本の国柄は死んでいない

ここ数年、大水や地震、噴火などの自然災害が痛ましい犠牲を多く出しています。
天災に際して、多くの人々が私欲を捨てて他者のために行動する姿に心を揺さぶられます。
これが日本の国柄であり民族の心というものなのだと教えられるのです。
誰もが自分中心で損得勘定で生きているような現代でも、実は日本の心は生きているのだと。
太古の祖先から伝わる自然な国民性が連綿と続いている。それは何と貴重で幸せなことでしょう。

ものごとの基本的な価値観を皆が共有していることが安心と信頼のある生活の根本だと思います。
世界の人々が驚きと感動で語る日本人の価値観と良識は、長い長い豊穣な歴史の賜物なのです。

ショウジョウバカマ

ショウジョウバカマ

■ 戦後70年は永い歴史でみればほんの一瞬の病

70年前の大東亜戦争敗北で日本はいま一時的に、全てがおかしくなっています。
強者のご機嫌をとるイイ子を演じて「平和的だ」と勘違いしたり、弱い者にすり寄って自己を美化しようとする偽善があらゆる場面で臭気を放っています。
巨大メディアは「差別を許さない」と言って彼らの好まない批判を封じ込めます。
この言葉狩りこそが、人々の思考を抑圧し萎縮させて、社会を歪めている本質なのです。

テレビや新聞報道は、戦前日本に対する徹底した負の印象をお茶の間に流すことで、長い時をかけて人々を洗脳してきました。国家や公について公平で均衡のある思考をさせないようにしてきたのです。
いま安保法制を戦争法と呼んだり平和憲法を守れと叫ぶ人々の現実離れした主張はその成果です。

戦後70年への後世の評価は「敗戦と占領が言論の萎縮と平和妄想を強いた現実逃避の時代」となるのでしょうか。

松山湿原(道北/美深町)

松山湿原(道北/美深町)

■ 変わりゆく世界構造、グローバリストとの激しい戦い

時の流れは絶えることなく、すでに世界は「第二次世界大戦クラス」の変動の渦中にあります。

2008年リーマン危機以来衰えの目立つアメリカは、大統領選挙を期に国内の大変化が起きています。国富の99%を握ってきた金融資本家たちに対する、ふつうの米国民の怒りが爆発したのがいわゆるトランプ旋風です。
「アメリカをアメリカ人の手に取り戻せ!」という彼らの叫びは、ウォール街が画策する戦争商売に利用されてきた米国民の内心の怒りが背景にあるので、今回トランプ氏が敗北しても、その動きは収まることはないでしょう。軍事産業で世界を動かす巨大な利権体制が崩壊する第一歩かもしれません。

ヨーロッパに目を転じれば、欧州連合(EU)も衰退の兆しが顕著です。
EU統合とは金融資本家たちの企てたECに始まる欧州支配戦略の最終進化の形態です。
そしてユーロ通貨とは、彼らが欧州の市場を一手に支配するための道具なのです。
「欧州の平和的統合」という美しい理念の裏に隠されているのは、各国の主権を制限して将来は民族国家を解体し、彼ら金融資本家が個々の人民を支配し搾取するという青写真です。

そのための手段が、EU域内における人の移動の自由化、つまり移民の推進でした。
果してドイツは安価な移民労働力を利用した輸出で巨利を得てEU盟主の座につきましたが、
その引換えに国内治安は悪化し、今やゲルマン民族の国家ドイツは消滅の危機に瀕しています。

グローバリズムとは、国民国家を解体し、個人を金銭で支配搾取する「金融奴隷体制」です。
イギリスはその危険に気づいた国民がEU離脱の決断を示しました。英国人の気概に拍手です!

金融資本家たちの壮大な戦略は、中東シリアにIS(イスラム国)の紛争を作り出しました。
そこで生まれる大量の難民をEU域内に流入させ、EU加盟国を混乱させて弱体化させるのです。
「地中海で溺れかけた難民の子供」の嘘写真に同情した世論がドイツ首相に「難民の無制限受入」を約束させました。なんとも恐ろしい情報工作ではないでしょうか。

いま欧州各国は存亡をかけてグローバリストの戦略に抵抗しています。右派政党が勢力を伸ばし移民拒否の動きを強めています。欧州がテロ頻発地域になっているのはこの混乱のためなのです。
しかし日本のメディアは、この恐るべき事態と構造について一切報じません。
ただひたすら「危険なナショナリズム」をなじり、既存の金融システム擁護を叫ぶだけなのです。

カイツブリ悠々

カイツブリ悠々

■ カゴの中の鳥・日本

世界の大混乱の中で、わが国のメディアや学識者はいったい何を見ているのでしょう。
あいかわらず「株安・円高・企業への影響は」といった目先の経済予測のみに終始しています。
彼らには実際、文明や歴史に根ざした深い情勢の理解も事態への危機感も感じられません。
アメリカや欧州で民族運動が起きていることの本質に、彼らは関心すら持たないように見えます。

有為な若者たちが知性の欠如したテレビをほとんど見ていないのは、当然でしょう。
今回の選挙権年齢の18歳への引き下げは適時の策と思います。
我々には、平和ボケの妄想に囚われた空論に費やす時間はもうないのですから。

凛とした眼差し

凛とした眼差し

■ 静かな参議院選挙と憲法改正

今月11日に投開票された参議院選挙ですが、予想通りの与党の順当勝ちでした。
自公を中心に改憲派が議席の三分の二を超えました。憲法改正発議の環境が整ったわけです。
しかし今回、安倍首相は憲法改正を争点にはしませんでした。

私もそれでよいと思います。先の安保法制議論において、大手メディアの悪質な誘導報道に踊らされた国民の多かったこと!”SEALDs”の若者たちだけでなく一般国民まで「徴兵制は嫌」などと言い、内閣支持率が少し下がりました。まったく信じがたいことです。
要は自分の頭で考えずテレビに騙されているわけですが、こんな状態で憲法改正など到底無理。
メディアの誘導でろくでもない憲法にされたら、それこそ国家100年の過ち、滅亡への道です。

慎重に改正条項「96条」の改正を目指していくのが現実的手続きなのだろうと思います。
そして同時並行で、今の憲法が不当にGHQに押付けられた事情を今こそ国民に周知するべきです。
とくに現憲法が本来無効である道理を、丁寧に堂々と議論する過程が最も大切だと思います。
それらが戦後ひた隠しにされてきた理由を知ることで、日本国民の覚醒が進むはずです。
本当の自主憲法制定は、そのあとでなければ意味がないと思います。

女神の滝(道北/美深町)

女神の滝(道北/美深町)

■ 「日本のこころを大切にする党」

残念なことに、今回の選挙では私の応援する「日本のこころを大切にする党」は全滅でした。
知名度も低いうえ、メディアは勝手に右翼政党と決めつけて無視していますから、国民の大半がテレビ漬けという状況では「日本のこころ」の躍進は望めないのが現実です。
思想や政策はとても具体的・現実的で、大変真面目に取り組んでいるのに、国民の側に受け入れる素地が育っていないのです。偉そうな言い方で恐縮ですが、そう言わざるをえないのが日本の深刻な現状であり、目を反らすことのできない事実なのです。

キビタキのさえずり

キビタキのさえずり

■ 舛添都知事の辞職と報道のタイミング

日本人の美意識に真っ向から刃向かった舛添要一氏が、都知事の辞職に追い込まれました。
一昨年2月の選挙で就任してから2年半弱というわけですが、その間の実績は思い出せません。
週刊誌は彼のセコさを存分に暴きたてて、日本中の反発と侮蔑を煽り立てました。
舛添氏の辞職それ自体は快事ですが、この時期に突然あの騒動が出来した理由のほうが気になります。参院選目前での安倍政権への揺さぶりだったのでしょうか。

週刊誌やマスコミがスキャンダルを騒ぎ立てるとき、そこには必ず裏事情があります。
甘利大臣が辞任に追い込まれた金銭授受の件もそうです。TPP交渉での奮闘を賞賛された彼を失脚させることで、日本の閣僚や国会議員を牽制したい米国の圧力が背後にあったのでしょう。
(清原の逮捕もなぜあのタイミングだったのでしょう。かなり前から分かっていたはずなのに)
とにかく日本のマスコミが外国に忠実だということは知っておくべき事実だと思います。

森の風に揺れて

森の風に揺れて

■ 終わりに

伊勢志摩サミットでの安倍首相の功績、オバマ米大統領の広島訪問も大きな意義のある出来事でした。北朝鮮のミサイルが失敗とはいえ能力向上を示している脅威も無視できないことです。
中国のAIIB難航、日露関係の進展が世界に貢献する意味、いろいろありすぎる今年です。
とても勉強が追いつかないので、せめて要点を外さないように時勢を見ていこうと思います。
枝葉末節に目を奪われて、日本売国メディアの誘導で大局を見失ってはならないと自戒しています。

静かな湖畔の朝

静かな湖畔の朝

私の「戦友」と春の別れ

■ 「10年間ご苦労様、ありがとう」

この3月末、愛車の赤いCR-Vを買い替えました。私が最後のオーナーになりました。
06年に釧路で買って以来、10年間私の足、そして宿として活躍してくれました。
生涯の走行距離は18万6,000キロ。広い北海道を共に走ってきた愛しき友です。
感謝と愛惜を込めてきれいに掃除。あまりマメに洗わなかった無精を詫びつつ
たくさんの懐かしい思い出と年月を振り返れば、胸に熱いものが込み上げます。

最後の朝は花を手向けて記念撮影。そして新しい車の待つ中古車ディーラーへ。
それは季節の移ろいゆく最中、冬の名残の雪が降りしきる日でした。

秋の日のCR-V(夕張岳山麓にて)

秋の日のCR-V(夕張岳山麓にて)

***    ***   ***

次の車はやはりホンダの中古。そして前CR-Vの次モデルで銀色がなかなかキレイです。
ウチにやって来てすぐ、さっそく車内生活のためのリフォーム開始です。

後部シートを外して床や棚を作り、レザーを張ります。カーテンも付けます。
前の車から引き継いだものはサイズが違うため殆どゼロから作り直しです。
機材を積む方法や衣類、食糧など、頭をフル回転してイメージを作り図面化。
あとはホームセンターに通って資材調達と組み立て、木工細工。こういう仕事は好きです。

あと数日で第一次完成予定。季節はこちらに関係なくどんどん進みます。
貴重な春の動物や野鳥たちとの出会いをフイにしないよう頑張らなくてはなりません。

渡り鳥たちの朝(ウトナイ湖にて)

夜明け、10万羽のマガンたちが飛び立つ(ウトナイ湖にて)

ホームページを刷新しました

昨日18日「森かげの写真館2676」を公開いたしました。
このブログ画面一番上に、リンクがあります。

構成は極力簡潔を心がけましたが、何分素人プログラマー作ですから、
不具合なくご覧頂けるだろうかと内心不安もございます。

※ 「Not Found」などエラーが出た場合は、古いデータが邪魔をしている
場合があります。お手数ですがお使いのブラウザの「キャッシュ」を削除してから
再度読み込んでみてください。

内容は全体にわたりリニューアルいたしましたが、2674版の風味も濃く残しております。
また、新しいギャラリー「大雪山 〜太古の風の記憶」と、ライブラリを設置しました。
荒削りですがいろいろ力を入れましたので、ぜひご高覧くださいませ。

***   ***   ***

プロフィールの頁に沢庵禅師の言葉を掲げております。
この言葉は私の自戒の句、或は座右の銘、或はまた人生の背骨ともしております。

利根りこんの人は妙旨すくなし 鈍根どんこんに妙旨あり」

この意は次の通りです。

「人には生まれつき利発な者と魯鈍な者がある。利根はすなわち前者、鈍根はすなわち後者であって、利根の人は何ごとにつけても了解が早く、のみこみが早い。書物を読んでも人の話を聞いても、ただちにその意味を解してしまう。これに反して鈍根の人はのみこみが遅く、なかなか了解に至らない。
このゆえに利根の人は鈍根の人に万事まさっているかというと、必ずしもそうではない。利根の人は了解が早いだけに、ものごとを深く考えて尋思するということがないから、往々にして誤解したり上滑りしたりしがちで、書物を読んでも話を聞いても、その奥にひそむ真意義をさとることが少ないという欠点をもっている。ところが鈍根の人はものごとを容易に解しない代わりに深く考えるから、ものごとの真意義を悟ることも深いわけである。」
(堀場正夫 著 『日日の格言』新学社文庫 昭44年)

また兼好法師の徒然草にも、名工と呼ばれる仏師(仏像を彫る匠)は鋭い刀よりもやや鈍い刀を用いるものだと述べています。鈍い刀で、ひとつひとつを丁寧に、心を込めて彫るから素晴らしい仏様が現れる。切れ味鋭い刀では仕事は速いけれども、ややもすれば雑になりがちでありましょう。

実に味わい深い人生の道理だと思います。
己の利根を頼んで努力を怠れば、鈍根を知り努力する者に結局は及ばない。

「うさぎと亀の駈けくらべ」の寓話が教えることでもありますね。
人生の中で、誰しもが時にはうさぎであり、時には亀でありましょう。
どんなときも己を偽ることなく素直に見つめ、真実と道理に叶うように努めて、
正直に自然に生きる。そんな一生を全うしたいものです。

不肖私も古人の智慧と万古不易の真実を求めて、
わが国の深い自然と歴史に感謝の想いを捧げ、向上研鑽に勤める所存です。
今後とも皆様の変わらぬご指導ご鞭撻を、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

(了)

年頭のご挨拶

皆様、明けましておめでとうございます。
平成二十八年、皇紀二千六百七十六年、キリスト暦でいうところの2016年となりました。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

謹賀新年2016-01

よい年になりますように!

**【内憂外患、避く能わざれば】

わが国の内憂外患は年々深刻さを加え来ております。にも関わらず、どこ吹く風といったように新聞やテレビメディアは世界の実態を伝えないので、わが国民に切迫した危機感が湧いて来ないという現実は相変わらずです。
しかし国全体のことを真剣に考える具体的な機会は、確実に増えてきている実感があります。

昨年はいわゆる戦後70年目でした。節目としては不自然な”70″年目におけるメディア各社の熱の入れ方には、日本を封じ込めておきたい外国勢力による「日本人の再洗脳」の意図を感じます。
戦後70年と銘打って放映された特番はやはり「愚かな日本軍国主義への批判」の焼き直しばかりだったわけです。
メディアが未だにそうしたGHQ製のお経を唱えている間に、国民は歴史の真実を知り始めている。その流れを米国はちゃんと知っており、それならば今度は日本を再軍備させて手先に使うべく、憲法改正の動きを後押し始めているようです。我々にとって憲法改正は絶対必要ですが、米国に利用される危険を避けるしたたかさが求められます。また膨張する中国の脅威に対し、わが国は核武装を含めた本気の議論が出来る国にならなければ危ういと思います。

昨年大騒ぎの末に成立した「平和安全法制」ですが、その中味は自衛隊が機能するために必要な最低レベルにも達しておらず、有事の際に国民を守れるとはいえない。今後の更なる法改正が必要な一里塚でしかない代物です。
しかしマジメな議論をする気もなく無責任な安倍叩きショーしか出来ない野党と低劣なメディアという日本の現状では、千里の道を這って妥協しながら進むしかなく、不穏な世界情勢を横目に実にもどかしい思いであります。

昨年は外国による日本攻撃も実に激しいものがあり、怒りと哀しみと溜め息を要する出来事が多くありました。
まず中国共産党の裏工作で「南京大虐殺」なる虚構がまんまとユネスコ世界記憶遺産に登録されてしまいました。
そして長崎県の通称「軍艦島」の文化遺産登録の試みは、強引に介入してきた韓国の工作で「朝鮮人強制労働」なる虚構をねじ込まれてしまいました。これは、政治利用されるユネスコの体質を甘く見た、明らかにわが国の外務省の大失態、油断と敗北です。

同様に「従軍慰安婦」なる悪質明白な虚構に対しわが外務省は一貫して「既に謝罪済み」と繰り返してきました。
事実関係の調査すらサボってきたツケはついに年末28日、岸田外相がわざわざ訪韓し「わが国の責任を痛感」し「10億円を贈る」汚辱外交に結実したのです。彼らはいったい何の責任を痛感したというのでしょうか。この売国行為を行なった外務官僚の心理に巣食う闇は、黙って見過ごせない大問題です。この報に接して暗澹たる思いで年の瀬を過ごされた国民は多かろうと思います。先祖に無実の罪(それも破廉恥なる性奴隷強制などという)をなすり付けて、わが外務省は何を得ようとしたのでしょうか。祖先を大切にする日本人にとってこの類いの行為は、たとえどんな理由をつけようと、絶対に許せないものです。ここに私は戦後70年の誤てる教育、日本人の心を内部から壊す作業の大成果を見せつけられた思いであります。

戦後日本政治はかようにわが国の先人の名誉を踏みつけて、外交の道具にする場当たり対応を続けてきたのであります。それもこれも旧敵国(国連、国際社会なるもの)に平身低頭してお詫びする態度を「善」と思い込む倒錯を今日まで重ねてきたということです。人として誠に許し難い、唾棄すべき恥ずかしい態度ではないでしょうか。このような卑屈な考え方で、これからの日本人はいったい世界の中で活躍などできるものでしょうか。今こそ国民一人一人が、この目に余る屈辱を怒りをもって見据え、声をあげ、心を寄せあって戦後の倒錯した心理を克服して行かねばならないと思います。

**【近況と今後について】

私自身は、もう一昨年になりますがほぼ一年前、衆議院選挙において「次世代の党」の看板を掲げて出馬、残念ながら落選致しました。己の力量も顧みず義勇奉公の熱意で身を投じた戦いを振り返ると胸が熱くなります。
支援を頂いた皆様の国を思う篤い心を感じて、絶望の中にも希望の光を見た気持ちがいたしました。
それを踏まえ春先にいろいろ考える機会もあり、政治の道は少なくとも今はわが天命ではないと悟りました。
そこで初心に還るべく、昨年はひたすら自然の中で野生動物や山岳の撮影に集中して参りました。

雌阿寒岳とタンチョウ

雌阿寒岳とタンチョウ

私の撮影活動はいつも「大自然に抱かれて生きる人間のあり方」をテーマにしてきました。そのために世界の真実の姿を知りたい、人間の本質と文明の本質について知りたい、という思いに突き動かされてきたのです。
そして私たち自身の存在が「日本」の民族文明そのものの体現であるという自覚に至り、日本の独自性を守ることが私たちの人生を幸せで豊かなものにすることだと目が開かれました。
世界の民族それぞれが、そうやって己の歴史文化を守り育み、次の世代へ繋いでいる。その営みの意義の壮大さに私は深く心を打たれます。

残念ながらわが国は今、多くの人々が個人的な好き嫌いや刹那的な損得勘定を主たる行動基準にしているように思います。日々起きる社会事件の異常さや、各界の責任ある指導者たちの萎縮と混迷ぶりを見るにつけ、大きな公的価値観の欠如を強く感じます。私たちの拠って立つべき日本の来歴への関心を失い、目の前の生活の利便性にのみ囚われている視野狭窄に原因があるのではないでしょうか。本来個人を支えるべきは大きな全体(祖先から繋がる長い時空)への所属意識であり、それは何気ない日常の中で見るもの触れるもの全てに宿っている長い時間と、先人の願いに思いを馳せるうちに自然に湧いてくる感謝。本質を見る広い視野はそこで磨かれてゆくと思います。

自然写真家は商業雑誌やテレビ画面に「絵」を有償提供する仕事人のことではなく、独自の活動を通じて得た独自の視点や観念を社会に発信し、ある「気付き」を人々の心に問うことが本当の使命だと思います。
私の私淑する野生動物写真家のK先生は、「金を稼ぐからプロ、ではないんだ」と言っておられました。私もその精神を常々自分なりに考え噛み締めてきました。食うための「撮り屋」にはなりたくないと思います。

また撮影で感じた大自然の息吹を己の感性と言葉で伝えるとき、その言葉は美しい国語でありたいと思います。
私たちの本来の自然観(=人生観)を心に呼び覚まし繊細な感覚を取り戻してゆくためには、外国語は妨げにしかなりますまい。古典を学び美しい和語を受け継ごう、先人の努力に自然な尊崇を持とうとする姿勢こそが、私たちに軸を与え、空疎なよどみを吹き払い、将来を永きにわたり明るくできる道と強く感じています。
目先の損得だけで現今の国際主義やグローバリズムの甘言に身を任せ、子供からの英語化を慫慂することは、日本の国柄を破壊して滅ぼすことであり、未来永劫取り返しのつかない愚行です。先祖にも子孫にも顔向けできません。

こうした価値観を持ち、私は今後も変わることなく、これまでの貴重な経験を糧としてさらに深く発展させていきたいと考えております。

当ブログも、ホームページも、今年を期にリニューアルしたいと考え、ただ今作業中です。
新年に間に合わず残念ですが、近いうちに完成させますので是非お越しください。

最後になりましたが、皆様の今年一年のますますのご健康とご活躍をお祈り申し上げます。

安田 聡

春の海岸慕情(小樽市張碓)

気分転換に海が見たくなった僕は、双眼鏡とカメラと望遠レンズを持って車を飛ばした。
国道5号線を小樽方面に向かう。銭函を過ぎて峠の上り坂にかかると海が右側に広がる。
風の強い日だった。海は大きくうねり真白な波頭の砕ける様子が遠くから見下ろせた。

***
目指す張碓(はりうす)はささやかな集落だ。
国道から細路へ入る。海に向かって突き当たりまで行くと小さな駐車場がある。
傍に建つ石碑には、小樽市の鳥「アオバト」の詩と説明が刻まれている。

アオバトは緑と黄色のとても美しい鳩。オー、アオーと啼くのでアオバトなのだ。
彼らは森に住み、海水のミネラルを求めて岩礁へ群来することで知られている。
だがこの海岸でアオバトの姿を見るにはまだ時期が早い。7月以降だろう。
北国の青空と夏雲の季節はまだまだ先である。

***

海岸の主役・カモメは種類が多い。殆どは冬にシベリアやアラスカから渡ってくる。
わが国で通年見られるのはオオセグロカモメ、あるいはウミネコだ。
張碓(はりうす)海岸の弁天島という岩礁では、彼らが毎年コロニーを作り子育てをする。

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桜と碑文と日本のこころ雑感 〜 温根湯・層雲峡

五月連休の晴れた一日、久しぶりに道東へ遠出した。
今を限りと咲ききそう北の桜たち、そのはかない風情を愛でる旅。
日帰りで行ける範囲で札幌から六時間の温根湯(北見)を目的地にした。
彼の地ではツツジが見頃で白樺の新緑や山桜の薄色との溶合う風情はじつに優美だった。
温根湯の新名所「山の水族館」で無邪気に泳ぐ渓流魚たちに心癒されるひとときを過ごす。

旅の途中、上川町の層雲峡に立ち寄って、銀河・流星の双瀑を眺めてきた。
駐車場の傍らには、幅3m高さ2mほどの石碑が建っている。
昭和天皇、香淳皇后両陛下の行幸啓(ぎょうこうけい)記念碑である。

昭和天皇 御製
そびえたつ大雪山の谷かげに 雪はのこれり 秋たつらしも

この石碑の裏の由来にはこうある。

「天皇、皇后両陛下には、昭和四十三年 開道百年記念祝典にご臨席の上、
道北地方ご巡幸に際して、九月三、四、五日の三日間にわたって、層雲峡にご滞在になった。
この間 層雲峡温泉から高原温泉にかけてご探勝あそばされ、このお歌をお詠みになった。

両陛下のこの地への行幸啓を永く記念するため、上川町が、層雲峡観光協会、層雲峡町内会の
協賛を得てこの碑を建立する
昭和四十四年七月二十五日
上川町長 野田晴男
雪嶺敬書 」

北海道でも天皇陛下やご皇族の御足跡を目にする機会は決して少なくない。
稚内公園の氷雪の門は有名だ。傍に真岡郵便局の九人の乙女の悲劇を悼まれた御製御歌がある。
道内各地に行幸啓の碑文があるし、野幌森林公園にも明治天皇の駐蹕の碑がある。
これらの碑文を読めば、当時の人々のご皇室に対する自然で素直な温かい敬慕が伝わってくる。

**  **
思えば私たちの世代はご皇室や日本神話を肯定的にきちんと教わる機会もなく育った。
日本人の暮しに「アメリカ」が残酷に染みこんだ。ABCの洪水が日本の高度な言語文化を壊した。
抗えない欧米化の激流のなかで、居心地の悪さと不自然さに身もだえ、あるいは絶望しながら、
生きていくための価値が見えない不安におののき、私は沈思黙考する青年時代を過ごしたのだ。

社会人となった私は、やがて祖先の歴史とわが国の神話への強い愛惜に駆られるようになる。
そしてごく自然に、御皇室と国民が互いに慈しみ敬慕しあう「君民一体」の歴史、二千年の
長きにわたり祖先が営々と築いてきた、美しい国柄と優しい大和心の本質に邂逅するのである。
「ああそうだ。日本人は、日本は、本当はこうなんだ!…」
深く納得して目が開かれた感激、初めて人生の心軸となるものに出会った思いがした。

**

双瀑の傍らのこの記念碑文を読みながら、私は当時の上川町の人々の真心に思いを致した。
戦後ずっと見失われている「君民一体」の伝統が、懐かしい戦前昭和の香りがそこにあった。
この記念碑はいつか日本人が日本人に還るその日の為に、静かに立ち続けている。
(終)

桜咲く神宮で

思いもかけぬ暖かさは、今年の桜前線を駆け足にさせた。
先週の函館・松前に続き、札幌も27日に円山公園の桜の満開を聞いた。
あるいはGW中に道東や道北でも咲いてしまいそうな勢いである。
白樺の若葉が萌えてきた野山の雪の減り具合を見ても、今年の春の早さを感じる。

北海道神宮は札幌市の円山山麓に鎮座する。我が家からもほど近いので、
境内の桜を愛でながら小さな動物や野鳥たちを撮影するのが私の恒例である。

参道の桜

参道の桜

150428-D-012

朝一番の清浄な境内の空気を吸って参拝を済ませる。8時前はまだ人も少ない。
参道の桜の樹々は、薄紅色の雲を重ねたような枝を優美に差し掛けている。
通勤前に参拝するスーツ姿の若者や、敬虔な面持ちでゆっくり歩を運ぶ初老の男性、犬を散歩させる女性たちがちらほらと行き過ぎる。
不安げな曇り空がいつしか晴れて、春の光が柔らかく神域の杜を包みはじめた。

エゾリスが走り回る。秋に埋めておいたクルミを忙しく掘り出している。
そんなに大きなのをくわえて、あごが外れないのかと心配になるほどだ。
ちりちりと軽やかなさえずりが聞こえてきた。
シジュウカラやハシブトカラが、桜や梅の花の間を飛び回っている。
美しいヒノキやスギの林の中では、枝のカラスがのんびり啼いている。
人界の雑事を忘れる至福のひとときである。

木鼠の耳ふさの毛の揺れるごと  やはらかな風吹くここちして

あった、あった

あった、あった ♩〜

 

春のおとづれ

四年に一度の統一地方選挙、前半戦が終わろうとしている。
今回、私は知り合いの札幌市議会議員の選挙戦を手伝った。
例年この時期は残雪の森で繁殖期を迎える小動物や野鳥たちをさがすのだが、
年末の衆院選で私を応援してくれた市議に頼まれたため今年はスーツネクタイで過ごした。
そして今日が投票日だ。約ひと月の間いろいろあって私は最後は彼と袂を分つことになった。
今、札幌と日本のために真に有意義な結果が出ることを願いながら静かに夜を待っている。

あの衆院選出馬は私にとって思いもかけない出来事だったと今さらに感慨深い。
縁のある「次世代の党」からどうしても出てくれと頼まれた。当選など到底考えられぬ状況だった。
ただ北海道に「次世代の党」の名を知らしめる意義を信じて、結果は考えずに全力を尽くした。
あのとき知り合った人たちとの新しい縁も今後どうなっていくのかは正直わからない。
自分の信じる道を素直に進むのみだ。他者への敬意を忘れず、思い上がることなく謙虚に。

札幌の町並みの向こうに見える藻岩山や手稲山の雪はどんどん薄くなってきた。
長い冬を過ごしてきた樹々の冬芽はもうすぐほころんで瑞々しい若葉が生まれるだろう。
春一番乗りのフキノトウたちが雪の絨毯の隙間から頭を出している。
暖かい風が吹き柔らかな日差しが降り注ぐ北の街に、いつものように心浮き立つ春がやってくる。
桜前線はいまどのあたりかな?なんてようやく気にする余裕が出て来た。

樹液をナメナメする春のエゾリス

樹液をナメナメする春のエゾリス