日別アーカイブ: 2010年3月2日

この一枚に込める思いとは

100217-D3-104

原野のただ中に車を乗り入れる。
車内からじっと何時間も、鳥が現れるのを待っているうち
ふと何か不思議な気持ちになってくる。
「どうして自分はこんなところに一人でいるのだろう?」

もちろん写真を撮るためだが、
その目的について考え込んでしまうのだ。
「写真を撮って、何になるのだろう」と。

いったい幾万回
この素朴な疑問を自問し続けてきたことだろうか。

貴重な人生の時間を費やし
数多くのものを引き換えにして

得られるかどうかすら不確かな
作品という曖昧なるものを求めていくことに
耐えがたい不安に襲われる
そんな自分の弱さを痛烈に自覚して
独り悶絶する。

**
写真家とは、その存在意義はなんだろう?
自分は猟師ではないから
餌をまいたり仕掛けを作って
動物や鳥を呼び寄せることはしない。

シャッターチャンスは大宇宙の運行にまかせている
僕の撮影は効率悪いことこの上ない。

しかし、効率を求めて不自然な行為に走ったら
自然写真家を名乗る資格はないという思いがある。

なぜなら、自然とはそもそも非効率、非合理なものだから。
人間社会の都合でそれを捻じ曲げて撮った写真は
たとえ見るものがそれと気付かなくても
撮った本人は知っている。
それが精妙に作られたまがい物だということを。

僕はそんな色に染まることを断じて自分に許さない。

いかに効率よく決められた絵をカメラに収めるかという
「撮り屋」さんになってはならないと戒める。

**
「この一枚に込める思い」がその作品の価値だと思う。
その一枚の撮影に至るまでの、心の営みの重さが。
肉体的努力が報われない日々への絶望や
たった一度の人生の時間を費やしていく不安
その中でたったひとつだけ
続けていくこと、信じていくことの尊さを
ひたすらに 孤独のうちに噛みしめていく

そこに人格の成長があり
その結晶としての
味のある作品というものが生まれる。
僕はそう信じている。

現代的効率主義とは真反対にあるのが写真家。

みずから非効率・非合理な人間として不器用に生きぬいて
人間の宿命を見極めんとする存在として世にあるべきだ。

写真家よ
生涯 哲学者たれ!
思想家たれ!
それが汝の存在意義なり、と

(写真:根室 春国岱夕景)