大雪山・クワウンナイ川遡行の記

「北海道の屋根」大雪山、その最奥に位置するトムラウシ山は「遥かなる山」と呼ばれ岳人の憧れである。

7月、高山に花が咲き乱れる季節に、私は山仲間2人と共にこの山を目指した。
美しいナメ滝で有名なクワウンナイ川を遡行して山頂に至る計画で、私の胸は高鳴っていた。そしてこれ以上ない好天にも恵まれて、まさに忘れ得ない山旅となったのである。

「遥かなる山」トムラウシ

「遥かなる山」トムラウシ山

旭川の街から東へ約43km、山に抱かれた天人峡温泉街がある。
数年前の夏、大雨で交通が遮断されてホテル宿泊客が孤立したことは記憶にまだ新しい。
クワウンナイ川は温泉街の1km手前で忠別川に注いでいる。我々は橋の袂の林道を通って川原へ降りた。早朝の冷気の中、膝まで川に浸って渡ると、心に沢登りのスイッチが入る。

クワウンナイ下流を歩く

クワウンナイ下流を歩く

川原をどんどん歩く。道はないから岩を乗り越え淵をへつる。薮をわけ草を掴み枝につかまりながら進む。
大きな滝に出会うが直登できない。手前の岸から高卷く。
落ちたら命がない場所では、決して落ちない。人間はそういうものだ。
安心した途端に心に隙ができる。事故はそこに入り込んでくる。

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ゴルジュの高巻き

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登山、就中(なかんずく)沢登りや雪山は命の危険もあり一見無益な行為に見えるかも知れない。
だが生と死は表裏一体、死の恐怖を克服してこそ生の意味が判るというもの。
登山は心の鍛錬として、必ずや人に強さと実りをもたらす極めて有益なものであろう。

脱線したが、沢登りはそんな苦しいものではなく、実は楽しいものである。
岩を乗り越える体の躍動、ざぶざぶと渡る川の水の抵抗感、足裏に踏みしめる石や土や苔の感触、川を吹き渡る心地よい風、すべてが五感を生き生きと刺激して、叫びたいような開放的な気持ちになる。

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中流の美しい淵には、オショロコマ(イワナ)が沢山泳いでいて、黒い背びれが見え隠れしている。釣り師もここまでは来ないので警戒心も薄くて容易に釣れる。簡単すぎてつまらないほどだ。
川から少し逸れた林の中で野営、たき火をする。塩を振りじっくり焼き枯らしたイワナの美味さはちょっと言い表せない。

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オショロコマたち

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たき火は原始の本能をかきたてる

夜の帳が少しずつ降りる。炎が揺れて顔を照らす。酒をちびりとすすりながら、星空の下で語り合う穏やかなひととき。火は人を哲学的な思いに誘う。

狭いテントに三人で寝た。フキの葉を敷き詰めたクッションでも石の硬さは消せない。痛くない体の向きを探して寝袋の中でごそごそ動く。
夏山の夜明けは早い。4時には明るくなり小鳥のさえずりで目が覚める、その自然の呼吸がいい。

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二日目、クワウンナイ川随一の景観、2kmに及ぶナメ滝を楽しむ。川幅一杯に流れ寄せる平滑な水流は実に壮観だ。
脇には美しい花が咲き誇っている。一足ごとに苔を踏む感触が柔らかく心地よい。朝の逆光に輝く水面、ざあざあという川の音が耳にこびりつく。

「滝の瀬十三丁」と呼ばれるクワウンナイのナメ滝

「滝の瀬十三丁」と呼ばれるクワウンナイのナメ滝

いくつもの滝を越えて源流に近づく。川は細くなり、チングルマとコザクラのお花畑が広がる。雪渓が現れ、青空にくっきりと浮き出した稜線が間近く見える。花の世界、高山の楽園だ。

チングルマの群落

チングルマの群落

「高山植物の女王」コマクサ

「高山植物の女王」コマクサ

我々はトムラウシの山頂を踏むよりも、今満開の花たちをゆっくりと楽しむことを選んだ。これはこれで素晴らしい選択だったと思う。山頂はこれまでに何度か踏んでいるので未練もなかった。
ピークハントだけが登山ではないと、私は常々思っている。その季節の、その山が見せてくれる姿を、体中で感じて、ありのままに愛でること。自然と一体になること。それが山登りの魅力だと思う。

クワウンナイの遡行は大いなる自然の造形の美しさをたっぷりと味わわせてくれた。
大雪山の奥深さをまたひとつ知ることができた、素晴らしい山行であった。

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