保守すべきものとは(建国記念日に寄せて)

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11日は小雪まじりの中、建国記念奉祝式典へ参加してきた。
会場はロイトン札幌の三階ホール。福井ばやし保存会の演奏に続き、国歌斉唱で厳かに開式した。
昨年の市長選で善戦した本間奈々氏の司会のもと、町村信孝衆院議員、自衛隊OB、市議会議員の方々が祝辞を述べられた。
運営の日本会議の若い会員たちは快活颯爽、キビキビとして好ましい。やはり日本人はこうあってほしいものだ。

記念講演は、産經新聞社の政治部記者、阿比留瑠比(あびる るい)氏が登壇された。

阿比留氏は09年の政権交代ブームの中、一貫して民主党の危険な本質を国民に訴えてきた方であり、その舌鋒鋭い政権批判は多くの保守層の喝采を浴びること多きゆえに、今回の運びとなったのであろう。

「天災を人災に変えた男・菅直人」について、氏が官邸担当記者として知り得た数々の逸話に、菅氏がわが国の首相だったことは悪夢以外の何物でもないと改めて思った。人間として許せぬ冷酷さと卑劣さ、無責任さに今更ながら哀しい笑いを禁じ得なかった。奉祝式典の場ではあったが日本を憂う誰もが思いを同じくしたはずである。


講演の最後に阿比留氏が次のように語った。
「日本人は保守が2割、左派が2割、残りの6割は雰囲気や流行で動くノンポリ層。保守層だけでは数が足りず日本は動きません。
大阪の橋下氏があんなに人気があるのは、彼はイデオロイギー色を表に出さないのでノンポリに受け入れられているのでしょう」

おおよそ同感だが、イデオロギー色を出す、出さないというのは何のことだろう。
「大阪都」「教育条例」「維新の会」と政策を打ち出しても、バックボーンの思想は隠し通せるものだろうか?
そもそも「保守」や「左派」とは何かを今一度確認する必要を感じた。
深い議論には立ち入らずに、ごく一般的な感覚による私見を述べてみる。


「保守」はいったい何を守るのか。広くて捉えにくいが「長い歴史の中に蓄積されてきた生活の智慧とその価値の体系」だろう。
冠婚葬祭から人間関係の礼節その他の慣習など社会固有の文化を、次世代に伝えていくことを重んじるのが「保守思想」だ。
ごく自然な人情に基づいた道理と言えよう。

一方、左派つまり革新派の本家マルクス主義は、極めて単純で唯物的な科学理論だった。
「善=労働者、悪=資本家。伝統は階級差別を生む悪。革命で新しい平等の世界を創造する」として世界のインテリを魅了した。
20世紀末の崩壊後は、その亜流のリベラル思想が形を変えてはびこっている。
「個人の自由。国境なき地球市民社会。家族解体、女は家庭を出て働け。夫婦別姓と同性婚を認めよ」など。

左派の思考は、歴史に価値も意味も認めず革命で社会を変えようとする。
保守の考え方は、歴史そのものに価値があるとして、自然の流れに逆らわない社会変化を是とする。

このどちらの考え方が良識の検証に耐え得る道かは、おのずから明らかであろう。

17世紀イギリスの保守思想家エドマンド・バークが、フランス革命を批判してこう言っている。

「あなた方(革命派)は偏見と戦っているのだと考えるけれども、しかしあなた方は自然と戦っているのである。」

左派の考え方は、自然のあり方を無視した机上の空論である。
そして恐るべきことに、現在の日本の政治はほぼ左派に握られてしまっている。
革命ごっこの幻想を引きずる民主党は、歴史や経緯を無視した政策を次々にぶち挙げる。

普天間基地移設の白紙撤回、八場ダム建設中止、子ども手当強行、外国人参政権付与や夫婦別姓への執着。
尖閣漁船衝突事件での稚拙な対応、軽々しい「脱原発」宣言。枚挙に暇なしだ。

また橋下氏の改革には伝統も慣習も無視する「壊し屋」の匂いがする。
勢いと発信力はあるが改革内容は冷徹でテクニカル。わが国の歴史に対する愛情が感じられないのが気にかかる。


ともあれ世界に冠たる恥辱の政府に、国民はもう我慢の限界である。私たちは「日本国民としての自覚」を強めて眼力を養わねばならない。
革命ごっこも壊し屋も不要。今は心から祖国を愛する人たちによる常識的な大人の政権が必要なのだ。

せめて建国記念日ぐらいは国全体でお祝いするくらいの、まともな日本を取り戻さなくてはご先祖にも子どもや孫にも顔が立つまい。

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