敗れてなお正義はあった(八月十五日に寄せて)

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う〜 何見てるのさ

本日八月十五日。日本人だけではなく他国も意義を感じている。

この日、韓国大統領は日本に対する「謝罪要求」演説をするらしい。
先日は竹島にいきなり乗り込む暴挙を敢行、それを評して
「選挙を控えての国内向けのポーズだから放っておけばよい」
とわが国の防衛大臣は他人事のように捉えていたが、いわれなき侮辱に反駁せず黙殺するなら自らの尊厳が損なわれよう。

そもそも歴史問題といっても、我等の先人は隣の国に対して
今なお謝罪を要するような極悪事など決して働いていない。

1910年の韓国併合は双方にとって痛みの残る遺憾な政策だった。
だが安全保障上の理由があり、何より国際条約で合法的に行なわれた以上、後から文句をつけるのはおかしい。

さらに日韓基本条約(1965年)において賠償はすべて終わっている。
これら先人の正当な努力を無にするような要求は拒むのが当然だ。
日本人は優しいが、仏の顔も三度までだ。
ガツンと言ってやりたくなる。

「オイ、君らが南下するソ連から生き延びたのは日本統治下だったおかげなんだぞ」と。

私は「朝鮮人への罪悪感」を教育で刷り込まれた世代に属する。

中学歴史教科書は昭和53年度以降「70万人強制連行説」を記載開始。
戦時の徴用を「強制連行」と偽って日本を断罪する小細工が始まった。
(参照『公民教育が抱える大問題~家族と国家が消えていく』
小山常実 大月短期大学教授 自由社)

在日朝鮮人については差別や強制○○がとかく取りざたされるが
多くはろくに検証もされずに事実とされてきた。
この「検証をはばかる心理」こそが刷り込みの効果なのだろう。

そしてこの反日宣伝工作に、日本政府は常に屈従してきた。
教科書検定で自ら「近隣諸国(韓国と中国)に配慮」する。
その結果、無垢な日本の子供たちは自虐的な教育に晒され続けている。

学界では「従軍慰安婦」などデタラメで、強制連行も嘘だと分かっている。
それなのに異常な教育が改善されないのはなぜか。

日教組に支配された現場の狂った左翼教師の存在がまず大きいが
文科省の高級官僚が戦後教育システムの体現者であることも大きいのではないか。

真面目に勉強を頑張る成績優秀者ほど、自虐教科書にどっぷり毒される。
健全な愛国心をもつ官僚はごく少数なのでは、と懸念される所以だ。

また昨今の政治家は「有名な素人」が多く、実務では官僚に太刀打ちできない。
見識ある人物を国会に送り込むには、我々一般国民が人物眼を高めるしかないのである。

もはや政治に無関心でいてはならない時代というわけだ。
我らには日本社会の姿を正しく認識し、立て直す努力が求められている。
そのためには、現代社会の基盤である近現代史の解釈をもう一度やり直す必要がある。

祖父母たちの戦いは「愚かな侵略戦争」と粗雑に決めつけられてきたが、そもそもそれが全くの誤りであることが当時の文献によってわかる。
大東亜戦争は、畢竟欧米500年にわたるアジア侵略に終止符を打った戦いだった。

ハワイ、フィリピンを連続強奪して太平洋の支配を進めるアメリカは、ロシアを破った強い日本を、支那進出の妨げとして敵視した。
移民の迫害、強引な軍縮条約、日英同盟の破棄、無法なハルノートなど、あらゆる手でわが国を締め上げ追いつめた。
日本側の戦争回避努力は、彼の容赦なきABCD包囲網で資源と希望を断たれた。
国家存亡を賭け、アジア諸国と結び白人国家と戦うしか生きる道はない。
日本は遂に巨大な欧米に対し敢然と立った。怒りと涙の開戦だ。

日本の大奮戦は、インドやビルマなどアジアを白人の支配から解放した。
我等は矢尽き刀折れ敗れたが、しかし理念と正義において勝った。
それが我等の正史である。我々はこの歴史に胸を張るべきなのだ。

1955年のバンドン会議で、日本代表の高崎達之助氏たちが アジア・アフリカ28カ国の首脳から口々に受けた「感謝の言葉」は感動的な話だ。
これこそ我々はあの戦争の記憶として伝えていくべきだと思う(以下引用)。

『日本があれだけの犠牲を払って戦ってくれなかったら、我々はいまもイ ギリスやフランス、オランダの植民地のままだった。
それにあの時出した『大東亜共同宣言』がよかった。大東亜戦争の目的 を鮮明に打ち出してくれた。—

『アジア民族のための日本の勇戦とその意義を打ち出した大東亜共同宣  言は歴史に輝く』と大変なもて方であった。—


そういうことである。
悲惨さだけが戦争を語り継ぐ全てではない。
そこに正義が確かにあったことを伝える勇気を持とうではないか。
正しい歴史の上にしか、正しい現在の把握はないのだから。

敗戦後67年目をむかえ、日本国民が歴史の真実に目覚めつつある。
人間は誰でも、嘘をつき続けて生きていくのは苦しい。
ましてや巨大な嘘に包まれたまま、誤摩化し続けることは無理である。

あらゆる歪みと矛盾がヴェールの向うで静かに広がり続け、
やがて裂け目が生じて露見するときがくるのは自然の理だ。

隣国に侮られ、領土さえ奪われかけている今の情けない日本だが
逆に、長い戦後の眠りから覚醒するチャンスだ。

八月十五日、全ての戦没者の御霊に心から哀悼と感謝を捧げます。

敗れてなお正義はあった(八月十五日に寄せて)” に1件のフィードバックがあります

  1. 清水の山内

    今尚、見渡せば、偏向教育や日本人の魂を無くした浅はか学者ばかりですが、子供たちには日本の歴史、文化を、正しく伝えていきたいと思っています。そのためには、私の話を素直に聞いてくれるように、自分の普段の生活を気を付けなければ、と思う次第です。
    (清水の  12/8/22 23:54)

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