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これでも日本の内閣? 

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自然や写真と関係ない話題で恐縮だが
僕は 撮影に出ていないときは
時事問題や社会に関心が集中してしまう。

きっと皆さんも感じているだろう。
最近の日本の政治状況は
もうひどいなんてものじゃない。

常識感覚が欠落した発言と行動に
政治家の資質そのものが疑われている。
もちろん予想はしていたけれども
ここまでとは。

自民党政権時代なら、とっくにアウトだ。
マスコミが連日容赦なく叩きまくっているだろう。

民主党はマスコミが応援しているから強い。

本日のNHK世論調査では支持率は59%(前回比-9)。
衆院選で僕は民主党には入れなかった。

首相は「国民の皆さまの支持を得た内閣」と
ことあるごとに言うので、
不支持の僕はどうやら国民じゃないらしい。

それはいいとして
最近の民主党の暴走ぶりはひどい。

今日15日、中国の次期国家首席と目される人を
天皇陛下と会見させるという。
ニュースでも再三言う通り、
病後の天皇陛下のお体を慮って、会見の申し込みは
1か月前で締め切るというルールがあったのに。
それを無視して強引にきめてしまった。

「30日前ルールなんて誰が決めたの?」(小沢一郎氏)

「相手がどうしてもと要求してきた。
日中関係が良くなるからいいことだ」(鳩山首相)

だそうだ。少しも問題と感じていないらしい。

****
日本国民として、はっきり言っておきたい。
なぜ天皇陛下が
中国の一政治家の要求に従わなければ
いけないのか?

30日ルールを誰が決めたかという問題ではない。
なぜルールを破ってまで相手に迎合するのか。
天皇陛下を日中友好とやらに利用しようとする
その軽率さ、あまりの不見識に腹が立つのだ。

祖国の元首を軽々しく扱われた、侮辱に対する怒りだ。

中国と聞けば条件反射的にへつらう鳩山・小沢の
まるで奴隷のような姿勢に情けなさと憤りを感じる。

売国奴め!と心の中で声の限り叫ぶけれども
悲しいかな 僕は無力な一般国民である。

あ、民主党政権下では国民ではないのだった。
来年の夏には国民に戻れるだろうか。

怒りの矛先がおかしい

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もう昨日のことになるが、
NHKの夜9時のニュースで
ちょっと信じられない光景を見た。

昭和二十年三月十日といえば
僕のような戦後生まれでも知っている。
東京大空襲のあった日だ。

米軍のB29爆撃機が約300機で襲来し
既に防備力尽きた東京の下町を
一晩で四十万発の焼夷弾を落として
焼き払った。

死者は十万人以上。
人類史上最悪の空爆だったといわれる。
当時の悲惨な情景や回顧録を
僕も読んだり聞いたりした。

敗戦後に開かれた極東軍事裁判(東京裁判)では
民間人殺傷を意図したこの大空襲が
戦時国際法違反の犯罪であったとする
日本側の主張は 途中で
日本語訳が打ち切られ、議事録から消された。

東京裁判の不公正さはつとに知られている。
大空襲は明らかにアメリカの戦争犯罪であるが
連合国側の裁判官たちは、原爆投下の罪とともに
徹底的に無視したのである。

***   ***   ***

さて、本題はここからである。
この東京大空襲で亡くなった人たちの遺族が
原告となって訴訟を起こしていた。

相手はだれか?
空襲の被害について訴える相手は、誰なのか。

こともあろうに日本政府だった。

これはどうみてもおかしい。
もしアメリカ合衆国を訴えるなら筋が通る。
実際には無理だろうが、考え方はまともだ。

だが彼らはこういうのだ。
「軍人が恩給や援護法を受けているのに
民間人の被害者は何の援護もなく放置された」と。
亡くなった原告の遺影を胸に涙ながらに訴える兄妹の
映像が、肉声が延々と流れる。ほだされそうだ。

だがちょっと待って欲しい。
戦争で被害を受けたのは、東京大空襲だけではなく
大切な身内を亡くした人は全国にたくさんいる。
あの戦争では300万人が亡くなったのだ。

戦争の惨禍は国民全体が共有した悲劇ではないのか。
身内を失った悲しみを国民みんなが共有し、
力を合わせて昭和の時代を生きてきたのだと僕は思う。

「誰のせいでこうなったのか」
そうした個々の思いをぐっと呑み込んで、
みなで団結して国を守って戦った記憶として昇華する、
そういう暗黙の、重い重い約束があるような気がする。
それでこそ戦後の復興が成ったのではないだろうか。

だから今になって急に
「国は謝罪せよ、一人1千万円だ」というのはどうか。
こう言ってはなんだが
全国の遺族の思いに対する裏切りではないか。
誰が焚きつけたのか、誰がどんな思惑で始めたのか。

僕は原告の方々が本気だということだけは、わかる。
戦後の歴史観がそうさせていると思うからだ。
戦争について、国民はとばっちりを受けた被害者だと
思いこんでおられるのだろう。
だがそれは・・大いなる虚妄である。

真相は占領政策により忘却の淵に沈められた。
アメリカの占領軍GHQは
終戦後7年をかけて日本人を洗脳した。

「軍国主義の侵略国家・日本が支配欲で始めた戦争だった」
という歴史観の刷り込み・洗脳が
図書没収、私信の検閲、学校教育、公職追放…
あらゆる手段で、全ての日本人に対して徹底的に行われたのだ。

当時、報道は100% 占領軍による検閲下にあった。
新聞やラジオは日本軍の暴虐ぶりをねつ造・誇張して
ウソを全国の家庭に送り続けたのである。

そして戦後60年たった今も
マスコミは同じことを続けている。
5月放送のNHKスペシャル
「ジャパンデビュー」シリーズでは
戦前の台湾統治を悪しざまに描き、
事実に反する内容と取材証言の改ざんと
捏造が指摘されている。
(この番組に対し、全国の一般視聴者一万人と
取材を受けた台湾人が原告となり
NHKに対し訴訟を起こし係争中だ)
そして昨日のニュースである。

原告団の訴えは東京地裁で棄却された。
僕は当然だと思った。
だがNHKのテレビカメラは
悔しそうな原告の声や顔をアップで
映し出し、スタジオのキャスターは
無念そうな表情で言った。

NHK:「こうした人々がまだまだいることを
私達は忘れてはなりません」

NHKは、洗脳は全く解けていない。
「占領軍なき占領軍支配が続いている」(田母神俊雄氏)
残念ながら、至言であろう。

タテのつながりという視点

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12月8日は
日本人としては忘れえない対米戦の開戦日。
そして私的には静岡の祖母の誕生日である。

すでに卆寿を迎えた祖母は、
年相応の衰えはあるものの
健康そのものは至って穏やかで、
本当にありがたいことである。

私は少年時に1年半、
祖父母のもとで暮らしたことがある。
父の英国駐在に伴い
家族とともにロンドンでの生活を送っていた私は、
翌年の高校受験を控えて単身帰国した。

家族が帰国するまで、
当面祖父母の世話になることになったのだが
思春期の少年を預かる祖父母たちの気苦労や
また預ける両親の気苦労を思うと、
今更ながら感謝の念を禁じえない。

短い期間ではあったが
祖父母との生活が私に与えたものは
まことに大きなものがあり、
人生を左右する貴重な体験だったと思う。

中でも大切なことは、自分と祖先との間の
「タテのつながり」というべきものを、
生活の中で実感し体得できたことだと思う。

祖先を意識することは、今生きている自分を、
過去から未来へと連綿と続く時間軸の中で
相対化する視点を得ることである。

ともすれば個人中心的な狭い視野に陥りがちな
核家族時代にあって、祖父母という存在は
「絶対的個人たる自分」を離脱して
はるかな祖先から続く果てしない織物の上に
現れた模様の一つである
「相対的な自分」を教えてくれた。

私もまた祖先と同じように、
後世の子孫からは歴史的存在として
扱われるのだという、当たり前の真実に気付くのである。

そのことは、人間に謙虚さという資質を備わらせる。
今、この世に生きている者だけがすべてではない。
死んだ者、まだ生まれてこない者たちも含めた
広い視点でこの世界を見るとき、
初めて私たちは
現代の価値観を絶対正義とすることの
傲慢と愚かさに気付く。

まさしく(私達が今頑張っているのと全く同じように)
私達の前の世代、その前の世代も、
みなそれぞれの時代において最善を尽くしてきたはず、
そう肯定的に信じる根拠がある。

それが祖先への自然な敬愛と尊崇の念と呼ぶべきものかもしれない。

私的な祖先のことだけではなく、国全体の祖先たちに対しても
全く同じことが言えると思う。

たとえば先の大戦に関しての祖先の行いや決断に対して、
否定的な側面からのみ断罪するような教育や報道が
強力になされ続けている。

占領下に流布された虚偽の数々が
今や明らかにされているにも関わらず
いまだに当時の日本の行いに一片の理も認めないような
戦後日本の空気のこわばりがある。

だが大戦時における祖先の必死の思いや真剣さを
単純に「過ち」「悲惨」という絵の具で塗りつぶすことは
その時代を最善を尽くして生きた日本人への冒涜だと思う。

それは歴史に対する謙虚さを欠くばかりでなく
人間としての健全な精神を著しく阻害する状況と
言わざるをえない。

私にとって
12月8日は大切な祖母の喜ばしい記念日であり
また祖父母を含めた祖先に対する誇りと
日本人としての矜持を再確認する日なのである。

逝きし国士の面影

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今日 私は大切なものを失った。

我が国を愛し想っていたと断言できる数少ない
政治家・中川昭一氏の訃報に接して
時が経つにつれ無念と悲痛が湧き上がってくるのを
如何ともしがたい。

一面識あるわけでもないというのに
私ごときの胸にすら迫る この空虚な失意は

中川氏の言葉に底流する保守の真理と知性
国を想い、信念を貫く一途で真摯な姿

そして
軽薄な商業主義にまみれ
価値の光を見失った世の中で
健全な未来を取り戻すために戦おうとする
氏の情熱への
限りなき追慕の想いゆえである

実直真面目な愛すべき酒豪
人間味あふれる英才・中川昭一氏
彼の人が皆に示した保守の精神への回帰の道を
私なりに心の指標として刻んで生きていこう。

氏は毎夏 靖国神社の英霊に詣でられていた。
私は、中川昭一氏もまた戦なき世の真の国士として
我が国を卑下し溶解させんとするものたちとの戦いに殉じて
英霊になられたのだと信じる。

心から冥福をお祈りするとともに
これまでのご努力、ご功績に感謝を捧げ
心の中でのお別れを申し上げた。

(願ハクハ共ニ我国ノ未来ヲ見守リ下サランコトヲ・・)

えっ夫婦別姓?

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今回は怒りの投稿になってしまった。

実は取材中に「夫婦別姓が導入される」と聞いたので
初め携帯メールから字数制限のある中で一度投稿した。
しかし、いかんせん感情が先走ったうえ
字数が足らず論点がずれてしまった。情報も正確ではなく
早とちりもあったと反省している。
改めて、修正させていただく。

夫婦が同じ姓を名乗ることは
日本の伝統ある社会安定の知恵だと思う。

そもそも、現状に何の不都合があるのか?
なぜ、わざわざ変えようとするのかわからぬ。
麗しく自然な先人の知恵の価値をなぜ切り捨てる?

過剰な個人尊重と過去を切り捨てるムードが社会にはびこり、
ついに手をつけてはならない部分にまで、魔手が伸びるのか。

私たちの当たり前の秩序と幸せが壊されようとしている。
歴史への敬意と見識のないものたちの正体見たりという思いだ。

この変更は「大した影響ない」ことでは決してない。
社会の在り方、人間関係の在り方のすべてが
根底から変わってしまう重大な意味を持っている。

もし単純に「選択肢を増やすのだからいいことだ」と
思っているとしたら大間違いだし、認識が浅すぎる。

先人の連綿たる歴史と今を生きる個人の繋がりが断たれ、
過去の社会制度すべてが「博物館送り」となり
「生きた意味を持たない遺物」になってしまう。

それは、この国の実質的滅亡を意味する。

私はこの愚行を行う者を決して許せないし、
日本人同胞はこの問題にもっと関心を持ってほしいと思う。
(下手すると来年通常国会で成立する可能性がある)

今回は写真とは関係ない話だが、自然を相手にしていると
現代人の落ち込んでいる暗闇がよく見え、さらに古代からの知恵の
素晴らしさを身にしみて感じることが多い。

私たちの先人たちが守ってきた社会秩序を、当世代だけの考えで
自分勝手に都合よく変えてしまう行為がいかにも軽率で浅薄、
卑しく下品なものに見えて仕方がない。

この現代をむしばむ進歩主義的な考え方は、
いわゆるマルクス主義からきているのだろうか。
主導する人たちが社民党だということは。

鳩山首相は前向きではないらしいが、このような破壊的な
法案は突っぱねる良識を見せてほしいと切に願う。