テレビはどこを見ても大型連休にはしゃぐ姿で埋め尽くされている。
まるで日本中が「奴隷の苦役」から解放された喜びを爆発させているかのようだ(大袈裟な言い方だが、テレビはなんでも大騒ぎしすぎる)。
テレビ番組の演出は一般の現実からかなりずれていると感じることがしばしばだ。
それにくだらない番組が多すぎる。低視聴率に苦しむ現状は頷ける。
芸能人の身内話と、ヤラセ馬鹿笑いで飾るバラエティ番組。
教養番組と称して、およそ意味のない豆知識を問うクイズ番組。
芸能人や漫才師が司会を務める「時事討論」番組。などなど
およそ真の知性とは縁遠い、刹那的なコドモ番組が幅を利かせている。
今後、有識者討論などの質の高い大人の知的番組に力を入れない限り
遠からずテレビ業界は枕を並べて討ち死にの憂き目を見るのではないか。
この国家的危機の時代に、テレビは相変わらず阿呆の能天気では、呆れられて捨てられて当然である。
閑話休題
60年前の今日、私たちの国は、アメリカの占領から解放された。
そんなこともどうでもよい話だと、殆どの日本人は思っているように見える。
私は今日、そーっと日章旗を窓際に掲揚した。実質的な祝日だからである。
通りかかって気づいた人は、「ぷっ、昭和の日を一日間違えたな」と思うだろう。
日本人は今日28日もまた特別な記念日として認識するべきだ。
なんといっても、占領が終わって日本が国家主権を回復した日なのである。
だが現実は見ての通り、ただの「GW遊び週間の始まり」でしかない。
他にも、きちんとした由来や意味がある祝日がその意味を失い、
今や労働の苦役から解放される休みの日としか認識されていないのである。
子供ならまだしも、大人までがそうなのである。「三連休法」など言語道断だ。
これも、占領軍によって日本の古来の祝日や祭日が廃止されたままだからである。
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いったい、5月3日がなぜ祝日でありつづけているのか?
こともあろうに、占領憲法を押し付けられた屈辱の日が!
あの復讐茶番劇、日本の尊厳を踏みにじった極東軍事裁判の開廷日が!
私たちは、こうしたことをちゃんと知って、自分の頭で考えなければならない。
国家が独立しているということの重い意味、そのありがたさ。
そして占領中にどんなことをされたのか。それが現在までどんな影響を残したのか。
私たちの先祖がなぜ戦ったのか。なぜ負けたのか。相手はどんなことをしたのか。
戦後の教育もメディアも、占領軍側に都合の良い歴史しか教えてこなかったけれども今は状況が変わり、知ろうと思えば本当の歴史を知ることはできる。
占領体制に縛られた文部行政やテレビ新聞メディアと距離をおいて、自分の頭で歴史を勉強し直すことが、今私たちに求められているのだ。
正しいと思って戦うこと、負けて悔しがり、次は負けてたまるかと誓う強い心。
尚武の領域を心に保たなければ、平和とは「安楽死に至る老衰」でしかない。
4月28日は、日本人が自らの戦いの正しさを心に刻むとともに、武力敗戦の現実の厳しさと、歴史の不可逆な運命性に思いを馳せ、理不尽なる占領の屈辱に耐えた先人の困難に、瞑目するべき日だ。
そして、子孫として捲土重来と精神の再起を静かに誓う日なのだ。
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それにしても、北方領土がソ連に違法に分捕られたことも知らず、また北の恐怖国家に拉致された同胞のことも「ボクたちのせいじゃないから」と他人顔でパチンコに通い、その北朝鮮に貢いでいる人たち。
「日本さえ戦争しなければよかったのに。国民は軍の被害者だ」と歴史教科書にのせる連中。
「先祖は残虐だったが、私たちは友達だ、ユーアイ!トラストミー」などと恥知らずの極みを首相が演じている。
そんな腑抜けのボケ民族に、二度と繁栄のチャンスがあるだろうか。
私たちは真実に目を開かなければいけない。
今、本気になって日本を救わなければ、将来は確実に真っ暗である。