憂国の思い」カテゴリーアーカイブ

タテのつながりという視点

091129-D-114_1

12月8日は
日本人としては忘れえない対米戦の開戦日。
そして私的には静岡の祖母の誕生日である。

すでに卆寿を迎えた祖母は、
年相応の衰えはあるものの
健康そのものは至って穏やかで、
本当にありがたいことである。

私は少年時に1年半、
祖父母のもとで暮らしたことがある。
父の英国駐在に伴い
家族とともにロンドンでの生活を送っていた私は、
翌年の高校受験を控えて単身帰国した。

家族が帰国するまで、
当面祖父母の世話になることになったのだが
思春期の少年を預かる祖父母たちの気苦労や
また預ける両親の気苦労を思うと、
今更ながら感謝の念を禁じえない。

短い期間ではあったが
祖父母との生活が私に与えたものは
まことに大きなものがあり、
人生を左右する貴重な体験だったと思う。

中でも大切なことは、自分と祖先との間の
「タテのつながり」というべきものを、
生活の中で実感し体得できたことだと思う。

祖先を意識することは、今生きている自分を、
過去から未来へと連綿と続く時間軸の中で
相対化する視点を得ることである。

ともすれば個人中心的な狭い視野に陥りがちな
核家族時代にあって、祖父母という存在は
「絶対的個人たる自分」を離脱して
はるかな祖先から続く果てしない織物の上に
現れた模様の一つである
「相対的な自分」を教えてくれた。

私もまた祖先と同じように、
後世の子孫からは歴史的存在として
扱われるのだという、当たり前の真実に気付くのである。

そのことは、人間に謙虚さという資質を備わらせる。
今、この世に生きている者だけがすべてではない。
死んだ者、まだ生まれてこない者たちも含めた
広い視点でこの世界を見るとき、
初めて私たちは
現代の価値観を絶対正義とすることの
傲慢と愚かさに気付く。

まさしく(私達が今頑張っているのと全く同じように)
私達の前の世代、その前の世代も、
みなそれぞれの時代において最善を尽くしてきたはず、
そう肯定的に信じる根拠がある。

それが祖先への自然な敬愛と尊崇の念と呼ぶべきものかもしれない。

私的な祖先のことだけではなく、国全体の祖先たちに対しても
全く同じことが言えると思う。

たとえば先の大戦に関しての祖先の行いや決断に対して、
否定的な側面からのみ断罪するような教育や報道が
強力になされ続けている。

占領下に流布された虚偽の数々が
今や明らかにされているにも関わらず
いまだに当時の日本の行いに一片の理も認めないような
戦後日本の空気のこわばりがある。

だが大戦時における祖先の必死の思いや真剣さを
単純に「過ち」「悲惨」という絵の具で塗りつぶすことは
その時代を最善を尽くして生きた日本人への冒涜だと思う。

それは歴史に対する謙虚さを欠くばかりでなく
人間としての健全な精神を著しく阻害する状況と
言わざるをえない。

私にとって
12月8日は大切な祖母の喜ばしい記念日であり
また祖父母を含めた祖先に対する誇りと
日本人としての矜持を再確認する日なのである。

逝きし国士の面影

Tokachi_twilight_1

今日 私は大切なものを失った。

我が国を愛し想っていたと断言できる数少ない
政治家・中川昭一氏の訃報に接して
時が経つにつれ無念と悲痛が湧き上がってくるのを
如何ともしがたい。

一面識あるわけでもないというのに
私ごときの胸にすら迫る この空虚な失意は

中川氏の言葉に底流する保守の真理と知性
国を想い、信念を貫く一途で真摯な姿

そして
軽薄な商業主義にまみれ
価値の光を見失った世の中で
健全な未来を取り戻すために戦おうとする
氏の情熱への
限りなき追慕の想いゆえである

実直真面目な愛すべき酒豪
人間味あふれる英才・中川昭一氏
彼の人が皆に示した保守の精神への回帰の道を
私なりに心の指標として刻んで生きていこう。

氏は毎夏 靖国神社の英霊に詣でられていた。
私は、中川昭一氏もまた戦なき世の真の国士として
我が国を卑下し溶解させんとするものたちとの戦いに殉じて
英霊になられたのだと信じる。

心から冥福をお祈りするとともに
これまでのご努力、ご功績に感謝を捧げ
心の中でのお別れを申し上げた。

(願ハクハ共ニ我国ノ未来ヲ見守リ下サランコトヲ・・)

えっ夫婦別姓?

Sounkyo-Ginryu041
今回は怒りの投稿になってしまった。

実は取材中に「夫婦別姓が導入される」と聞いたので
初め携帯メールから字数制限のある中で一度投稿した。
しかし、いかんせん感情が先走ったうえ
字数が足らず論点がずれてしまった。情報も正確ではなく
早とちりもあったと反省している。
改めて、修正させていただく。

夫婦が同じ姓を名乗ることは
日本の伝統ある社会安定の知恵だと思う。

そもそも、現状に何の不都合があるのか?
なぜ、わざわざ変えようとするのかわからぬ。
麗しく自然な先人の知恵の価値をなぜ切り捨てる?

過剰な個人尊重と過去を切り捨てるムードが社会にはびこり、
ついに手をつけてはならない部分にまで、魔手が伸びるのか。

私たちの当たり前の秩序と幸せが壊されようとしている。
歴史への敬意と見識のないものたちの正体見たりという思いだ。

この変更は「大した影響ない」ことでは決してない。
社会の在り方、人間関係の在り方のすべてが
根底から変わってしまう重大な意味を持っている。

もし単純に「選択肢を増やすのだからいいことだ」と
思っているとしたら大間違いだし、認識が浅すぎる。

先人の連綿たる歴史と今を生きる個人の繋がりが断たれ、
過去の社会制度すべてが「博物館送り」となり
「生きた意味を持たない遺物」になってしまう。

それは、この国の実質的滅亡を意味する。

私はこの愚行を行う者を決して許せないし、
日本人同胞はこの問題にもっと関心を持ってほしいと思う。
(下手すると来年通常国会で成立する可能性がある)

今回は写真とは関係ない話だが、自然を相手にしていると
現代人の落ち込んでいる暗闇がよく見え、さらに古代からの知恵の
素晴らしさを身にしみて感じることが多い。

私たちの先人たちが守ってきた社会秩序を、当世代だけの考えで
自分勝手に都合よく変えてしまう行為がいかにも軽率で浅薄、
卑しく下品なものに見えて仕方がない。

この現代をむしばむ進歩主義的な考え方は、
いわゆるマルクス主義からきているのだろうか。
主導する人たちが社民党だということは。

鳩山首相は前向きではないらしいが、このような破壊的な
法案は突っぱねる良識を見せてほしいと切に願う。